核兵器禁止条約と核抑止
―漸進的アプローチの擁護―


元軍縮会議日本政府代表部大使 佐野利男

はじめに
 これまで核兵器禁止条約についてエッセイを書くことを若干ためらってきた。それは、禁止条約が紆余曲折を経て採択され、議長席で推進派の国々や被爆者の方々が歓喜の輪に加わりし、条約推進に携わった関係者がノーベル賞を受賞することで、祝賀ムードが最高潮に達した状況に水を差したくなかったからだ。しかし、条約の成立までの準備段階で実質的な議論に関わったものとして、やはりどこかの時点でこの条約を分析・評価し、批判すべきと考えた。筆者は条約交渉が開始される前に軍縮代表部を離任したため、実際の交渉過程については当時情報収集に当たられた進藤雄介氏によるところが大きい。禁止条約の発効という「新しい現実」に至る過程で浮かび上がった諸問題を分析することで、「核軍縮の現在と今後」を考えてみたい。構成は以下の通り。
 I 核兵器禁止条約とは何か(成立の経緯)
 II 核兵器禁止条約の問題点
 III 禁止条約推進派の核抑止観(ベアトリス・フィン女史への反論)
 IV 禁止条約が提起した論点
 V おわりに

I. 核兵器禁止条約とは何か
1)核兵器禁止条約の成立への経緯

 2021年1月22日、核兵器禁止条約(以下、禁止条約)が発効した。50ヵ国目の批准を得た90日後であった。禁止条約の起源は古いが、今回の条約成立に至る動きの最初の契機は2010年NPT運用検討会議の最終文書前文の一パラグラフにある。それは、「核兵器の使用がもたらす破滅的な非人道的結末に深く憂慮し、(中略)全ての国が国際人道法をいかなる時も遵守しなければならない」とする文言がそれである。これはもともとスイスの提案によるが、ジュネーブに本部を置く国際赤十字(ICRC)や軍縮関係NGOなどから多大な影響を受けていた。当時議場にいた筆者は、旧知の英国NGOの研究員からこの文言案の支持要請を受けたのを鮮明に覚えている。
 その後、この「人道プロセス」が大きなうねりとなっていくのだが、流れとしては国連第一委員会(主に安全保障・軍縮を担当)や2015年NPT運用検討会議準備委員会を舞台に、毎年支持国数を増やしていく「人道ステートメント」プロセスと、オスロ、ナジャリット(メキシコ)、ウィーンと国連の外側で開催された大規模な「人道会議」プロセスの2つの潮流があった。

 a)「人道ステ-トメント」プロセス
 計6回にわたり国連第一委員会に提出されたこの「人道ステートメント」はスイス、オーストリア、アイルランド、ニュージーランド、マレーシア、南アなどにより主導され、徐々にその支持を広げた。これらを主導した諸国は核兵器の抑止力に依存しない国で、経緯的には2000年のNPT運用検討会議に向けて結成された「新アジェンダ連合(NAC: New Agenda Coalition)」の系譜に属する国、あるいはその共鳴国が主体となっていた。わが国も、従来から核兵器の非人道性を国際社会に訴えてきた国として、このステ-トメントに何度か参加を試みたが、問題点は一点に集約された。それは「いかなる状況の下においても(under any circumstances)核の使用は許されない」とする文言が、核兵器国・保有国、拡大核抑止に依存する国にとり「核抑止の否定」と解釈され、安全保障上問題があると受け取られたためであった。
 2013年、わが国は提案国との微妙な文言調整を経て、このステートメントに参加したが、同時に日米同盟を基軸とする安全保障政策を堅持する旨を別途のステートメントで表明し、二つのステートメントによって、核兵器の非人道性と核抑止の重要性のバランスを取った。これは、北東アジアにおける我が国を取り巻く厳しい安全保障環境(現実)と広島・長崎の悲劇を経験したわが国の特別な歴史的背景からくる、核廃絶に向けた悲願(目標)とに「サンドウィッチ」にされたわが国の実情を顕在化した。

 b)「人道会議」プロセス
 このプロセスと並行して、「人道グループ」は三度にわたる大規模な「人道会議」を国連及びNPTの外側で開催した。会議では核兵器の使用や偶発的な核爆発がもたらす非人道的結末(humanitarian consequences)、「核の冬」による気候変動がもたらす飢餓や避難民問題、核爆発による電磁波が経済活動に与える深刻なダメージ、核事故のニアミスなどを具体的に取り上げ、これらが故に核兵器の問題は、一国の国境を超えた「人類の安全保障」上の問題であるとして、核兵器を禁止するための外交プロセスを開始すべきとの機運を盛り上げた。この運動にとり画期となったのは、ウィーンで開催された第三回人道会議であった。そこでは会議の議論をまとめる結論文書とは別に、主催国オーストリアが独自に「オーストリアの誓約(Austrian Pledge)」を一方的に発表し、以降これへの賛同国を急速に増やしていった。
 その「誓約」の主要メッセージは、核兵器を「貶め(stigmatize)」、「違法化(outlaw)」することであった。そして、これまでNPTを含む既存の国際法には、核廃絶を担保する上で「法的な欠缺(legal gap)」があり、これを埋めるために、新たな法規範(禁止条約を示唆)の交渉が必要である旨宣明したのである。

