イラン外務省付属国際関係学院の学生たち


元駐スウェーデン大使 森元誠二

はじめに
 昨年も師走に入った頃、ある平和財団の招きで来日したイラン外務省付属大学院大学国際関係学院(School of International Relations)の訪問団に対し、中東地域研究センターが主催する講義の一環で話す機会があった。一行は、東京大学駒場キャンパスで午前は日本人学生と意見交換し、午後には「日本の経済政策」、「日本の外交」、「安全保障政策」のテーマを巡って議論するのであるが、外交の部分を筆者が担い、残りの二コマは同学本郷キャンパスの先生がそれぞれ担当した。

選ばれたエリートたち
 彼らはいずれも厳しい選考を経た男子5名・女子4名の学生のほかに団長を務める指導教官を加えた計十名であるが、全員が初めての訪日である。我が外務省研修所と異なり、学生たちは外交官の他にも弁護士や学者など様々な職種に就くことを目指している。団長は、いずれも国内のエリートであると誇らしげに語った。学生たちは、日本の政治と経済、近代化プロセス、教育・社会制度、文化などいずれも我が国に対する並々ならぬ関心を抱いている。興味深いことに、何人かが我が国への関心を掻き立てたのは、ご多分に漏れず子供のころに接した日本の漫画やアニメであると述べ、こちらの知らない主人公たちの名を挙げたが、イランでも日本のソフトパワーがこんな効果を発揮しているのかと改めて感心させられた。

世界共通の若者気質?
 実は、この団長はかつて駐シリア大使も務めた元外務省員である。気さくな人物であり、一コマ目の経済政策のレクチャーは抜け出して話がしたいというので小一時間ほど彼と雑談した。彼は自分が外務省の第一線から退いたのは学者の方が自分に向いていると感じたこともあるが、大使になるとその重圧に耐えがたかったからでもあると言う。本国政府の指示や調査などの仕事を朝から夜までこなし、公館長としてあらゆる責任が自分の双肩にかかってくるので常に緊張を強いられる。他方で、このような働きぶりの館長を横目に、若い部下はやれ子供の世話がある、やれ仲間との集まりがあるなどといつも適当な理屈をつけて定時に退庁する。なぜ大使だけがこんな過酷な条件の下で仕事をしなくてはならないかと馬鹿らしくなり、帰任と共に希望して現職に移ったそうである。現代っ子はどこも同じなのだと彼に何だか同情の気持ちを抱いてしまった。

「世界で一番古い国」
 講義では、冒頭の雑談で「世界で一番古い国はどこか」とAIジェミニに英語で聞くと紀元前3200年頃に政府の樹立されたペルシャ、即ち現在のイランであると答える一方、日本語で聞くと神話上の紀元前660年(神武天皇が即位したとされる年)以来継続して存続する日本であると回答することを紹介した。日本語での照会にはAIも質問者に媚びて答えているようだが、英語での質問は双方にとっていわば中立的な立場からなのでそちらが正解かも知れない、いずれにせよ両国とも世界一に挙げられていることは優劣がなく良いことだと指摘して笑いを誘った。その後、スライドで正倉院御物の中からササン朝ペルシャの影響を受けるガラス器や琵琶の写真を示し、両国には古くから相互交流が実際にあったことを語った。

若者の巧みな生きる知恵
 イランは1979年の革命以来、宗教指導者が最終権力を持つ神権イスラム共和国と評されることが多いが、行政を担う大統領、国会や市議会の議員などは一応国民の投票で選ばれる民主的な性格も有する国である。他方で、過去にはヒジャーブ(スカーフ)着用ルールに反して髪を出していた女性が「不適切着用」を理由に道徳警察に拘束され、警察施設内で死亡する事件が起こるなど、国際社会ではとかく強権国家とみられやすい。
 しかし、例の団長によれば、団員を含めイランの若者たちはGmailやWhatsAppなどの他ソーシャルメディアも実際には自由に使用でき、国内外の出来事は正確に把握しているそうである。彼のように一定以上の社会階層になれば、情報アクセスについての制限もなくなる。もちろん、発信については一定のリスクを伴うので、人々もそこは心得ている。学生たちが幅広いテーマについて正確な知識を前提に話していることには、恐らくこのような背景があるのであろう。

