「スモール・バット・スマートな国」ジブチ


前駐ジブチ大使・靖國神社宮司 大塚海夫

はじめに

 本稿は、駐ジブチ大使としての3年間の任を経て、着任当初から抱き続けてきた「なぜジブチのような小国が域内で唯一の平和と安定を享受する国でいられるのか」という疑問に答えることを主題に認めたものである。
 筆者の結論は、「国内的には、イスラム教を基本とした人にやさしい社会環境を整え、民族を超えて「ジブチ人」としての国民融和統合を図り、氏族代表を通じて不満を最小限に富を配分しつつ良好な治安を維持し安定を図る。また、対外的には、諸外国の軍隊を常駐させることで国家、非国家主体からの脅威を抑止し、各国に安定した基地運用環境を提供することで外交上の優位性を保つ。」という国家運営が功を奏しているからだというものである。
 着任7か月後の令和3年夏、コロナ禍真っ盛りの日本に帰国した際、成田空港で6箇所の「関門」を通過する度に、「どちらからですか」との問いに対し、「ジブチ共和国です」と応えたところ、6回とも、「えっ、どちらですか」との更問いが来た。そもそも、赴任に際して、「ジブチに行きます」と言っても、自衛隊関係者は別として、国名を知っている人でさえ極く少数であった。日本の自衛隊が海外で展開する唯一の国であり、自由で開かれたインド太平洋の西の出入口にある友邦として、ジブチは我が国にとって極めて重要な国であり、「スモール・バット・スマート」なジブチの「叡智」を広くお知りいただきたいと切望するものである。

ジブチを見る上で知悉すべき基本事項

ジブチの安全保障を考察する上で、まずは以下の基本的要件を押さえておく必要がある。

(1)ジブチの概要
 ジブチは、国土が四国の1.3倍、天然資源に恵まれず、耕作適地もほぼないという土漠の国である。アフリカ大地溝帯上に所在する世界一暑い国なので、太陽光や地熱からエネルギーを採る試みは行われているが、現時点で見るべき成果はない。人口は約百万人(そのうちの8割近くが首都ジブチに居住)、ソマリ人60%、アファール人35%、アラブ人5%で構成される多民族国家である。この国の最大の資産は、紅海からアデン湾を経てインド洋に抜ける最狭部バベルマンデブ海峡、世界の海上交通量の1割が通過する、アジアと欧州を結ぶ大動脈のチョークポイントを扼するという地政学的特性である。

(写真)映画「猿の惑星」のロケ地にもなったアベ湖(筆者撮影)

 この大動脈からほんの数時間の位置にあるジブチ港は、1993年にエリトリアが独立したことで「海無し国」になってしまったアフリカ第二の人口大国エチオピアの唯一の外港としての役割を担っている。そのため、ジブチの経済はエチオピアと一心同体という環境にある。
 ジブチは、アフリカ大陸に所在しているため、アフリカ連合(AU)に所属するとともに、イスラム教を国教としていることから、イスラム諸国会議にも所属している。また、アラブ連盟(AL)のメンバーでもある。ジブチでは、旧宗主国のフランス語と同時に、アラブ人口が5%に過ぎないにも拘わらずアラビア語も公用語となっている。

(2)ジブチ人の気質
 ジブチを理解する上で大切なことは、ジブチ人が本来、定住地を持たず山羊、羊、駱駝とともに移動しながら生活する遊牧民(ノマド)だという背景である。ソマリ人もアファール人も基本的にはノマドである。現在のジブチ人は、基本的には皆、定住している。しかし、地方のジブチ人は、村に定住しながらも、牧畜で生計を立てる者が相当数いる。彼等は、朝日が昇ると朝食をたらふく食べ、夏は50度を超える気温の中を、昼食を取ることもなく終日、放牧を続ける。
 ノマド同士は、少ない牧草や水を奪い合うことなく、それぞれの持ち合わせる情報を共有して共存を図り、争いが生じれば「賢者」と呼ばれる長老が介在して平和裏に解決する。彼等は平和を愛する民なのである。また、自分のエリアに他のノマドが来訪した場合は、まず、水と食事を振舞い、それから諸々の情報交換を行うのが習わしとのこと。そして、その一食一飯の恩義に、必要な場面では必ず報いるのが常だそうだ。犯罪が起きると、いまだに、司法とは別に、彼ら独自の解決法、例えば他人を傷つけた場合は、部位によって山羊何頭を償うなどが細かく決まっていて、然るべき対応が取られるようだ。
 ジブチ人の誇り高さは特筆に値する。これには、町に物乞いがほぼいない(市内で見かける物乞いは概ねエチオピアからの移民、難民)、主権意識が旺盛といった肯定的側面と、言うことは一丁前だが内実が伴わないという両面がある。長く仏領であったが、外国人に媚び諂う様子はあまり見られず、よそ者を騙してやろうという狡すっからさもない。アフリカに関わった人の話を聞くと、多くが、ジブチ人はイイ人たちであり、言行不一致が少ないという。もちろん、日本人の基準とは程遠い。他方で、権力のある「偉い人」への従順さは高いが、媚び諂いとは少し異なる気がする。筆者も、ジブチ人が他者を受入れる寛容さには驚きを禁じ得ない。これもノマドの気質かと思う。
 「その日暮らし」のジブチ人には、先を見越して計画的にものごとを処理するという習慣がないようだ。機械を監理する上でも「予防整備」という概念がない。フェリーでも巡視艇でも、車両でも、使えるだけ使って、壊れたら修理する、または、新しいものに新替するというのが通常の姿である。しかし、それも、このノマドの生活がもたらしたものと考えれば納得がいく。
 ジブチ人のほとんどが敬虔なイスラム教徒である。社会規範は、イスラムの教えに基づくところが大きい。ジブチのイスラム教は穏健であり、お祈りはほとんどの国民が欠かさず行い、相互扶助の精神に溢れている。市内には酒屋もあり、飲酒は自由だが、ジブチ人はまず飲酒をしない。他方で海外経験が長い者のなかには、周囲にジブチ人がいないと飲酒する者もけっこういる。
 カートという覚醒作用のある新芽の葉を噛むことで高揚感や多幸感を得ようとする習慣がある。ジブチ人は昼食が主食であり、夜は食べない人も多く、カートを噛みながら寄り合って政治、社会談義をするのが習慣になっている。カートの過度の摂取は国家的な問題とも指摘されるが、国民の平成度を保つ上でも重要なアイテムである。エチオピアで紛争があり、カートの輸入が滞ったことがあるが、政府が万難を排してカートの輸入を維持していた。大人しいジブチ人も、これがなくなったら相当な問題が起きるといわれている。

