2022年スリランカ経済危機と日スリランカ関係
駐スウェーデン大使(前駐スリランカ大使) 水越英明
スリランカ、「光り輝く島」という意味の名前を持つ、インド洋に浮かぶ美しい国。北海道の8割ほどの面積に2千万人ほどの国民が住む。アジアと中東・アフリカを結ぶシーレーン上に位置し、天然の良港に恵まれている。ポルトガル、オランダ、イギリスの各国が植民地として重視していたのも航海・通商上の重要性からだろう。その戦略的重要性は今も変わらない。観光客として訪れるスリランカの海岸や茶畑が続く高地の景色は美しく、リゾートホテルではやさしい笑顔で歓待を受ける。その一方でスリランカの国民の7割をしめるシンハラ人と主にスリランカの北部・東部に住むタミール人との間では長きにわたる内戦が続き、その傷跡はまだ残っている。
そんなスリランカに筆者が着任したのは、2021年11月。予定を繰り上げてスリランカに着任し、3日後にはゴタバヤ・ラージャパクサ大統領(当時)に信任状を捧呈した。大統領の兄であり、二期大統領をつとめたマヒンダ・ラージャパクサ首相(当時)の誕生日にあわせて日程が決められたと言われるケラニ河新橋を含む3件の日本の大型円借款プロジェクトの引き渡し式に間に合わせるためだ。その時点から約3年間駐スリランカ大使をつとめたが、その間に、自分が3年間に3人の大統領を相手にするとはその時点では全く予想し得なかった。

2021年の年末、インフラ建設などで多くの債務(とりわけ中国からの)を抱えている上、コロナの影響で虎の子の観光収入をたたれたスリランカは毎月外貨準備高が減少(2021年11月時点の外貨準備高は1ヶ月の輸入額に等しい15億米ドル)して瀕死の状態だった。その一方、その年にラージャパクサ政権は円借款の都市交通輸送システム(LRT)プロジェクトを不透明な理由で一方的にキャンセルし、日本の援助関係者にはスリランカに救いの手を差し伸べる雰囲気はなかった。
当時、スリランカ政府は色々なルートで日本の支援を求めてきたが、筆者は、スリランカの国際通貨基金(IMF)プログラムの受け入れとガバナンス改革が、日本の支援の大前提であることを説いて回っていた。当時のラージャパクサ政権はIMFプログラムを受け入れるかどうかについては議論が割れていた。もともと大統領選挙の公約の時点から減税、補助金の拡大を旗印にし、不透明な中国による開発金融に寛容なラージャパクサ政権にとってIMFの緊縮政策は受け入れがたいものだった。特に汚職がささやかれるバシル・ラージャパクサ財務大臣やカブラル中央銀行総裁にとってはIMFによって透明性を求められることに抵抗があったに違いない。しかし、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻によって燃料などの国際市況の悪化がスリランカの外貨危機に拍車をかけ、国民は燃料不足からガソリンスタンドでの長蛇の列や長時間の計画停電を強いられた。経済危機により苦しい生活を強いられた民衆による抗議活動は3月31日大統領自宅周辺で暴徒化し、万策尽きたゴタバヤ・ラージャパクサ大統領はついにIMFとの交渉を開始するとともに2022年4月には財務大臣を自分の弟のバシル・ラージャパクサから弁護士出身のアリ・サブリ司法大臣に、中央銀行総裁をプログラム受け入れ反対の急先鋒だった政治家のカブラル氏から中央銀行生え抜きで国際金融交渉経験豊富なウィランシンハ氏に交代させてIMFプログラム受け入れに動き始めた。その一方でスリランカは債務返済能力を失い、4月にはついに債務不履行を宣言し、スリランカに貸し付けをしていた国は、日本を含めローンの支払いを停止した。この間インドだけが燃料などの購入に必要な資金の貸し付けを続けた。
