パリ・オリンピック大会の展望―意欲的な開催計画と国際政治リスク―


日本オリンピック・アカデミー名誉会長、早稲田大学招聘研究員
元駐ギリシャ大使 望月敏夫

はじめに

 7月末に開幕するパリ五輪パラリンピック大会まであと半年、アスリート達は意気込みを語り頼もしい。斬新な開催計画に花の都のイメージが重なり一般の人の期待感も高まる。その反面、戦争や社会的分断の下での五輪に不安の声も少なくない。マクロン大統領は開幕半年前の演説で諸準備は順調だが、チャレンジもあるので全力で対応すると述べた。
 この小論では、先ず、開催都市パリの意図と背景を関係者の説明や動画に基づき整理し、東京大会等の先行大会と比較しつつ、パリ大会の見どころと注目点を抽出する。直接依拠したのは、大会組織委員会作成の「立候補ファイル」(仏文約100ページの詳細な大会開催計画。いわば選挙公約)とその後の改善版のほか、昨秋以降のIOC総会、国連総会、オリンピック・サミット、IOC主催諸会議、エスタンゲ組織委員会会長の年末記者会見、バッハIOC会長の新年の辞等である。組織委で働く友人からも聴取した。その上で、当初の思惑どおりに実現するかどうかについて、内外の課題やバッハ会長にまつわる問題を検討し、全体的見通しを述べたい。またパリ大会が世界と日本のオリンピックムーブメントの活性化にどのように役立ちそうかについても予測してみたい。
 なお、8月末開幕のパラリンピック大会の特色についても、障がい者スポーツに関わって来た筆者の立場から論じるつもりであったが、紙数の関係で続編としたい。大会組織委はオリとパラの一体化(東京大会からの継承)がパリ大会の眼目だとしているので、この小論の内容の多くがパラ大会にも適用可能である。
 【注】この小論で扱う「スポーツと政治・外交との相互関係」に関する筆者の基本的考えや東京大会の評価については、「2020+1東京大会を考える」(日本オリンピック・アカデミー編著。2022年2月メデイアパル社)をご参照。

パリ大会の特色(スローガンと三つの基本コンセプト)

 パリ大会の特色を一言で言うと「市民参加型五輪」である。そのスローガンは「広く開かれた大会」(Ouvrons grand les Jeux。Games wide open)であり、単純ながら含蓄の深い用語で大会の理念を現している。「エ」組織委会長は昨年11月の国連総会で、大会は国籍、人種、性、障害の有無等を越えた多様性と普遍性を広く実現する場とし、一般市民の参加(participation)を得てアスリートと共に五輪を共有(partager。share)する場(communion)とすることをこのスローガンに込めたと説明した。同時に、一般国民の関心が強い社会的課題への対応を国民とシェアする大会にすると述べている。細かい話になるがスローガンの用法で見落とせないことは、その日本語訳と英訳は完了し出来上がった状態として描写されているのに対し、原文の仏語では動詞Ouvronsに一人称複数現在形を使い、「さあ広く開いていこう」と能動的に誘いかける命令法のニュアンスを出している。この近未来に向けた用法により、大会後のレガシーの問題(Beyond Paris)への国民の関心と不安にも配慮していると言える。
 更に、大会組織委はこのスローガン実現のための「鍵」として、①祭典,祝祭(Celebration)②参加、関与(Engagement)③継承、レガシー(legacy)という三つの基本コンセプトを打ち出した。これらは概念的には三つに分かれているが、現場での取り組みや行事には三つが混然一体となって反映され、パリ大会の特色を形づくっている。更に、具体的な競技やイベントの指針として、オリンピック憲章第1章に規定されているオリンピック・モットー(「より速く、より高く、より強く、そして共に」)にならい、以下の標語が作られ、「これがパリ大会だ!」として盛んに発信されている。
 “Younger , more inclusive , more urban and more sustainable , plus full gender parity” (より若く、より包摂的、より都会的、より持続的、そしてジェンダーの完全平等)

