トンキン湾海洋境界画定に見るベトナムの海洋政策
元在クリチバ総領事 内山美生
筆者は外務省を定年退職した後7年をかけて博士論文を書き、これを基に本年拙著『ベトナムと中国のトンキン湾海洋境界画定-中国の唯一の海洋境界画定』(創成社)を出版した。同書で取り扱ったトンキン湾海洋境界画定交渉を中心にベトナムの海洋政策を紹介したい。
ベトナムと中国
ベトナムは、ほぼ同じ地理的領域に同一の民族集団が居住しているという意味で東アジア最古の国の一つである。海老根量介は、BC5世紀に繁栄し「春秋の五覇」に数えられた「越」が最初に中国史に現れて来た王国であるが、「越」が湖北省の「楚」に滅ぼされて支配下に入った後も、浙江省南部以南の世界は始皇帝による中国統一までは引き続き「百越」の世界であったとしている(海老根量介「第7章 歴史の中の中国の南向政策-漢と南越の関係についてのケーススタディー」中居良文編著『中国の南向政策』学習院大学東洋文化研究叢書、御茶の水書房、2020年12月8日、pp.223-224)。岡田英弘は、夏人と結びつく系譜を持つ越人は、浙江省、福建省、広東省、広西チワン族自治区、ベトナム方面に分布していたが、その故地に残存する上海語、福建語、広東語の基層はタイ系の言語であるとしている(岡田英弘『中国文明の歴史』講談社現代新書、2004年、p.69)。ブラントリー・ウォマックは「中越は国家と認識できる形になる前、それぞれ石器文明、青銅器文明の展開した場所で、中国文明のルーツの黄河地域とベトナム発祥の地の紅河デルタは遠く離れている。春秋(BC770~476)・戦国(BC475~221)時代に国家が互いに戦い相互に作用して広い文化圏域が生まれた。ベトナムは百越と呼ばれた越族国家群の最南端に位置し、政治・軍事的作用が展開した圏域の外にあった」としている(Brantly Womack, China and Vietnam, The Politics of Asymmetry, Cambridge University Press, NY, USA, 2006, p.24)。ベトナムはBC211年に秦の始皇帝による統一帝国成立以来中国と国境を接し、新統一帝国成立のたびに繰り返された侵略に抵抗し、漢・隋・唐に支配されたが、秦・南漢・宋・元・明・清・中華人民共和国の侵略は退けた。ウォマックは3千年の中越関係は常に非対称な関係であったとして「中国はベトナム問題を『解決』できず、ベトナムも中国問題を『解決』できず、関係を『正常(normal)』として受け入れ、中国は挑戦を受けずベトナムは自律性を脅かされずと確信し、両国間の様々な問題を管理できる非対称の『正常性(normalcy)』」と説明している(Womack、前掲書、pp.23-30)。
ベトナムの海洋政策と海洋境界問題
ベトナムは、タイとタイ湾EEZ・大陸棚境界を画定(1997年)、中国とトンキン湾海洋境界を画定(2000年)、スプラトリー海域でインドネシアと大陸棚境界を画定 (2003年)、マレーシアと大陸棚共同開発を合意(1992年) している。マレーシアとは国連大陸棚委員会に両国で調整済みの大陸棚海域主張線を共同提出している(2009年)。未解決の紛争は中国とのトンキン湾湾口海域とパラセル海域、カンボジアとのタイ湾海域(歴史的水域合意は1982年に解決済み)、多国間のスプラトリー海域である。中国は、唯一ベトナムとのトンキン湾海域を2000年12月署名の「ベトナム社会主義共和国と中華人民共和国の間のトンキン湾の領海、排他的経済水域および大陸棚水域の境界画定に関する条約」により画定したが、海域を接する9か国・地域のすべてと海洋紛争を抱えている。
ベトナムは実効支配する島礁に守備兵を駐屯させておりスプラトリー島(スプラトリー諸島で2番目の大きさで面積0.3㎢、台湾が実効支配する最大のイツアーバ島は約0.5㎢)には守備兵と支援の文民の数十人が居住している。小さな岩礁の場合は見張塔に兵士が駐屯している。ベトナムは南シナ海の全島礁を「人の居住またはそれ自体経済生活を維持できない岩」(UNCLOS第121条2項)」であるとして領海のみをもちEEZ・大陸棚水域を持たないとの立場をとっている。
