3つの花のイベント


在シアトル総領事 山田洋一郎

 前任地のベルギーと現在の任地であるシアトルで、花にちなんだ3つのユニークなイベントに関わる機会に恵まれたので、ご紹介したい。

1.デザインが何とか間に合ったグランプラスのフラワーカーペット
 ブリュッセル中心部にある世界遺産の広場、グランプラスでは、偶数年の8月に縦24メートル、横75メートルのフラワーカーペットが作られ、毎回多くの観光客と話題を集める。2016年は日本とベルギーが国交を開いてから150周年。日本をテーマとするフラワーカーペットが実現した。
 私が在ベルギー大使館の次席公使として赴任したのは2013年9月。その時既に、坂場三男大使による働きかけが実を結び、2016年に第20回を迎えるフラワーカーペットのテーマ国を日本にすることが決まっていた。ベルギーは日本と干戈を交えた歴史がなく、皇室・王室の関係も深い友好国である。2016年の一年を通して様々な行事を行うことにより、「ヨーロッパの首都」であるブリュッセルで日本の存在感を示そうと、関係者は皆意気込んでいた。
 フラワーカーペットのロジは、ブリュッセル市の実行委員会が担当する。大使館の仕事は、テーマ国側の負担額7万5千ユーロの工面と、デザイン案を提示することである。お金の方は、すぐに目処が立った。大使、日ベルギー協会会長、日本人会会長らで構成する準備委員会が設立され、日ベルギー両国の企業に協力を呼びかけた結果、2016年を通じての各種行事のために、30以上の企業が協力してくれた。
 デザインについては、ベルギーと関係の深いデザイン専門家がいたので、2014年夏に話をしたところ、是非引き受けたいと言ってくれた。複数のデザインを作って、2015年1月中旬にフラワーカーペット事務局に提示する必要があった。ところが、2014年の大晦日になって、その人は、これをお使いくださいと、いろいろな所でよく見かける和風文様の断片だけを送ってきた。が、フラワーカーペットのデザインには全くなっていないので使えない。もう時間がない。肝心のカーペットのデザインが白紙状態の中、最悪の気持ちで正月を迎えた。
 年が明けて、ことの次第を石井大使に報告の上、坂場前大使に相談したところ、紆余曲折はあったものの、デザイン・設計会社大手の乃村工藝社の協力を得ることができることになり、2週間後、デザイン案が送られてきた。ファイルを開けてみる。亀甲や青海波など、馴染みの和文様を用いたそれぞれが異なる印象のデザインが10枚。その時の安堵と感謝の気持ちは一生忘れないだろう。早速、印刷して事務局長のカッツ女史に見せに行ったところ、一枚一枚手にとって、どれも素晴らしいと笑顔一杯だった。
 暫くして、鈴木不二絵さんのデザイン「花鳥風月」が採用されたという連絡があり、公式に発表された。その後も、フラワーカーペットとして表現することが難しい模様をどのように微調整するかなど、鈴木さんと事務局との間の連絡役になって数ヶ月間にわたり調整を重ねた。

 2016年8月12日、いよいよフラワーカーペットがグランプラスに出現した。天気は晴。ふと見ると、華道家の假屋崎省吾さんがいる。假屋崎さんをお誘いして、一緒にグランプラスに面する市庁舎のバルコニーからカーペットを見渡した。圧倒的なスケールの「花鳥風月」が目の前にある。地元のテレビ局は実況中継の中で、今まで20回の中でおそらく最高のデザインではないかと言っていた。夜、市庁舎で開催されたレセプションには、ベルギーの名士のほか、石井・坂場両大使夫妻、乃村工藝社の渡辺会長や振り袖姿の鈴木さん、日ベルギー友好議連事務局長を務める柿澤未途衆議院議員夫妻らが出席した。花火と音楽で演出されたグランプラスの賑わいをバルコニーから見て飲むシャンペンは格別だ。日本でもチョコレートで有名なヴィタメールは、この日のために作った長さ2メートル近い砂糖菓子のフラワーカーペットを披露した。
 その3日後、フラワーカーペットの最終日には、海上自衛隊の練習艦隊の旗艦「かしま」がアントワープ港に入港した。白い制服を着用した「かしま」の音楽隊は、特設ステージ上で和太鼓やブラスバンドの演奏を行い、日白友好150周年に盛大な「花」を添えてくれた。

2.爆弾テロ直後のベルギーで草月流家元が魅せたフラワーフェスティバル
 時は前後するが、2016年の4月にはゲントでフローラリア(花祭り)が開催された。日白友好150周年にちなみ、「東西の出会い」という全体テーマの下に、日本が「東」の代表として特別に招待された。フローラリアは、初回の1809年以来、5年に一度の割合で開催されてきた祭りで、その歴史はベルギー独立よりも古い。2016年も入念に準備が進められていた。ところが、3月22日、ブリュッセルの空港と市内の地下鉄の2カ所で同時自爆テロが発生し、多くの犠牲者が出た。空港、商業施設は閉鎖し、公共交通機関も運休となり、ベルギー全体が厳戒体制となった。前年11月にパリで発生した同時多発テロの記憶もまだ鮮明である。フローラリアで公演をする予定だった文化団体のいくつかは訪問を取り止めた。
 フローラリアで日本の目玉となるイベントは、生け花草月流の勅使河原茜家元によるデモンストレーションだ。これも中止になるのだろうか?事件2日後の24日、石井大使は家元に電話を入れて、ブリュッセルの状況を説明された。すると、家元は「このようなときだからこそ、連帯が必要です。自分は予定どおり伺います」ときっぱり述べられた。周りには心配する人が沢山いる。なかなか実践できるものではない。家元の言葉を聞いて涙が出た。

