アルジェリア情勢:歴史的転換点に立ち会って
前駐アルジェリア大使 小川和也
私のアルジェリアでの勤務は2018年2月から2020年11月までの2年9ヶ月であったが、その間アルジェリアは未曾有の社会的混乱を経験し、私にとって当国の歴史の転換点に立ち会うという得がたい体験となった。以下はここ約3年間のアルジェリアの政治経済情勢の動きについての私なりの解釈と、日本とアルジェリアとの二国間関係のあり方についての提言である。
1.アルジェリア政治情勢:歴史的転換点
(1)私が着任した2018年初頭時点では、翌年の大統領選挙に20年間政権にあるブーテフリカ大統領が5選を目指して立候補するのかどうかが専らの巷の話題であった。ブーテフリカ大統領は2013年に脳梗塞を起こし、爾来会話や歩行もままならない車椅子生活を続けていた。各国新任大使の信任状捧呈式も長い間行われず、50名近くの大使が信任状を捧呈できないままに活動していた。そのような状況にも拘わらず、翌年2019年2月になって、ブーテフリカ大統領が5選立候補を明らかにすると、時を置かずして燎原の火のごとくこれに反対する民衆デモが発生した。既に2014年の前回大統領選挙でも同大統領の4選に反対する動きがあったが、さすがにアルジェリア国民もここまで国民を愚弄した判断には耐えきれなかったというべきか。2月22日SNSによる事前の呼びかけに答え、デモは各主要都市で同時に発生した。その後何十万人もの民衆の参加を得て、デモは毎週金曜の礼拝後に行われ、勢力を衰えさせることなく2019年末まで継続することになる。デモの背景には、国民の利益を収奪する政権側への強い反発や、石油価格の下落によるうち続く不況、高い若年層の失業率等が指摘されるが、ブーテフリカ大統領が実際の政治運営ができないことは誰の目にも明らかであった。デモには老若男女が参加し、暴動に至ることなく平和裡に行われて、全世界にアルジェリア人の民度の高さについて知らしめることになった。丁度その頃仏で吹き荒れた黄色いベスト運動が至るところで暴力沙汰になっていたのと対照的であった。
(2)ブーテフリカ大統領は2019年4月に退陣し、ベンサラ国民評議会(上院)議長が臨時の国家元首となった。民衆デモは当初のブーテフリカ大統領5選立候補は阻止できたが、その要求はベンサラ国家元首はじめ政府要人の退場や政権与党FLN(民族解放戦線)への非難に拡大していった。状況に対処するためにベンサラ元首は大統領選挙を同年7月に行おうとしたが果たせなかった。この間民衆デモは毎週金曜のデモに加え、毎週火曜には学生デモも始まった。にもかかわらず、民衆デモが暴動に結びつかなかった点は、民衆側に一定の自制があった点と、治安部隊が抑制的に対応したことがあげられよう。当時の軍のトップ、ガイド・サラ参謀総長は当初ブーテフリカ大統領側にあり、その5選も支持していたが、民衆デモの拡大を見てブーテフリカ大統領を見限り自発的な辞任を迫った。また国軍は随時デモ側と共にある点を明らかにして、デモ隊との衝突を巧妙に回避した。国内が未曾有の混乱にあるにも拘わらず、曲がりなりにも行政が機能し、市民生活が維持され、概ね国内が平穏裡に保たれたのも、ガイド・サラ参謀総長の判断と指導があったといって良いであろう。同参謀総長は軍が権力を掌握する可能性を排除し、権力委譲はあくまで憲法に則った形で行われることに固執した。また、ブーテフリカ政権時の閣僚等要人や主立った企業人を汚職と不正蓄財の罪で逮捕、拘留した。その年の年末12月に5人の候補者間で大統領選挙が行われ、テブン元首相が当選した、ベンサラ国家元首は襷をテブン大統領に譲り政権を引退し、またガイド・サラ参謀総長はその数日後に心不全で亡くなった。テブン大統領は一時期ブーテフリカ前大統領の首相を務めていたが、汚職追放を掲げたことが体制派に疎まれ、3か月で解任された経緯がある。大統領選挙ではそのために改革派とみなされていた面がある。
