ウガンダ - ナウ・アンド・ゼン
駐ウガンダ大使 亀田 和明
みなさん、「ウガンダ」と言えば何を連想しますか。年配の方なら、独裁者として悪名高いアミン大統領でしょうか。もう少し若い人なら、たけし軍団に所属していた芸人のウガンダかもしれませんね。最近の若い人なら、イメージそのものが湧かないのではないでしょうか。私はそんな東アフリカのビクトリア湖に面した国の日本大使館で2回目の勤務をしています。1回目は、2006年1月から2008年11月まで次席館員として、そして今回は昨2016年6月に大使として赴任しました。そういうことで、今回はこの10年間で英国チャーチル首相が「アフリカの真珠」と名付けたアフリカの国で何が変わったか、そして、何が変わっていなかったかを自らの経験に基づいてご紹介したいと思います。そういう中でウガンダがどちらに進んでいくかが見えてくるからです。
(ウガンダの国とは)
ウガンダは、1962年まで英国の保護国下にありましたが、同年独立を果たしました。しかし、独立以来内紛が絶えず、かのアミン大統領の下で国政が混乱したり、クーデターが続いたりと1986年にムセベニ大統領が政権をとるまで国の安定は得られませんでした。同年以来、国際社会と協力しながら民営化を含む経済改革を進め、憲法等国内体制を整備して、深刻だったHIV/エイズ問題に取り組んでいました。大統領の三選を禁止する憲法規定を改正して3回目の大統領選挙の投票が行われる頃に私の第1回目のウガンダ勤務が始まりした。そして、ムセベニ大統領が5回目の大統領選挙に当選し、組閣をした頃に2回目の着任となりました。
(変わった点)
まずは、人口です。10年前には28百万人でしたが、今は38百万人と何と10百万人増となっていました。次にGDPですがこの10年間に3倍となっています。そして一人当たりGDPも335ドルから676ドルへと増加しています。急速な人口増により一人当たりのGDPの伸びが2倍程度に抑えられてしまっています。また、人口増は保健・衛生や教育といった社会インフラに圧迫を加え、若者の雇用問題が大きな課題となっています。経済面では、国の発電量がわずか385MWから873MWから倍増以上に、国民の水へのアクセスが61%から67%と、そして電気へのアクセスは9%から18%と伸びています。おかげで、首都カンパラに住んでいる限り、停電とか断水に悩まされることはずいぶんと少なくなりました。このほか、なかなか数字では表せませんが、幹線道路は舗装が進み、カンパラからルワンダや南スーダンとの国境近くの遠隔地までかかる時間が2時間から3時間くらい縮まっていることにも驚きました。
国内治安的には、10年前には「神の抵抗軍」という反政府勢力がウガンダ北部を跋扈していたため最大時には180万人にも及ぶ国内避難民がIDPキャンプに収容されていましたが、今では同勢力は完全に国内から駆逐され中央アフリカ共和国内で小規模の勢力として生きながらえています。代わって、ウガンダは周辺諸国から約130万人の難民を受け入れています。特に南スーダン人難民は100万人に達する勢いです。また、2007年からウガンダはソマリアにPKO部隊として最大規模の兵員を派遣してきており、そのためにアル・シャバーブによるテロ爆弾攻撃を2010年に首都カンパラで受けました。これをきっかけに政府によるテロ対策が強化されるとともに、街の中の警備が厳重になりました。ショッピング・モールやホテルに入るときの車両や入場者の警備チェックが段違いに厳しくなったことに驚いたものです。
