【TICAD9特集】ウガンダの現在地:30年続くムセベニ政権の成り立ちとその政策が基礎


駐ウガンダ大使 佐々山拓也

 ウガンダのムセベニ大統領が権力を掌握したのは1986年のことです。アフリカでも最も長い任期を務める大統領の1人となっています。私が外務省に入省したのが1988年ですので私の社会人人生が始まる前から既に大統領の任にあったことになります。
 ウガンダがイギリスから独立したのは1962年のことです。もともと間接統治だったので戦いを経た独立ではありませんでした。独立後の歴史をたどりますと悪名高いイディ・アミン大統領の独裁が続いたのが70年代です。ただ地元の人によってはアミン大統領の評価はまちまちです。アミン大統領は地元のウガンダの人に聞くと気さくに民衆の間を自転車で回り人気があったと言う人もいます。その後1980年の大統領選挙を経て(この選挙結果が受け入れられず内戦状態となった)、80年代に入っても数年にわたる血なまぐさい内乱の時期を経ました。これを収めたのがムセベニ大統領でした。ムセベニ大統領は1980年の選挙結果を受け入れずジャングルにこもって戦闘を続けたのでこの内戦は「ブッシュ・ウォー」と呼ばれています。内戦により30万人を超える犠牲者が出たと言われます。この混乱を収め、30年を超える安定と平和をもたらしたのがムセベニ大統領ということになります。この「ブッシュ・ウォー」をムセベニ大統領とともに戦った世代は70歳、80歳を超えようとしていますが、現在の政権の中枢にいる方も多くいます。与党である国民革命運動(National Revolutionary Movement: NRM)はこのときに形成され現在もウガンダを全国的に統治する有力政党となっています。
 ムセベニ大統領は権力掌握後、この国の統治方法について色々と検討したとのことです。隣国であり、かつ尊敬する政治家が実施したタンザニアの社会主義を取り入れようとしたこともあったそうです。ただ個人の経済活動を制約する社会主義は国民からは違和感があったようです。その後ムセベニ大統領は経済的には開放経済を指向し、外資には自由な投資を認め、国内的にも制限をなるべくもうけず自由な経済活動を認める路線を容認したと言われます。ムセベニ大統領は内戦の頃自身も一時タンザニアに身を置き反撃の機会を伺いました。このような経験がその後のウガンダの近隣国との関係を基礎づけているとも言われます。ウガンダは周辺国からの難民を積極的に受け入れる「オープンドア・ポリシー」をとっています。今では190万もの難民を受け入れる寛容な政策をとっています。そして自らが東アフリカ地域の安定の礎となるという意味で「平和の島」を標榜しています。ウガンダの政治家に「オープンドア・ポリシー」の意義を尋ねたところ、周辺国に昔お世話になったから、という答えを聞いたことがあります。国内の政治システムについては、複数政党制についてはその導入を国民投票にかけるなど慎重な姿勢でした。1996年に制定された現在の憲法では、当初大統領の任期は3期を超える事は無いとされまた年齢も75歳までとされていました。この2つの制限はいずれも憲法改正を経てなくなりました。
 こうした過程を経て、現在のウガンダの体制が出来上がったといえます。すなわち経済は開放的にして外資は規制を少なくして積極的にこれを取り入れること。政治については複数政党制を認め議会でも与野党が活発に議論をすることになりました。大統領選挙もムセベニ大統領は6回連続して当選を果たしていますが野党候補も常に20%から30%の得票を得ています。
 この結果2010年あたりからでしょうか、カンパラ市内は見違えるように発展したとよく聞きます。ムセベニ大統領が新しい憲法を制定した1996年は日本で言えば、阪神淡路大震災が起きた翌年です。また本格的な経済成長が始まった2010年の翌年に日本は東日本大震災に見舞われています。我々の記憶に新しい2つの大きな災害の時期はウガンダで社会・経済の大きな変化があった時期に当たります。ウガンダの発展はつい最近に始まったといえます。
 我が国の外交体制についていえばウガンダがケニア大使館の兼任から離れたのが1996年、実際に大使が発令されたのが2003年です。日本の対ウガンダ外交も、ウガンダの発展と足並みを揃えているといえましょう。
 私がカンパラに赴任しましたのは昨年2024年3月です。赴任後1年と少しが過ぎました。この間の一年間でもカンパラ市内は非常に大きく変わっていることが体感できます。例えば、市内のあちらこちらに建設されるビル、高級アパートの数。街の看板も古いものが取り壊され、新しく電光掲示板などが設置されています。日本製の中古車が街に溢れかえっています。ボダボダと言われる客を乗せるバイクはほぼ全てがインド製ですが、文字通り道を覆っています。ボダボダの名称の由来は近隣国との国境を越えるのにバイクが使用されるため「国境=ボーダー」が往復して「ボダボダ」と称されるようになったそうです。それらをコントロールする交通信号システムがようやくカンパラ市内に整備されつつあります。JICAの協力で日本製の信号機が設置されはじめました。この寄稿が皆様に届けられます頃には無償資金協力で建設された交通管制センターが完成している時期です。
 日本のインフラ協力は非常に目立つ場所に設置されています。2018年に完成したナイルを渡るジンジャ橋はその一つ。ウガンダ人はムセベニ政権の功績の1つとするなど2018年に完成した日本製のこの橋を非常に誇りに思っています。今年3月にカンパラフライオーバーと言われる立体交差道路がカンパラ市内に完成しました。今後はフライオーバーの2つ目の設計に入ります。またナイル川にかかる橋では、北西部にカルマ橋が新しく日本の支援で架け替えられようとしています。

