イスラエル・パレスチナ紛争について


元駐イスラエル大使 鹿取克章

紛争の背景

筆者は2006年から2年間、イスラエル[1]に滞在する機会があった。地中海からヨルダン川そして紅海に至るパレスチナ[2]の地域は、北部は肥沃であり、南には荒地が広がっている。地中海東端に位置し、海に輝く夕日が美しい。中部丘陵地帯にはオリーブ畑が広がり、キリスト教、ユダヤ教及びイスラム教の聖地エルサレムがある。イエス・キリスト生誕の地ベツレヘムもすぐ隣である。ヨルダン川からアフリカ大陸に向け大地溝帯が走り、海抜マイナス440メートルに死海がある。古代から通商ルートが発展するなど地政学的に重要な位置を占め、多くの文明が足跡を残しており、地理的にも歴史的にも魅力的な地である。

 パレスチナを含めアラブ世界は数百年にわたりオスマン帝国に支配されてきたが、19世紀後半以降アラブ民族独立の機運が高まった。1914年7月に第一次世界大戦が勃発し、オスマン帝国はドイツなど中央同盟国側に与した。ドイツと敵対する連合国側の英国は、アラブ民族の独立を約束し、アラブ勢力のオスマン帝国に対する反乱を働きかけた[3][4]
 アラブ民族主義が高まる中、ユダヤ人社会においてはフランスにおけるドレフュス事件[5]を契機に、ユダヤ人国家建設の動き(シオニズム運動)が高まった。建国候補地となったのは、古代ユダヤ王国が存在したパレスチナであった。1917年11月2日、英国のバルフォア外相は、同国のユダヤ人富豪でシオニズム運動の指導者の一人であったウォルター・ロスチャイルド卿に対し、パレスチナにおけるユダヤ人郷土の建設を支援する旨の書簡[6]を伝達した。
 パレスチナにおいてはユダヤ人も少数派として居住していたが、主たる住民はアラブ人(パレスチナ人)であった[7]。シオニズム運動及びナチスによるユダヤ人迫害などによりパレスチナに移住するユダヤ人が増加するに従い、アラブ人との摩擦と対立が深刻化した。第一次大戦後、パレスチナは英国の委任統治の下におかれたが、英国にとって状況は収拾困難となり、第二次大戦後、パレスチナ問題は国連に付託された。国連は1947年11月29日、総会においてパレスチナ分割に関する決議181を採択し、1948年5月14日、イスラエルは独立宣言を行った。紀元2世紀のローマ帝国に対する最後の反乱にも敗北し、世界各地に離散したユダヤ人にとっては念願[8]がかなうこととなったが、パレスチナの主たる住民であったアラブ人にとっては受け入れがたい決議であった。1948年のイスラエル建国後、直ちに抗争が激化し、第一次中東戦争が勃発した。イスラエルの攻勢により70万人以上のパレスチナ人が住居を追われ難民となった。1949年の停戦協定により、イスラエルとアラブの休戦ライン(グリーンライン)が合意された(以上末尾添付の図参照)。しかし、対立は継続した。

対立の深刻化

 1967年6月、第三次中東戦争(六日戦争)が勃発した。イスラエルは奇襲攻撃により大勝し、パレスチナ全域がイスラエルの支配下[9]となった。同年11月22日、国連安全保障理事会は、イスラエル軍の(第三次中東戦争で占領した)占領地からの撤退を含む公正かつ永続的な平和の必要性を決議[10]したが、イスラエルは撤兵することなく、占領状態は今日も続いており、深刻な対立が継続している[11]。他方、和平に向けての真摯な努力も行われた。最も画期的な進展は、1993年のオスロ合意であった。オスロ合意は、二国家解決に基づく和平の道筋を定めるものであり、同合意に基づきパレスチナ(西岸及びガザ)における自治が開始されることとなり、自治政府及び議会に当たる立法評議会が設立された[12]。しかしながら、1996年にイスラエルにおいてネタニヤフ[13]政権が成立し、オスロ・プロセスは頓挫することとなった。和平に向けての努力が途絶えたわけではなかったが、パレスチナ側においてもオスロ合意に反対するハマスなど過激派のテロが継続し、イスラエル側においては二国家解決に反発[14]する宗教的・民族的過激勢力がパレスチナ全域の支配に向けてパレスチナ領域の侵食及び様々な圧力の行使を継続した。
 オスロ合意後、パレスチナ側において自治政府を構成したのは交渉による和平を目指す穏健派のファタハであったが、和平の展望は開かれることなくイスラエルのパレスチナ浸食は強化されていった。じり貧状況の中、パレスチナ市民のファタハに対する信頼は揺らぎ、2006年に行われたパレスチナ立法評議会選挙においてはファタハが破れ、武装組織ハマスが第一党となった。ファタハとハマスの政治協力の可能性も模索されたが実を結ばず、2007年、ハマスは武力でガザを支配し、パレスチナ自治政府は西岸とガザに分裂し、今日に至っている。
 大多数のユダヤ人及びパレスチナ人は、知的で友好的であり平和を望んでいることは疑いない。しかし現実には、イスラエルが1967年以降一貫して継続してきた入植地[15]の拡大などの既成事実の積み重ね、アブラハム合意[16]によるパレスチナ問題をめぐる国際情勢の大きな変化、パレスチナの地すべての領有を目論んでいるイスラエルの宗教的・民族的過激勢力の増長[17]及び慢心、ファタハとハマスの対立というパレスチナ自治政府の分裂状況などによりパレスチナ問題は複雑化しており、今日、和平の展望は全く見えないと言っても過言ではない。昨年10月7日のハマスのテロ攻撃の背景としては、ガザ地区内におけるハマスに対する市民の不満の高まりという「ガザにおける内政要因」が存在したことも排除されないが、基本的には上述のような和平への展望の欠如、パレスチナ側にとっての状況の益々の悪化及び絶望にも近い怒りと憎悪の蓄積が指摘できよう。昨年10月7日にはイスラエルのガザに近接する場所で大きな野外音楽会が開催されたが、この日がパレスチナ武装組織ハマスの作戦実行日となった。