 このような背景からも分かるように、当初、禁止条約を推進したメキシコやオーストリアなど主要国は、先行的に「禁止規範」の成立を目指していたとみられる。換言すれば、早急に核兵器の違法化(outlaw)の確立を目指していたのであり、「廃絶条約」の成立を目指していたわけではなかった。「禁止」と「廃絶」は別物であり、前者は後者を達成するための一手段と言ってよい。将来「廃絶」を目指すにしても取りあえずは「禁止規範(違法化)」を先に確立するために条約交渉を目指すという運動であった。
 しかし、このような動きとは全く別に、非同盟諸国(以下NAM)の中にはイランやキューバのように「禁止」に加え、時限的・段階的「廃絶」を求める「包括的核兵器条約」の交渉を主張している国々があり、これがNAMのいわば伝統的な共通ポジションであった。これ以降の動きを見ると、禁止条約の準備会合や実際の条約交渉過程で、約120カ国を数えるNAM諸国の支持を得るため、メキシコやオーストリアなどが主導する「禁止」条約先行派が譲歩し、NAMのポジションを取り込まざるを得なかった経緯が見て取れる。
 従って、実際出来上がった「禁止条約」は、単なる禁止規範のみならず、NAMが当初意図していた「包括的核兵器条約」の内容を一部盛り込んだ「核兵器禁止・廃絶条約」を内容としたものになった。しかし、交渉過程を急いだためか、「廃絶」の内容は極めて不完全なものになっている。

2)核兵器禁止条約交渉の特色
 以上の経緯の下、禁止条約の交渉プロセスが始まったが、その過程には準備会合も含め、従来の多国間軍縮条約交渉とは異質の特徴があった。その第一は、交渉の場としてジュネーブ軍縮会議ではなく、国連が選ばれたこと。第二は、従って、意思決定過程に国連総会ルールの多数決が採用されたこと。第三に、条約交渉の準備過程に、核兵器国・保有国は参加せず、実際の交渉過程には、加えて拡大核抑止国(除 オランダ)も参加しなかったことなどが挙げられる。

 a) 交渉の場
 禁止条約の準備及び実際の交渉の場としてジュネーブの軍縮会議が「避けられた」。しかし、多国間軍縮条約が軍縮会議の外側で交渉された例は過去にもあった。「対人地雷禁止条約」や「クラスター弾禁止条約」、「武器貿易条約」など通常兵器制限・禁止条約などがその例であるが、いわゆる大量破壊兵器の軍縮条約では、包括的核実験禁止条約(CTBT)がある。このCTBTも実質的にはジュネーブ軍縮会議で交渉されたが、意思決定ルールが全会一致であったため、最終段階でインド等の反対で採択ができなかった。これを残念に思った当時のオーストラリア軍縮大使が条約案をニューヨークの国連総会の持ち込むことを提案し、結果的に圧倒的多数で採択された経緯がある。
 
 b) 意思決定ルール
 この交渉の場を国連にした背景には、長年(1996年以降)ジュネーブ軍縮会議が機能不全に陥っていた背景があった。たしかに軍縮会議は1978年の第一回国連軍縮特別総会(SSOD-I)によって「唯一の多数国間軍縮交渉機関」とされたが、CTBTを交渉した1996年以後、主要議題である兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)やその他の議題の交渉開始につき65カ国の加盟国間で合意ができず、20年以上も機能不全に陥っていた。その主な理由は意思決定過程が全会一致で、一カ国の反対でも合意を葬ることができることにあった。国家の安全保障が掛かる軍縮条約の採択ルールが全会一致であることには、条約の実効性を確保するうえでそれなりの合理性があると考えるが、禁止条約推進グループはそれを嫌い、交渉場所と採択ルールの二点に於いて軍縮会議の逆を行った。
 
 c) 参加の範囲
 第三に参加国の範囲であるが、禁止条約の準備会合であるオープンエンド作業部会(OEWG)にはすべての核兵器国・保有国が欠席した。ここに、初めて非核兵器国であるが核の傘の下にある諸国が前面に出て、核抑止を擁護することとなった。ドイツをはじめとするNATO諸国、旧東欧諸国、バルト諸国そして日本、韓国などである。しかし、これら諸国もその後の禁止条約交渉には参加しなかった(除 オランダ)。いや、「参加しなかった」というのは正確ではなく、交渉の場が条約推進グループ及びNAMの圧倒的に優勢な国連となったこと、かつ採択ルールが多数決となった時点で、「多勢に無勢」であることが事前に明確となり、結果が予見できたため「参加できる状況にはなかった」というのが真実であろう。
 尚、「禁止規範」を作るだけであれば、核兵器国や保有国抜きの条約を多数決で採択することは短期間でできたかもしれない。しかし、これが「禁止」より数段先の「廃絶」を含む条約となると、核兵器国・保有国さらには核抑止の下にある国々の参加無くして、その実効性は期待できない。交渉の結果、将来、核兵器・保有国が核を放棄する場合を想定する第4条を入れるのがせいぜいであった。
 
3)条約の要点
 a) 採択された禁止条約は全20条からなる比較的短い条約だ。その主要条項は以下のとおりであり、実態は「禁止」を超えて核兵器国・保有国の核廃棄に関する条項を置いており、「禁止・廃絶」を内容とするものとなっている。

第1条 禁止事項
・核兵器その他の核爆発装置の開発、実験、製造、取得、所持、貯蔵、移譲、管理の受領、使用、使用の威嚇、配備、展開、などを列挙している。また、上記禁止活動の援助、奨励、勧誘、援助を求め、また受けることも禁止している。
第2条 申告
・条約発効前に、自国の核兵器その他の核爆発装置の所有、所持、管理、核兵器計画の有無につき申告する。
・自国の領域内又は自国の管轄もしくは管理下にある他国の核兵器その他核爆発装置の有無を申告する。
第4条 核兵器の全面的な廃絶に向けて
・核兵器国・保有国が禁止条約を締結した場合、条約の効力発効前に核兵器計画・核兵器関連施設を廃棄する。この廃棄を不可逆的なものとするため、権限のある国際的な当局と協力する。以降は、平和的な原子力活動につき、国際原子力機関と保障措置協定を締結する。
第6条 被害者に対する援助及び環境の修復
第7条 国際的な協力及び援助
・締約国は、核兵器その他の核爆発装置の使用または実験による被害者に対し、援助を提供する。
第8条 締約国会合
・国連事務総長は、条約発効後一年以内に第1回締約国会合を招集する。その後は2年ごとに招集する。
第10条 改正
・改正は、締約国の3分の2以上の多数決により採択される。
第17条 有効期間及び脱退
・この条約の有効期間は無期限とする。
・締約国は、「この条約の対象である事項に関係する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する」。
第18条 他の協定との関係
・この条約の実施は、締約国が当事国である既存の国際協定との関連で当該締約国が負う義務に影響を及ぼすものではない。ただし、当該義務がこの条約と両立する場合に限る。