(3)テブン大統領の最大の課題は憲法改正であった。選挙時の公約であった改憲を進めるべく起草委員会を設立し、広く国民の意見を聴取するというプロセスが検討されていた、しかし、翌年2020年3月に感染が拡大したコロナ禍のため、集会は禁止となり、計画は変更を余儀なくされた。ようやく5月になって改憲の草案ができあがった。テブン大統領は革命記念日の11月1日を改憲の是非を問う国民投票の日としたが、その直前になって、コロナ感染のためにドイツに移送されるという異例の事態となった。国民投票の投票率は、コロナ禍に加え、民衆の無関心、大統領の不在などが理由で、23.7%と極めて低調であった。昨年末の大統領選挙で国民の2割強の支持しか得られなかったテブン大統領が、改憲の国民投票で自らの正統性を内外に示そうとした大統領の目論見は残念ながら外れた。しかし、憲法改正自身は67%の賛成を得て合法的に成立、自由権の拡充、憲法裁判所の設置、大統領権限の縮小、議員の任期制限、国軍のPKO参加等を内容とする新憲法は公布を以て近々発効する。形の上では前政権との訣別、「新しいアルジェリア」の誕生を標榜する場はセットされたことになる。
(4)なお、当初テブン大統領の病状は極めて重篤とされ、この原稿を書いている12月末の時点でもなおドイツで治療を続けている。大統領の動静が全く発表されないために疑心暗鬼を生んでいたが、数日前に大統領自身のビデオメッセージが流れ、幾分痩せた感はあるも元気な様子を見せ、数週間内に帰国する可能性も示唆していた。テブン大統領は憲法改正後に選挙法の改正を経て、できれば年内にも議会を解散し、議会選挙と地方選挙を行うことを考えていた。このシナリオは来年に先送りとなるが、できるだけ早期にテブン大統領が国政に復帰し、「新しいアルジェリア」の実現のために改革にまい進されることを期待したい。
2.アルジェリア外交の特徴
(1)ブーテフリカ大統領政権末期には、大統領自身の病気のために、特に首脳外交はほとんどストップした状態であった。それに伴い、国際場裡におけるアルジェリアの存在感も薄らいでいた感がある。テブン大統領はそのような過去を払拭すべく、前国連大使であったブカドゥム氏を外相に任命し、近隣国や中東諸国を手始めに各国に派遣しアルジェリアの復権につなげようとしている。同相は2019年8月のTICAD7の際は当時のベドウィ首相と共に訪日した。今次憲法改正で国軍が国連PKO等に参加できることになれば、アルジェリア外交は大きなツールを得たことになる。元来アルジェリアは独立以来の非同盟中立路線を堅守しており、外交方針は等距離外交、他国への内政不干渉であったが、これが少しずつ変わるかもしれない。
(2)アルジェリア外交で特徴的なのは、旧宗主国仏との関係である。130年に亘る植民地統治とその後の8年間の独立戦争はアルジェリアと仏の双方に大きな傷跡を残した。戦争が終了したのはまだ60年弱前であり、戦争経験者はなお両国に多数存命する。アルジェリア側への「謝罪」や戦争の「記憶」という過去の問題は、両国関係において極めて重要な位置を占めている。独立戦争を知らない戦後生まれのマクロン大統領は、未来志向の観点から問題解決に前向きである。テブン大統領との共同イニシアティブで、両国の学者による植民地化や戦争の歴史の検証作業が始まったが、既に不協和音が聞こえており、前途多難と言わざるを得ない。なお、仏はアルジェリア領のサハラ砂漠で核実験を行っており、被爆者や土地の汚染の問題が残っている。
3.まだら模様の経済情勢
(1)アルジェリアの輸出の9割以上が石油、天然ガスである。埋蔵量も豊富で、シェールガスは世界第3位の埋蔵量と言われている。それを握っているのが国営会社のソナトラック社である。国庫収入も大宗が炭化水素からの上がりである。このようにアルジェリアは独立以来典型的なレント経済に依存してきた。レント経済は政府の腐敗とばらまき政策につながることは多くの資源途上国で経験済みであるが、アルジェリアも例外ではなかった。ブーテフリカ政権下の腐敗体質は、前述のように多数の政治家や企業人が逮捕され長期の禁固刑を受けることで一掃が図られている。他方で、教育や医療の無償提供は意味があるにしても、エネルギー分野や食料分野における補助金政策、住宅の無償供給等、ある意味国民をスポイルしてきた政策がいつまで続けられるかは疑問である。