「市民参加型五輪」の見どころと注目点

(1)先ず三つの基本コンセプトのトップに「祭典Celebration」を置いて五輪のあるべき姿としている点が特徴的である。日本では五輪を神聖化し(torchを聖火と訳し「聖」を付けるのは世界で日本のみ)、五輪を楽しんで来たいと言うアスリートに対しお遊びではないぞ、不真面目だと批判することが多いが、これは世界標準から外れた日本的常識でいわば五輪原理主義である。スポーツライターの大野益弘さんは「オリ・パラ大会の二大要素は『選手の活躍による感動』と『お祭り気分』であり、これがそろうとすごいのだ」との趣旨を述べているが(前掲書)、特にパリ大会の立候補ファイルでは、「生きる喜び(joie de vivre)」をキーワードの一つとし、五輪はすべての人が参加し喜びを分かち合えるフェスティバルだと定義している。人生を楽しむ仏国民を五輪に惹きつけるのに効果的である。
 具体的には、ギリシャで採火された聖火を由緒ある帆船で運送、聖火ランナーを24人のグループ単位で実施、開会式は競技場以外の場(セーヌ川。パラ大会はシャンゼリゼ通り等)で60万人参加可能、街中の文化遺産と五輪を融合、「チャンピオン公園(Parc de Champions)」を設けアスリートの祝福に延べ15万人が参加、「文化オリンピアード」期間の3年間に全国で数百万人が参加し20万件の文化芸術プログラムを実施等である。
(2)若者を念頭に、徒歩と自転車で移動可能なコンパクト五輪(環境対策も兼ねる)、合理的値段のチケット、選手と同コースを走る「皆のマラソン」、スケートボード、スポーツクライミング等のアーバン・スポーツ種目に加え「ブレイキング」の導入、OECDとIOCが共同作成した身体運動普及計画を全国の小中学校で展開、地域対策としてパリ五輪ファンクラブを結成等。 
(3)国民の関心が強い社会的課題への対応として、「スポーツSDGs」の達成を基本戦略とし、完全なジェンダー・バランス(東京大会は女性選手比率48%)、競技の実施で男子優先の見直し(大会最後を飾る「トリ」に女子マラソン)、ジェンダー少数者や障がい者のための徹底した包摂的措置、税金の浪費批判に対し大会経費の96%を民間セクターから調達、競技会場の95%を既存又は仮設とし、同一会場で複数競技を行い経費削減、選手村の後利用で移民に配慮、市民目線の都市再開発 公共交通網整備等。
(4)持続可能性とレガシーを意識した環境対策、特に気候変動に関する2015年パリ協定に基づき温室効果ガスを2012年ロンドン大会に比し55%削減、選手村は100%再生エネルギー使用、サイクリングロード55㎞新設、大会車両はゼロエミッション車、ペットボトル不使用、廃棄物リサイクル、市内緑化等。
(5)市民参加の理念はすべての先行大会の定番だが、パリ大会ではオリジナルでユニークなもの好きのフランス人的発想に合わせてきめ細かく演出しているのが特徴。組織委はほとんどが五輪史上「初物」だと強調しているが、実際は先行大会から継承したアイディア(特に東京大会の環境対策)も多々含まれており、パリ大会はこれまでの取り組みの集大成と意義付けられよう。
 なお、国民の眼を意識するあまり五輪の社会的有用性のみが強調される傾向があるが、立候補ファイルは五輪の本旨であるアスリート・ファーストの原則(Games designed by athletes  for athletes)を強調し、多くの施策を用意している。

パリ大会を支える国民性

 パリは7年前招致レースでライバル都市ロスアンゼルスとブタペストとの差別化を図るため、「参加」、「連帯」、「共有」をキーワードとする「市民参加」を前面に打ち出し、それらが仏国民の思想と行動原理として定着しているので大会の下支えになると主張した。
 ここでフランス革命や人権宣言にまで遡らなくても、多くの仏人にとり若者と結び付けてピンと来るのが1968年の「5月革命 Mai 68」であろう。私事にわたり恐縮だが、筆者は仏留学2年目の最終段階でこの「革命」に遭遇した。外務省派遣の在外研修なので行動は自重したが、ゼミの級友達の合言葉が「連帯」でノンポリや傍観は許されないこともあり、集会や行進に参加した。政府が進める大学改革に学生が参加を要求したことから始まり、労働者階級も巻き込んだ社会改革運動に発展し、日本を含め世界中に波及した。その最中に筆者が強く印象付けられたことは、あらゆる階層の市民、特に若者がこの「参加」の意識を言わば本能のようにごく自然に身に着けていることである。フランスでデモやストライキが頻発するのを見て我々日本人は不思議に思うが、街頭に出ることは「自己」の主体的実現であり日常なのだろう。この国民性を上手く導けば五輪を支えてくれる、敵に回してはならないとの読みはここにある。
 もう一つパリ大会を後押する要因として、ル・モンド紙フィリップ・メスメール東京特派員は、「国際秩序の変化でフランスの国際的影響力に陰りが出ている中で、五輪という象徴的イベントの開催に偉大なフランスをもう一度見たいと思うフランス人の『プチ・ナショナリズム』や『ノスタルジー』があるほか、近代五輪の父の祖国で100年目の五輪であり、招致に連続2度失敗した末に勝ち取ったという「プライド」が大会の背景にある。いずれも『古いスタイルの考え方』だが仏社会では無視できない」と指摘している(2017年8月17日付。昨年12月ネット週プレニュース掲載)。リベラルでしばしば急進的になる一方で、階級社会が深く残るフランスの一側面を言い表しているが、この層もパリ大会の応援団となるだろう。