4) 気づきの点
i) 以上が条約の主要項目であるが、第1条では列挙された活動を禁止することを通して、核廃絶を達成しようとする。ここで注目すべきは、「核使用の威嚇」が禁止されていることであり、これは他の大量破壊兵器禁止条約には含まれていないユニークな点だ。これは交渉の過程で、明示的に禁止すべしとする国々と、メキシコやオーストリアなど、核使用の威嚇は既に国連憲章第2条4項(武力による威嚇の禁止)でカバーされているとする国々のせめぎあいがあったが、結局「核抑止政策」を明示的に否定するとの政治的な意味合いが重視された結果となった。
ii) また、第1条(g)及び第2条はNATOの核政策、特にニュークリア・シェアリングに関係している。このアレンジメントにより自国に核兵器を展開している欧州諸国等は、禁止条約を締結した時点で当然これらを撤去する義務を負う。現時点までは激しく反発してきた核兵器国が、将来禁止条約にどのような態度を示すかは定かではないが、ニュークリア・シェアリングを問題視する核兵器国が、核兵器が展開されているこれら欧州諸国等の世論形成に影響を及ぼすことは想像に難くない。
iii) 第17条の脱退条項の書き振りは、NPT第10条を援用したもので、「異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には」脱退する権利を有するとしている。ただし、NPTが国連安保理への通報を義務付けているのに対し、禁止条約には安保理への言及はない。
iv) 第18条はこの禁止条約上の義務と既存の国際協定との優先関係を規定しているが、特にNPTとの関係が重要となる。これについては後述する。
 全般的に条約の構成や書きぶりは、被害者(犠牲者)支援に言及するなど、同じく人道主義の国際的潮流に多大な影響を受けた「対人地雷禁止条約」や「クラスター弾禁止条約」と酷似している。軍縮NGOの影響が大きかった点も同様である。

II. 核兵器禁止条約の問題点
 このような経緯を経て構想され、同じ志向性を持った国々やNGOの間で交渉された禁止条約だが、当初から核兵器国・保有国そして核の傘の下にある諸国から批判・反発が出された。その主要な点は一言でいえば「非現実的」というものであるが、若干詳細に、以下の3点について見てみたい。

1) 禁止条約は核抑止を否定しており、国際安全保障環境の現実から遊離している。
2) 禁止条約とNPTを含む既存の国際協定との関係。
3) 核軍縮(核兵器放棄)の検証制度がほとんど欠如している。

1)第一に、禁止条約第1条の1(a)は、核兵器その他の核爆発装置を「開発、実験、生産、製造、取得、貯蔵」することを禁止するのみならず、同1条(d)で、核兵器その他の核爆発装置を「使用し、またはこれを使用するとの威嚇を行うこと」を禁止している。
 また、第1条(f)は、「この条約によって締約国に禁止されている活動を行うことにつき、いずれかの者に対して、援助を求め、または援助を受けること」を禁止している。これはいったん禁止条約を締結すると、その国は核抑止による庇護を同盟国である核兵器国に求めることができないことを意味している。具体的に考えてみよう。
 例えば、ある非核兵器国が隣国の核兵器国に核使用の恫喝を受けたとしよう。核の使用を暗示しつつ、「この島はわが国の領土である。これを否定し続ければ重大な結果をもたらすであろう。」などと脅しをかけてきたとしよう。その時、その非核兵器国は同盟関係にある他の核兵器国に支援を求め、その核抑止力に頼るであろう。「隣国の核恫喝に対し、貴国の核抑止力をもって牽制してほしい」と。
 しかし禁止条約第1条(f)は、「この条約によって締約国に禁止されている活動を行うことにつき、いずれかの者に対して援助を求め、または援助を受けること」を禁止している。つまり、拡大核抑止に安全保障を依存している国は、禁止条約に加入したとたんに核抑止は条約違反となり、これに依存できなくなる。
 更に、核抑止に依存できなくなった場合、禁止条約は何らの代替手段も与えてはくれない。つまり、ある非核兵器国の周辺に核兵器国・保有国があり、その中で公然と核の恫喝を行う国がある場合、禁止条約はこの国に対し何ら対抗策を提供してはくれないのだ。

2) 第二に、禁止条約とNPTを含む国際協定との関係である。禁止条約の交渉に参加した国は全てNPTの加盟国であり、「禁止条約はNPTにとって代わるものではなく、これを補完・強化するものである」との考えであった。また、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)も、条約交渉に至るまで、核兵器禁止条約はNPTを置き換えるものではなく、むしろこれを補完し強化するものであることを強調していた。
 しかし、実際の交渉過程において、このNPTとの関係は必ずしも明確化されたわけではなかった。禁止条約はその前文で「核軍縮と核不拡散体制の礎石であるNPTの完全かつ効果的実施は、国際の平和と安全を推進するうえで重要な役割を果たすことを再確認」するとし、NPT体制の重要性を認めている。しかし、第18条は「この条約の実施は、締約国が当事国である既存の国際協定との関連で当該締約国が負う義務に影響を及ぼすものではない。ただし、当該義務がこの条約と両立する場合に限る」と規定した。即ち、NPTを含む「既存の国際協定」上の義務は禁止条約と両立する場合には影響されないが、両立しない場合には禁止条約が優位する、とされた。
 この背景には、NPTへの不信感があったとみられる。NPTが主権国家を2つのカテゴリーに分け、核兵器国に優位性を与えてきたことへの不公平感。核兵器国が核軍縮交渉義務を遵守していないことへの憤懣。これらがNPT上の義務が禁止条約上の義務に優先することを認めたくないとして、第18条に具現化されたとみられる。