(3)民族問題と氏族(クラン)の重要性
 ソマリ人は六つの主要氏族で構成される。ジブチは、その内のディル氏族のサブクランであるイッサが主流であり、隣「国」ソマリランドで主流のイサックも居る。ちなみに大統領はイッサ、大統領夫人はイサック出身である。26ポストある閣僚は、アファール人が8名、アラブ人が2名、残りはソマリ人の各クラン、サブクランの代表が、利益代表として就いていると見ることもできる。ちなみに、女性閣僚は6名である。
 ソマリアでは、このクラン同士が敵対し戦いが終わらない。他方、ジブチでは、表面上、クラン間の争議は見られないが、外国人には分かりづらいものの、就職や日常生活の便宜の上で、クランの繋がりが非常に大きいとされる。
 独立当初、初代大統領はソマリ人、首相はアファール人とし、次からは逆転させるという了解があったとされるが、結果的に、初代に続き、第2代の現大統領もソマリ人であり、首相は歴代アファール人が就任している。
 ジブチを取り囲むように所在する隣国エチオピアでは、アファール州とソマリ州の間で武力紛争、武装闘争が生起しているが、ジブチでは民族問題に起因する騒動はない。一方、ジブチとエチオピア間の国境は、両国の民族分布に関係なく人為的に引かれたものであり、エチオピアでの民族間の対立が容易にジブチに波及し得る環境にある。したがって、国内安定を至上命題とするジブチ政府は、特に現大統領の強い指導の下、民族間の融和には著しく気を遣っている。学校の国歌斉唱ではソマリ語とアファール語の両方を繰り返すこととなっている。ちなみに、現首相府次官は、アファール人の初代首相と、ソマリ人の現大統領夫人を両親に持ち、自らを民族融和のモデルと称している。
 筆者は、ジブチでは民族問題は解決済みとの見解を持っている。ただし、上記のようにエチオピアでの民族対立は日常的であり、それぞれの親族が多く所在するジブチでは、エチオピアでの民族問題の煽りを受けることを極度に恐れている。そのため、できるだけ外部からの情報を遮断するためにもメタ(フェースブックとインスタグラム)は(VPNを介在しないと)見られない。とはいえ、エックス(旧ツイッター)は通常利用可能であるし、そもそも政府が必要な「お触れ」(コロナ禍での日々の患者数や対処事項など)をフェースブックに掲載しており、国内唯一の「御用新聞」もアカウントを有して発信しているという、なんともジョークのような状態にあることもまた事実である。

国内に抱える安全保障上の脆弱性

(1)高い失業率と貧富の格差
ジブチの失業率は世銀によると2022年で28%となっている。しかし、この国の人口の7割を占める35歳以下では、60%を超えるとも言われる。この数字だけでも仰天であるが、その国が平和で安定している事実には更に驚かされる。
 その理由は二つあると思っており、いずれも多くのジブチ人が同意してくれる内容である。その第一は、ジブチ人が寛容なイスラム教徒であり、喜捨の行為(サダカ)によって家族の中で仕事のある者が無職の者を食べさせており、最低限の生活が保障されることである。もっとも、裏を返すと、勤労意欲を削ぐことにもつながりかねない。市内に物乞いがいない(いてももっぱらエチオピア人)理由は、ジブチ人の誇り高さに加えて、そもそも食が確保されているからか、物乞いをする必要がないという理由もあろう。
 第二は、ジブチは人口の大多数が首都に居住する都市国家の様相を呈する。したがって、誰もがお互いを知っている、ある意味、「監視国家」と表現することができる。かつてドイツの軍医が運転中に道端で倒れている人を見つけたので停車して介抱していたところ、その間に車を盗まれる事件が起きたが、その日のうちに警察から連絡があり、犯人が逮捕されて車が戻って来た。その発端は、犯人のご近所から、あいつがあんなイイ車に乗れるはずはない、という通報だったとのことである。とはいえ、失業率減少は大統領の最大関心事となっている。
 ジブチの一人当たりGDPは3,300ドルを超えているがとてもそのような国には見えない。富の偏在が著しいということである。表面上は平穏に見えるが、不満はマグマのように滞留しているはずである。この不満は、一年に一度くらいは、貧困者の居住地区でタイヤが燃やされるなどの形で顕在化する。その場所の大半が、より低所得者が多いアファール人の居住地区のため、政府はなおさら民族間の融和に注力することとなっている。
 国内を走る自動車はランドクルーザーが極めて多い。つまり、買える人が多いということだ。ジブチの物価は非常に高く、我々が「普通の」生活をしようとすると、東京よりもむしろ高くつく。他方で、多くのジブチ人は、一日に数百円の食費で済ませている。というより、それしかできない国民が相当数にのぼる。いったい、この格差の中でどうして平穏なのか、まだまだ理解が及ばない。