直面する課題

 昨年10月のIOC総会でエスタンゲ会長はパリ大会への国民の支持率は72%として自信を示したが、同時期の民間調査会社による支持率は60%を切るものもある。また東京大会への懐疑論もそうであったが、時の政権の人気や評価が五輪の支持率に反映される。マクロン政権の年金、移民、経済政策等に反発し2018年「黄色いベスト」運動のように毎年デモやストライキが起きている。政府とEUの農業政策に反対し“農民一揆”も最近起きた。「参加」の伝統だろうが規模次第では大会の運営にとって内なる脅威となる。仏国内情勢は下川駐仏大使による明快な分析を参照願いたい(昨年12月31日付霞関会HP論壇)。
 現場での大きな課題としては、「エ」会長が交通問題と治安問題を挙げている。マクロン大統領もこの二つをチャレンジとした。立候補ファイルでは公共交通網の15%増強で80万人の観客等に対応するとしたが、整備の遅れにイダルゴ・パリ市長が懸念を表明している。治安問題は、内と外の脅威に対処が必要である(後述)。特に今回は公開の場所での式典や競技が計画されているが、「エ」会長は昨年10月以降テロアラートが発令されており、大会では毎日平均4万人の警備要員が動員されると述べた。また大会を標的とする偽情報等の情報攻撃は2012年ロンドン大会以来目立つようになったが、東京大会以来これに対抗するノーハウを蓄えて来た。
 財政問題は国民の最大の関心事の一つだが、パリ大会も物価高で経費が膨らみ、当初予算の68億ユーロから最終的には東京大会ほどではないが2倍に膨らむとの予想もある。組織委は好調なマーケテイングとチケット販売で対応するとしているが予断を許さない。既存施設活用で工事量は少なめだが、フランス流なので遅れが懸念されている。アテネ大会、特にリオ大会は工事現場での五輪と揶揄された。
 2月7日エスタンゲ会長の報酬の妥当性を巡り予備捜査が開始された旨報じられた。昨年夏も組織委の幹部3人が汚職容疑で予備捜査対象になった。仏の予備捜査や予審捜査は刑事訴訟法の手続きとして特色があるが、一般国民は家宅捜索が入ったとの報道だけで五輪批判に傾く。「エ」会長のケースはリオや東京の不正事件とは性格が違うようだが、大会開幕を控えスピーディーな解決を望む声が報じられている。東京の過ちは繰り返して欲しくない。
 暑さ対策、環境破壊、オーバーツリズム、犯罪増加を懸念する声も聞かれる。幸いパンデミックの脅威は予想されていない。