 それは議長提案の変遷に良く表れている。交渉前に提案された議長テキストでは「この条約はNPTの下での権利義務に影響を与えない」とされ、NPTの優位性が見て取れる。しかし、第二版では「この条約の実施に当たっては、この条約と矛盾しない限りにおいて既存あるいは将来の国際約束の義務を侵害しない」という表現に変わり、NPTを含む既存の国際約束上の義務は、禁止条約と矛盾する場合、後者が優位するとされた。これに対してスイスやスウェーデンが反発し、「この条約と矛盾しない限りにおいて」という文言の削除を求めた。しかし、この要求は受け入れられず、NPT上の義務よりも禁止条約上の義務を優先させようとする意見の前に打ち消されてしまった。その結果が禁止条約の第18条である。尚、第18条の最終案からは第二版にある「将来の」が落ちている。

 それでは、第18条の「締約国が当事国である既存の国際協定との関連で当該締約国が負う義務」と禁止条約が抵触する具体例としてはどのようなことが考えられるか。これらは禁止条約を締結した結果もたらされる結果であり、第18条があるが故の結果ではないと考えるが、ただ18条が「だめ押し」している例だ。

 例えば想定上の話であるが、2核兵器国が、展開している核弾頭数を10年後に各々500発まで削減すると合意し、協定を結んだとする(例えば米ロのSTARTプロセスを想起してほしい)。その後国際的に緊張緩和が進み、その2カ国が禁止条約に加盟したとする。その2カ国は禁止条約第4条2に従って、第一回締約国会合が決定する期限までに核兵器を廃止する義務を負う。仮にその期限が「10年以内」と決定されたとしよう。この2カ国は何とか禁止条約の義務を履行すべく鋭意交渉する。しかし国際情勢が一転して緊張をはらみ、10年内の核放棄が難しくなったとする。その場合でも、禁止条約はあくまで10年以内の核放棄を求める。この2カ国は禁止条約を優先して10年以内に核兵器を放棄するだろうか。「既存の国際協定」上の義務と禁止条約のジレンマである。
 翻って考えると、結局この禁止条約の仕組みは「時限付の核廃絶」論の蒸し返しであることがわかる。核軍縮に携わった向きには「ミャンマー決議」で周知の議論だ。常に変動する国際情勢如何に関わらず、禁止条約に加盟した核兵器国は締約国会合が決める時限内に核を放棄しなければならない。果たしてそれは現実的か。

 また、NATO諸国にはニュークリア・シェアリングのアレンジメントがあり、これが冷戦中から今に至るまで、欧州NATO数カ国に戦術核を配備し、抑止力を提供してきたとされる。仮に国際情勢が緊張緩和し、戦術核が展開されている数か国の国内世論が禁止条約へ傾き、禁止条約加盟を決意したとする。すると禁止条約第2条により展開している戦術核の「申告」義務が生じ、第1条(g)により、「自国の領域または管轄もしくは管理下にある(中略)核兵器」の設置・展開を認めることへの禁止義務が生じる。そして、第18条により、禁止条約がNATOの義務に優先することになる。
 唯一禁止条約交渉に参加したNATO加盟国のオランダは条約採択時に反対したが、その主な理由は「禁止条約第1条の義務はNATOメンバーとしてのコミットメントと両立しない」というものだった。また、条約署名日の2017年9月20日にNATOの最高意思決定機関である北大西洋理事会は声明を出し、「核兵器禁止条約はより複雑化している国際安全保障環境の現実を無視している。世界的な脅威、特に北朝鮮の核計画による重大な脅威に直面し、世界が一体となって取り組む必要がある中、禁止条約は緊急の安全保障上の課題を考慮に入れていない」と述べている。このNATOの懸念はそのままわが国の懸念でもあろう。
 畢竟、禁止条約が目的とする「核兵器のない世界」が実現しうるのは、5核兵器国が(さらに言えば全核保有国が)同時に時限付き核廃棄につき合意する場合、ということになるであろう。また、禁止条約は核兵器国・保有国が個別に核を放棄する可能性も想定しているが、そのようなシナリオも本当に現実的だろうか。

 3)第三に、禁止条約は第4条で核兵器国・保有国が核を廃棄する意思を固めて、禁止条約を締結した場合の手続きを定めている。しかし、問題は核廃棄をどのように検証し、「抜け道」が無いように担保するかだ。禁止条約には核軍縮・廃絶の検証が明確な形で規定されていない。規定の仕方は「対人地雷禁止条約」や「クラスター弾禁止条約」のそれと類似しているが、通常兵器と核兵器廃棄の検証方法を同列に扱うのは適当ではない。
 第4条は、核兵器を有していた締約国が、禁止条約が自国に効力を発生する前までに核兵器計画(含、核兵器関連施設)を廃止した場合、その不可逆性を検証するために、「権限のある国際的な当局」と協力することになっている(第4条1)。また、条約に加盟したが核兵器を有している締約国は、それらを運用状態から直ちに撤去し、速やかに法的拘束力のある期限付き計画に従い廃棄する。その締約国は、条約が自国に発効して60日以内に「権限ある国際機関」にその計画を提出し、交渉する、としている(第4条2)。この「当局」は全締約国が1つまたは2つ以上指定し、締約国が条約の効力発生前にこのような指定が行われない場合は、国連事務総長が必要な決定を行うため、締約国の特別会合を招集する、というものである。
 若干煩瑣な手続きだが、先ず気付くのは、このような「権限のある国際的な当局」とは何を想定しているのだろうか。あるいはそもそも存在しているのか。ちなみに国際原子力機関(IAEA)は保障措置により原子力の平和利用の逸脱を防ぐことを主務とする機関であり、核軍縮(核関連施設を含む核兵器計画の廃棄)を検証する機関ではない。そればかりか、少なくとも非核兵器国の国籍を有するIAEAの職員が核兵器用の分裂性物質や核兵器関連技術を扱うことはNPT上許されていない。核軍縮の検証は、核兵器国の関与無くしては現実的ではない。したがって、IAEAは(憲章を改正する場合以外は)その「当局」にはなり得ない。あるいは、新たな国際機関を設立しようとしているのだろうか。そのように核軍縮が検証できなくて、どうして条約の実効性を担保しうるのか。検証体制を将来にいわば「丸投げ」したものと言わざるを得ない。
 実際、核兵器解体の検証が容易ではないことは、これまでの例が雄弁に語っている。米ロ(ソ)二国間の軍備管理条約であるSTARTプロセスに於いては、二国間協力委員会(BCC )を設立し、衛星による監視はもちろん、最終的には相互に査察官の現場訪問(on-site inspection)まで認め合い、核解体の確証を得ようとしてきた。また、査察が機微なのは、お互いが核兵器の機密情報に触れることのない範囲で行われることにある。今回の禁止条約の検証プロセスは余りにも心もとない。
 ただ、信頼のおける検証体制を確立することが、将来の核軍縮を進めることも事実である。このため米国は「核脅威イニシアチブ(NTI)」の協力の下、「核軍縮検証のための国際パートナーシップ(IPNDV)」を立ち上げ、技術的問題を含む核軍縮の検証問題に地道に取り組んできた経緯がある。