スリランカ経済と市民生活を混乱させたゴタバヤ・ラージャパクサ大統領に対する国民の反発は衰えることなく4月から始まった大統領官邸前での抗議活動には連日数万人単位の民衆が集まった。5月に首相を辞任した大統領の兄のマヒンダ・ラージャパクサ元大統領の後にそれまで野党にいた経済通で元首相のラニル・ウィクラマシンハが首相兼財務大臣に就任するとIMFとの交渉はさらに本格化していったが、連日の抗議活動はおさまることなく、7月9日には暴徒化したデモ隊が大統領官邸に侵入し、直前に官邸から逃亡した大統領は、4日後には海外(モルディブ)に逃亡し、その後正式に辞任した。

突然化学肥料の使用を禁止して食糧危機をもたらすなど失政が多く、惨めな結末に終わったゴタバヤ・ラージャパクサであったが、デモ隊に大統領官邸が包囲されても軍や警察に発砲させることはなかった。
抗議デモが流血につながっていたとすれば、スリランカ政治の正常化、国際社会の信頼回復はずっと難しくなっていただろう。スリランカでは、憲法上大統領が任期途中で辞任した場合には国会議員の選挙により残りの任期をつとめる大統領を選出する。直近の議会選挙では2019年の大統領選挙の余勢を駆って大勝したマヒンダ・ラージャパクサ(元大統領)のスリランカ人民戦線(SLPP)が圧勝して議会で多数を有していたが、党内に適当な大統領候補がいなかったため長年、SLPPのライバル政党、統一国民党(UNP)の党首をつとめてきたラニル・ウィクラマシンハを五月の首相任命に続いて大統領候補に擁立した。ウィクラマシンハは国会議員による投票でSLPPを飛び出して最大野党統一国民戦線(SJB)の支持を得たダラス・アラハッペルマと人民解放戦線(JVP)党首A.K.ディサナヤケを破り、大統領選に勝利した。

それまでに4回首相をつとめたウィクラマシンハ大統領は国際派であり、かつ市場経済指向である。前任者と異なり、民族和解にも関心があり、スリランカの内戦中は首相として「タミール・イーラム解放の虎」との和平交渉にも尽力した。そのため欧米諸国の信頼は厚く、日本との関係も重視する。5月に首相に就任した際は、就任翌日には、早速筆者を首相公邸に招き、LRTプロジェクトのキャンセルについて謝罪し、債務再編とIMFとの交渉の支援を要請した。安倍元総理が銃撃されたときには、自身が候補となっている大統領選挙のさなか、かつ自宅が放火された直後に大使館に弔問記帳に来てくれた。家財道具がみんな焼けてしまってこれしかスーツがないと話していたのが印象的である。大統領に就任したウィクラマシンハにとって最大の課題はまぎれもなく債務問題の解決である。野党のしかも議会に議席が一つしかない党の党首が、大統領に選ばれたのはこの債務問題を解決できる行政手腕を持つ政治家は彼しかいないというコンセンサスが少なくともこの国のエスタブリッシュメントの間にはあったからだろう。
債務問題解決のためにはまずIMFから拡大信用供与措置(EFF)供与を得るためにIMFとの改革プログラムに合意し、次にスリランカに対する債権国との間で債務再編に合意をしてスリランカ経済への信用を取り戻し、停止されている我が国の円借款プロジェクトを含む各国のローンによるプロジェクトを再開させる必要がある。ウィクラマシンハ大統領の下で財務省、中央銀行の国際通のテクノクラートが精力的に交渉を重ね、2022年の9月1日にはIMFとの間のスタッフレベル合意が成立した。より解決が困難なのは、債務再編である。債務破綻した国の債務再編交渉はこれまで西側先進国を中心とするパリクラブで行われてきた。しかし、スリランカの場合、最大の債権国は、中国(2国間債務の約50パーセント)、2位は日本(同約16パーセント)、3位はインド(同11パーセント)だが、中国もインドもパリクラブには参加していない。主要債権国が話し合うプラットフォームが存在しないのである。