国際政治情勢の影響

(1)1月バッハ会長はウクライナとガザの戦争でパリ大会はいささかも影響されないと立場上強気の発言をしたが、ロシアとベラルーシ選手の国際スポーツ大会参加の問題で2年間近く紛糾している。本来は手続き的問題だが、ウクライナ侵攻への対応を踏み絵のように試す政治問題になった。結果的に当初の「排除」勧告が一転し、両国選手は個人資格、戦争不支持、国名国旗無しの中立選手(AIN)として参加を容認するとの妥協案が成立したが、バッハ会長の指揮のまずさと強引さが目立った(後述)。1月現在パリ大会の予選を通過したAINはロシア選手8名、ベラルーシ選手3名だが、ウクライナと周辺国は数ではなく原則の問題だとして大会ボイコットをほのめかしIOCと対立している。ウクライナを支援する日本等の34か国は昨年2月の共同声明で両国選手の「排除」を主張した。国際陸連等も同様で国際競技団体は分断に陥っている。
 筆者は侵攻直後より各種講演や寄稿文において、弁明しようのない領土侵攻と殺戮に対しては、国際社会の責任ある構成要素であるスポーツ界は伝統的な「政治的中立、非政治主義」の原則を止揚し、政府側と連携して対ロシア等制裁に加わるべきであり、ロシア等選手の「排除」を主張して来た。また東アジアの安全保障状況に鑑み、ウクライナは他人事でないと言い続けている。
 エスタンゲ会長はIOCの中立選手案に賛同したが、イダルゴ市長は反対している。マクロン大統領はいざとなったらIOCの方針に関わりなく主権国家としての最後の手段の入国拒否に訴える可能性もあり(先例多数)、ロシア等選手の参加問題は大会中まで尾を引くだろう。
(2)開・閉会式のボイコットは人権等を理由にソチや北京冬大会等の先行大会で毎回生じているが、大会の存立にダメージが大きいのはアパルトヘイト・ボイコットや1980年モスクワ大会のように多数国による全面的ボイコットである。仮にパリで全面ボイコットする国が出ても標的が開催国ではないので大きく広がることはないだろうが、フランス側が最も気にする大会の価値と威信、即ちフランスの栄光を傷つける恐れがあり、マクロン大統領の外交手腕が試される。
(3)五輪は格好の政治宣伝の機会である。パリ大会ではウクライナ、ガザのほか仏外交が関与しているアフリカや中東絡みで、テロ、街頭デモ、サイバー攻撃等が発生する懸念はぬぐえない。1972年ミュンヘン五輪のパレスチナ・テロリストによる選手村襲撃や2005年イスラム過激派によるパリ市内同時多発テロ等では多数の犠牲者を出したが、内外の脅威は今そこにある。パリ大会が失敗の汚名を着せられるとしたら、唯一この問題であろう。
(4)毎大会で問題になるのは選手自身による政治的表現で、1968年メキシコ大会の黒人選手による「黒い拳」事件以来「表彰台パフォーマンス」と呼ばれ、特に人権や人種問題を理由に頻発化してきた。IOCはオリンピック憲章50条を盾に政治的看板やチラシも禁止との硬い立場を取ってきたが世界の潮流に抗えず、本年1月新たな指針を発表した(記者会見やSNSでは自由だが、競技場内、表彰台及び選手村では禁止)。表現の自由と大会の秩序維持のバランスを取る措置だが、これに違反する選手の処分を巡り騒動となろう。大会参加選手、役員等の亡命問題やイスラエル選手との対戦拒否も起きるだろう。大会からのイスラエル排除の声もある。国威発揚のメダル至上主義が生んだ国ぐるみドーピング問題もくすぶり続けており、関係機関は先般のワリエワ選手の処分のように厳格に対応すべきである。
(5)一方、国際紛争の落とし子の難民チームは東京大会より更に増強される。上川大臣も出席した12月の世界難民フォーラムの成果と相まって、難民問題への関心が高まるだろう。仏が得意とする仲介外交の一環で「貸席外交」が実を結ぶことも期待される。なお、パリ大会を念頭に国連総会で採択された恒例の「五輪休戦決議」に対しバッハ会長等は期待感を表明しているが、毎大会ごとのこの決議はルーティン化し、その理念的価値はともあれ国際紛争の停止に繋がるような実効性に乏しいのが現実である。

バッハ会長のリーダーシップ

 バッハ会長は2013年就任以来、世界中で広がる五輪離れや反五輪等の逆風の中で、時代に沿った五輪改革を推進し精力的に活動して来た。今年の新年の辞ではITの導入強化やe-sportに理解を示している。
 筆者は同会長が副会長時代に講演や少人数会合に出席したが、そこで見せた最大関心事が政治との向き合い方の問題であった。1980年モスクワ大会ボイコットで出場出来なかったことがトラウマになったとも言われるが、近年も多くの演説や声明で「スポーツの政治化politicization」を警告し非政治主義の原則を護れと叫んでいる。新興国政権で目立つスポーツへの介入に対し資格停止処分も厭わない。
 こうして五輪の価値を精力的に護る会長として名声と権威が高まったが、一方で、そのガバナンスの手法が批判されるようになった。同会長の言動には時折ブレがあり優柔不断な面と物事を強行し強権的になる面があるとの批判は東京大会でも聞かれた。権威主義的政権に対して宥和的だとの批判もある。同会長は演説等で口癖のように「一貫性 integrity」を保てと唱えるが、自分自身への戒めになれば良いのだが。
 これが如実に出たのが、上述のロシア等選手の「排除」から「参加」容認への態度豹変である。同会長は侵攻の当初から対応の困難さを告白していたが、そのせいか実際に取った措置には理論的にも外交的にも不完全かつ無理な立論が目立ち説得力に欠く。特に五輪休戦決議の扱い、国際法違反の認定無視、政府と選手の機械的二分法、選手の人権保護の不適切な援用、ウクライナに関するG7沖縄会合声明の恣意的解釈とその宣伝、Q&Aの形で客観的な「解説」と見せかけてIOCの見解を宣伝等、多数に上る。バッハ会長は時代の要請に沿った非政治主義の再定義に躊躇すべきでない(注:2023年3月霞が関会HP論壇掲載の拙文ご参照)。
 更に、昨年末には2025年夏に終わる同会長の任期を五輪憲章の改正までして延長しようとの動きが表面化し、渡辺守成IOC委員(国際体操連盟会長)等はこれに留保を明らかにした旨報じられた。ご意見番的なIOC委員の重鎮は今やいない。オリンピックムーブメントの矜持を守るため五輪ファミリーの適切な対応を望みたい。

