ブルガリアと「西バルカン協力イニシアティブ」


前駐ブルガリア大使 渡辺正人

 私は、2017年9月から本年5月迄の2年8か月、ブルガリアに勤務した。2018年1月には、史上初となる日本の総理大臣のブルガリア訪問に関わっただけでなく、日本ブルガリア交流110周年、外交関係樹立80周年、外交関係再開60周年という「3つの周年」に当たる2019年には、両国外務大臣の相互訪問を実現できた。
 本稿では、安倍総理のブルガリア、セルビア、ルーマニア訪問に合わせ、日本が打ち出した「西バルカン協力イニシアティブ」の下での日本とブルガリアとの連携についてご紹介したい。西バルカン域内の国々全てと緊密で良好な関係を維持するブルガリアは欧州随一の親日国の1つであり日本の政府開発援助(以下ODA)の卒業国だが、そのブルガリアとタッグを組むことにより遠い西バルカンにおける地域協力に日本が効率的に関与し得た事例としてご参考になれば幸いである。

安倍総理のブルガリア訪問

(写真)安倍総理とボリソフ首相の共同記者発表(内閣広報室提供)

 2018年1月の首脳会談において安倍総理から表明された「西バルカン協力イニシアティブ」をボリソフ首相は高く評価した。総理が訪問した南東欧3か国の首脳の中でこのイニシアティブを最も歓迎したのはボリソフ首相であった。同年前半のEU議長国ブルガリアが、EU内において、議長国としての最優先課題として西バルカンの欧州統合を打ち出した際、EU内では課題の多い西バルカンに焦点を当てることに対し冷めた見方があった模様である。そのような背景があっただけに、総理の提案はブルガリア側の心に響いたと思う。西バルカン地域と隣接するブルガリアから見ると、旧ユーゴ解体後の西バルカンの現状は地政学的ブラックホールのようなものであり、EUが放置すれば、自由と民主主義の価値を共有しない勢力の浸透をまねくと懸念する人々が多かった。

「西バルカン協力イニシアティブ」とは

 本件イニシアティブの下でのブルガリアとの連携に触れる前に、このイニシアティブの内容について簡潔にご紹介したい。
 このイニシアティブは、EU加盟を目指す西バルカンの国々(アルバニア、コソボ、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、北マケドニア、モンテネグロの6か国)に対する経済社会改革を支援し,西バルカン地域内の協力を促進させることを目的とした取り組みである。具体的には,外務省に西バルカン担当大使を新設し,各国との対話を強化するほか,地域全体の課題である防災,中小企業等の分野で専門家派遣やセミナー開催を通じて日本の知見を共有すること等を内容としていた。
 西バルカンに隣接し既にEUに加盟しているブルガリア、ルーマニアとの関係では、このイニシアティブは、ドナーとしての日本の知見共有を約した他、西バルカン含む域内共通の課題である防災、中小企業等の課題解決に向けた連携・協力を促した。
 振り返れば、総理訪問に先立ち、在ブルガリア日本大使館内で議論された幾つかのアイディアを、旧ユーゴ専門家でありODAにも精通した上田晋参事官(当時)が中心になり東京に伝達してくれた記憶がある。「西バルカン協力イニシアティブ」形成へのお役に立てたとしたら幸いである。

ブルガリアに対する日本のODAの知見共有

 EU加盟に伴いODA卒業国になって以降、新興援助国ブルガリアは日本のODAから学ぶことを要望してきただけに、ドナーとしての知見共有のオファーは歓迎された。東京の動きも迅速であり、2018年5月には外務省国際協力局の担当課長とJICAバルカン事務所長がソフィアに来訪し、ブルガリア外務省関係者との協議において日本のODAの知見共有を行った。2019年1月には田中明彦政策研究大学院大学学長(前JICA理事長)が来訪し、外務省幹部、NGO代表等の援助関係者、外交団に対し、日本のODAの歴史とインパクトを中心に講演を行った。同年3月のザハリエヴァ・ブルガリア外務大臣訪日時には同大臣と北岡伸一JICA理事長との会談が実現した。本年1月にはブルガリア外務省のODA担当総局長が来日し、外務省及びJICA関係者との協議を行った他、ブルガリア外務省員に対するJICA関係者による研修も実現した。