10月7日のテロの衝撃とイスラエルの対応

 昨年10月7日のハマスのテロにより、1200名以上のイスラエル人が殺害され、200名以上が人質となりガザに連れ去られたが、一日にこのように多くの市民の犠牲者が出たのはイスラエル建国後初めてであり、イスラエルは大きな衝撃を受けた。ハマスに対する怒りと憎しみも高まった。ハマスの攻撃によりガザに近接したキブツKfar Azaも攻撃を受け損壊した。このキブツには、筆者がイスラエルに滞在していた当時、日イスラエル議員連盟のイスラエル側代表であったShai Hermeshさんが住んでおられた。平和を重んじる温和な方で、お宅を訪問した際にキブツにおける生活を紹介していただくなど楽しい時間を過ごしたことが懐かしく思い出される。キブツの画家の方から購入した数枚の絵は、訪問の思い出として大切に部屋にかけてある。Hermeshさん御本人と奥様はシェルターに閉じこもり難を逃れることができたものの、ご長男Omerさんはテロの犠牲となった。心からご冥福をお祈りしたい。
 近親者や友人が殺害された当事者の怒りと悲しみは極めて大きく、テロ当初はもとより現時点においても多くの人が強い報復を主張していることが感じられる。しかしながら、昨年10月7日のハマスのテロ攻撃以降、イスラエル軍のガザに対する報復攻撃は5か月以上継続しており、2月29日にはパレスチナ側の犠牲者が3万人を超えた旨報じられた。大多数は女性、子供を含む一般市民である。また、実際の犠牲者数は、公表された数よりも大きいと指摘されている。病院、学校、住宅、水道・電気などの生活インフラの破壊、乳児や小さな子供たちを含めパレスチナ市民の劣悪な人道状況についての連日の報道は、国際社会の多くの人の心を痛め、怒りをも高めている。ネタニヤフ首相は、停戦を求める国連や国際社会の大多数の声を無視し、「テロとの戦い」、「自衛の権利」という名分を大きく掲げ、ハマスを壊滅させるまでは軍事攻撃を継続する旨重ねて強調している。しかしながら、「度を越した」現在のネタニヤフ政権の軍事行動には、世界中の多くの人々が大きな疑問と違和感を禁じ得ないでいる。

イスラエルの対応についての私見

ネタニヤフ首相の行動に対する疑問及び違和感の背景は次のとおりである。
①自らの保身のために行動しているのではないかとの疑念
 イスラエルに対するテロは、これまでも行われてきておりネタニヤフ首相にとっては本来特に驚くことではなかったはずである。そもそもイスラエルは、入植地 の拡大などパレスチナ側を常に刺激・挑発してきており、パレスチナ側によるテロは、パレスチナとの和平交渉を進めないことについての「免罪符」として利用されてきた感すらある。すなわち、イスラエルとしては、真摯に和平を考え、二国家解決を目指すのであれば、パレスチナにおける穏健勢力である自治政府及びファタハとの連携を強化すべきであり、そのためにもパレスチナにおいてファタハが信頼を失うような措置や挑発行動は控えてしかるべきであるが、ネタニヤフ政権は、入植地の一層の拡大、様々な形でのパレスチナ市民に対する圧迫(入植者のパレスチナ人に対する暴行、多数のパレスチナ青少年の拘束等)を通してパレスチナにおいて穏健派に対する信頼が揺らぎ、過激主義が付け入る隙を作り、分断が深刻化する政策を一貫して追求してきた[18]
 また、対外的な緊張は、内政から国民の目を逸らし国内の団結を強化する効果をもたらすが、イスラエルにおいては、この数年来ネタニヤフ首相の3件の汚職疑惑にかかわる裁判、同首相の裁判所の権限を規制するための法案提出などにより政府に対する国民の批判が大きく高まり、政治が混迷を極めていた[19]
 以上のような背景から、ネタニヤフ首相にとってはハマス等の一定のテロは、政権運営に際し織り込み済みであったと考えられるが、昨年10月7日のハマスのテロは、ネタニヤフ首相の想定をもはるかに上回る大規模なものであった。ネタニヤフ首相は、国内から、自らの汚職事件の対応に追われ、安全保障を軽視し、大規模なテロを許したことについて大きな批判を受けることとなった。首相は、当初は情報機関及び軍に責任を転嫁しようと試みたが、国民の批判は強く、遅くともハマスとの戦争終了後には辞職せざるを得ないとの観測が高まっている。ネタニヤフ首相としては、権力の座を守るべく「テロとの戦い」、「イスラエルの防衛」、「人質全員の解放」の大義を強調し、国民に対し「強い指導者」としてのイメージを改めて強調するとともに、宗教的過激勢力の支持を引き続き確保していくために、「ガザの完全支配」、「ハマスのせん滅」など同勢力の評価が得られるような「成果」の達成を意図しているのではないかと危惧される。

