国際機関の危機と将来

駐ジュネーヴ代表部大使 尾池厚之
序:本稿の目的
今国際機関が未曾有の危機に直面している。国際機関の役割は、主に①国際的な取決めや共通の方針(本稿では一括して「国際ルール」と称する)を決める、②合意された国際ルールを各国が守るよう監視・支援する、③合意された国際ルールの趣旨が実現されるように自ら事業を行うか、その事業を行う者に資金や知見を提供する、の3点である。国際機関の今の危機をもたらしたのは、国際社会における深刻な分断や対立のために、①新たな事態に対処するための新しい国際ルールが合意されない、②既にある国際ルールが踏みにじられることも増えた、③国際ルールの履行のための事業や基金に資金が集まらない、の3つの要因だ。何故こういうことになってしまったのかを分析し、今後の展望を考えるのが本稿の目的である。
1.歴史的経緯
今の国際機関は第2次世界大戦の惨禍を繰り返さないために設けられた。安全保障は5大国主導の安全保障理事会(安保理)を中心とする国連、経済は米国主導で、通貨管理のIMF、復興開発の世銀・地域開発銀行、貿易のGATTというセットだ。しかし、その後欧米先進諸国とソ連や中国等の共産圏の対立(東西対立)が深まり安保理は機能不全に陥る。また、多くの旧植民地諸国が独立し、開発途上国と先進国の対立(南北対立)も顕在化した。途上国はIMFや世銀のあり方は先進国優位だとして、国連を中心に先進国への要求を強めた。60年代から70年代は東西対立と南北対立が並行する時代だった。
80年代から90年代にかけて、こうした対立から協調の時代に移る。ベルリンの壁の崩壊に象徴される東西対立の解消は欧米先進国に余裕をもたらし、途上国への支援に前向きになった。途上国も先進国との交渉を通じて成果を挙げることに注力した。こうして、国際機関は、数の上で多数を占める開発途上国が「植民地支配に由来する不公正」をただすとして先進国に様々な要求を突きつけ、数の上では劣るが経済的には勝る先進国がそうした途上国の要求も取り入れながらも、リベラルな価値観に基づく国際ルール作りを推進することでリーダーシップを維持するという場になった。90年代には今の国際ルールの原型となる多くの合意ができている。(注1)その特徴は、先進国の責任と途上国への配慮・支援が明記されていること、人権、貧困撲滅、保健、環境などのリベラルアジェンダが取り入れられていることだ。これは90年代の時代精神だと思う。
その後、2000年代から2010年代にかけて、途上国の多様化が進んだ。一部の途上国は産業発展により先進国に匹敵する経済力を得たが、逆に地域紛争に巻き込まれて国力を摩耗したり、貧困から中々抜け出せない途上国も少なくなかった。こうした途上国の多様化を踏まえて90年代の国際ルールは修正され、2015年に新たな時代を象徴する合意が成立した。具体的には、援助だけでなく幅広い資金動員を定めたアジスアベバ行動計画(7月)、途上国だけではなく全ての国の開発目標を定めたSDGs(9月)、全ての国が削減目標を示し、相互に監視しあう気候変動パリ協定(12月)だ。3月には仙台で世界防災会議が行われ、日本が国連での一連の合意の先鞭をつけている。このときにできた一連の合意が現在も通用している国際ルールである。修正版のリベラルアジェンダだ。貿易に関しては、WTOでは時代に合わせた新たな合意があまりできなかったが、代わりにEU、NAFTA、TPP等の大型地域貿易協定がその役割を果たした。
その一方で、国際秩序を揺るがすような動きも出てきていた。ロシアがクリミアを併合し、中国が東シナ海や南シナ海への軍事的進出を強化した。世界での軍事的衝突の数は増加しており、特に中東やアフリカでは深刻な事態がみられた。先進国内でも格差の問題が大きく注目されるようになり、ウォール街占拠があり、欧州における極右政党の伸長があり、英国のEU脱退があった。米中の貿易紛争、COVID-19パンデミック、ロシアのウクライナ侵略はこうした事態をどんどん悪化させていった。
