イタリア雑感
前駐イタリア大使 片上慶一
2017年9月から2020年1月までイタリアに大使として赴任していました。コロナ危機が発生する前でしたが、そのときの経験を踏まえイタリアについて簡単に紹介したいと思います。この間は、2018年に総選挙が行われ、「EU原加盟国で初めてEU懐疑主義的なポピュリスト政権誕生」とプレスで大きく取り上げられた時期であり、また、2019年には、「G7諸国で初めて中国と一帯一路に関する覚書(MOU)を締結した国」として西側諸国から強く批判された時期でもありました。
1.内政
先ず、イタリアの政治状況について簡単に概括してみます。
2018年3月の総選挙で、いわゆるポピュリストといわれる「五つ星運動」が大きく躍進し(上下院とも単独政党としては最大議席を獲得)、国内外に大きな驚きを持って受け止められました。イタリア政治史上初めて異質な政権が生まれることになったわけです。当時の総選挙を特色づけた標語は、「ランコーレ」(イタリア語で恨みの意味)、いわゆる「エスタブリィッシュメント」に対する反感に根ざしたもので、2016年の米国大統領選挙の状況に通じるものがあったかと思います。イタリアの場合は、反感の矛先には、当然EUも含まれていましたので、当時は、EU原加盟国であるイタリアがユーロ圏から、はたまたEUから離脱することになるのではないかと大きく懸念されましたが、今日に至るまで曲がりなりにもEU協調路線が維持されてきています。
これには二つの理由があると思っています。一つ目の理由は、選挙期間中の激しいレトリックは別として、EUに対する不満は多々あるとしてもEUから離脱したいと考えているイタリア人は極めて少数にすぎないことです。総選挙後に当時の「五つ星運動」の党首であったディ・マイオは、演説で「EUはイタリアの家である」と明白に述べていることからも明らかです。他方、ユーロ圏については、1999年にユーロを導入したことは、イタリア経済にとって何らよいことはなかった、むしろマイナスであったとして離脱も辞さない、という考えを持っているイタリア人が少なからずいることは事実かと思います。二つ目は、大統領の存在です。イタリアの大統領は、憲法上、首相、閣僚の任命権、議会の解散権を有する等、ドイツのような象徴的な大統領ではありません。イタリアの政治史上、内政が混乱する際には、大統領は大きな影響力を発揮しています。今回も、首相や財務大臣の任命過程において、政権与党が推薦する人物を差し替える等影響力を行使し、EU協調路線が揺るぐことがないよう様々な形で影響力を行使してきているといえます。
さて、総選挙後のイタリアの政治状況がどうなっているか簡単に事実を記述しておきます。
総選挙後、「五つ星運動」が大躍進したとはいえ、過半数には至っていないことから政権を樹立するために様々な連立の試みがなされてきました。
2018年6月から2019年8月までは、中道右派の一部である「同盟」との連立政権(第一次コンテ内閣)、2019年9月からは、中道左派の「民主党(PD)」との連立政権(第二次コンテ内閣)が成立しています。
ポピュリスト的政策を標榜し、EU懐疑主義的な「五つ星運動」と親EU、プロ・ビジネスな政策を採る「民主党」とは、主要な政策を含め大きく立場が異なることに加え、「五つ星運動」内でも現実派と原理主義派が対立し必ずしも一枚岩ではないこと、更には、連立にとどまるとしつつも、「民主党」から分離したレンツイ元首相が率いる「イタリア・ヴィーヴァ(IV)」新党の動向,また「野」に下ったとはいえサルヴィーニが率いる「同盟」は引き続き高い支持率を確保していて多くの不安定要素を抱えたものとなっています。現在はコロナ危機対応で表面化はしていませんが、危機が去った後には様々な動きが再燃する可能性は大きいと思っています。
2.一帯一路とイタリア
2019年3月、習近平国家主席がイタリアを訪問した際、イタリアは
G7として初めて一帯一路に関するMOUを中国と締結しました。直後に訪問したフランスでは、MOUの締結はなされなかったこともあり、多くの西側諸国からイタリアに対して強い懸念・批判の声が上がりました。
イタリアは、これまで「海上シルクロード」構想を支持してジェノバ他5つの港を候補地として名乗りを上げていましたし、2016年以降、中国との間の貿易や投資は大幅に増大、また、ファーウェーイがミラノを含め3つの都市で5Gの試験的パイロットプロジェクトを実施する等、中国とのビジネスを低迷するイタリア経済の起爆剤としたいとの思惑の下、経済・ビジネス関係の強化を図ってきました。では、イタリアには中国に対する警戒感がないのかといえば、決してそのようなことはなく、中国のリスクは認識しつつもチャンスに目を向けているということかと思っています。
もとより、このようなイタリアの対応に対しては、引き続き強い懸念が示されていますが、イタリアは自分たちの文化、価値、技術等に絶対的な自信と誇りを持っているので、個人的には、イタリアは、「イタリア・ファースト」を侵されることは絶対許容しないという意味で一定の抑止が働いていると思っています