②今回の戦争を契機にイスラエルの宗教過激勢力がパレスチナの完全支配に向けて更なる前進を図ろうとしているのではないかとの疑念
 1993年の画期的なオスロ合意によりイスラエル・パレスチナ間で和平プロセスが開始され二国家解決に向けての展望が開かれたものの、1995年にはオスロ合意を達成したラビン首相がイスラエルの青年に暗殺され、1996年には第一次ネタニヤフ政権が誕生し、オスロ・プロセスは頓挫した。パレスチナ側においても1987年の第一次インティファーダの際に結成された武装組織ハマスのように、二国家解決に反対する過激勢力は存在するが、イスラエルにおいては「ユダヤ人国家イスラエルは、神から与えられたパレスチナ全域(the promised land)を包含するものでなくてはならない(すなわち二国家解決は認められない)」と信じている宗教的過激勢力[20] が根強く存在し、同勢力は近年ますます立場を強めている[21]。同勢力は、現在ネタニヤフ首相の重要な政治基盤となっており、今後ともネタニヤフ首相を支え、パレスチナ人を排除した「大イスラエル」建設に向けての努力を強めていくのではないかと懸念される[22]

前途多難な和平への道

 国際社会及び国連はもとより多くのユダヤ人識者もネタニヤフ政権の「度を越した」軍事行動に批判の声を強めている[23]。イスラエル国内においても、人質の近親者を中心に人質の安全を度外視したパレスチナに対する攻撃を批判し即時停戦を求めるデモが強まっている[24]。同時に、国際社会においては「二国家解決」に向けた和平に向けての努力を強化すべきであるとの声も改めて高まりつつある。
 二国家解決の青写真はこれまでの和平努力の過程で示されてきた。基礎となるのは、国連安保理決議242[25] である。オスロ合意や2007年に開始されたアナポリス和平交渉(完結せず)などを基礎に整理すれば、和平の大枠は概ね次のような内容となる。

①1949年に合意された第一次中東戦争の停戦ライン(グリーンライン)を基本に国境線を画定し、イスラエル及びパレスチナ(西岸及びガザ)の二つの国家を設立する。
②最も機微な問題の一つであるエルサレムについても、グリーンラインを基礎に解決を図る。すなわち西エルサレムはイスラエルに、東エルサレムはパレスチナに帰属せしめる。ただし、東エルサレム内の旧市街地は、多くの宗教にとっての聖地であるため、いかなる宗教の者であっても自由にアクセスできるよう、国際管理の仕組みを導入する。

(写真)イエス・キリストが処刑された場所に立つ聖墳墓教会(筆者提供)
(写真)ユダヤ人の第二神殿跡(嘆きの壁)(筆者提供)
(写真)ムハンマドが天に旅立ったとされる場所に建てられた黄金のドーム(筆者提供)
(写真)エルサレム旧市街の路地(筆者提供)

③イスラエルが西岸(東エルサレムを含む)に建設した入植地は撤去する。ただし、イスラエルとパレスチナの合意が達成されるのであれば、若干の領土の交換の可能性は排除されない。

④第一次中東戦争の結果70万人以上のパレスチナ人が自らの住居を奪われ難民となり、西岸、ガザ、ヨルダン、シリア、レバノンの難民キャンプにおける生活を余儀なくされ、現在ではその数は600万人を超えている[26]。難民の多くは、かつての居住地への帰還の権利を主張しているが、難民問題については「帰還の権利」にどのように対応するかを含めて国際社会の関与の下に可能な限り合理的かつ公平な解決を模索する。