(2)移動民
 ジブチは、毎日500人のエチオピア人が不法に入国し、100人が居残り、残りは一攫千金を狙ってバベルマンデブ海峡を越えアラビア半島に向け通り過ぎていく。国連移住機関によると、年によっては、ジブチを(往復延べ)通過する人数は20万人にも上る。
 地方の国道を走ると、炎天下でもペットボトルすら持たずに歩いている小集団に出会う。歩く向きによってアラビアに向かうか、その帰りかのいずれかである。今では、ほとんどの者が失意に打ちひしがれて戻るのが現実だが、それでもアラビアに向かう者が後を絶たないのは、かつての成功例にすがらざるを得ないエチオピアの状況があるのかもしれない。
 なお、不法移民が平然と国内を歩いている姿は、通常の外国人には信じられない光景だが、その数が多すぎて官憲も取り締まることを端から放棄しているのが現実である。大きな事件が起こった場合などに不法滞在者の一斉検挙が行われるが、人件費が異常に高いジブチでは、安価なエチオピア人労働力が不可欠なことから、多くの場合、見て見ぬふりがまかり通っている。
 食料や水は、通りがかりの民家の戸を叩いて物乞いし、地元民は心優しくこれに応ずるという信じがたい光景が展開する。これも、ノマドとイスラムを掛け合わせた人の良いジブチ人のなせる技と言えようか。にわかには信じがたいと思うが、事実なのである。
 バベルマンデブ海峡沿いには、不法移民をビジネスにするシンジケートがいて、特定の海岸から向こう岸に渡すことを生業としており、筆者もその海岸に行って、船待ちをしているエチオピア人と接したこともある。時には、30人乗りの小舟に100人を乗せて下の人間が「圧死」したり、転覆して溺死者が出る事件が起きるが、沿岸警備隊も常時監視するだけの能力はなく、問題が起きると警戒態勢を上げるというのが実情である。なんとも信じられない話だが、この移動民は、千四百年前から続く「伝統」ということなので、筆者も当初は異常な事態に仰天したものの、今では黙々と歩く者を見ても何とも思わなくなってしまった。
 ただし、旱魃などのせいで、移動民に加えて難民の数は年々増加しており、移動経路の井戸を巡って移動民が部族単位で争うなどの問題も顕在化しており、治安の悪化への影響も懸念される。それにしても、地元民でさえ水が満足にないにもかかわらず、移動民に優しいジブチ人というのはいったいどういう人々なのか、3年いてもよく分からない。ジブチ人は、本当にイイ人達なのかもしれない。

ジブチが置かれた地域安全保障環境

(1)ジブチの周辺国
 ジブチを囲む国は揃って国内に紛争を抱えている。ソマリア、イエメンは紛争の最中、エリトリアはエチオピアのティグライ紛争に荷担したが、そもそも2008年のジブチとの戦争の決着もまだ完全に着いているとはいえない。ジブチの生命線であるエチオピアでは、ティグライ州との紛争は当面、平静を保っているものの、オロモ州やアムハラ州での治安問題は深刻であり、グランド・ルネサンス・ダムに象徴されるエジプトとの域内覇権争いも火種である。さらに、その外側には紛争まっただ中のスーダン、いつ火を噴いてもおかしくない南スーダンがある。吹けば飛ぶような「小国」は、これだけの紛争と、紛争の種に囲まれながら、唯一、平和と安定を保っているのだ。

(2)エチオピア
 エチオピアはジブチにとって最大の「関心国」として認識され、その一挙手一投足が注目の対象である。1974年に廃位させられたハイレ・セラシエ皇帝は、ジブチは独立後にエチオピアに組み込まれるべしと公言しており、現時点で物理的な侵略の可能性はないものの、ジブチの100倍の人口を有するエチオピアは、災害等で難民が発生した場合にも脅威をもたらす存在として注視されている。エチオピアこそがジブチの「究極の脅威」と喝破するジブチ有力者もいる。
 エチオピアに対する脅威感を知る上でのエピソードをひとつ。2021年末のティグライ紛争の最中、在ジブチ米軍司令官がBBCインタビューを受けて、米軍は必要があればいつでもエチオピアから一般人の退避を支援する用意がある、と述べた。これに対し、数日後に、エチオピア政府高官から、米軍がエチオピアに軍事介入することは許されない、という発表が出た。途端に、ジブチ政府高官が、米軍司令官の発言を批難するツイッターを掲載し始め、ジブチは外国軍による他国への干渉を許可しないというメッセージが一気に発信された。ジブチを発起地とした行動が、エチオピアの「癇に障る」ようなものであることを極端に嫌うジブチの対応であった。
 ジブチがエチオピアに関心を寄せる理由は、まず、経済が完全にエチオピアにリンクしているという事実が挙げられる。1993年のエリトリア独立により、紅海沿岸を失ったエチオピアは、アフリカ第二の人口を持つ「内陸国」であり、唯一の海への玄関口がジブチという位置づけになっている。エチオピアの輸出入品の9割以上はジブチを通過している。