今後の見通し

 過去の五輪大会や他の国際的大規模イベントのように、大小の課題を抱えながらも開催者の意思が固い場合は、当初計画の根幹部分は貫徹実施された歴史がある。東京大会も多くの困難に見舞われたが、大会自体は事故もなくやり切り海外のスポーツ関係者は例外なく賞賛した(前掲書参照)。フランス人は政府やEU等のお上が主導するとの理由だけで反発しネガテイブ面をことさら強調する傾向があるので、五輪反対派や実態に無知なマスコミ(特に日本)が針小棒大にあげつらう。しかし、課題の多くは大会実施と運営の面での言わば専門的、技術的問題であり、関係者と政府の努力で相当程度は克服可能と見て良い。大会が近づくにつれ「ボロ」が目立ち批判が増えるのが常だが、予選が進み各国代表の顔ぶれが決まり、競技や行事の詳細が明らかになるにつれ、内外国民の期待が急上昇する。2012年ロンドン大会の現地にいて印象的だったことは、開幕前は無関心でシニカルな世論調査結果が目立ったが、いざ始まると自国選手の活躍や五輪の面白さが分かってきて急速に盛り上がりモデル大会になった。先進成熟国型五輪のパターンと言える。
一方、国際政治がもたらすリスクには特に警戒を要する。小規模な摩擦や事件は想定内で管理可能だが、内外の過激派が突発的に行動を起こすと大会の運営が著しく害される。2004年アテネ大会は2001年米国同時多発テロ後の最初の夏大会であったため、NATO軍まで動員され厳重警戒態勢が敷かれた(不穏な動きはあったが未然に防止)。パリ大会は「ポスト・ポスト冷戦期」(2023年版外交青書)の不安定な国際秩序の下での最初の五輪であるが、2005年同時テロ後に制定のテロ対策法等のもと強力な権限と実行力を持つ仏当局は強い決意を表明している。  

おわりに―パリ大会の成果をどう活かすか

 五輪の将来像を描くと銘打ったパリ大会は多くの示唆と教訓を残すと思うので、それらを十分検証し将来に活かすことが重要である。但し現時点で大会の成果と影響を語るのは過早なので、以下期待感の表明として3点挙げたい。
 第1に、世界のオリンピックムーブメントの生き残りと活性化に役立たせたい。既定のロスとブリスベンでの先進国五輪に続き、インド、インドネシア、南ア等のグローバルサウス国の出番が来る。政治や戦争との向き合い方を含め国際秩序の構造的変化に耐え得る五輪像の検討が重要である。パリ大会の検証にはこの小論中の論点や注目点が役立てば幸いである。
 第2に、日本における五輪運動の立て直しのきっかけとしたい。東京大会懐疑論を引きずったまま汚職、談合容疑が発覚し、容疑者に押し付けてガバナンス不全の責任を取らない執行部に対し世論の眼は厳しい。大本命だった立候補都市札幌も冬眠に入り世界から置いてきぼりにされ、IOCとの関係も円滑さを欠いたと報じられた。日本人の五輪に対するイメージは地に堕ちた感がある。この中でパリ大会での日本選手の活躍とともに大会の斬新さと祝祭感が日本に伝われば、五輪そのものへの関心と五輪好きの心が再び呼び起こされ、日本の五輪運動再生や札幌招致の理解増進に向けた議論を進めることが出来るだろう。
 第3に、日本社会全体が活気を取り戻す契機になり得よう。年初から災害、物価高、政治資金問題、政治家不信、海外の戦争の影、GDP4位転落などが続き、一種の閉塞感を感じさせる中で、上記2と同様にパリ大会で日本の存在感が高まれば、国民の一体感と積極性を醸成する効果を期待出来る。スポーツのみか経済、文化等の活性化の呼び水にもなり得る。五輪は社会変動を促す力があるがその効果はおのずと限定的であるので、縮小均衡から脱して持続可能な発展に結びつけるために、各界の意識改革と実行力に期待したい。
(なお、この小論は筆者個人の見解であることを念のため申し添える。2024年2月9日 記)