III.禁止条約推進派の核抑止観
  (ベアトリス・フィン女史のへの反論) 

 1)次に、禁止条約推進派が核抑止をどのように見ているのだろうか、2018年にノーベル平和賞を受賞したICANの事務局長であるベアトリス・フィン女史の論法を紹介し、それへの反論を試みる形で禁止条約と核抑止の関係を見たい。

 a)ベアトリス・フィン女史は、受賞スピーチ以外に様々な場面で発言しているが、よく北朝鮮問題を取り上げ、核抑止について語っている。その論法はこうだ。「核兵器国や拡大抑止国が主張するように、北朝鮮の脅威があるから核抑止が必要であると言うならば、北朝鮮にとっても核兵器国である米国の脅威があるから自国の安全を守るために核兵器が必要になると言うことになる。その論法では、逆に北朝鮮の核保有を正当化してしまう。自分のやっていることを他人にはさせないという核兵器国の主張は通らない。それでは核兵器の拡散という悪循環に陥る。そうならないようにするためにはすべての国が自国の安全保障のために核兵器による抑止を止めるという発想が必要だ。即ちすべての国が核兵器禁止条約を締結すべきである。」

 この論法には幾つかの無理がある。まず、その前に女史は核抑止を認めることが核兵器の拡散を誘引するとしているが、これは正しい。であるからこそ、NPTの5核兵器国クラブによる「核の独占」を認め、それ以上の拡散を防ごうとしたのだ。この不平等条約は主権平等の国際社会にあって、いわば「次善の策」として成立した経緯がある。これを前提に女史の論法を見てみる。

 第一に核抑止を認めること(そもそも認めるか否か以前に核抑止は事実として存在する)は、決して北朝鮮の核保有を承認することではない。北朝鮮が核抑止を利用していることと、北朝鮮の核保有を承認するか否かは全く別の論点だ。北朝鮮の核保有が認められないのは、北朝鮮が法的な核不拡散義務を負っており、それに違反しているからだ。北朝鮮が2003年のNPT脱退宣言以降NPTの加盟国か否かについては異なった解釈がある。脱退の手続きに瑕疵があり脱退は正式に認められないとする立場によれば、北朝鮮は依然NPT上の非核兵器国としての核不拡散義務を負う。また、北朝鮮はもはやNPTの加盟国ではないとする立場からも、国連加盟国である北朝鮮には累次にわたる安保理決議の「立法」による核不拡散義務があり、それは法的拘束力を有する。従って、いずれの立場であろうと北朝鮮には法的な不拡散義務があり、それに違反しているが故に核保有は認められないのだ。

 第二に、女史の、「自分のやっていることを他人にさせないと言う核兵器国の主張は通らない」と言う主張にも無理がある。その主張は「通らない」のではなく、「通る」のだ。核が拡散しないように敢えて「核クラブ」による独占を認め、核兵器国に特別の地位を付与しているのがNPTだからだ。NPTはその成立時に、各国が主権平等の原則を犠牲にしても、核の拡散を防ごうとした「知恵」なのだ。従って、「自分(核兵器)がやっていることを、他人(非核兵器国あるいは核不拡散義務を負う国)にさせない」という核兵器国の主張は、通るのだ。

 第三に、女史は、「すべての国が自国の安全保障のために核兵器による抑止を止めると言う発想が必要だ」と言う。しかし、この発想は、ライバル国が核兵器を有している中、日々核や通常兵器の抑止により自国民の自由と財産を守っている国家、その集団である国際社会の現実を余りに見ていないと言わざるを得ない。発想することは重要だが、その実現可能性とタイムラインを念頭に置いてない発想は、高邁な理想に過ぎない。

 第四に、全ての国が核抑止を放棄すべきだと言うが、例えば日本が禁止条約に入り、米国の拡大核抑止から抜けたとしても、北朝鮮や中国、ロシアが同時に核を放棄する保証はどこにあるのか。これは他の核兵器国や核保有国にも同様にあてはまる。仮にインドが「明日から核保有を放棄する」と言ってもパキスタンがこれに倣う保証はないだろう。逆も真なりだ。つまり、世界の全ての核兵器国や核保有国が同時に核兵器を放棄すると言っても、そのプロセスを管理し、抜け駆けが無いようにしなければならない。強力な世界政府があって、核の管理を厳格に行えるような状況にあれば別だが、国際社会はそこまで統合されてはいない。
 従って、結局は各国が自国の安全保障を確保しつつ、核兵器国や核保有国間との信頼を醸成しつつ、できるところから核軍縮を進めていくしかない。これがまさに、NPTの下で進められてきた漸進的アプローチ(progressive approach)に他ならない。