南シナ海での米国の航行の自由作戦(FON operations)には毎回支持を表明しており、カムラン港、ダナン港などへのわが国護衛艦、米・露・印・仏・中・韓・加・シンガポールなど各国の海軍艦の寄港を歓迎している。
自国の立場の対外発信に努めており共産党・人民軍などの機関紙はじめ政府系メディアは海洋主権問題に関する出来事を詳細に報道し、ほとんどの記事は少なくとも英語・中国語に翻訳されている。
トンキン湾海洋境界画定
トンキン湾はベトナム北部地域と中国広西チワン族自治区・広東省雷州半島・海南島に囲まれた126,250㎢の海域で水深平均40~50mで最深部でも約100mの浅海で、ベトナムにとり首都ハノイがある歴史・文化・政治・経済の中心の紅河デルタに面し、海軍司令部・海上警察本部が所在する重要な軍港・商業港のハイフォンがある重要海域である。中国にとり南部諸省の経済に重要であるとともにインド太平洋への戦力投射の起点の海南島南端三亜市の海軍基地群がある重要な海域である。三亜市には亜龍湾地下潜水艦基地・楡林戦略ミサイル潜水艦基地・三亜海軍基地などがありアジア最大の海軍基地群ともいわれ、2019年、国産第1号空母「山東」が三亜海軍基地で就役した。
ベトナム和平合意後の1973年12月末、北ベトナムはトンキン湾海洋境界画定交渉を提した。中国はパラセル諸島全域を奪取した74年1月17日~19日の対南ベトナム軍攻撃の最中の1月18日に北ベトナムに交渉開始の意向を回答した。同年8月~11月と77年10月~78年6月に交渉が行われたが、カンボジアのポル・ポト政権への対応をめぐる79年2月の中越戦争で国交が断絶し、91年12月の国交回復時に陸上国境とトンキン湾海洋境界の交渉再開を合意した。93年の「国境・領土問題解決の基本原則合意」で定期的会議が始まり96年の中国の「国連海洋法条約(UNCLOS)」)批准後、越側は1887年仏清条約に書かれた東経108度3分13秒の子午線による境界画定の方針からUNCLOSに基づく衡平な境界画定の方針に変更し、97年の江沢民総書記・ドー・ムオイ書記長会談で「2000年中の陸上国境とトンキン湾海洋境界画定」のタイムリミットを設け交渉は加速した。中国側の越海域で操業していた中国漁民の転業の経過措置を設ける漁業協力協定の境界画定条約との同時署名の要求を、越側が2000年2月に受け入れ、境界画定条約と漁業協力協定は2000年12月25日に同時署名された。
1990年代中国は1989年天安門事件による西側諸国の制裁と冷戦終了後の旧ソ連圏諸国の民主化で孤立し、95・96年の台湾危機、包括的核実験禁止条約前の駆け込み核実験で疑念を持たれ、99年のNATO軍米軍機の在ユーゴスラビア中国大使館誤爆では中国が米国に疑念を持った。中国は、境界画定とともに中国漁民の転業準備措置と国際海洋法による通常の線引き以上に境界線を海南島から遠ざけることを確保する必要もあった。一方、第3次インドシナ戦争後急速に国際社会に受け入れられたベトナムは交渉を優位な立場で進めたように見える。
当時、中国は融和的な姿勢をとり陸上国境問題を次々と解決し、2000年時点で、インドとブータンを除く隣国12カ国と陸上境界を画定していた(中国が行った13件の境界画定は、大躍進政策失敗、チベット動乱、中印対立などのあった60年代初頭の6件と天安門事件、冷戦終了、台湾危機などのあった1990年代の7件)。トンキン湾海洋境界画定がその後20年以上にわたり「中国の唯一の海洋境界画定」であり続けるとは誰も予想しなかった。
注目すべき点は「①湾の中央部にある越領のバックロンビー島(面積4.5㎢、人口900人)の対海南島の「島の役割」を25%に削減し、代わりに南の湾口のベトナム海岸近くにあるコンコー島(2.2㎢、人口100人)に海南島と同等の「島の役割」を付与したこと、②相互に相手の直線領海基線の引き方を問わなかったこと、③中露陸上国境画定と越タイ海洋境界画定の例に習い双方が自ら境界と考える線を提示しその中間に線引きする方法で領海・EEZを区別せずまとめて画定したこと、④越側が交渉開始時から中国がUNCLOSを批准する1996年まで、1887年仏清条約の線による境界画定の立場に固執したこと、⑤中国側が漁民の転業経過措置を強く要求し、越側は2000年2月まで受け入れなかったこと」が挙げられる。UNCLOSに忠実な決着とは言えないが、UNCLOSの原則に基づく交渉による政治決着といえる。越:中=1.135:1の割合で海域が分割された。海岸線の長さは越:中=1.1対1(越763km、中695km)であるが、バックロンビー島の存在や越側の島嶼数が多いことから、越側では譲歩し過ぎとの批判もあった。中国側は国内で分割割合を公表しなかった。