(写真)アフリカ最低地で塩分濃度が世界一のアッサル湖(筆者撮影)

 エチオピアは多民族国家であり、国内での民族間抗争は後を絶たず、また、エリトリアとは長期にわたり戦争状態にあった。また、旱魃などの影響で、難民発生が常態化している。人口百万のジブチにしてみれば、百倍の人口を有するエチオピアからの難民流入は、それだけでも大きな脅威である。1991年にエチオピアのメンギスツ政権が倒れた際、4万人とも言われる政府軍側兵士が敗走してジブチ国境に迫ったことがある。その際、ジブチ軍は、仏軍と共同して、エチオピア兵の武装解除を行い、ジブチ国内を通過して逃避させたことがある(ゴドリア作戦)。ちなみに、このときに残置された武器が過激派の手に渡り、その年から3年に及ぶ内戦に繋がった。リビアのカダフィが倒れた結果、流出した武器がサヘルの安全保障上の脅威をもたらしていることの先例ともいえる。

(3)ソマリア
 ソマリアの安定に対するジブチの努力は著しい。ゲレ大統領は就任翌年の2000年に、ジブチのアルタ市にソマリアの当事者クランの代表をほぼ全て参集し、初の平和会議を開催した。会議の結果は必ずしも芳しいものではなかったが、彼の手腕は今でも域内で極めて高く評価されている。また、2011年以来、AUが主催し国連が支持するAMISOM(現ATMIS)に部隊を派遣している。陸軍総兵力8000人の四分の一に相当する2000人を常時派出しており、これまでに60数名の犠牲者を出している。この努力は相当なものだと言える。
 ソマリアはジブチの隣国だが、実際に国境を隔てているのは、ソマリランドである。ソマリランドは、1991年に連邦からの独立を宣言して以来、「西の台湾」よろしく「国」内も安定し、経済状況もソマリアとは比較にならないほどよい。ソマリランドのベルベラにはドバイが投資して港湾が建設され、ジブチの競争者になるとも言われている。また、港湾近くには、70年代にソ連が建設し、80年代からスペースシャトルの代替飛行場として使われてきた、アフリカ最長の4000メートル級滑走路がある。港湾と飛行場の組み合わせは米軍に魅力的に映っているようで、手狭になったジブチ基地に加えて、ベルベラにロジ関連施設を設置するという話が現実化しつつある。米アフリカ軍司令官は「首都」ハルゲイサを訪問しており、在ジブチの共同統合部隊司令官もベルベラを度々訪問している。ジブチとは特別な関係にあり、ジブチ市内にはソマリランドの「大使館」がある。2020年にソマリランドが台湾と「国交」を樹立したことで、中国が同地域に介入している兆候が見られるようになった。同「国」内のラス・アノーで本年なって生起した騒乱の背景に中国がいるという見方もあり、いまや「両岸関係」がアフリカの角に波及し始めているのである。本年初にエチオピアがソマリランドを承認し、ソマリランドはエチオピアに海軍基地を提供することが合意されたとの報道が流れた。ますますこの地域から目が離せなくなった。

(4)イエメン
 イエメンはジブチにとって特別な国である。ジブチ国内のアラブ系国民はイエメン出身がほとんどである。イエメンは、バベルマンデブ海峡を挟んでジブチから最短で26キロほどの距離にある。エチオピアやソマリアから、一攫千金を狙ってイエメン経由サウジアラビアに行く「移動民」が後を絶たない。
 イエメンとジブチの間では、「真っ当な」ジブチ人でも、ビザもなしに「勝手に」イエメンに入国している。知り合いのイエメン系ジブチ人の親族は、沿岸警備隊の知り合いに頼んで北部沿岸の「7人兄弟島」に連れて行ってもらい、そこからイエメンの知人のボートに乗ってバベルマンデブ海峡を渡ってイエメンの親戚を訪ねて戻ってきた。日本的には信じられないが、こういうことがまかり通る地域なのである。

国際的脅威をヘッジする外交力

(1)「外国軍」事大国
 ジブチには、フランス、アメリカ、日本、イタリア、中国の基地があり、仏軍基地にはEUの部隊(スペイン、以前はドイツも)が常駐している。紛争国にPKO等で複数の外国軍が入ることはあっても、これだけ多くの外国軍が平和な国に常駐している例はない。
 1977年の独立時、世界は、遠からず小国ジブチがエチオピアかソマリアに吸収されると思っていた。しかし、ジブチはフランスと条約を締結し、フランス軍の駐留を継続し、フランスはジブチの独立保持を担った。これにより、ジブチは独立を維持。その後、1990年代に仏軍が縮小されることも含め、フランスとの関係がこじれた。
 そのような折、2001年に9.11が生起した。直後に、米国のブッシュ大統領はゲレ大統領に対して米軍基地の受け容れを要請した。ゲレ大統領は受け入れを即決したが、客観的に米国側に付く以外の方策はなかったとはいえ、むしろ、米国を引き入れる好機と見たのではないかというのが筆者の見立てである。就任3年目のゲレ大統領は9.11後、最も早期にワシントンを訪れて米国との連帯を表明したアフリカ首脳である。その後、2003年には米国がジブチに基地を開設、フランスは影響力の低下を嫌い当初は反対したというが、フランスの負担を減らすために米軍の駐留を歓迎するという政策方針だったという話も聞く。
 2008年に海賊問題が国連安保理で議論になると、ジブチは諸外国の軍を国内に受け容れる方針を採り、日本、イタリアが基地を開設し、EUが仏軍基地に部隊を常駐させた。その後、2017年に中国が海外初の基地を開設した。
 中国基地に関しては、2013年に北京を訪れたジブチのマハムード・ユスフ外相(当時も現在も)が、当時の王毅外交部長に話を持ちかけたのに対し、中国が喜んで乗ってきたのだと外相本人が筆者に(このことは引用してもらって結構だと言いつつ)語った。大統領に近い者の解説によれば、その目的は、ジブチにとって「究極の脅威」とも言えるエチオピアへの保険だとのこと。ジブチは、フランスも米国も信用しておらず、いざとなったらジブチを見捨てる可能性もある。そうなるとジブチは大国エチオピアの前に為す術もない状態になるので、ヘッジとして中国を引き入れたというわけである。たしかに、米国は、過去にベトナムやアフガニスタンを見捨てており、宜なるかなである。