⑤永続する平和を確保するため、イスラエル及びパレスチナ双方にとって受け入れ可能な安全保障の枠組みを国際社会の関与の下に構築する。

 パレスチナ地域にはユダヤ人約700万人、アラブ人は約750万人弱居住している[27]。イスラエルは、永遠に東エルサレムを含む西岸及びガザを占領しパレスチナ人の弾圧(アパルトヘイト政策)を続けるつもりなのであろうか。または、パレスチナ人をこの地からすべて排除することを意図しているのであろうか。いずれも、現実的選択肢とは考えられない。見識あるユダヤ人は、イスラエル及びユダヤ人の将来にとって和平が不可避であることを認識している。しかしながら、和平への道は極めて険しい。イスラエルの民族主義的・宗教的過激勢力は、1967年以降蓄積してきた既成事実を放棄することに強く抵抗し、今後ともパレスチナ全土に広がるユダヤ人国家イスラエルの建設という目的に向け最大限の努力を継続することが予想される。これら過激主義者は、1967年以降続いている占領という一種の「無法状態」[28]において「自由に」行われてきた東エルサレムや西岸における入植地の建設、パレスチナ人に対する圧政、暴行に「慣れて」しまっており、心理的にもパレスチナ人を見下し傲岸不遜となっていることが指摘されている[29]。他方パレスチナ側においては、穏健派と過激主義組織の分断を克服することは容易ではなく、ハマスなどの過激主義組織は今後ともテロを含めイスラエルとの抗争を放棄しないと考えられる。
 中東和平問題においては米国の姿勢が決定的に重要となる。米国のユダヤ人口は、全人口の約2%を占めるに過ぎないが、ユダヤ人の政治的、経済的及び社会的影響力は極めて強く[30]、AIPAC[31]と称される団体は、米国における最も強力なロビー団体の一つである。米国は、これまで一貫してイスラエルを支持してきており毎年多額の軍事援助を行っている[32]。イスラエルに多額の寄付や資金援助を行っている在米ユダヤ人も多い。米国のプロテスタント福音派(特に白人)もイスラエルを強く支持している。白人の福音派の米国全人口に占める割合は2006年の約25%から2021年には14%に低下したが、宗教団体の中で最も政治的影響力が強いことに変わりはないとされている[33]。福音派は、「千年王国の前にキリストが再臨する」、「キリストの再臨へとつながるあらかじめ定められた過程の中でユダヤ人のパレスチナへの帰還は最も大事な出来事」であると信じており[34]、このような宗教的信念からユダヤ人のパレスチナ支配、ユダヤ人による西岸への入植地拡大を支持している。
 イスラエルは、国連や国際社会の声に真っ向から対立することを躊躇しない。国連に対する敬意も感じられない[35]。国際法に違反する行為に対しても自らを正当化する論陣を張る[36]。しかしながらイスラエルにとっても米国は配慮せざるを得ない存在である。イスラエルは、今後とも米国内のユダヤ人強硬派及びキリスト教福音派と連携し、米国政府がイスラエルの過激派勢力の立場を害するような政策をとることがないよう全力で牽制し続けていくであろう。
 このような状況の中、米国が中東和平問題にどのように取り組んでいくこととなるのかは、今後の中東情勢にとって極めて重要な鍵である。米国のユダヤ人の中には民族主義的・宗教的過激勢力に対する批判の声も高まっており、右派に支配されているイスラエルと距離を置こうとする者も増加している。3月14日にはユダヤ系の米政界重鎮チャック・シューマー上院民主党院内総務は、ネタニヤフ首相を、イスラエルの国益より自らの政治的延命を優先していると非難しつつイスラエルで新たな選挙が行われるべきであると主張し[37]、大きな注目を集めた。また、キリスト教福音派の中においても若い世代はイスラエルに対する関心が低くなっていることが指摘されている[38]。米国は、内政上もまた国際社会における米国に対する信頼感を維持強化していく上でも、大きな試練を抱えている。現時点では、米国が中東和平問題に対しより積極的かつ効果的な役割を果たし得るのかについて残念ながらまだ十分な見通しは持ち得ない。

今後どのように対応していくべきか

 和平に向けての国際的な努力が開始され得たとしても、道のりは険しい。長年にわたり蓄積された怒り及び憎悪を少しずつでも和らげ信頼関係を高めていくためには、時間とともに前向きな展望が必要である。パレスチナ人の孤立感が一層高まらないよう、国際社会が中東和平問題に関心を持ち続けることも不可欠である。

短期的には、少なくとも以下の措置を早急に採る必要がある。

①即時停戦
 イスラエルのネタニヤフ首相は、ハマスを壊滅させるまでは停戦を拒否する旨強調しているが、連日のパレスチナにおける子供を含む多数の一般市民の殺害及び悲惨かつ非人道的状況の継続は、国際社会にとって甘受できることではない。イスラエル政権は、「イスラエルは自らを防衛する権利がある」、「テロは断じて許されるべきではなく、国際社会はテロ撲滅に努力しているイスラエルを支援すべきであり、テロリストに与するべきではない」と強く主張している。「テロは決して許されない」との主張に対しては、わが国を含む国際社会も完全に立場を共有している。しかしながら、イスラエルの人間の尊厳や人命軽視ともいえる過剰な軍事行動に懸念を表明する声、即時停戦を求める国連や国際社会の声すべてに対し、「テロの正当化」、「イスラエルに対する裏切り」、「反ユダヤ主義」などのレッテルを張り強く反発するイスラエル現政権の姿勢はあまりに独善的である。むしろ、上記4. で指摘した疑念を禁じ得ない。