こうした中、国際機関は変化する事態に有効に対応できなかった。世界中で武力紛争が激化しても、安保理は効果的に対応できなかった。コロナ禍に関して、国際社会は割れ、WHO職員は不眠不休で努力したが、遅いとか偏っているとかの批判を受けた。ウクライナやガザ、スーダン、コンゴなど難民や避難民が大量に発生し、人道機関が精一杯努力したが、追い付かなかった。
しかし、このように国際機関がその有効性に疑いを持たれていた一方で、国際機関の規模はさらに拡大していった。新たな合意ができるたびに事務局や基金ができた。コロナ禍はWHOの緊急対応部門の人員と予算の大幅な増加をもたらした。ウクライナやガザ、スーダンなどの紛争の激化も多くの難民・避難民を生み出したため、UNHCRやIOMの活動が激増し、資金需要も激増した。(注2)激増する資金負担の大半は米国を含む先進国に重くのしかかった。
2.今何が起こっているのか
世界中で国際的な分断や紛争が激増し、各国内でも格差の拡大が社会の分断を招く中で、新たな国際ルールを作ろう、あるいは今あるルールを守ろうという機運が大幅に下がった。ウクライナであれ、ガザであれ、今回のイランであれ、安保理は状況を変えるような決議を生み出せていない。国連総会や人権理事会は多数決で決議を成立させており、国際世論の動向は示せているが、当事国は決議に従わないことが多く、実効性がないと批判されている。貿易の世界では、WTOは新たな状況に対応するルールに合意できないばかりか、既存の協定に違反している行動に有効に対処できていない。
資金面でも状況は格段に悪くなった。WHOでは全体の18%程度を負担し、人道支援分野では約4割を負担していた米国はそれを負担する能力も意欲も減退させていた。欧州でも東アジアでも安全保障環境が厳しくなる中、日本を含む中堅先進国からの国際機関向け資金も減少した。しかも、それを中国や湾岸諸国が代替することもなかった。米国が脱退したWHOでは、部局の統廃合で幹部ポストが半減し、約1100人が職を失った。また、2024年の人道資金の総額は370億ドルだが、2025年には276億ドルと約100億ドル減少している。(OCHA統計)この結果、UNHCRでは約6500人、IOMでは約6000人が離職し、難民キャンプ等の現場では、多くの支援プログラムや人員が文字通り消えた。国連本体でもUN80というそれなりに思い切った改革が行われ、予算を約15%、ポストを約19%切る方針が示された。概ね20%の節約が目指されている。その影響は、例えば人権関係にも及び、人権理事会や人権条約体の会合時間は短縮され、人権理事会で決まった調査団の派遣等が実現できないケースも出ている。更に、ILOやWMOなど専門機関にも改革と解雇の波は押し寄せている。
3.大国の動向
第2次トランプ政権になってからの米国はリベラルアジェンダを基礎とする国際機関に冷淡になった。WHO、UNESCOなど多くの国際機関から脱退し、人権理など一部の組織体から離脱した。脱退・離脱はしなくても、資金提供を止めているケースも多いし、WTOではその役割を限定するよう努めている。また、人道分野では、UNHCRやIOMなど個別機関への資金は大幅に減らしたが、OCHAには20億ドルを付けて、これを米国が選定する国を対象に、米国が認めた内容で資金供与する方針に切り替えた。国際保健でも、WHO、グローバルファンド(GF)、ワクチン・アライアンス(GAVI)に夫々巨額を出してきたのを改め、資金はGFに集中し、米国と二国間協定を結んだ国だけを支援している。リベラルアジェンダではなく、国益追求という視点が明確に示されている。