(写真)中国融資で建設された多目的港に隣接する中国唯一の海外軍事基地
(筆者撮影)

 中国が基地を設置したことで、米国にしてみれば、ジブチを見捨てた途端にこの国は中国に席巻されることとなり、また、ジブチを見捨てるというブラフをカードとして使うことすらできなくなってしまったことになる。そして、これは中国にとっても同様なのである。つまり、ジブチは、米中のパワーゲームを利用して、双方を「羽交い締め」にしたということができる。
 ジブチは、外国軍を自国内にホストすることで、間接的に自国の防衛力を強化している。各国は、自軍基地防護のために、情報を収集・分析して脅威評価し、所要の防護策を講ずる。これにより、必然的にジブチ自身の国防が担保されることになる。筆者としては、国家、非国家主体にかかわらず、国外からの軍事的脅威はほとんどないと判断してよいと思っている。
 あるときフランス軍司令官が筆者に、「閣下は軍人だったので自分のフラストレーションを理解していただけるだろう」と前置きしつつ、ジブチがある時点から仏軍基地に賃貸料を課したことに対し、「我々はジブチを護っているのに、ジブチはフランスから賃貸料を徴収するのみならず、値上げも要求してくる。どう思われますか。」と聞かれた。さて、当方としては、我が祖国を振り返ってみると・・・!?ジブチの外交力の高さに脱帽した次第である。もちろん、日本とジブチでは外国基地をホストする経緯や、周辺の安全保障環境が異なるので一概に同列に扱うことは適当でない。とはいえ、この小国ジブチが、並み居る大国を相手に一歩も引かずに基地交渉している姿は、数十年にわたり日米同盟の「ガーデニング」をしてきた筆者には、「スモール・バット・スマート」なジブチの象徴として映る。ジブチ恐るべし、実に天晴である。

(2)外国軍基地をホストすることで外交上のマウント確保
ジブチは、複数の外国軍基地をホストすることで、それぞれの国に対し、ジブチが外交上のマウントが取れる結果となっている。誤解を恐れずに言えば、基地が人質になっているということだ。しかも、米中を「手玉に取る」構図となり、世界の中で唯一ジブチが2大覇権国に物申せる立場に立っているといえる。

(3)スーダン紛争への対応が示すジブチの地勢戦略的強み
 2023年4月に突発したスーダンでの紛争は、首都が発火点だったことから、民間機での退避を困難とし、我が国を含め、各国は直ちに軍用機による退避作戦に移行した。ジブチ空港に隣接して基地を置く仏、米、日本以外の各国は、ジブチ民間空港施設または仏、米軍基地に駐機場を確保した。もっとも、キャパシティが限られ、長期にわたり駐機することは困難だったというのが実情である。それ故に、米国は隣「国」ソマリランドのベルベラへの展開を視野に入れているといえる。また、当地に大使館を有しない国は、兼轄する大使(多くが在エチオピア)、在ジブチの名誉総領事や、本国から臨時に派遣される関係者が市内のホテルに陣取って、自国の輸送機の運航や、空きのある多国の輸送機への自国民搭乗調整を行った。
 まさに、ジブチが世界中の国を引きつけて、安定と平和のうちに域内の危機に対処する場を提供する、という構図であった。我が国も、国家安全保障戦略に、ジブチを邦人退避の拠点としていく方向性が銘記された後でもあり、あらためてジブチの有用性が証明された格好になった。

ジブチにおける中国

(1)ジブチへの中国進出
 中国はジブチ支援として、1981年以来医療チームを派遣し、1985年の国民会堂を始め、ハサン・グレド・スタジアム、ペルティエ病院、外務省建屋などの箱物を寄贈し、1986年からは留学生を受入れてきた。1998年のエチオピア・エリトリア戦争の際に、アサブ港、マサワ港が使えなくなったことから、ジブチとの間で初の商業協定を締結した。このことから、中国は、ジブチ港を経由してエチオピアなどの内陸への進出を狙っていたことが分かる。初の本格的ジブチ進出は2010-12年頃で、2014―20年の投融資額は140億ドルに上った。習近平が指導者になり、一帯一路を提唱し始めた時とタイミングが一致する。
 日本にいると、「ジブチが第二のスリランカになる」という声を聞く。中国の法の支配を無視した外交を語る上で、ハンバントタ港が債務の罠の餌食となったことを指摘することは否定しないが、ジブチが第二のスリランカになることはないと確信している。