②パレスチナを早期に国家として承認
 本年1月31日付Axios[39]は、ブリンケン米国務長官が国務省に対し戦争終了後における米国及び国際社会によるパレスチナ国家の承認[40]についてレヴューを行うとともに政策的選択肢を検討するよう要請した旨報じた。他方ネタニヤフ首相は、パレスチナを国家として承認することはハマスにテロに対する「報奨」を与えることとなるなど強く反対し、イスラエル議会も2月21日、パレスチナ国家の一方的な承認に反対する宣言を120名中99名の賛成で採決した。
しかしながら、和平に向けての展望が長年全く見えず、他方イスラエルによるパレスチナ侵食の継続とともにパレスチナにおける孤立感及び絶望感が高まり、また、イスラエルとパレスチナの対立が中東地域はもとより世界の平和と安定にとって深刻な脅威を与えている現状に鑑みれば、中東和平交渉再開に向けての新たな強いイニシャティブは喫緊の要請である。国際社会及び国連によるパレスチナのできるだけ早期の国家承認は、中東和平交渉に前向きな展望を開き交渉再活性化に向けての新たな息吹を与え、中東地域における包括的な平和の構築に向けてのプロセスにも資するものと考えられる。
 3月22日、スペイン、アイルランド、スロベニア及びマルタの欧州4か国はブラッセルにおいてパレスチナを国家として認める用意があることを表明した[41]
 しかしながら、以上のような措置を実現するに当たってのハードルは実際には非常に高い。ネタニヤフ首相は、上記4.①のような状況により停戦に関心はなく、「失うものはない」との気持ちで戦争を継続しようとするであろう。また、4.でも述べた通り、イスラエルにおいては宗教的過激主義の声は強まっており、彼らは今後ともネタニヤフ支持を続けるであろう。鍵となる米国も、国内の民族主義的ユダヤ人や親イスラエルの福音派の存在により極めて困難な舵取りを余儀なくされている(本原稿起草後の4月18日、パレスチナに正式な国連加盟国としての地位の付与を求める決議案が国連安全保障理事会に付託されたが米国の拒否権により採択されず。15か国中、日本を含む12か国が賛成、英国、スイスが棄権)。本年11月に予定されている大統領選挙の行方も予断を許さない状況にある。もしもトランプ候補が選出されれば、中東和平の実現ははるか彼方に遠くか、実現の展望は消滅するであろう。中東は混沌さを増し、世界全体の安定も大きく損われることとなる。
 このような状況の中で、国際社会はどのように対応すべきなのであろうか。多くの国々が和平に向けての努力をこれまでも、また現在も行っているが、重要なことはやはり和平に向けての国際世論を今後とも可能な限り一層高めていくことである。我が国を含め和平を求める国際世論が高まれば高まるほど、米国内でも、またイスラエルにおいても、和平を求める声は勇気づけられることとなる。

最後に

 多くのユダヤ人は友好的、知的な人たちである。歴史を振り返れば明らかなとおり、ユダヤ人は学術、文化・芸術など様々な分野において人類に大きく貢献してきた。現在、ユダヤ人及びイスラエルは、過激主義を排しイスラエル及び地域の平和と安定を追求していくのか、又は民族的宗教的過激主義に引きずられてゆくのかという極めて重要な歴史的岐路に差し掛かっている。イスラエルが今後ともパレスチナ全域の支配という野望を追求していくこととなれば、和平は実現せず、中東情勢はますます緊張を高め、イスラエルの将来は極めて暗いものとなろう。ユダヤ人に対する国際的評価も大きく悪化するであろう。中東情勢の悪化は、中東のみならず世界の平和と安定をも一層脅かすこととなる。
 見識あるユダヤ人の多くが、イスラエルの現政権に対する批判を強めるとともに和平の重要性を主張している[42]。ニューヨーク・タイムズ紙のトーマス・フリードマン論説委員は、ハーレツ紙アルーフ・ベン編集局長との対談において「現在のイスラエル政権は建国以来最悪の政権であると思う。ネタニヤフは、単にイスラエルの歴史においてのみならず、ユダヤ人の歴史の中で最悪のリーダーとして名を残すことになると思う」と指摘している[43]。政治指導者及び政治家は、しばしば権力欲、独善、パラノイアそして保身という病に侵される。時代遅れの民族主義[44]に犯される者もいる。近年、このような病がイスラエルだけではなく世界各地で広まっている感がある。戦争が起きれば、最も影響を受け、苦しむのは一般市民である。現在のイスラエルとハマスの戦争を見ても、苦しんでいるのは前線の兵士と一般市民である。
 現在の国際社会においては、すべての出来事が世界全体に影響を及ぼす。中東和平問題は、世界全体に影響を与える問題である。私たち一般市民は連帯して、寛容性、他の民族に対する敬意と開かれた心、人間の尊厳の重要性を一層声高に主張し、和平を訴えていかなくてはならない。世界のリベラルな市民の政治への一層積極的な関心及び関与並びに連帯が強く求められる時代となっている。(3月26日起草)

国連総会決議181のパレスチナ分割案。右下の図は、第一中東戦争停戦ライン


[1] イスラエル基本情報(外務省資料。図の茶色部分がイスラエル。緑色部分はパレスチナ自治区)