進む女性の社会進出
 話が進むにつれて両国の社会構造を比較する中で、イランも日本も男女平等指数は後ろから数えた方が早く、それぞれ世界第143位、第118位(2024年)と折り代が少ないので互いに改善に努める必要があると指摘した。するとある女学生が質疑応答の時に、この評価は国内の各界で働く数多くの女性を知る自分の肌感覚とかなり違うと述べた。内心、筆者も彼女の指摘にある種の共感を覚えた。かつてイラクやトルコ、オマーンで勤務した筆者自身の体験に照らしても、イスラム社会では官界や実業界でも女性の職場進出が著しい。
 国際社会では物事を律するときにはルールを先取りする方が勝ちの傾向があるが、ジェンダーの平等とか民主主義の度合い、はたまた大学ランキングといった指標の基準は往々にして欧米諸国の価値観で決められていることが多い。今や絶滅危惧種ではあるが「妻は夫の三歩後ろを歩く」も一応頭では理解できる我が国や保守的で権威主義的なイランの人々にとっては、LGBTQや同性婚など「啓蒙的」な価値で社会の進歩度を測られても何か違和感が残るであろう。
 英語にも堪能な今回の参加者は皆、初めて接した日本から多くを学んで帰国するに違いない。彼らイランの若き世代にはエリートとして将来の国づくりに貢献してほしいと願いつつ、筆者は話を締めくくった。

垣間見えたエリート体質
 実は、この話には後日談がある。一行をアテンドした財団職員からもらったお礼のメールに、京都・奈良に続いて訪問した広島の平和資料館を訪れた際、学生たちは「これが米国のやることだ」、「この場所をオバマが訪問したことはとても無礼だ」と憤りを露わにしていたとあった。彼女は、一人の日本人としての思い(日本は原爆等の被害者でもあるけれど、他国に侵攻した加害者でもあった。だから碑に「過ちは繰り返しませんから」と書いてある。米大統領の訪問は無礼どころか、日本としては待ちわびていたことであった)を伝えたが、「その意見には同意できない」とつれない返事が一言返ってきただけだったそうである。
 あの団長も筆者との懇談では、「日本が米国の同盟国であることは理解できるが、日本人はトランプ政権の政策に本心から信頼を寄せているのか。米国が本気で日本を守ってくれると信じているのか」と問いを投げかけていたが、この訪問団の一行はやはりイラン体制内でよく鍛えられ、その教義の真髄を心身に強く刻み込まれたメンバーだったのであろう。

相互理解の営みの大切さ
 でも、この職員が広島でかみしめた思い、すなわち、「今はお互いに理解し合えない部分があっても、理解し合えない相手を敵対する相手と認識するのではなく、それ以外の部分も沢山知り合っている友達として対話や交流を続け、理解しようとする姿勢が大事だと改めて思った」との言葉は印象的であった。この財団で交流事業に携わる人々は、皆このような心意気で相互理解の促進に努めているのであろう。
今回のイラン国際関係学院学生たちの訪日にまつわる一連の出来事は、どこか清々しさを残しつつ、それでいて容易ではない相互理解の営みの尊さを改めて感じさせる貴重な経験として筆者の心に残った。

(令和8年1月7日記。この寄稿を書き上げた後、イラン国内での騒擾拡大のニュースに接した。今頃あの学生たちはどうしているだろうかと独り思いを馳せていたが、思い立って1月23日に、来日時にWhatsAppの連絡先を交換していた一人の女学生に対し、帰国後、皆は無事で元気にしているのだろうかとメッセージを送ってみた。すると間を置かずに何と返事が返ってきた。それによれば、訪日した国際関係学院の皆は大丈夫であり、やがてイラン国内の状況も改善に向かうよう願っているとのことであった。このように国外との連絡も既に取れるようであり、そこで内政状況に言及することもさほど気にかけてない様子に安堵するとともに、イランの懐の深さとでも言うべきものを窺い知ったような気がした。)