(注)因みに、漸進的アプローチは禁止条約を全く視野に入れてないわけではない。将来核兵器数が大幅に減少した段階で、核兵器国・保有国が一斉に核を放棄する動きを示した場合には、禁止・廃絶条約が有効かもしれない。或は核廃絶が実現した後、各国が再度核武装に至るのを防ぐために、厳格な検証・査察機能を有した禁止条約は有益かもしれない。

 b)また、ノーベル平和賞の受賞スピーチで、女史はこのようにも言っている。「二つの終わりのどちらをとるかと言う選択です。核兵器の終わりか、それとも、私たちの終わりか。前者の選択を信じることは、愚かなことではありません。核を持つ国が武装解除できると考えることは、非理性的なことではありません。恐怖や破壊よりも生命を信じることは、理想主義的なことではありません。それは必要なことに他なりません。」
 この考え方は正しい。ただ、「漸進的アプローチ」も当然「私たちの終わり」ではなく「核兵器の終わり」を選んできたし、その選択が愚かなことだとは思わない。核を持つ国が武装解除できると考えることは、非理性的なことではない。問題はそこに至る道筋だ。核兵器国や保有国が時限付きで核兵器を放棄することが現実的でない以上、残る道は、自国の安全保障を害さないように、如何に核武装解除をすすめるかだ。「漸進的アプローチ」は「核兵器の終わり」を選んだうえで、「どのようにそれを実現するか」に腐心してきた。国際社会には、依然、他国の領土を奪取しようとする国、専制的な支配者が統治する国がいる。私たちは、核抑止を放棄する過程で、賢く「抜け駆け」する国があることを想定しておかねばならない。

 c)更に2018年の世界経済フォーラム(ダボス会議)の討論会で女史は次のように発言している。「もし我々が、核兵器が平和と安定を創ると考えるならば、なぜ我々は北朝鮮の核兵器を歓迎しないのか。なぜそれが地域情勢を改善すると言わないのか」、と。
 私たちは、核兵器保有そのものが平和と安定を創るとは考えてはいない。ただ、核兵器が既に存在してしまっている現実を前提に、ではこれら核兵器をどのようにマネージすればリスクを低減し、平和と安定がもたらされるかを考えてきた。私たちが北朝鮮の核保有を歓迎しないのは、繰り返すが、北朝鮮が不拡散義務に違反して核武装をし、北東アジア地域情勢を不安定化し、そして世界の平和と安全に対する脅威となっているからだ。

IV 禁止条約が提起した論点
 このように禁止条約は、人道主義の力を追い風に核兵器と核抑止を禁止し、未だ膨大な核兵器が存在する国際社会の現実を変えようとする。この試みを余りに性急で、理想に走りすぎると批判することは容易だ。しかし今後、実のある核軍縮を考えるためにも、禁止条約が提起した論点につき検討しておくことが有益と考える。

 1)国家安全保障か「人類の安全保障」か
 禁止条約の準備段階で、拡大抑止を擁護する国から、「条約推進派は核爆発がもたらす非人道性のみを強調して核兵器を禁止すべきとするが、それが国家の安全保障を害しては元も子もない、両者をバランスよく見るべし」とする議論が出された。核兵器は対人地雷やクラスター弾とは異なり、その使用が国家の命運を左右する「戦略兵器」であり、人道主義の国際的うねりの中で成立した通常兵器禁止条約とは異なる、人道主義一辺倒で核兵器を禁止することは現実的ではない、というものだ。
 これに対し、条約推進派からは、「拡大抑止国は国家安全保障を強調するが、核爆発はそれが核使用によるものであれ、偶発的な事故によるものであれ影響は甚大で、国境を越え、地球規模に至ることは避けられない。従って安全保障というなら国家の安全保障を超えた「人類の安全保障」を優先すべきである」、との反論が出された。これは例えば北イタリアに展開しているといわれるNATO軍の戦術核兵器に万が一の事故があった場合、放射線の被害を受けるのは隣国、特にオーストリアであることから、同国より切実な訴えとして出された。これに対しては、「核兵器の安全管理は直接的被害が想定される自国民を守るためにも万全を期している」との再反論が出された。この問題をどう考えるか。

 20世紀以降、交通・通信手段の進歩は世界を劇的に小さくした。ひと昔前であれば一カ国あるいは地域的な問題であったものがグローバルな課題となった。SARS、MARS、新型コロナウィルスなど感染症の地球規模への蔓延、国際テロリズム、地球温暖化など国境を超える問題に対し、私たちはこれらを「人類の課題」として捉え、国際社会全体で対応するようになった。これらは、もはや一カ国あるいは地域では解決できる問題ではない。
 それは核爆発も同様だ。その影響は被害国にとどまらず地球規模に及ぶことは明らかだ。禁止条約推進国が主張した通り、核爆発の影響は「人類の安全保障問題」だ。しかし、これを常に「国家安全保障」より優先させ、例えばわが国が禁止条約に加盟する道を選ぶことは、北東ジアに於いて北朝鮮、中国、ロシアなどの核兵器国・保有国に囲まれたわが国が一方的に「丸腰」になることを意味する。それがわが国の国益を損ない、地域の政治情勢を不安定化するのは明らかだ。
 この問題の解決は、結局、双方が両立する道を選ぶしかない。それは、核兵器の安全管理を厳重にして偶発事故の可能性を極小化するとともに、核セキュリティーを万全にして核テロを未然に防止すること、更には核使用の可能性を低減する方途を探求する道だ。そのためには、例えば、核使用の敷居値を上げるための措置や、核兵器の運用ステータスを下げる(平時はミサイルから核弾頭を外しておく)等の信頼醸成措置を根気よく積み重ねていくことだ。核兵器使用の結末、核爆発を「人類の安全保障」問題と捉えても、これを常に国家安全保障と対立する概念と捉える必要はない。