 4月21日にフローラリアは開会し、フィリップ国王御夫妻が日本パビリオンを訪問された。石井大使夫妻と勅使河原家元に付き添われて会場を回られた国王御夫妻は、盆栽に特に大きな興味を示され、「見ていると小さな世界に引き入れられるような気がする」等感想を述べて、多くの質問をされた。そして翌22日夕方に、家元による待望の舞台デモンストレーションが行われた。花瓶に花をアレンジしていく普通サイズの生け花から始まって、だんだん作品が大きくなる。大きな竹を割ると観客から嘆息がもれ、最後にはほぼ舞台全体を使った巨大な展示物を作り上げた。家元は、日本人とベルギー人の混成チームのメンバーに、花や枝の角度などをテキパキ指示していく。オーケストラの指揮者を見ているようである。

 家元が帰国される日、中世からある有名なゲントの運河通りをご案内した。皆で古めかしいバーに入り、ベルギービールで乾杯した。家元に伺うと、「大型の生け花を作るとき、最初から作品のイメージがあるわけでなく、材料を見てから形を考えます。一番楽しい時間はチームで一緒に作り上げる時です。」という。テロにめげずに来て頂けたことに感謝していますと申し上げたら、ニッコリ笑顔をされた。全世界に教師格だけでも2万人いるという大組織の総帥である。肝の座った、明るく非常にチャーミングな女性だった。

3.新型コロナ禍で劇場が閉鎖する直前に実現できた生け花xテクノロジーイベント
 ベルギーの周年行事を堪能したあと、私は2017年6月、シアトルに総領事として赴任した。風光明媚なシアトルは、100年以上前から日本と関係が深く、日系米国人が多く住んでいる。マイクロソフトやアマゾンを中心に人工知能やクラウドコンピューティングの開発と応用が盛んで、世界一位と二位の大富豪が住み、人口増加と経済成長が著しい。日本のコンサルからの提案に乗って、シアトルのスタートアップ企業が日本企業に最新技術を紹介するイベントを、公邸で3ヶ月に一度ずつ開催してきた。
 世界各国から集まるコンピューターのプログラマーの中には、アニメや漫画に慣れ親しみ、日本の文化や伝統に関心を持つ者が多い。自然との共生やわびさびの心を大切にする日本文化は、技術開発に明け暮れる彼らにとって、精神のバランスを保つ上で魅力的に映るらしい。ならば、ハイテクと日本の文化を組み合わせて、東京オリンピックの直前の春に何かできないか?
 シアトルは、すぐ前の海に住むシャチの話題がメディアで頻繁に取り上げられるなど、環境問題に敏感な土地柄だ。自然とつながりの深いテーマがいい。やはり生け花だ。そこで2018年の夏に帰国した際、ベルギーの150周年の期間中に知己を得た小原流の小原宏貴家元を訪問した。最新のテクノロジーを用いて生け花を見せる取り組みができれば、若者の関心を引き、芸術の新たな可能性が開けるのではないか、それをシアトルから発信したいとお話しした。その時はまだ、私にはどのハイテク技術を利用するのか明確な考えもなかった。30歳になったばかりの若い家元はキラッと目を輝かせながらも、どこまで乗ってよい話なのか慎重な様子だった。
 シアトルに戻り、グーグルのクラウド開発部門(シアトルに拠点がある)で活躍する日本人プログラマーと話したら、マイクロソフトのホロレンズというヘッドセットが最適だろうと言って、知り合いにつないでくれた。マイクロソフトの本社に招かれ、ホロレンズを装着してみた。目の前にある物と、AIが作る仮想現実の像が同時に見える。手を伸ばして実在しないボタンを押して操作もできる。これは面白い。
 日本マイクロソフト社から無償で協力を得られることになり、家元自身もホロレンズを体験して手応えをつかんだようだ。一年以上かけて、小原流家元、日本MS、ソフトウェアを開発する南国アールスタジオの3者が話し合いを重ねてプログラムを作った。シアトルでは、当館が生け花インターナショナルやスポンサーの協力を得て、劇場、資金、花材調達などの体制を整える。東京のチームと何度もテレビ会議をして準備を進めた。

 2月27日、シアトルの劇場で、生け花を「複合現実」デバイスで演出する舞台デモンストレーションが、史上初めて実現した。
 最初に、家元が花や木の特徴を説明しながら伝統的な方法で大きな作品を作り、その後、家元がホロレンズを装着し、作られた作品をベースに仮想現実のアートを作り出す。家元の動く姿と、家元がホロレンズを通して見る複合現実の世界が一体化して、大スクリーンに映し出される。山には水が流れ、地面から竹が生えてくる。観客の中でも特に若い人たちがこの企画を面白がってくれたし、家元やソフト開発者たちは、「新しい芸術表現の道を開くことができた」「新たな技術を確立することができた」と言って喜んでくれた。20年前はこのようなことが実際に行えるとは想像もできなかった。地元のメディアのほか、日経ビジネスも記事にしてくれた。20年後に、もし同様のイベントを行うとしたら、どのような技術が使われるだろうか。IT技術の進歩はなんと早いのだろうと思う。
 1年半かけて準備したこの行事は、幸いなことにコロナウィルスの米国襲来が本格化する数日前に実施することができた。イベントの2日後、全米最初のコロナの死者がシアトル近郊で発生した。ワシントン州知事は直ちに緊急事態を宣言し、数日後には殆どの集会やイベントが禁止されてしまった。間一髪だった。

4.終わりに
 3つの花のイベントは、いずれも一歩間違えれば失敗する状況の中、実現する幸運に恵まれた。これらの経験は、自分にとって、日本の持つソフトパワーを認識する機会になった。そして、多分野の方々と創造的な仕事ができるのは、外務省員ならではと改めて感謝する次第である。