  • 面積:日本の四国程度
  • 人口:約950万人(2022年5月 イスラエル中央統計局)
  • 民族:ユダヤ人(74%)、アラブ人(21%)、その他(5%)(2022年イスラエル中央統計局)
  • 宗教:ユダヤ教(74%)、イスラム教(18%)、キリスト教(2%)、ドルーズ(1.6%)(2020年イスラエル中央統計局)

(参考)

パレスチナ自治区:パレスチナ人約548万人(西岸地区 約325万人、ガザ地区 約222万人)(2023年、パレスチナ中央統計局)

[2] 「パレスチナ」とは、現在のイスラエル及びパレスチナ自治区の領域を包含する地域。「パレスチナ人」とは、古くからこの地域に居住しているアラブ民族(ブリタニカなどを参照)

[3] 1915-1916年:英国のマクマホン駐エジプト高等弁務官とフセイン・メッカ首長間の10回の書簡交換(フセイン・マクマホン合意)。基本的にアラブ人の居住している地域の独立が想定されていたが、具体的範囲についてはあいまいさが残った。

[4] 「アラビアのロレンス」は、この時代に活躍した一人の英国人将校を題材にした映画。

[5] 1894年、ユダヤ系フランス軍人ドレフュスは、ドイツのスパイであるとの嫌疑をかけられ有罪となった。反ユダヤ主義を背景とする冤罪であった。長期間の闘争の結果、ドレフュスは最終的には無罪となったが、この事件によりユダヤ人は、自ら国家を持たなくてはならないとの認識を強めた。

[6] いわゆる「バルフォア宣言」。表現上は、ユダヤ人の「国家」ではなく「郷土」(national home)の建設を支援する旨約束したものであり、また、パレスチナに居住している非ユダヤ人の市民的及び宗教的権利を害してはならない旨も明記されていたが、ユダヤ人は「ユダヤ人国家」建設について英国の約束を取り付けたと理解した。

[7] バルフォア宣言当時、「パレスチナには総人口60万人のうち8万5000人から10万人のユダヤ人が住んでいた。その他の住民はほとんどアラブ人であった。」ポール・ジョンソン:「ユダヤ人の歴史」下巻p207、徳間書店。1947年当時は、パレスチナの人口はおよそ200万人で、3分の2がアラブ人で、3分の1がユダヤ人であった。(国連広報センターhttps://www.unic.or.jp/activities/peace_security/action_for_peace/asia_pacific/mideast/

[8] 19世紀後半に作詞、作曲されたHatikvah(希望)は、国家建設を希求するユダヤ人の熱い思いを表現している。現在のイスラエル国歌。

[9] イスラエルは、東エルサレムを含む西岸、ガザ、シナイ半島及びゴラン高原を占領した。シナイ半島は、1979年のエジプトとの平和条約締結後エジプトに返還された。シリア領のゴラン高原は、依然としてイスラエルの占領下にある。

[10] 決議は、前文において戦争による領土の獲得は認められない旨、本文においてイスラエルの今次対立(第三次中東戦争)により占領した地域からの撤退という原則を踏まえた永続的かつ公正な和平が必要である旨指摘。安保理決議は国連加盟国に対して法的拘束力を有する。

[11] 占領20年後の1987年にはイスラエルの過酷な占領政策に対するパレスチナ市民の怒りが爆発する形で第一次インティファーダ(市民蜂起)が発生。同年、パレスチナ武装組織ハマスが結成された。2000年にはイスラエル強硬派の挑発により、第二次インティファーダが発生した。

[12]  1993年9月13日、イスラエルのラビン首相及びパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長立会いの下、ペレス外相とアッバース交渉局長がワシントンで署名。クリントン米大統領が副署。同合意により、イスラエルはPLOがパレスチナを代表することを認め、パレスチナはテロを放棄しイスラエルの平和的生存権を認めた。パレスチナ統治機構(PA)を設立し、同機構が5年間にわたり西岸とガザにおける統治の責任を持つこと、この暫定期間経過後に国境、難民及びエルサレムの問題の最終的ステータスについて協議が行われることが合意された。(米国務省歴史局。https://history.state.gov/milestones/1993-2000/oslo

[13] ネタニヤフは1999年に首相の座を離れたが、2009年に復帰した。

[14] 1995年11月4日、オスロ合意を実現したイスラエルのラビン首相は、宗教過激主義者のユダヤ人青年に暗殺された。

[15] 入植地とは、イスラエルがパレスチナ領域である東エルサレム及び西岸に一方的に建設を進めているユダヤ人居住区。西岸におけるユダヤ人入植者数:約46万5千人。東エルサレム約23万人。入植地数はそれぞれ146及び14(2021年)。2004年7月9日、国際司法裁判所は勧告的意見の中で、イスラエルの入植地は国際法に違反する旨指摘。イスラエルはまた、2002年よりパレスチナ過激派によるテロ防止を目的としてパレスチナ人の移動を規制する分離壁の建設を開始。この分離壁はgreen line 上のみならず西岸内にも複雑な形で食い込んでおり、パレスチナ人にとっては自治政府内の領域においても移動が厳しく制約され大きな負担となっている。国際司法裁判所は、上記勧告的意見の中で、分離壁の建設は、国際法に違反する旨指摘。(https://peacenow.org.il/en/settlements-watch/settlements-data/population;https://www.eeas.europa.eu/delegations/palestine-occupied-palestinian-territory-west-bank-and-gaza-strip)