2)漸進的アプローチの制約
 次に、核兵器国が約束した核軍縮措置が期待した通り進まず、ジュネーブ軍縮会議が長く機能不全に陥っていたことなどが禁止条約を推進する要因の一つとなったが、同時に、漸進的アプローチが内包する制約をも浮かび上がらせた。
 漸進的アプローチによる核軍縮措置の典型例として、5年に一度のNPT運用検討会議で合意された措置を考えてみる。これらは全核兵器国を含む加盟国のコンセンサスで採択されるため、自ずと現実的で穏健な措置が多いが、これらを着実に積み上げていくことにより、一歩でも目標に近づこうとするものだ。筆者が早くから注目してきた例は、核兵器の原料となる高濃縮ウランやプルトニウムの生産を制限・禁止する条約(FMCT )であったが、残念ながら軍縮会議に於いて交渉開始に向けた展望は見えていない。
 このような漸進的アプローチは核兵器国と非核兵器国の信頼関係に基づく協調的措置であることが特徴だ。つまりこれらは、核兵器国の安全保障を直接的に害する措置ではなく、核兵器国が少し無理をすれば「ギリギリ飲みこめる」措置だ。そのような措置を見極め、提案し、多国間で合意し、核軍縮を一歩一歩進めるアプローチだ。
 しかし、この特徴は同時に以下のような制約があることが浮かび上がってきた。
 第一に、NPT運用検討会議で合意できるか否は、その時々の国際情勢に大きく左右される。例えば冷戦後、国際協調が進んだ中では合意が得られやすい。2000年NPT 最終文書がその例だ。逆に、主要国間関係が緊張を孕んだ時には合意が難しい。特に近時では、2014年のロシアのクリミア併合以降、米ロ関係が急速に悪化した。また、最近の米中対立により、主要核兵器国間の協調関係は大きく損なわれてきた。これが、核軍縮の進展に暗い影を投げかけている。
 第二に、どのような核軍縮措置をどの程度取るかにつき、核兵器国との信頼関係に依存する限り、核兵器国側の裁量が大きく、合意に向けた主導権は多くの場合核兵器国側にある。
 第三に、NPTには、運用検討会議で合意された措置の実施を担保する仕組みが用意されていない。合意の実施は専ら核兵器国に委ねられているのが実情だ。この約束の実施をめぐって、NPTの無期限延長を許容した非核兵器国側にできることは、実はそれほど多くは無かった。
 今回の禁止条約への動きは、これら制約が故に核軍縮を目に見える形で進めることができなかった漸進的アプローチへの痛烈な批判でもあった。

3)禁止条約は核軍縮の新たな梃子となるか
 過去四半世紀を振り返ると、1995年にNPTの無期限延長を認めた時点で、非核兵器国側は核軍縮への梃子をほとんど失ったと言っても過言ではない。NPTに内在するグランド・バーゲンに血が通わなくなってしまった。なぜなら、主に核兵器国が核軍縮を進めるか否かにつき自由裁量を得、主導権を握ったからだ。確かに無期限延長の見返りとして、当時幾つかの重要な約束を核兵器国から勝ち取った。しかし、今これらを評価すると、この約束の大半が空手形であったと言わざるを得ない。CTBTは未発効のまま(核兵器国の米中の未批准等)、FMCTの条約交渉は未だ開始されず、中東決議(中東非大量破壊兵器地帯構想)の履行も全く目処が立っていない。それどころか、核弾頭数やミサイル数を増やしている核兵器国もある。
 しかしこのような事態に至っても、核兵器国は痛痒を感じることが少ない一方、非核兵器国はこれら核兵器国の振る舞いを牽制する有効な梃子を持たない。この事態から抜け出すにはNPTからの脱退等過激な手段に訴えるしかないと考える国が出てもおかしくない。
 ここで核兵器国は真剣に考えなければならない。それは、禁止条約が核軍縮の余りにも長い停滞に対する抗議の意思表示であることを。そして、その結果、非核兵器国のNPTへの信頼が徐々に希薄になることが、如何なる結果を招くかにつき想像力を働かせるべきだ。これまで50年以上にわたって、国際安全保障秩序の礎を築いてきたNPT体制への信頼が失われていった暁に、北朝鮮やイランに倣う国が続出する可能性は無いのか。また、NPT体制に失望し、禁止条約がそれに取って代わるものだと信じる国が徐々に増えていかないか。NPTに入っていても、何の利益もないと考える国々が出てこないか。今後、禁止条約推進グループは、早晩そのような可能性を示唆し、それを梃子に核兵器国側に核軍縮への圧力をかけてくるだろう。それはある意味で、NPTの無期限延長で失ったグランド・バーゲンの梃子を、違う形で取り戻そうとする動きと言えるかもしれない。

4)核抑止とモラル-安全保障感覚の違い
 最後に、禁止条約の準備過程を通して、条約推進派は人道主義という倫理的な高み(moral high ground)に立っているが、核抑止を肯定するグループは倫理観が希薄だと言わんばかりの雰囲気があった。確かに前者は核兵器を「貶め(stigmatize)」、「違法化(outlaw)」するオーストリアの誓約を背景にしており、自分たちには高いモラルがあるとの自負があったようだ。
 この背景のひとつに、両グループの安全保障感覚についての違いがあるようだ。条約推進派の主要国であるオーストリア、メキシコ、アイルランド、エジプトや南アフリカ等NAM諸国は、米ロ間の核抑止・拡大核抑止の外側にいる国だ。一方、旧ソ連諸国のバルト3国や東欧諸国にとっては隣国の核兵器国であるロシアは依然脅威であり、NATO軍による核抑止は国家の独立を守る上で不可欠だ。自国の安全保障が核兵器によって守られているとの感覚と、核兵器に何ら依存しておらず、むしろ核兵器の非人道性をもってこれを貶める感覚に両者の根源的な差異がある。
 90年代後半から、人道主義の国際的な潮流の中で、対人地雷やクラスター弾が禁止されたのは事実だ。これら禁止条約は犠牲者援護条項を含み、軍縮条約というより、むしろ人道条約の色彩を強く帯びていた。しかし、一発が国家の命運を決する「戦略兵器」である核兵器の場合、これを同じ地平で論ずることは難しい。人道主義という高い理想からの切り口のみにより、核兵器・核抑止の現実問題を解決することはできない。
 先の大戦で二度にわたり原爆を投下され、未曽有の惨禍を経験した日本には核兵器につき特別の感情がある。広島・長崎・第5福竜丸の経験は反核にこそ「正義」があるとする世論を形成し、子供たちにもそのように教育してきた。その結果、厳しい戦略環境にある北東アジアに於いて、核抑止に安全保障の一端を依存しているにもかかわらず、これを否定する禁止条約を推し進めることが「正しくかつ道義的」であるとの主張が受け入れやすい素地がある。しかし、禁止条約を締結することが何を意味し、何をもたらすのか。
 現在核兵器をめぐる安全保障環境が、核を放棄する段階まで熟していないどころか、むしろ核開発を公然と進め、多様な運搬手段を開発し、核弾道数を増やしている国がある現状では核兵器禁止は余りにも現実から遊離している。原爆の悲惨な経験を深く認識し、二度とそのような惨禍を繰り返さないためにも、私たちは安全保障に遺漏なきよう万全を尽くすべきだ。今、禁止条約はそのためのオプションではない。
                            