特に石油価格が低迷する時期は、国庫収入が減り緊縮財政を強いられる。その結果国民の生活が苦しくなり、社会が不安定になる。現在石油価格はバレル40ドル前後であり、均衡予算に求められる90ドルには遠く及ばない。加えてコロナ禍のために経済活動は停滞を余儀なくされている。外貨準備は2021年末には底をつくと言われている。アルジェリア政府も炭化水素のみに頼る経済構造から脱却し、産業多角化の必要性から外国企業の誘致を図っているが、世銀のデータが示すように(2020年のDoing Businessでは190カ国中157位)、当国が魅力ある投資先になるまでにはなお時間がかかりそうである。
(2)しかしながらテブン大統領になって、過去の産業政策を見直そうとの動きが出てきたのは歓迎すべきである。2020年の予算法では従来外国企業の投資においては51/49の原則があったが、これがエネルギーセクター等の戦略的分野を除いて撤廃された。従前は外国企業がこの国に投資する際には、出資の上限が49%に抑えられたために、アルジェリア企業との合弁会社を作らざるを得ず、便宜を図る政治家と地元企業の不健全な関係につながっていたとの反省がある。自動車産業については、進出した仏、独、韓のメーカーが結局部品を輸入して完成車を組み立てるだけの偽装輸入工場との指摘を受け、部品輸入が止められ、その結果生産がストップした。テブン政権は新しい自動車産業政策を発表したが、今度は最初から30%の現地調達率を求める極めて厳しい条件を提示、これを満たす外国メーカーがいるのか疑問とされている。
新政権は農業活性化にも力を入れている。かつてこの国が欧州の穀倉と言われていたにもかかわらず、小麦や大麦など主たる食料について純粋な輸入国に甘んじている現状は変える必要があろう。その中で野菜、果物についてはここ数年国内需要をまかない、欧州や近隣諸国に輸出を始めたことは朗報である。アルジェリアはアフリカ最大の面積を誇り、人口は4400万人、地中海に面した温暖な土地で、ユネスコ世界遺産も7カ所を数える。農業や観光はポテンシャルの高い分野と思われる。
4.引き続き注意を要する治安情勢
アルジェリアの治安情勢については、現在国内でのテロの直接の脅威はないが、日々テロリストが確保されたとか、武器が発見されたというニュースが流れる。混乱するリビアやマリとの間にそれぞれ1000km前後の国境を有するアルジェリアにとって、国境警備は国軍の最重要任務である。2013年1月のイナメナス事件は日本側もさることながら、アルジェリア政府にも大きな衝撃を与え、爾来国境やプラント周辺での治安部隊による警戒態勢は極めて厳格になっている。マリやサヘル地域でのAQやIS等のテロリストグループの動きは注意深くフォローしているが、昨年10月にはマリで欧州系人質と交換でアルジェリア人を含む200名を超えるテロリストが釈放される事案が発生しており、今後の治安情勢への影響が懸念される。
5.日本・アルジェリア関係の進展
(1)政治関係
2018年12月に当時の河野大臣が日本の外務大臣としては8年ぶりに当国を訪問、経済問題を中心にアルジェリア側と意見交換され、二国間関係に弾みがつくと思われた。翌年3月にはメサヘル外相の訪日が予定されていたが、訪日直前の内閣改造で外相が交代し中止となった。同年のTICAD7にはアルジェリア国内の混乱にも拘わらず、当時のベドゥイ首相が出席し、首脳会談も行われた。コロナ禍のために全世界で外交がストップする中、日本とアルジェリア間でも要人の行き来が止まっているが、メサヘル外相訪日中止後、引き続き課題となっている当国外相の訪日を実現すべきと思われる。ブカドゥム外相は職業外交官出身で優秀かつバイタリティーがあり、テブン外交を一手に引き受けていることは先述の通りである。二国間では大きな懸案はないが、投資協定、租税条約、外交・公用査証免除協定、官民経済合同委設立などの課題がある。
(2)経済関係