防災分野における日本ブルガリア連携

 ブルガリア側は、西バルカンを対象とした日本との共同プロジェクトの形成・実現にも意欲的であった。背景として、ブルガリア外務省が担うODAの中で対西バルカン援助の占める割合が急速に増大しつつあったことに加え、ジョージアにおいて食糧分野における米国・ブルガリア共同プロジェクトを実現したとの成功体験があった。ジョージアのプロジェクトは、ブルガリア外務省と米国際開発庁(USAID)が援助資金を折半し、現地事情に通じたブルガリア人専門家を活用するという典型的な援助協調であった。
 これに対し、ジョージアのケースのようにブルガリアと日本が資金を折半し合うようなプロジェクトを我々としては想定していない点を伝え、代替案として、西バルカン及びブルガリアに共通する広域的課題である防災に焦点を当て、日本の防災専門家と西バルカン6か国及びブルガリアの防災分野の実務家を一同に集めた防災セミナーをソフィアで開催してはどうかと打診した。防災は、当初より「西バルカン協力イニシアティブ」が想定していた地域全体に跨る課題の1つであったからである。日本の外務省が内閣府他に事前調整を行っていたことが功を奏し、2019年2月の西バルカン防災セミナーのソフィア開催に繋がった。テーマは、ブルガリア及び西バルカン側の要望を踏まえ、水害・洪水対策に絞った。
 本件セミナーには、内閣府、国土交通省、JICA等から官民の専門家が講師として参加し日本の知見を共有すると共に、ホストであるブルガリア内務省含む防災省庁の専門家と共に、西バルカン6か国全てから防災実務家が参加し(西バルカンからの参加者はブルガリア政府の招聘)、2日間にわたり集中的な討議を行った。このセミナーには世界銀行も関心を示し、本部から専門家が派遣され議論に貢献した。
 外交上の意義として、緊張した関係にあるセルビアとコソボが同じテーブルについて議論に参加したことが挙げられる。西バルカンの国々全てと良好かつ緊密な関係を有するブルガリアは、2018年前半のEU議長国期間中、EU・西バルカン首脳会合を主催し、そこにはセルビアとコソボの首脳も参加している。その経験もあったのだろう、ブルガリア外務省は、セルビア・コソボ間の緊張と対立をセミナーに持ち込ませないことに関し自信を有していた。コソボの動向に常にセンシティブであったセルビア側も、ブルガリア政府には信頼を置いていた印象があった。
 昨年2月の西バルカン防災セミナーのフォーマットを踏襲し、本年2月には、日本が西バルカン及びブルガリアの実務家から構成される防災研修視察団を受け入れ、防災分野の知見共有を継続した。
 新型コロナウイルス問題により先行きが不透明だが、明年には日本の関与を前提にした西バルカン防災セミナーが再びブルガリアにおいて開催される予定である。

(写真)西バルカン防災セミナーの集合写真(ベルネル内務副大臣他と共に, ブルガリア内務省提供)

中小企業経営人材育成に関する大学間連携(三大学連携)