カンパラ市内:ボダボダ、建築ラッシュ
ロンドン乗入を果たしたウガンダ航空

トランプ政権の影響と中国の動向
 トランプ政権の政策は多くのアフリカ諸国に影響を及ぼしておりウガンダもその例外ではありません。バイデン大統領の民主党政権下では、反同性愛法(Anti-Homosexuality Act: AHA)が大きな問題となりウガンダ政府は修正を余儀なくされました。ただしAHAの実施面では実際には厳しく施行されたということは聞かれませんでした。トランプ政権下ではUSAIDの援助がどうなるのかという問題があります。実際に多くのUSAID関係者が国を去り現地職員は解雇されました。ただ現場に届く支援は米国国務省経由のものだけではないというのも事実です。民間の支援、NGOを通じた支援などは米国の援助削減の影響が大きくない事業もあります。米国のみならずEU諸国や英国が顕著に援助を削減していることの影響もあるでしょう。中長期の影響を見ていく必要があると見られます。
 中国はインフラや農業分野、医療分野など多岐にわたって支援を行っています。中央政府の直轄事業への支援は多くなく、特定の県や地域に支援を行っているのが特徴です。在ウガンダの中国大使とも意見交換を行う機会は多くありますがいろいろな困難もあるとのことでした。たとえば、中国の支援でうまく立ち上がった水産関係のプロジェクトはウガンダ側が自身で運営できると主張しその意見を尊重し案件を譲渡したところ結局運営はうまくいかなかった、などです。
 ウガンダ政府は中国の支援は条件付きのものなどが多いことから意識的に多額の債務を負わないようにするなど、一定の歯止めをかけた上で支援を受けています。ウガンダ政府はGDPの半分以上の借り入れを行わないことを自己規律にしています。

日本との関係:ウガンダの将来を見据えて
 前述しましたとおりODAでは顕著な日本の貢献が見られます。その一方で、日本の大手企業の投資は残念ながら皆無と言って良い状況です。
 経済の分野でウガンダの最大の話題は石油輸出がいつから実際に開始されるかということです。石油開発はフランスのトタルが中心となっており中国の支援も入っています。ムセベニ大統領は米国企業を誘致したい意向であるといわれましたが結局米国企業の参入はありませんでした。ムセベニ大統領自らもタンザニアやケニアの政治レベルに働きかけ輸出のためのパイプラインの建設が進んでいます。
 マクロ経済は安定しており国際収支、通貨も安定していることはウガンダの強みです。金は実はウガンダ最大の輸出品目であり、ウガンダの国際収支を支えている要因の一つです。その他レアアースもかなりの埋蔵量があると言われています。この分野は近隣のコンゴ(民)なども豊富な資源を有しています。しかし日本企業の進出のためにはなんといっても良いパートナーを見つけることができるかが課題だと感じています。
 本年5月に久しぶりに外務省本省から英利アルフィヤ政務官がウガンダを訪問されました。2023年の林外務大臣(当時)以来の政治レベルの訪問です。
 政務官とムセベニ大統領はエンテベの大統領府でじっくりと議論されました。話題は多岐に及びましたが、今後の開発協力の方向の議論になったとき、大統領の希望は極めて明確でした。なんといってもインフラ建設の支援と投資。さらに人材養成と農業生産品の高付加価値化。これらは明確な開発目標であり現地にいる大使としても全く同感です。

英利政務官とオケロ外務国務大臣
財務省の雑誌の表紙にジンジャ橋

 私が赴任してからの一年間で生活している間にも道路や上下水道が整備され、高層ビルがあちらこちらで建てられています。市内を見ても商品を宣伝する看板が新しくなり、内容も化粧品など高級消費財に移ってきています。日本で既に売られることの無くなった「終わったコンテンツ」がアフリカではまだまだ必要とされていると感じます。中国はそこに目をつけて建設機材や生活用品の工場を工業団地で生産しており地元経済に食い込んでいます。日本企業特に製造業は日本国内の市場は引き続き縮小傾向にあるでしょう。将来的に人口増加と経済成長が見込めるアフリカの消費市場を日本製品の市場とするために今からどのような手段を取るかは日本の製造業の将来にとっても重要だと思います。世界のマーケットの将来の中でアフリカの重要性に気がついた日本企業の動きも少しずつですがここウガンダでも出てきているようです。
 ウガンダ国内政治の課題としてはムセベニ大統領の後継者が未だ見当たらないことでしょう。ムセベニ大統領は7選を目指しキャンペーン中です。来年1月または2月には大統領選挙及び議会選挙が行われます。
 当面直面すると思われる課題は大統領選挙議会選挙に向かって社会不安が高まることです。しかし、80年代以来の内乱と混乱の時期を再び体験したいと考えるウガンダ国民は皆無といってよいでしょう。ムセベニ大統領の悲願は、東アフリカ経済共同体の復活・強化と言われています。かつてイギリスはケニア、タンザニア、ウガンダをまとめる経済官庁を作り経済統合を実現していました。共通通貨、共通の航空会社、鉄道が存在し運営されていたのです。ムセベニ大統領が繰り返し言及するのが「アフリカの夢」です。それは「独立」と「連帯」です。アフリカ諸国は植民地支配を脱して「独立」は達成したが「連帯」はどうなったのか。それがアフリカ経済共同体(AEC)であり東アフリカ共同体(EAC)なのです。このようなビッグ・ピクチャーを語るアフリカの指導者も少なくなってきたと感じます。将来の 50年、100年にわたる繁栄の基礎を築いていきたいというのが、ムセベニ大統領の気持ちだと思います。(了)