(2)ドバイによる港湾開発
 その理由を語る前に、ジブチとドバイとの関係を理解することが必要だ。ジブチは、2003年頃に環境上や保安上の問題で旧港のリノベーションが必要となった際、フランスに援助を求めた。ところが、フランスが支援を渋ったことから、ジブチはドバイの国策会社たるドバイ・ポート・ワールド(DPW)の支援を受け、2009年にはコンテナ港が開港。DPWは、これに先立ち、2002年には空港、2006年にはオイルターミナルを完成させている。コンテナ港は、3年間で$4億を投資し、資本の66%はジブチが保有する形態だった。ところが、どうしたことか、4名の役員のうち3名はDPWからで、意思決定権はドバイにあった。
 その後、コンテナ港は順調に売り上げを伸ばす。ジブチは、エチオピアの輸出入港という位置づけに加えて、地勢的優位性を活用し、積替え港となるべく拡張を企図した。ところが、ジブチが積替え港となった場合、その圧倒的な地理的優位性からドバイのジェベルアリ港の脅威となることを恐れたDPWは、この計画を反故にする決定を下す。
 この不平等な契約に対し、ジブチはロンドンの仲裁裁判所に申し立てを行ったが、2017年に一方的解約訴訟が却下されると、その年にジブチは、国益に係る大型インフラ契約解除を一方的に可能とする法律を制定、2018年2月に、2006年のDPWとの契約を30年間停止することを発表した。今度は、DPWがロンドンで仲裁裁判を申し立て、その後、DPW側に立った判断が出されたが、ジブチは意に介していない。本件は、いまだに場所を変え、仲裁が続いているが、ジブチの立場は、資本比率に見合った意思決定権を寄越せというものであり、国有化したといっても、ドバイの資本には手を付けず護られているというものである。国有化という手段を取ったことで、投資家の投資意欲が減退したと推察される。他方で、何よりもジブチの断固とした姿勢を内外に広く知らしめた点で、後述する中国に対する心理的圧力となって働いているであろうことが推察される。本件については、そもそもの契約内容がおかしいとジブチ側の肩を持つ向きも多い。

(3)中国からの「よい負債」
 ジブチの対外債務はGDP比7割相当の額に上り、そのうち中国からのものが半分以上を占める。それでも、この国の高官はそろって、中国からの債務は「よい債務」だと言う。中国からの債務は借款であり、中国からの借款が建設費の多くを占めた港湾とフリーゾーンは着実に利益を生み出し、フリーゾーンとドラレ多目的港の債務は全額返済済みである。ジブチ高官によると、現時点で残る課題はジブチ・アジスアベバ間の鉄道の債務であるが、車両の不足とエチオピア側の電力供給不足により所望の成果が得られておらず、10年、20年単位で利益が還元されるものとの認識が示されている。
 つまり、中国からの債務により建設したインフラが、金を生み出しているんだから、その債務は「よい債務」だという解説である。もしもこれを「悪い債務」というなら、もっとよい条件でオファーしてくれという話であり、たしかに一理ある。

(4)第二のスリランカにならない3つの理由
 たとえ「よい債務」だとしても、返済しないわけにはいかない。そのための代償としてジブチのインフラ(この場合は鉄道)を差し押さえられる、あるいは、無理難題を押しつけて港湾の権利等を要求することがあるかという問題であるが、答えは「ノー」である。その理由の第一は「レピュテーションリスク」である。中国にとって、ジブチは一帯一路の重点国であり、アフリカ進出のモデルケースだと言える。港湾を整備して、内陸までの鉄道を敷設し、後背地の市場に進出しようという点では、例えばモンバサなども同様のパターンだと言える。しかし、ジブチには中国唯一の海外基地がある点で際立っている。この地で、スリランカの轍を踏み悪評を立てるようなことがあれば、今後、計画しているであろう西アフリカ等での基地建設などは到底不可能になる可能性がある。
 第二の理由は、「我々の存在」である。当地には仏、米、伊、EUが常時、軍事プレゼンスを維持しており、他の国と異なり、中国による軍事的恫喝は功を奏さない。この点では、日本もその一翼を担っている。
 第三の理由として、これは筆者独自の意見であるが、中国はドバイの二の舞になることを恐れているのではないかということである。中国からの負債は借款であり投資ではないことから、そもそもジブチが国有化するというアナロジーはない。だが、中国はジブチに対し、「借金を踏み倒しかねない国」という懸念を持っているのではないかと思料する。DPW資本の国有化はそれだけのインパクトがあったと思う。ジブチは中国に対して$10億以上の負債があるとされる。中国にしてみれば焦げ付かせるわけにはいかない。第一、第二の理由と相俟って、中国が居丈高に出られない理由だと思料する。

(5)強気の対中姿勢
 かつて、前中国大使にジブチとの負債返済交渉について尋ねたところ、「ジブチは、どちらが貸してるのか分からないような態度で交渉に臨んでくる」と辟易した顔で話していたのが印象的だった。中国が遠慮して交渉するなどということはありそうにないことだが、まさにそれが起きているのがジブチなのである。
 また、仄聞するところでは、大統領自らが習近平と交渉して、全ての債務の4年間返済延長を呑ませ、さらに4年間の延長を交渉している由。その交渉過程で、中国籍船のジブチ寄港増加と中国基地の貸与延長をバーターにしたり、基地賃貸料の更なる値上げを要求したりと、もしも真実だとすれば、ジブチの外交力、恐るべしという事象である。