 防災分野における日本とブルガリアとの連携に触発された動きだが、2018年10月頃から、日本式経営ノウハウの移転を含む中小企業経営人材育成講座を西バルカンの一国である北マケドニアのスコピエ大学に設置しようとする取り組みが本格化した。この取り組みを主導したのは、かつて日本がブルガリアを援助していた時代にJICAによる経営人材育成事業の受け皿機関であった社会科学系の中核大学である世界経済大学であった。
 世界経済大学の中でJICA事業に関わったブルガリア人講師陣が中心となり、在ブルガリアJICA同窓会と連携の上、短期間の間に事業計画案が策定され、ODA予算獲得に向けブルガリア政府への働きかけが行われた。2019年分の予算が確保された同年1月以降は、スコピエ大学経済学部との連携・協力を加速化させ、同年9月から12月迄の間、スコピエ大学において現地の若手実業家等社会人を対象とした短期特別講座が開設された。この短期特別講座には、世界経済大学、スコピエ大学の講師陣に加え、在北マケドニア日本大使館及びJICAバルカン事務所の仲介・支援を通じ、日本式経営ノウハウの移転などについて長崎大学から協力を得ることができた。長崎大学の関与、特に須齋正幸経済学部教授による講演は、日本の顔の見える取り組みとして、ブルガリアとの関係でも、北マケドニアとの関係でもインパクトがあった。
新型コロナウイルス問題により先行きが不透明だが、ブルガリア側は本年以降もこのプロジェクトの継続・拡充のために予算を確保しており、今後の展開が注目される。

(写真)スコピエ大学における長崎大学須齋教授の講演(2019年9月)(長崎大学提供)

おわりに

 駆け足で「西バルカン協力イニシアティブ」の下での日本とブルガリアとの連携の歩みを振り返った。今後の見通しを含め個人的な印象を残し本稿を締めくくりたい。

 第一に、ブルガリア含むEU諸国にとり当面の最重要課題は新型コロナウイルス問題への対応であり、様々なプロセスが遅延することは避けられないと思われる。本年はブルガリアと北マケドニア両国が、西バルカンの欧州統合を議論するベルリン・プロセスの共同議長国を担うこととなっているが、現時点まで目立った動きは見られない。西バルカンのEU加盟に関しては、EU内ではドイツとイギリスが西バルカンの地政学的重要性を踏まえ議論を牽引してきた感があり、Brexitに伴いイギリスが抜けることによりEU内の議論にも影響が出てくる可能性がある。他方、2019年9月に米国が西バルカン担当特別代表を任命した他、ソフィアで観察してきた限りだが、西バルカンの安定化のため米国が外交的働きかけを強めている。これは前述した西バルカン担当大使の新設など日本の「西バルカン協力イニシアティブ」に触発された動きかもしれない。日本として腰を据えて西バルカンへの関心を持ち続ける意義があり、また、引き続きブルガリアとタッグを組むメリットもあると考える。

 第二に、前述したような日本とブルガリアとの連携事例はODA卒業国との協力モデルになるのではないかと期待する。JICA事業の受け皿機関であった世界経済大学が、開発途上にある北マケドニアの大学への技術移転のために積極的に動いた点は注目される。JICAバルカン事務所も同大学の動きを我々と共に側面的に支援した(在ブルガリア日本大使館公邸がその舞台となったこともあった)。かつて日本の支援を受けた大学等の機関・組織が途上国援助への意欲を示す場合、我々からより魅力的な協力メニューを提示できれば、第二、第三の世界経済大学が出現する可能性がある。欧州内の日本のODAネットワークを広げ、また、援助効果を高めることにも資する可能性もある。
 ブルガリア側から、前述したような米国等との援助協調の事例に言及の上、セミナー開催等の経費の一部なりとも日本側が分担することはできないのかとの打診を受けることが時折あった。その都度、日本のODAの枠内で協力可能なことを例示し長期的視点に立ち日本との連携を進めることの重要性を説いた。ブルガリア人は、日本の要人等との会談があれば、民主化・市場経済化支援として日本から供与された無償資金協力、円借款を含む総額9百億円を超える資金協力、JICAによる専門家派遣・研修員の受け入れ、JICAボランティアの派遣等に対する謝意を表明することを忘れない義理堅い人々である。我々の説明に対し皆最後は納得してくれたのは、そのような親日的な土壌があったからかもしれない。

 本件イニシアティブの下での日本とブルガリアとの連携の歩みは、出発点から前例の無い手探りのプロセスであった。立ち上げ時点から助言・協力してくれた小林秀弥JICAバルカン事務所長(当時)と在ブルガリア大使館の山岸あおい一等書記官の存在無しに以上ご紹介したような進捗はなかったことを記しておきたい。 
(以上は個人の見解です)。