最近の内外諸情勢について思うこと~一超高齢老人のぼやき~

元駐中国大使、元駐韓国公使 谷野作太郎
1.はじめに
今年の私から友人たちへの年賀状には、次のように認めました。
「世を憂え、今宵もあおる一人酒。」 於、老人介護ホーム
内外の諸情勢、激動、劣化がとどまるところを知らない中、年始の米軍によるヴェネズェラ侵攻、大統領夫妻の拘留、米国への移送・・・と相次ぐ大事件が続きました。ところが、これで最後かと思っていたところ、年が明けて、イランにおける大暴動。この方は、ヴェネズェラの件と違い米国の出方(トランプ大統領はイランへの武力介入を否定していません。編集者注:その後米国とイスラエルはテヘランとイランの地方都市への空爆に踏み切った。)如何によっては中東の世界を巻きこむことになる。それだけに、その深刻さはヴェネズェラの件より余程大きいように思います。ヴェネズェラの件は、その影響が及ぶところといっても、精々キューバぐらいなのではないでしょうか。
以下、毎月本誌をかざる外務省の現役、OB方の知見に富んだ論考の数々と違って、今や、介護付老人ホームで日々を送る一超高齢老人による、最近の世の中の情況(内外)についてのボヤキ節。ですから、寝っころがってお目通しをいただき、暫時、私のウツウツたる最近の心情のはけ口になっていただければと思います。
2.「小異を残して、大同に就く」
過日、来日した韓国のイ・ジェミョン大統領が、韓国の外交方針について、こう言っています。「韓国は、韓米同盟関係を基軸としつつ、日本、中国との関係においては、これを上手に管理してゆくことだ」と。私は、これを読んで、これを日本の対中、対韓国外交に置きかえ、思わず「その通り!」と膝をたたいた次第でした。
かつて、中国の周恩来総理は、1972年の日中国交正常化のあと、中日関係を律するガイドラインとして、「求大同、存小異」(約めて「求同存異」)ということを良く口にしていました。
ところが、何故か日本では「小異」を残すのではなく「小異を捨てて大同に就く」という言い方が、すっかり定着してしまいました。しかし、本会報を読んでいらっしゃる方たちには釈迦に説法ですが、とくに難しい外交交渉において、お互いに七十点ぐらいのところで矛を収める。その結果、どうしても「小異」は残るし、残して交渉の妥結に至る。日中・日韓外交交渉(例えば、1972年の両国国交正常化の折の両国の共同声明、或いは1965年の日韓国交正常化の折の日韓基本条約、その他の関係諸条約)には、両国の交渉担当者が知恵をしぼって案出した文言(「小異」)が見受けられます。一例を挙げると、日韓交渉において韓国側は「1910年の日韓併合条約およびそれ以前の大日本帝国と大韓民国との間で締結されたすべての条約および協定(総計52件)は、条約、協定の締結時にさかのぼってすべて無効」と強く主張しました。これに対し、(条約、協約締結時の両国関係の情況は正常なものでなかったことは否定できないものの)、この韓国側の主張をそのまま受け入れることは、日本が結んだ他の条約、協定の法的安定性にかかわるとして、結局、これらは「今ではもはや無効(already null and void)である」として決着したのでした。
ところが、日本では、そんな「小異」は捨ててしまえ!と。一例をあげると、2015年12月の慰安婦問題についての日韓合意の件です。この合意のあと、日本ではこれで日韓はこの問題で「最終的かつ不可逆的な合意に至った」ということがくり返し喧伝されました。だから、これからは、日本にこの件では何を言っても、何をしても、しなくても良いのだ、と言わんばかりの風潮。しかし、この日韓合意はあったものの、その後これでこの問題の最終決着ということにはならなかった。勿論、この件で一番責められるべきは、その後、韓国で成立した文在寅政権の対応です。つまり、文在寅大統領は、この日韓合意をひっくり返して、この問題を日韓間の未解決案件として俎上にのせました。韓国は、政権交代を機に、うまく管理するどころか、真逆のことをやったわけです。しかし、私は、前述の日本国内の風潮も気になった次第でした。
3.激変した日中関係
昨年末の高市総理の台湾問題についての答弁をきっかけに日中関係は激変。正直、大変驚き、中国側の異常な対応には半ばあきれてもいます。王毅外交部長は、ヨーロッパ等各国を訪ね歩き、中国政府の立場の説明に懸命です。昨年秋、韓国におけるAPEC首脳会議の折の日中首脳会議、腰の重い習近平国家主席に働きかけて、会議実現にこぎつけた王毅部長にしてみれば、梯子をはずされたという思いがひと一倍強かったのでしょう。