(6)ジブチにおける中国・余談
 筆者は、自衛隊で25年あまり中国を見て来た。特に、ここ10年ほどは責任ある立場で、我が国に脅威を及ぼす対象としての中国と向かい合ってきた。しかし、互いの祖国から一万キロ離れた当地では、アジアからの少ないプレゼンスとして、大使館と人民解放軍とは良好な関係を保ち、共同してジブチに寄与できることはないか積極的にもちかける努力を続けた。残念ながらその成果はなかった。
 また、筆者が自らが署名した無償資金協力案件である小中学校建設は、下請けが中国企業であった。そのこと自身が新鮮な驚きであったが当初計画では、昨年夏までに工事を終えて、9月の新学期に開校する予定が、完工は11月に延期され、秋休み後に大統領を招いて開校式を計画するも、それすら遅延し、挙句の果てに、中国人労働者は、元請け企業の焦りに乗じてか、土壇場でサボタージュをするという暴挙に出た。筆者は、連日、工事現場に出てこの経緯をつぶさに目にするという得難い体験をすることとなった。ちなみに、本学校は、本年1月末にようやく竣工した。

今後のジブチとの外交の留意点

(1)アラブ国家であることの再認識
 バイの関係、また、国連の場などでのマルチの関係で、日本とジブチはほぼ完全に共同歩調をとってきた。しかし、現在起きているガザ地区を巡る情勢に関しては、これまでと異なり、かなり機微な対応が求められる。ジブチのアラブ国家としての立場が改めて浮き彫りになったということである。親パレスチナの国民感情を無理矢理抑え込むことは、貧富の差を抱えるジブチには危険なことである。国内情勢やアラブ諸国との関係から、日米仏伊の軍隊を常駐させ、安全保障や財政を「回して」いるジブチ政府の舵取りも難しくなることが予想され、畢竟、我が国の対応振り、説明振りにも、然るべき配慮が必要になる。

(2)誇りと主権
 ジブチ人は誇り高く、主権に対する意識が極めて高い。決して小国と侮るべきではないことは申すまでもないが、ジブチの場合は単なるお題目としての主権尊重ではなく、大国に対して一歩も引かない実績を伴う主権意識を有する国だとの認識がないと対応を間違うことになる。

(3)ノマド気質
 ジブチ人は、数千年レベルでノマドとしての気質も有する国民であり、日本人にとってはまったく異次元の人たちである。すなわち、日本人の間尺でその行動を推し量ることは避けるべきである。

(4)日本の平和に対するプロアクティブな姿勢
 ジブチで22年にわたり外相を務めるマハムード・ユスフ氏は、特に自衛隊の活動について、日本は世界の大国として相応しい役割に拡大していくべきと主張し続けてきた。日本はジブチから大いに信用され信頼される国家なのである。
 日本は、明治の北清事変、大正の第一次大戦、昭和の蒋介石北伐に伴う南京事件、平成のイラク戦争と、外国から請われても国軍の海外派遣に躊躇してきた歴史を持つ平和国家である。しかし、今や世界は時間的・空間的に狭くなり、平和に対する感覚も、「力なくして平和無し」というグローバルスタンダードを受入れないわけにはいかない。他方で、平和国家日本としては、自衛隊の積極的活用について、諸外国とは違った、独自の方法を模索しつつ、軍事力を平和のためのフォーリンポリシーツールとして積極活用していくべきだと考える。唯一の自衛隊拠点の存するジブチはそのための「実験場」でもあり「道場」としても活用できる場である。

(5)強い指導者
 エコノミスト誌の民主主義指数によると、ジブチは167か国中137位となっている。指導者が決めた通りになる国の仕組みという観点からすると言い得て妙な気もするが、体感的には、いくらなんでもこれでは可哀想だという感じがする。筆者は、1999年から第二代大統領職に就いているイスマイル・オマール・ゲレを、民族融和を実現し、国内の安定を保って海外の支援を呼び込み、国家の発展を遂げた偉大な指導者であると評価している。
 上記に縷々述べたように、この「小国」がかくも外交的に強い立場に立てているのは彼の叡智によるものであり、出身氏族や家族優遇との誹りは免れないとしても、国民の絶大な信頼があるのは確かだ。
 その大統領も、憲法を改正しないかぎり、立候補年齢制限から、2年後には任期切れとなる。リーダーが長期にわたり職に就いている場合の常として、後継者選定はジブチの大きな問題である。

(6)中国進出への対抗策
 筆者は中国専門家ではないため大上段から中国を語る資格はないが、中国の経済がいよいよ下降線を辿ることが明白な状況下、習近平が経済専門家を排除しつつ、毛沢東並みの独裁体制を目指している情勢に鑑み、もはや中国経済がかつてのような好調期にもどることはないと確信する。これまでの中国のジブチへの進出は、インフラや「箱物」の支援を中心としてきたが、今後はその可能性は低下するだろう。
 他方で、昨年、突如として孔子学院が5校も設立されたり、外交学院に中国語講座ができるなど、金のかからない「文化進出」は活発化している。我が国としては、ODAの増額が困難な環境下、新たなOSAを活用することはもちろんだが、日本文化会館を設立するなど、文化外交をより活発化させることが望ましい。
ジブチには、日本語を学びたい若者が多数おり、現に、JICA協力隊員が市民会館で教える日本語を元にして自学自習し、ほぼ完ぺきな日本語のできる若者も複数いる。ジブチ人の日本文化に対する憧憬は際立って大きいものがあり、また、日本語を学べる体制への要望も多く、より積極的に文化外交を推進することが、今後の日本には求められるものと思料する。