[16] アラブ諸国の中ではエジプト(1979年)及びヨルダン(1994年)のみがイスラエルと外交関係を有していたが、2020年以降、アブラハム合意と称される諸合意によりイスラエルとアラブ諸国の関係正常化が進展した(2020年9月15日、イスラエルはアラブ首長国連邦及びバハレーン、12月22日にはモロッコとそれぞれ国交正常化条約を署名。同年10月にはスーダンと国交正常化について原則合意)。2023年9月20日にはサウジのムハンマド皇太子がFox Newsのインタビューで、イスラエルとの国交正常化合意に「近づいている」旨発言。しかし、同年10月のハマスのテロ以降は新たな情報なし。

[17] 2018年7月19日、イスラエル議会は国民国家法(Nation-State Bill)を63:55で可決。主要点は次のとおりであるが、東エルサレムの一方的併合や入植地の維持強化など、国際法に違反する行為を正当化し、また、自国のアラブ人の権利をも侵害する極めてユダヤ民族主義的な内容。ネタニヤフ首相は、法案可決をシオニズム及びイスラエル国家の歴史における「決定的瞬間」と評価(https://www.jewishvirtuallibrary.org/understanding-israel-s-nation-state-law)。

  • イスラエルの地は、ユダヤ民族の歴史的郷土であり、そこに建設されたイスラエル国家は、ユダヤ民族の国家である。
  • 国家に関する自決権はユダヤ民族のみが行使する。
  • 完全で統一されたエルサレムがイスラエル国家の首都である。
  • 国語はヘブライ語である。アラビア語は国内で特別の地位を持つ。
  • 国は、ユダヤ人入植地の開発を国家の価値とみなし、その設立及び強化を慫慂し推進する。

(イスラエル議会資料による)

[18] 筆者自身強く心を痛めた出来事の一つはヘブロンにおけるユダヤ人宗教過激主義者の傍若無人の行動である。ヘブロンは、パレスチナ自治区内の町であるが、ユダヤ人宗教過激主義者が住宅に侵入して住み込み、窓から階下のパレスチナ人の伝統的商店街の路地にレンガや石、空き瓶、汚物などを投げ捨て、嫌がらせを続けている。パレスチナ人は、自衛のために商店街の上に網を張って対応している。イスラエル政府は、このような露骨な嫌がらせも放置したまま何らの是正措置をもとっていない。

[19] 2019年3月から3年半ほどの間に総選挙が5回実施された(立山良司「イスラエル・パレスチナ問題の現在」)。

[20] 2023年11月5日、イスラエルのAmichai Ben-Eliyahu文化遺産相(ユダヤの力)は、ガザへの「核兵器の使用、ガザ住民すべての殺害も一つの選択肢」であるなど発言(11月5日、6日ニューヨーク・タイムズ紙他各紙報道)。ネタニヤフ首相は対外的配慮より直ちにこの発言を批判し、Eliyahu大臣の閣議出席を停止する措置を公表したが、この発言は、イスラエルの宗教過激主義者がパレスチナ問題をどのように考えているかを示す一つの象徴的事例である。

[21] イスラエル議会(120議席)の構成(2022年11月選挙)

リクード(右派):32

宗教シオニズム(宗教右派):14 [選挙後、宗教シオニズム7、ユダヤの力6及びノアム1に分離]

シャス(宗教):11

統一トーラー(宗教):7

未来がある(中道):24

国家統一(中道右派):12

イスラエル我が家(右派):6

労働党(中道左派):4

ラアム(アラブ系):5

ハダッシュ・タアル(アラブ系):5

前回選挙(2021年3月)と比べると、西岸併合に反対してきた左派のメレッツは6議席すべてを失い、中道左派の労働党は3議席を失った。過激主義勢力である宗教シオニズムは6議席から14議席に躍進。

(立山良司「イスラエル・パレスチナ問題の現在」、イスラエル議会ホームページ

https://knesset.gov.il/mk/eng/MKIndex_Current_eng.asp?view=1)

[22]イスラエルのBezalel Smotrich財務大臣(宗教シオニズム)は昨年末、ガザのパレスチナ人住民を90%程度ガザから外部に移動させることを提案(2023年12月31日ハーレツ紙)。また、 Itamar Ben Gvir国家安全保障大臣(ユダヤの力)は、ガザよりパレスチナ人を排除しイスラエルの入植地を作るべきであるなど発言した。この発言に対し米国務省は2024年1月2日付 Matthew Miller報道官ステートメントで批判(Rejection of Irresponsible Statements on Resettlement of Palestinians Outside of Gaza)。また同大臣は2月29日、ガザへの支援物資搬入への反対を再度表明(2024年2月29日付The Times of Israel)。