それにしても、その中国が今や死文化したことが国際社会では常識となっている「旧敵国条項」(国連憲章第53条など)の件を日本に対して持ち出すとは!このことについては、外ならぬ中国外交部の関係部局(国連、国際法担当)の間でも当惑が広がっていると言います。とすれば、一体、どこからの入れ知恵だったのでしょう。
「台湾問題」・・1972年9月の北京での日中国交正常化交渉の折、何が一番もめたか、それは、「歴史」や「賠償」(この方は中国側はとっくに請求を放棄していました)ではなく、ひとえに「台湾問題」を如何に処理するか、ということをめぐってでした。
日中共同声明の当該個所は、当初「(台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であるという中国側の主張に対し、)日本国政府は、この中華人民共和国政府の主張を充分理解し、尊重する」となっていました。すなわち中国政府の主張に同意するとは言わないで、いわばその一歩手前のところで寸止めしたわけです。
しかし、中国側はこれが気にくわない。他方、日本の事務当局(外務省)も、つとにそのような事態になることは予想していたようで、北京への出発前、ひとつの妥協案を懐に入れて交渉に臨みました。それが共同声明第8項の「(日本国政府は、この中華人民共和国政府の主張を充分理解し、尊重する」としたうえで、「日本国政府は、ポツダム宣言や第8項に基づく立場を堅持する」という一文を付けくわえる、ということです。
さあ、これだけでは何のことか分からない。元法制局長官の小松一郎さん(外務省OB)は、自著『実践国際法』の中で、ここのところを次のように解説しています。
「サンフランシスコ平和条約により台湾を放棄した日本としては、台湾の法的地位につき独自の認定を行わないとの立場を前提としつつ、“台湾ノ中国ヘノ返還ヲ定メルカイロ宣言ノ条項ハ履行セラルベク” と定めるポツダム宣言を受諾した日本として、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であるとの立場を “十分理解し尊重する” ことを表明した。このことは、日本国政府は、法的には台湾の帰属につき発言権はないが、政治的には “中国はひとつ” という原則を支持し、二つの中国、台湾独立を支持しない、ということを意味する。」
私の中国勤務時代、時の外交部長、唐家璇氏がくだんの「よく理解し尊重する」の件に関して、いらいらしながら、「どうして日本政府は(中国側の主張に)“同意する”」と直截に言えないのか、と話していたことをなつかしく思い出します。これに対し私は、「あなたは、中国外交部の日本スクールのドン。72年、日中(中日)正常化交渉の折のこの件を巡っての両国間のやり取りは、先刻ご存知のはず・・・・」と半ば笑いながら応じたものです。
なお、台湾問題については、米中関係正常化(79年1月)の折、こんなことがありました。というのは、あの時、両国の関係正常化を記した共同コミュニケにおいて、米側のテキスト(英文)では、台湾問題についての中国側の主張を「acknowledge」する、といっていたのを、中国側のテキスト(中文)では、当初の「認識到(レンシタオ)」からいつの間にか発表されたテキストでは、これが「承認」に改まっていたのです。中国側も、とうとう我慢できなくなったのでしょう。しかし、「acknowledge」は、当初の中国側の案文(“認識到”)が正しい。いうなれば「あぁそうですか。中国側の主張は、そのようなものとして伺っておきましょう」ということで、やはり「承認」とはかなり違います。
この件は、中国側と米側双方のテキストについて、最終的につき合わせ作業を怠ったということで、その場にいた米国務省の中国語の使い手のチョンボとして語り草になっていました。この件について、わざわざワシントンまで足を運んで追っかけ回している日本の学者の方もいらっしゃいましたが、先方(米国務省)は、「もう昔の話!」ということで相手にされなかったようです。
以上、要するに1972年の日中国交正常化交渉の際、台湾問題について両国の間で決着した内容は、言うなれば大変デリケートで、また、あえて言えば極めて脆弱なベースの上になされたものであったということです。予算委員会でのあの高市発言については、その後、総理も反省の弁を述べておられるようですね。いずれにせよ、密室のオペレーションルームでの専門家同士のシミュレーションをめぐるやりとりならば、いざしらず、総理として軽はずみなご発言だったと思います。