おわりに
 禁止条約は軍縮コミュニティーに分断をもたらした。特に核兵器国と条約推進派の非核兵器国との間の溝を深刻なまでに深めた。これが故に激しく反発した核兵器国がむしろ「反禁止条約」で結束し、これまで約束してきた核軍縮措置の実施も含め、核軍縮に背を向けないかが懸念される。また、禁止条約は非核兵器国間にも楔を打ち込んだ。核抑止に国の安全を依存している国々と条約推進派を二分し、非核兵器国としてまとまった行動を取りにくくした。これらが今後のNPT プロセスにどのような影響を与えるか。
 今後、核兵器国と同様、拡大核抑止国が禁止条約に入ることはないだろう。むしろ中には積極的に反対せざるを得ない国もあろう。厳しい安全保障環境の中で、今すぐ「丸腰」になることはできないからだ。また、核兵器国は各々の同盟の引き締め(alliance management)を強めるだろう。他方、条約推進派は批准国を増やすことに邁進するだろう。推測するに、その総数はこれまで南半球を中心に合意された「非核地帯」に属する国々の合計約120カ国まで行ってもおかしくない。そして市民社会を動員して核兵器製造企業へのファイナンスを止めるよう金融機関へ圧力をかけるなど、産業界も視野に入れた運動を強めるだろう。
 ただ、そのように普遍化を進めても禁止条約が国際慣習法と認められることにはなるまい。核の「使用」はともかく、「保有」は継続的に核兵器国によって行われており、「保有の禁止」が法的確信まで昇華されることはないだろう。

 このように、軍縮コミュニティーが二極化される中、条約推進派はNPTの今後をどう考えているのか。彼らは禁止条約をNPTの「将来の受け皿」と考えているのだろうか。それともNPTの旗に下に再結集するつもりなのか。その場合どのような議論を展開するのか。条約推進派は禁止条約がNPT第6条の「効果的措置」の一つだという。その主張は自由だが、核兵器国が反発し、禁止条約が最終文書でコンセンサス合意される可能性は全く無い。また、禁止条約以外の、伝統的な「効果的措置」(CTBT、核リスクの低減や核装備の透明性など)について議論し、交渉する用意はあるのか。そして何よりも、これまで累次にわたるNPT運用検討会議で、核兵器国側から勝ち得てきた様々な成果(約束)をどのように評価し、扱うのか。取りあえずこれまでの準備会合では、禁止条約はNPTを補完し、停滞していた核軍縮を動かす第6条の措置だとして、CTBT等核兵器国による過去のコミットメントは当然生きているとの立場を表明しているようだ。
 他方、禁止条約と距離を置き、漸進的アプローチを重視してきた国々はNPTプロセスやジュネーブ軍縮会議をどのように捉え直すのか。禁止条約の成立を横目で見つつ、何も無かったかのように従来通りの方針で進めて行けるのか。あるいは、軍縮機関の具体的改革案や斬新な核軍縮案を提示できるのか。
 ただ一つ留意すべきは、5核兵器国が一堂に会して核軍縮につき協議・交渉するフォー ラムは、NPT運用検討会議プロセスとジュネーブ軍縮会議以外はないことだ。特に軍縮会議は、5核兵器国に加えて、インド、パキスタン、イスラエルなどNPTの非加盟国のみならず、北朝鮮やイランなど核不拡散問題の当事国が加盟している稀有な軍縮交渉機関だ。これは、是非今後とも継承していきたい財産だ。そのためには軍縮会議の組織改革案、例えばコンセンサス・ルールの在り方やメンバーシップの拡大など具体的提案が必要だ。ただ、コンセンサス・ルールを変えるにもコンセンサスが必要な限り、軍縮会議による自己改革は期待できない。最終的には国連の軍縮特別総会の開催などにより、これら問題を一新する必要がある。開催には従来通り核兵器国が反対するだろうが、その様なことを言っている場合か。

 禁止条約の批准国数はNPT締約国の約1/4に達した。軍縮コミュニティーは、この「新しい現実」にどのように対応するのか。わが国が主導した賢人会議の成果物である「京都アピール」や、ストックホルム・イニシアティブ(Stepping Stones Approach )、更には米国主導の「核軍縮環境創出(CEND)」などは、様々に批判することはできようが、この進行する二極化の懸念にアドレスし得る積極的な動きと捉えるべきだ。両グループには、これまでの経緯を超えて、分断した軍縮コミュニティーを再び結束する道を探ってほしい。次回のNPT運用検討会議で最終文書に合意するのは難しいかもしれない。しかし、同じテーブルに座り、お互いに智慧を出し合い、妥協を恐れない柔軟性をもって、是非とも今後の核軍縮の基本的な方向性を打ち出してほしい。日本には、禁止条約派に対し伝統的な核軍縮措置につき建設的な議論を求めつつ、核兵器国に対しては、禁止条約を脇に置く態度を取り続ける以上、これら措置の推進につき譲歩を迫るなど、双方に意見の言える強みを生かしてほしい。
 間違いなく核軍縮は今、正念場に来ている。