[23] ニューヨーク・タイムズ紙やイスラエルの英字紙ハーレツは、ユダヤ人識者によるイスラエルの将来やユダヤ人に対する世界の評価やイメージの悪化を危惧する記事及びネタニヤフ政権を批判する記事を多く掲載している。また、ユダヤ人識者による次の文献は、イスラエル政府及びユダヤの民族主義的・宗教的過激主義の問題点を詳細かつ具体的に明らかにしている。

Sylvain Cypel: The State of Israel vs the Jews, Other Press New York

[24] Smotrich 財務大臣は2月20日、インタビューにおいて「人質の解放が最も重要な課題であるのか」との問いに対し、「否、いかなる代価を払っても人質解放を目指すべきであるとの主張は無責任であり、人質解放はハマスを打ち負かしてのみ達成され得る」など発言(2月20日ハーレツ紙)。これに対し、人質の家族等は強く反発。この発言も、宗教過激主義の考え方を示す一つの例。

[25] 注10参照

[26] パレスチナ難民数:約639万人(2021年、UNRWA)

(西岸108万人、ガザ164万人、ヨルダン246万人、シリア65万人、レバノン54万人)(外務省資料)

[27] 注1のデータより算出

[28] 注14で述べたとおり、国際司法裁判所はイスラエルによる入植地の建設は国際法に違反する旨述べているが、イスラエル政府は無視している。また、入植地に居住するユダヤ人の若者等はパレスチナ人のオリーブ畑などを破壊し、パレスチナ人に暴行を加えているが、イスラエル側は実質的な取り締まりを行っていない(前掲Sylvain Cypel 35ページ)。

他方イスラエルは、投石などを理由に多数のパレスチナ青少年を軍事法廷で裁き拘束しており、国際人権団体からは恣意的かつ人権侵害に当たると批判されている。

2023年12月15日Time誌 :What Palestinian Children Face in Israeli Prisons

2023年12月2日ニューヨーク・タイムズ紙:Freed Palestinians Were Mostly Young and Not Convicted of Crimes

[29] 前掲Sylvain Cypel 35ページ

[30] 米国におけるユダヤ人の影響力については次の文献において詳細に分析されている。

ジョン・J・ミアシャイマー、スティーブン・M・ウォルト:イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策 講談社

[31] American Israel Public Affairs Committee。アメリカ・イスラエル公共問題委員会

[32] 米国は、イスラエルの立場を支持するため、国連安保理における中東関連決議に際しこれまで40回以上拒否権を行使。(https://research.un.org/en/docs/sc/quick

米国政府のイスラエルに対する財政支援の累積額(1946年~2023年)は、158,665百万ドル(2023年は、3,800百万ドル)。(https://sgp.fas.org/crs/mideast/RL33222.pdf

[33] 2023年3月6日Guardian: Chris McGreal「Evangelical Christians flock to Republicans over support for Israel」。なお、公共宗教研究所(PPRI)の2020年の調査によれば非白人を含めた米国福音派は米国人口の約22%を占めている。

[34] 前掲ジョン・J・ミアシャイマー、スティーブン・M・ウォルト、Ⅰ-239ページ

[35] ハマスのテロ攻撃2日後の昨年10月9日、国連のグテーレス事務総長は、ハマスのテロを強く批判したのち、今回の出来事は唐突に発生したものではない、56年にわたる占領による対立の政治的解決が見えていないという現実も考慮すべきであり、流血、憎悪及び分断の悪循環を終わらせなくてはならないなど指摘した。極めてバランスの取れた発言であったが、イスラエル政府は非礼ともいえる形で乱暴に反発した。イスラエル政府は、イスラエルとテロリストを同列に扱うものであると批判したが、かかる姿勢の背景には「テロとの戦い」の側面のみを強調することにより、長年にわたる入植地の拡大、イスラエルのパレスチナに対する圧政の事実、パレスチナ人に対する人権軽視等々に国際社会の目を向けたくないとの思惑が感じられた。

[36] 入植地の建設、入植地をめぐる壁の建設等

[37] 3月15日AP他各種報道

[38] Shibley Telhami: As Israel increasingly relies on US evangelicals for support, younger ones are walking away: What polls show; Brookings Institution 

[39] https://www.axios.com/2024/01/31/palestine-statehood-biden-israel-gaza-war

[40]パレスチナは、2012年11月29日の総会決議により国連における非加盟オブザーバー国家の地位を獲得した。パレスチナは国連において“State of Palestine”と表記されることとなった。パレスチナは総会のすべての会合及び総会が主催するすべての国際会議に出席が認められるが、表決権は持たない。

[41] 3月23日ハーレツ紙

[42] 例えば、本年3月4日ハーレツ紙に掲載されたDavid Rothkopf氏のOpinion.ネタニヤフ首相を強く批判するとともに、米国政府がネタニヤフ首相を支持したことも誤りであるなど指摘。

[43] 3月24日ハーレツ紙podcasts

[44] 前掲Sylvain Cypel 293ページにおいて引用されていたイギリスの歴史学者Tony Judtの言葉