国交正常化のあと、日本政府は台湾問題について公けの場では「中国と台湾の関係については、両者の間の平和的話し合いによって決着さるべしと述べてきました。そして、日本政府としては、例えば「一中一台」といった言い方は禁句としました。
なお、「中国と台湾の関係」という言い方については、以前こんなことがありました。
ある日本での公開セミナーでのこと。私は招かれて若干のお話をしたのですが(会議の用語は英語)、「Taiwan’s relations with China」と述べたところ、パネリストの中国解放軍のおっかない人が、「中国で大使を勤めたヒトが、その言い方は何だ!」「ちゃんと、“両岸関係”と言い直せ!」と。私は閉口して、「ボクは、今や退官した身。それに、外国の英字紙はみな“Taiwan’s relations with China”と書いているではないか」と応じたのですが、先方は、怖い顔をしたままでした。
高市発言(中国が台湾に対して、武力行使をすれば、それは日本の「存立危機事態」に至る云々)については、私は唯一そのような事態に立ち入るのは、その時、そうはさせじと日本の米軍基地から戦闘機が飛び立ち、戦艦も出動する。そうなれば、中国側は、在日米軍基地を爆撃する、といった事態になった時だと思います。想像もしたくないシナリオですが。
なお、北京での日中交渉が台湾問題をめぐってもめる中、田中総理は日本側の大平外相、高島条約局長に、「おい、オオヒラ、タカシマ!キミたちは、大学出だろう。なれば、なんとか最後の知恵を出せ!それでもまとまらないということであれば、仕方がない。“交渉決裂”ということで、日本に帰ろう。責任は俺が取る。」とおっしゃってひとり、ウィスキー?をあおっておられた、という話が伝わっています。格好いいですね。田中総理は、「政治」と「官」の役割分担をしっかり心得ておられた。ですから、田中総理に接した外務省のOB方には、田中ファンが大変多い。
いずれにせよ、田中総理に発破をかけられた大平外相、高島局長は、先に述べた「隠し弾」を中国側に提示。話し合いの場所は、総理一行が万里の長城見学に向かう往復路の車中だったようです。車中での大平外相と中国側の姫鵬飛外交部長との間の交渉、大平外相の意を尽くした説明で、中国側もやっと同意した。なお、この車中でのもうひとつの話題は、昭和の一時期の日本と中国との間の不幸な歴史、田中総理は周恩来総理主催の晩さん会での挨拶で、これを「日本は中国に大変ご迷惑をかけた」というひと言で総括された。これをめぐって、中国側が激怒した件です。他方、あの時の日本側の事情はというと、訪中前、自民党の部会の決議で、「中国に行っても “謝罪だけは絶対にするな” ということで、手足を縛られていた、ということがあったようです。
先にお話しした、大平・姫鵬飛の車中の談義の中で、このことも話題になった。これに対し、大平外相は目に涙を浮かべながら、「タナカは、中国戦線に行ったものの、鉄砲の弾ひとつ撃っていない」と。これは、この時、中国側通訳として同乗していた外交部の周斌さんの話で、私も周さんより、このことを直接聞いたことがあります。(周さんには、このことも含め「回想録」あり)いずれにせよ、大平外相は、とても万里の長城見学どころではなかったでしょう。
4.「米中関係」という言い方について
「米中関係」・・私は、米中の構図はそうではなく、「トランプ大統領対中国」ということではないか、と思っています。
というのも、例えば、トランプ大統領が真っ向から背を向ける気候変動の問題。アメリカ西部の知事たちは、連合を組んでこの問題に真剣に取り組んでいる。アメリカ社会の多様性に感動します。
トランプ大統領は、今秋の中間選挙を念頭に今からそれへの対応に懸命のようですが、下院で共和党が議席を大きく減らした場合、トランプ大統領はどう出てくるのか?恐怖がつのります。
それにしても、共和党の良識ある重鎮たちは、トランプ大統領の暴政に何故に口をつぐんでいるのか?解せません。
いまひとつは、バイデン前大統領について。彼は民主党でしっかりした後継者を育てることをしてこなかった。しかのみならず、「カマラ・ハリス氏を大統領選に立てるのではなく、自分が再度出ていたら、トランプ氏に勝ったに違いない」と、びっくりしました。
今から、このようなことを言っても詮ないことですが、ロシアによるウクライナへの侵攻が始まった(2022年2月)当初、ゼレンスキー大統領は、ウクライナはNATOに入らなくとも良い。そのかわり、ウクライナの存立を確かなものにする国際的枠組みを関係国の間で造って欲しい、と言っていました。最近になって、ようやく、ヨーロッパ諸国の間でそれへの動きが始まっていますが、何とも遅すぎます。