経済的には、10年前の2007年にコンゴ(民)との国境の湖付近で原油が発見されたとのニュースが大々的に報道されましたが、今では生産ライセンス協定が仏、中国、ナイジェリアの企業との間で結ばれるとともに、2020年までにタンザニアのタンガ港までの石油パイプラインを敷設し、国内に石油精製所の建設を行うための最終準備段階にあります。そして最後が中国の存在です。10年前にはカンパラ市内には中華料理店は幾つかありましたが、街中を歩いていても中国人を見かけることがあまりなく、企業としてはITのHuaweiの看板くらいしか見当たりませんでした。それが、今ではカンパラ市内に多くの中国企業事務所が氾濫しているのみならず、地方にも中国人が投資している工場が数多く建っているのが見られます。そして、高速道路、大型水力発電所、地方道路、エンテベ空港拡張、ケニア国境からカンパラまでの標準軌鉄道敷設という大型インフラを請け負っているのはみな中国企業です。カンパラ市内のゴルフ場の朝方には中国人ゴルファーが群れ集っています。これらは、ビジネス環境を整備し、外国直接投資を呼び込んで雇用を生み出し、産業化を最優先課題とし、道路、鉄道、水力発電といったインフラ投資を積極的に推進するムセベニ大統領の経済政策の賜物です。中国企業の進出はまさにその意図に適うものです。
(変わらない点)
まずは、ムセベニ政権が続いていることです。私は2006年2月の大統領選挙の選挙監視を行ったのですが、既に述べたとおり2016年の選挙で5選を果たし、2021年まで引き続き政権を担当することが確定しています。このように政権が安定しているため、過去10年間の閣僚の顔ぶれが大きく変わっておりません。担当を変えている閣僚が多い中、10年前のクテサ外相とオケロ国際問題担当国務相は今も現職です。事務方トップの外務次官も去年の11月まで同じ人物が務めていました。事務方の主要高官も地位が変わらずにそのまま残っていました。前回親しくしていたジャーナリストもそのまま残っていました。このようなことは、2度目の勤務の私には大変有利に働きました。再会をみんな喜んでくれたからです。すぐにビジネスに入れたことは大いに時間の節約となりました。
変わらない2番目の点は、地方の生活です。都市部は経済成長の果実を得たかもしれませんが、地方では、一部の大企業によるプランテーションを除き、相変わらず自給自足的な農業がほとんどです。そのため生産性が上がらず、気候変動のためか変わってしまった天候パターンについていけずせっかく撒いた種が駄目になってしまうことが多発しています。大統領が灌漑を推進するようキャンペーンしていますが、なかなか進捗が見られません。同様に水のアクセスが進んでおらず、数キロ以上先の水源まで少年・少女たちが毎朝水汲みをする姿は変わっておりません。当館の草の根・人間の安全保障無償資金協力でも井戸の建設を含む水供給に関係するプロジェクトを数多く資金援助しているのが実態です。
しかしながら変わっていないものの中で最も大事なことは、ウガンダの国民がみんな温厚的でかつ親日なことです。ウガンダ人は、おしつけがましくなく、それでいて社交的でコミュニケーションがとりやすく、ユーモアのセンスもあって、親しく付き合いたくなる人であふれています。この点は、10年前と比べてみて今でも全く変わっておりませんでした。このウガンダ人の性格の良さとウガンダの気候が温和なことがこの国の最大限の魅力であるという点では、ここの外交団の意見が一致しています。この点は是非このまま変わらずにいてほしいものです。
(最後に)
日本との関係で一つ大きく変わったことを最後に触れたいと思います。10年前にウガンダ勤務をしていた時には、「ウガンダの父」として知られ、ムセベニ大統領に請われてシャツ工場を率いていた柏田雄一社長以外には、日本関係で登録されていた企業は自動車販売を含めて3社くらいしかありませんでした。柏田社長は残念ながら2年前に引退されましたが、今では、新たに消毒液を現地生産するサラヤ社、中古車販売業者、有機野菜栽培やチョコレート製造を手掛けている方と、全般的には小規模ではありますが、多彩な顔ぶれの約15社の日本企業が活動しています。また、ウガンダからコーヒーを輸入する業者も増えておりますし、ドライ・フルーツやオーガニックコットンを輸入して加工して販売する企業も出てきています。私は、このように人間が住みやすいウガンダで日本のビジネス・プレゼンスがますます拡大することを祈念するとともに、そのためにあらゆる可能な支援を惜しまない覚悟です。
(本文に記載している内容は個人的見解に基づくものです。)