二国間の経済関係は代金未払問題があったCOJAAL(アルジェリア東西高速道路)の件も5年前に一応解決し、現時点では喫緊の案件もないが、同時に若干低調気味と言うことも指摘できる。日本は輸出入額ともにアルジェリア側にとり20位後半に甘んじていて、貿易額1位の中国や10位の韓国に大きく水をあけられている。日本企業は邦人駐在員のいる企業は11社のみという状況である。アルジェリアは産業多角化の観点から外国企業の誘致に熱心で、特に日本企業には再生可能エネルギー、医薬品、農産品加工、IT、スタートアップ等の分野で熱い視線が注がれている。それに答える意味で、当国への貿易投資促進官民合同ミッションの派遣が望ましい。日本の企業家にはアルジェリアと言えば、イナメナス事件や先のCOJAALの事案がなお記憶に鮮明で、当国への投資には抵抗があるのかもしれないが、中韓はじめインドもトルコも積極果敢に進出している。是非日本企業には改めてアルジェリアの可能性を見つめ直して、積極的な進出を検討していただきたい。
そのような中で気を吐いている日本企業が、日揮とスズキである。日揮は7年前のイナメナス事件の犠牲者であったにも拘わらず、現在砂漠地帯にプラント建設現場を3カ所持って活動している。天然ガスの増産には日揮の技術が欠かせない。スズキは数年前からアルジェリア自動車市場への投資を意欲的に検討してきている。アルジェリア自身が大きな市場であるし、周辺国への輸出も想定し得る。その他にも日産やトヨタ等複数の日系メーカーが当国進出を検討している。是非、日本企業投資の成功例となって、他の分野の日系企業進出の牽引者になってほしい。
6.結び
(1)我が国を含む世界にとって、シリア、レバノン、リビア、マリ等と多くの中東、サヘル諸国が混乱状況にある中で、北アフリカの大国、穏健派イスラムのアルジェリアの安定は極めて重要である。一昨年の民衆デモに始まる政情不安は、果たして政権側が持ちこたえられるか、ぎりぎりの対応が続く日々であったと言えよう。民衆側、或いは治安部隊側に武器の使用があった場合は、平和なデモは一挙に暴動から流血の場に変わった可能性も排除されない。しかし、アルジェリア人には90年代のテロが吹き荒れた「暗黒の10年」の記憶がなお新しく、その悲劇を繰り返したくないとの思いが民衆側にも治安部隊側にも強くあったとされる。自分たちはシリアではない、リビアには成りたくはないという論調が屡々新聞紙上に見られた。一部野党や有識者からは批判や反対は根強いが、政権側はともかく流血騒ぎを経ずにこの1年を乗り切った。
(2)今後アルジェリアの進む方向については、正直なところまだはっきりした形は見えない。改正憲法には、大統領の下での共和制であり、複数政党制に基づく民主主義国家であり、社会主義体制を取り宗教はイスラム教であることが明示されている。民衆デモの要求に応え、少しでも基本的人権、市民的自由を拡充しようとの努力は見られる。女性の暴力からの保護、申告のみによる集会・デモの自由、新聞の発行も制限がない。先述の通り大統領の任期も国会議員の任期も2期までとされた。司法の独立や憲法裁判所の設置等も規定された。他方で、経済分野では投資や交易の自由は謳われつつも、国家管理貿易体制や市場規制はそのまま残り、社会主義的な発想による経済統制はなお継続するとみられる。自由で開放的な市場経済への移行はまだ先の話であろう。その意味でアルジェリアは試行錯誤を繰り返しながら、自由主義、民主主義への道を模索しているところと言って良いかもしれない。
(3)着任後、アルジェリアの要路、友人から独立戦争中の1958年にFLN極東事務所が東京麻布に開設された話がことある毎に繰り返され、日本への強い親近感と感謝の念が示された。また1970年から80年にかけては、アルジェリア各地のプラント工事現場で多数の日本企業が活動し、3000人を超える日本人が当地に在住していた話もよく聞く。アルジェリア側の日本と日本人への揺るぎない信頼感に接するたびに、現在の我々日本人はもっとこの国の可能性を再評価していくべきだとの思いに駆られる。例えば大使館員を含めて在留邦人130名という数字が示すように、現在の日本の存在感の薄さは覆い隠すことができない。私は着任以来どうにかこの傾向を変えようと、日本企業の投資を呼び込もうとしたが、政情不安とコロナ禍で思うように動けなかったのが心残りである。今後に期待したい。