中国は、国連総会や人権理事会、更にはWHOでも、中国は多国間主義の擁護者で、途上国のリーダーであるとのナラティブを繰り返し訴えているが、国際保健や人道分野での任意の資金拠出はほぼ行っていない。(注3)おそらく中国の指導的地位を受け入れる個別の国を支援しているものと見られる。一方、中国の制度や技術を世界標準化することには非常に熱心であり、その実現のために国際機関やその出先、あるいは重要国際会議を中国に誘致することに注力している。これは国際機関を中国の国益のために取り込むという発想であり、しばしば先進国との摩擦になっている。
4.グローバル・サウス(GS)諸国
GS諸国は多様化したが、国際機関においては資金や技術を先進国に要求し続けるというスタンスを変えていない。その裏には深い怨念がある。コロナ禍の時先進国がワクチンや治療薬を囲い込み、途上国ではこれらがないまま多くの死者を出した。自分たちに原因のない地球温暖化で苦しみ、AIなど将来を変える技術のガバナンスの議論には参加できていない。先進国や国際機関は数が増えすぎた難民を追い返す周辺国を批判するが、先進国は難民支援を削り、移民を減らそうとしている。GS諸国は現状は不公平だと考えている。
中国はGS諸国のリーダーを自称し、途上国の大国を糾合する枠組み作りに熱心だ。しかし、多くの途上国は中国のような経済力や技術力があるわけではないので利害は異なるし、中国が途上国の資金や技術の渇望に広く応えられるわけでもない。自国産業が中国製品の流入で苦境に立つことも多い。従って、途上国は国際機関で要求し続けることとなる。先進国はこれに苛立ち、国際機関への幻滅を深めることもあるが、GS諸国が抱える怨念の根源が植民地支配にあることも事実だ。ある国連幹部は、この「怨念」が消えるまで南北対立は続くと語っていた。
5.今後の展望
国際機関が置かれた状況はわずか1年余りで激変した。ある研究者が、この時代に未来が予測できると言うことは不誠実だと言っていたが、本当に予測は難しい。しかし、いくつかの根本的なポイントはある。まず、国際機関は縮小せざるをえない。米国がルールの主導者であり、資金の最大の出し手だった時代は二度と戻らないだろう。中国は国際公共財に投資するよりは自国の国益に基づく主張を強めるだろう。インド、ブラジル、南アフリカなどのGSの大国も今後さらに独自の主張を強めるだろう。国際機関ではGSは資金と技術の要求をやめないだろう。一方、安全保障環境の悪化から、アジアや欧州の中堅先進国はどこもこれまで以上に防衛費を積まなくてはいけないだろう。地政学的対立の激化のために国内経済対策もさらに必要になるだろう。国際機関への資金面での協力には国内でより大きな疑問が付されることになるだろう。
だが一方で国際機関の役割がなくなることもない。国際機関は各国の首脳や閣僚、専門家が集い議論する場を提供し続ける。各国首脳は毎年9月に宿代が信じられないほど高くなるニューヨークに集まる。安保理の場外では高度な情報交換が続けられる。また、医薬品の安全性や効果を認証し、電気製品の国際標準や国際特許を認定し、あるいは労働条件のあり方を決めるのはそれぞれの専門機関しかない。更に、筆者もUNHCR執行委員会の議長としてエチオピアの難民キャンプを訪れたが、増加する難民やこれを受け入れる地元を支援できるのは人道国際機関であることを痛感した。難民や避難民が出身地やその周辺に留まることは、本来誰にとっても望ましいことであり、そのための支援は日本の国益にも合致する。命をつなぐためにテロ組織に身を投じる難民や避難民を減らすことは安全保障上の課題でもある。

日本を含む中堅先進国は国際ルールとそれを支える国際機関を必要としている。ルールを無視して独自に国益を追求する力がないからだ。地政学対立の激化によって国際ルールがないがしろにされ、安全保障面でも経済面でも不透明感が増すことで中堅先進諸国も大きな影響を受ける。現に米国脱退後のWHOで中堅先進国は中心に立って取り組んでいる。どの国も脱退は考えていない。