越側は、中国側が漁民救済措置と海南島への接近拒否のために境界画定を必要としていたことを読み、1887年仏清条約に固執し中国漁民救済措置にも応じず交渉を遅延させ、中国のUNCLOS批准により国際海洋法に基づく境界画定が担保されるのを待って交渉を妥結させたように見える。
トンキン湾境界画定の意義
ベトナムにとり、海洋境界が不明確なことによる水産資源や鉱物資源の開発・利用、船舶・航空機の運航をめぐる摩擦を防ぎ、経済発展に必要な越中関係を安定させ、ベトナム北部のシーレーンの安全に寄与したことであろう。漁業協力協定で中国側に譲歩したが、境界画定がなければ先進的漁船により違法操業する中国漁民にベトナム漁民は太刀打ちできず、猶予期間を与えて転業を促す方が有益であったであろう。漁業協力協定は2019年6月30日に12年+自動延長期間3年の期限を迎えるため、中国側が同一内容での延長を求めて交渉が行われたが越側は新協定にすべきとし、両国合意で1年間の延長が行われた後、2020年6月30日に失効した。
中国にとり、境界画定条約と同時に約3万㎢の共同漁業水域設定を設定する漁業協力協定を締結したことは大きな成果で、中国外務省は「双方にウィン・ウィンの取決めで、中越関係にとり長期にわたる安定的な発展(長期穏定发展)に重要な意義を持つ」と評価し、「中国の厚意をもって平和的手段により領土紛争を解決する立場、国際法に従って国際問題を処理する誠意を示し、責任大国としてのイメージを確立した外交実践の成功の一つである」と宣伝した。折しも2000年1月に江沢民総書記が「宣伝思想工作と精神文明建設に対する重要コメント」で打ち出したソフトパワー外交に格好の宣伝素材を提供した。バックロンビー島の「島の効果」削減により境界線を遠ざけて海南島への接近拒否も達成した。
尖閣・東シナ海問題にもいくつか教訓がある。中国は、歴史的に中国のものである、または、大陸棚自然延長の原則を主張するが、国際情勢や二国間関係が変化すれば主張を変える可能性もある。ベトナム、フィリピン、マレーシアは実効支配する島礁に守備兵を駐屯させている。1974年のパラセル、1888年のスプラトリーの事例のように実力奪取されて実効支配されれば、南シナ海の島礁より大きい尖閣諸島の島嶼(最大の魚釣島は面積3.81㎢)が軍事基地化された場合、沖縄本島も含む南西諸島への深刻な脅威になる。中国が島嶼の領有権主張を取り下げた場合も海洋境界問題は残る。中間線での境界画定で「島の役割」削減を要求することもあり得る。中国は沖縄トラフまでの海域を自国の大陸棚と主張している。尖閣諸島に12海里の領海だけ認め周辺海域は中国の大陸棚海域であると主張する可能性もある。
トンキン湾海洋境界画定はウォマックのいう非対称関係の弱者でも一定の条件が整ったことを迅速に察知し適切に交渉を行えれば、国際法に基づく衡平な境界画定を行えることを示す事例である。2千年の長い歴史の中で、ベトナムが弱者として常に中国の動向を注視し観察して培ってきた中国の思考・行動パターン・交渉方法などの知識に基づく習熟した対応振りは容易に得られるものではない。また、非対称関係の強国に侮られない断固たる決意も見習うべきものがある。ベトナムは中国公船による侵犯には、必ず「国家主権に対する重大な侵犯であり受け入れられない」と強い抗議の声明を中国と世界に発信している。断固たる決意を発信し続けることが紛争のエスカレーションを防ぐ最良の方法であり武力紛争を防ぐ地道な努力である。
平安中期以来、非対称関係の弱者として中国と対峙した経験がない日本にはベトナムに学ぶべきものが多くあるように思われる。