3.日本との関係
日本とイタリアの関係については、かってないほど良好な関係にあると感じていました。これまでの両国関係は、「片思いの関係」(日本人はイタリアが大好きだが、イタリア人はそれほどでもない)、或いは、「遠距離恋愛の関係」(関心はあるが、多くの日本人がイタリアを訪れる一方、イタリア人はなかなか日本に来ない)と言われてきました。しかし、最近では、イタリア人の対日関心は日本人のイタリアに対するものを凌駕するほど強まっているのではないかと感じます。起爆剤になったのは、2015年のミラノ食の万博における日本館の大成功と2016年を中心に両国で400以上の様々な文化事業他が行われた日伊国交成立150周年でした。
ローマにはフレンチ・レストランはありませんが(ローマの人に聞くとパスタがあるのに何でフランス料理を食べる必要があるんだといった反応が返ってきます。おそらくフランス人に聞くとなんであんな田舎に――といった反応が返ってくるのかなと想像しています)、日本料理店は数多くあり、増加しています。イタリア赴任中も、ラーメン店が新たに数点舗オープンして大人気を博し、また、新たにローマ市内で始まったいわゆるB級グルメ店でも、たこ焼き、焼き鳥店等が大人気でした。
日本文化に対する関心も高まっていて、広重展、北斎展等大人気、また、日本を訪問するイタリア人観光客数も大きく伸びました(ここ数年で倍増)。
また、自慢できる話ではないのですが、高齢化社会という意味では、日本は世界でナンバーワン、イタリアはナンバーツーで共通の課題に直面しています。そういった意味で両国間では、互いに学べること、協力できる分野もまだ多々あると感じています。
4.イタリア雑感
最後にイタリア勤務で抱いた雑感をいくつかご紹介します。
第一に、意外に知られていないのですが、イタリアは欧州ではドイツに次ぐ第二の製造業大国です。特に北部イタリアには、日本に匹敵する「巧みの技」、高い技術力を持つ多くの中小企業が存在します。また、これも日本と類似していますが、多くのイタリアの中小企業は、高齢化の波に晒され後継者問題に直面しています。こういったこともあり、米国、中国更には日本をはじめ多くの外国企業が、M&Aを含め進出してきています。
第二に、ご存じの通り、2015年以降、欧州で多くの国がテロの標的になり、悲惨なテロ事件が多く発生しました。この間、あまり知られてはいませんが、当時のISIL(イスラム国)の最大のターゲットであったヴァチカンがあるローマも含め、実はイタリアではテロは一回も発生していません。理由は二つあります。一つは、イタリアでは、これまでの長いマフィア、極右、極左等との戦いを通じて治安当局の権限が非常に強いからです。極端に言えば、盗聴もテロリストの疑いのある人物の国外追放も内務省の権限のみで実施できます。2001年9.11のテロ後、米国も含め各国は相次いで対テロ対策、取り締まり権限の強化に奔走しましたが、当時、イタリアに言わせると、そのようなことはもう何十年も前から実施してきていると自負していたそうです。二つ目の理由は、推測の域を出ませんが、マフィアの存在です。ゴッドファーザー、コーザ・ノストラ等既に過去のものといったイメージがありますが、イタリアでは決して「過去」ではありません。着任したての頃にイタリア人の友人から、公共の場でマフィアに言及することはやめた方がいい、過去の話ではないからと言われたことを思い出します。確かに、マフィアによる犯罪は今でもテレビのニュースになっていますし、マフィア裁判も行われています。在任中に、シチリアで宝石商を営業していたコーザ・ノストラの直系のボスが逮捕されたといったニュースが流れていました。シチリアのコーザ・ノストラ、ナポリを拠点にするカモッラ、カラブリア州を拠点とするヌドランゲタ等々現在でもマフィアの影響力がある程度浸透している地域では、よそ者は入れない。テロリストの侵入、浸透が困難な実態があるのかと思います。
最後に、イタリアで苦労した話を二つ。
一つは、言葉の問題です。イタリアでは英語が通じる機会は限られています。シンポジウム等含め基本的にはイタリア語ですし、英語の新聞、TVニュースもありません。イタリア語の発音やイントネーションは、日本人にとっても親和性があるような気がします。赴任中にイタリア語をもう少し真剣にやっておけば世界が広がったのにと後悔することしきりです。
二つ目は、イタリア人は必ず最後にはつじつまを合わせる、とよく言われます。実際に、「最後はなぜかうまくいくイタリア人」(宮嶋勲著)という単行本も出版されていますが、赴任中の経験に照らしても、事業やプロジェクトを進める上で遅々として物事が進まない、反応が極めて遅い等々の困難に直面したことがありましたが、最後は全てがうまく収まる、ということも多々ありました。なかなか奥深い?ところがあると感じた次第です。
イタリアは、国内中に散らばる多くのユネスコ文化遺産や美しい地方都市、オペラ、ファッション、デザイン等々万人が認める文化大国です。是非、機会があれば何度でも訪れていただき、イタリアの美しさに触れていただければ、と願いつつ筆を置くこととします。