6.日本の対応
日本は良識的な安定勢力と見られており、国際機関でもGS諸国でも人気は高い。これは見返りを求めないで国際社会全体や途上国のために協力してきた先達のおかげだ。筆者は国際機関での選挙のたびにこれを痛感してきた。これをお人好しと批判する人もいるだろうが、大きな日本のアセットであることは間違いない。我々は短期的な視点で国際機関への協力をやめるべきではなく、身の丈を踏まえつつも資金を提供し、改革を推進し、GS諸国とも対話し続けていく必要がある。皆よく見ている。あるアフリカの同僚大使が、日本はもっと自慢・宣伝しろと励ましてくれた。ある東南アジアの外相は欧州諸国大使たちの前で日本への期待を熱く語った。こうした信頼感は広い意味での日本の安全保障だ。
しかし、そのままで良いと言うのではない。国際機関はリベラルアジェンダのもと過大に膨張してきたので、整理統廃合が不可欠だ。日本もそれぞれの国際機関の意義を見極めて選別していく必要がある。その上で国際機関を国益の増進のためにしたたかに使うことも求められる。日本のビジョンやナラティブを効果的に訴える場として使える。国際標準を扱う機関では、日本の製品や技術が国際標準をとれるように官民で取り組みを強化すべきだ。国際保健や人道分野での拠出金は、日本企業、日本の技術、日本人職員などを絡めていくべきだ。これは見返りを求めているのではなく、日本の強みを日本の支援に生かしていくということだ。この取り組みは既にかなり進みつつあるが、さらに強化する余地がある。
この議論だと大国の国益追求とどう違うのかと疑問がわくかもしれない。違いは、日本は国際公共財としての国際機関の意義を認めていることだ。これを否定する動きに同調せず、国際機関を自らの影響下に取り込む試みには反対し、その公共性を守ることだ。そこが確固としていれば、「日本の強みを生かす支援」は歓迎される。この点に関しては、中堅先進諸国は一致できるはずである。
(注1)この時期、安全保障面では、国連総会が平和維持に相当な成果を出した。また、包括的核実験禁止条約も採択されている(1996年)。貿易ではウルグアイ・ラウンドが妥結し、途上国への配慮(S&DT)が含まれた形での総合的な自由化・ルール化が成立した(1995年WTO発足)。気候変動枠組条約・京都議定書では、先進国が温室効果ガスの排出を抑制し、途上国の努力を支援することが義務化(CBDR)された(1997年)。人権面でも、監視役として人権高等弁務官が設置され(1993年)、児童、高齢者、移住労働者の権利などが条約・原則に明記された。人口、防災などの個別分野の世界的会合も開かれている。こうした一連の動きを一種取りまとめた形となったのが2000年に合意されたミレニアム開発目標(MDGs)であり、ここでは、貧困・飢餓、教育、ジェンダー、乳幼児・妊産婦、感染症、環境などについて途上国が達成すべき目標が明記され、それを先進国が貿易特恵、債務削減、開発援助などの形で支援すべきことが定められている。
(注2)WHOの2018ー2019年予算は約44億ドルであったが、2022-23年には約67億ドルに増大した。IOMの事業規模は2018年(18億ドル)から2024年(37億ドル)にかけて激増し、UNHCRの事業規模も同時期に42.4億ドルから49.3億ドルに増加している。
(注3)2025年、中国は国際機関の人道分野における活動に1600万ドルを出しているにすぎず(米国40億ドル(前年の141億ドルから激減)、日本12億ドル)、GFやGAVIへの拠出はない。(米国はGFに3年で46億ドル、日本はGFに3年で5.2億ドル、GAVIに5年で5.5億ドルをプレッジ。)