自衛官出身の大使

 大東亜戦争後に初めて「軍務」を経験したことのある大使としの勤務振りは、第三者から然るべき時を経て評価されるものと思うが、実際に現場に身を置いた立場として感じたメリットについて陳述する。

(1) 自衛隊との関係
 退官後間もないことから、当地で勤務する自衛官、当地を訪問する部隊、当地への出張者、また、防衛本省や日本の関連部隊に多くの知己があることは、何物にも代えがたい財産であった。外務と防衛は安全保障の車の両輪とはいえ、それぞれの組織を背負っているため、祖国から一万キロの彼方で協力すべき日本人同士であっても、どうしてもその間には溝が生じる。組織として個人の関係に依存することはいかがなものかとの思いもあるが、結果として、多くの問題が円滑に解決、あるいは問題にすらならなかったという側面があったことは間違いない。

(2)ジブチ軍、駐留外国軍との関係
 日本では退官した自衛官には何の地位も力もないが、世界の常識では、退役したとはいえ最後の階級は大いにモノを言う。筆者は「中将」として退官しており、ジブチでは最高位軍人の国軍参謀総長と同階級、仏・米軍司令官はいずれも少将、イタリアは大佐、スペインは中佐が指揮官、また、当地に派遣、出張で来訪する諸外国部隊の指揮官は概ね准将以下である。したがって、筆者はあらゆる場面で、軍事関係者の間では当初からマウントを取ることができ、おかげで、司令官への電話一本で情報が舞い込んできたり、面倒な案件がサッサと片付いたケースは枚挙に暇がない。
 太平洋軍司令官で退役し、駐韓国アメリカ大使となったハリー・ハリス米海軍大将とは、若いころから肝胆相照らす仲だったので、筆者が任命された際に、「元海軍提督が外交官として成功する秘訣」について尋ねたところ、その答えは、「外交官としての第二の人生を成功させる秘訣は、第一の軍人としての成功体験をすべて忘れることだ」というものであった。これは実に言い得て妙ではあるが、他方で、対ジブチ、対外交団、対駐留軍という観点からはまったく当てはまらなかったと思い返している。
 外国とのエンゲージにおける退役将官としての利点として特筆したい点のひとつに、毎年、ジブチを訪問するフランス首相直轄の研修機関IHEDN(議員、上級公務員、ビジネスマン、ジャーナリスト、軍人)のいわゆる「エリート」達150名ほどに、毎年、講演する機会をもらったことが挙げられる。更にフランスは、筆者を空母シャルル・ド・ゴールに宿泊招待し、艦載機発着艦オペレーションの見学を始め、仏海軍の作戦について子細に説明してくれた。しかし、より有益であったと思料するのは、司令官や参謀たちと太平洋情勢や日本の立場ついて議論できたことである。IHEDNも含め、当地の駐留軍を訪問する各国安保関係者や、最近ではコンラッド・アデナウアー財団のようなシンクタンクが、筆者の「軍人」としてのバックグラウンドを踏まえて意見交換を申し込んでくる機会が多かった。このような機会に日本の立場をインプットすることができたとすれば、欧州とインド太平洋を繋ぐジブチならではのメリットを、軍事の面で活かせたものと思料する。

(写真)ジプチ駐留の各国軍幹部を招いての公邸レセプション(日本大使館提供)

(3)スーダンからの邦人退避
 本件は、一昨年の法改正、国家安全保障戦略でジブチが邦人退避のハブになることが謳われた上での事案であり、結果的には成功したが、天祐と幸運に助けられたという面も否めない。また、武井(当時)外務副大臣が公邸に陣取り、毎朝夕に自衛隊拠点を訪問して、最新の状況を把握しながら、政府代表として全般を差配したことで、省庁間横断での懸案事項が次々と解決されたことは特筆すべきことである。
 邦人退避はいつどこで起きてもおかしくない事案である。テーブルトップエクササイズを不断に実施し、本省関係部局、在外公館でその結果を共有しつつ危機に備えることの重要さは論を俟たない。

(写真)日本へ帰国するために民航機に乗込むスーダンからの退避邦人(日本大使館提供)

おわりに

 ジブチは、アフリカの国であり、アラブの国であり、イスラムの国である。我々の基準から言えば、想像を絶する気候、衛生状態、生活インフラのレベル、その割には高い物価など、生活面では邦人には筆舌に尽くし難い苦労が伴う。他方で、日本にも引けを取らない治安の良さを見るにつけ、一体このギャップは何なのか、ずっと疑問に思いながら3年を過ごし、その回答は得られぬままの離任となった。
 ただ、ジブチ人が「いい人」たちであり、彼らが日本を大好きだということは間違いない。グーグルマップでアフリカを開いても、相当にピンチアウトしないと現れて来ないような小国だが、「自由で開かれたインド太平洋」の西端にあり、アフリカへの入口、欧州への中継点として、また、世界の海運のチョークポイントとしての地政学的意義は大きい。また、叡智を駆使して大国を「手玉に取り」、魑魅魍魎の住む国際場裏をサバイバルしている姿は、パックスアメリカーナの下で80年の平和を享受できたものの、もはや弾の飛ばない「戦場」に身を置く我が国としては、大いに見習うに値する国であると確信する。