他方、オバマ大統領の下で副大統領を勤めたバイデン氏は、ひんぱんにキエフ(当時)に赴き、武器の類をウクライナに送りつけていました。ですから、数日でキエフを落とすというプーティン大統領の目算がすっかり狂ったのも当然でした。そしてバイデン氏の令息はウクライナ利権にどっぷりとつかって。
5.日本、良いとこ、住み良いとこ
以上、話はやや深刻になりがちでしたので、締めは明るくゆきたいと思います。
私の友人にモルガン・スタンレーに勤めていた辣腕の金融ビジネスマンが居ます。彼は、今では独立して、自ら立ち上げたファンドのマネージャーとして欧米をとび廻っています。
何年か前、この友人曰く、「ニューヨークの五番街と東京の銀座の晴海通りを歩いている人たちの身なり、服装を見ていると、晴海通りを行き交う人たちの方が、余程こざっぱりしていて立派だ。」と。
アメリカからの旅行者が、東京などでびっくりすることは多々あるようですが(街の安全、正確な交通体系。多彩な品ぞろえのコンビニ等々)、その中のひとつに街の各所にある自動販売機。ニューヨークあたりでは、こんなものを街中に置けば、夜中こわして、ごっそり持ってゆかれかねない、ということでしょう。
私は、若い頃外務省から派遣されてサンフランシスコを中心とするベイ・エリアに一年ほど住んでいたことがあります。しかし、トニー・ベネットの絶唱、あの「I left my heart in San Francisco」、今のサンフランシスコの情況は、これとは全く様がわりらしい。有名なケーブルカーの終着地点、ユニオン・スクウェアーも貧民窟と化したそうです。
もっとも、これはニューヨークやサンフランシスコといった大都会での話かもしれない。地方に行けば瀟洒(しょうしゃ)な前庭を備えた典型的なアメリカの中産階級のたたずまいが、依然各所に見られるのではないでしょうか。
以上、いろいろと書きつらねて来ましたが、やはり活字になるということになると、日頃いろいろなところでお話しているようにはゆきません。私の思いは、以上の記述よりはいま少し”過激“です。このところ諸事にわたり劣化が止まらない内外の諸情勢を前にして、老人特有のこらえ性のなさがそうさせるのでしょう。
いずれにせよ、よく言われるように今、世界の国際秩序が大きく変わる節目の時にあることは間違いありません。世界はルールなき無法地帯と化し、「米国、中国、ロシアなど大国のアナーキーと、ルールがないと自分たちを守れない勢力が並立する。日本や欧州連合、インドなどのミドル・パワーが組んで秩序を再生させることが死活的に重要」(東大 鈴木一人教授)です。その際、やはり「外交」の役割は大変重要。外務省現役諸士のご健闘を祈ります。そして、最後にその際、現役の諸士には、外務省奉職時代、最前線で活躍していた良質の先輩諸士(私のような超高齢の老人のことではありません)の話も、時々聞いて、参考にされること(勿論、最終的にこれを採るか採らないか、は各位の自由ですが)をお勧めします。
ひとつだけ、これも今となっては詮ないことですが、例を挙げます。
それは、何年か前、中国が「CPTTP」(TPPの後身)に加盟希望を表明していたのに対し、台湾も同じくこれへの加盟を希望していた、その時のことです。私自身は、この分野での知見は乏しいのですが、それでも、この際、日本は、中国に一定の準備期間を設けて、「日本は、中国の加盟は賛成するよ。そのかわり、加盟に当たってのCPTTPの厳しいハードルは下げない。それでよければ、どうぞ」という方向に舵をきれないものか、と思ったのでした。そうすれば、少なくともその間は、そして加盟が実現すれば、その後も、中国は国際社会でのお行儀もよくなるだろうという期待もありました。
そこで、かつてTPP交渉の最前線で活躍していた外務省の後輩の諸士たちにおずおずと私の気持ちをもらしたところ、何と「ボクたちも、全く同じ考えです」と。そこで、「このこともふくめて、外務省の後輩たちは、たまにはあなた方の意見を求めに来るの?」と問うたところや、自嘲気味に「いや、別の件もふくめ、そんなことは全くありません」と。
私は現役時代(アジア局長)、定期的に歴代のアジア局長を経験された先輩方と安い弁当をつつきながら、アジア外交の現状を説明し、ご意見をいただく会をもっておりました。そんな時、ある方は「タニノくん。君はテレビ出演の時、もっと目線をカメラの方に向けるように」と。また、往時、外務省から在外研修でサンフランシスコの近郊に居た頃「もっと、身なりを良くせよ」と、背広代としてそっと金一封を。後輩たちをしっかり躾ける。当時の外務省の良き伝統でした。なつかしく思い出します。
(令和8年1月記 衆議院解散を旬日のあとに控えて)