この困難な状況を解決するには日本の支援を得るしかないと考えたウィクラマシンハ大統領は9月には安倍元総理の国葬儀に参加するために訪日した機会を利用して、当時の岸田総理、林外務大臣と会談した後、アジア開発銀行の総会出席のためマニラに行き、鈴木財務大臣とも会談して、それぞれの会談で債務再編に関する日本の支援を要請した。
こうした状況の中で我が国財務省はスリランカの債務再編を協議する場として日本、インド、フランスが共同議長をつとめる公的債権国会合(OCC)の立ち上げを主導した(中国はオブザーバー参加)。債務再編の協議は難航したが、日本のサポートにより2023 年11月には基本合意が成立した。その一方で財源不足に苦しむスリランカに対しては補正予算により食糧、医薬品、病院への燃料支援等を重点的に行った。さらに2024年7月にスリランカとOCCの間にMOUの署名が完了すると我が国は翌日にはスリランカのデフォルト以降中断していた円借款の貸し付け実行再開を発表した。またこの間スリランカ経済は急速な回復をとげた。

史上最大の国難ともいわれたスリランカの経済危機への日本の積極的なサポートは、連日大きく報道され、苦しいときの真の友人、日本というイメージは着実に定着したといえる。
またこの間、筆者は、前政権と異なり北東部のタミール人との民族和解に熱心なウィクラマシンハが大統領になったことを好機と捉え、スイス及び南アフリカの大使と協力してシンハラ・タミール双方の関係者と話し合いを重ね、民族和解のための環境づくりにも取り組んだ。
債務問題にようやく解決のめどがたつなかで大統領選挙が近づいてきた。スリランカの経済改革に取り組んだウィクラマシンハ政権は国際的な評価は高いが、国民の支持はなかなか上がらない。前大統領の失脚のあと、マヒンダ・ラージャパクサ元大統領率いるSLPPの支持によって大統領に当選した経緯やラージャパクサ政権から多くの閣僚を引き継いだことによる印象の悪さに加え、財政改革のための増税や補助金削減も一部経営者やエリート層の支持はあっても一般民衆の支持は得られなかった。世論調査では、それまで国会に三議席しか持たない人民解放戦線(JVP)の党首A.K.ディサナヤケが腐敗の一掃とシステムチェンジを唱えてリードし、最大最野党統一人民戦線(SJB)の党首プレマダーサがそれに続いた。2024年9月、筆者は選挙戦のさなか駐スウェーデン大使の発令を受けた。ウィクラマシンハ政権との間では債務問題に関する協力でこれ以上望めないというほどの良好な関係を築いたが、来るべき新政権との関係を築かずに離任するわけにはいかず、またせっかくここまで来た経済改革路線を覆されては、これまでの努力が水の泡である。大統領選挙が迫る中JVPやSJBの幹部とも会合を重ね、誰が政権を取っても債務再編合意とIMFとの協力を前提に日本の円借款のディスバースメント再開によりスリランカの経済回復を支えていく決意であることを説いて回った。
2024年9月21日、ついに大統領選挙が行われた。人民解放戦線のディサナヤケ候補が予想以上の得票を得て当選した。スリランカ独立以降長年続いたUNPとSLFP(及びUNPから分離したSJBとSLFPから分離したSLPP)の2大政党による政治からの決別は2022年にゴタバヤ・ラージャパクサ政権を打倒したアラガヤの第二幕とも言えるものであろう。国民の既存政治への強い不信はここまで強かったのかという思いを新たにした。筆者は、離任までに残された1ヶ月の間、新政権との関係構築のために最大限の努力を払った。幸い就任式直後に他の大使に先駆けて新大統領に表敬訪問を行い、アマラスーリヤ新首相にはちょうど10月に行われた新大使館事務所オープニングレセプションに出席をしてもらう等新政権と太いパイプを築いてから離任することができた。JVPと言えば、1970年代、80年代には武装蜂起も行ったシンハラ民族主義傾向が強い過激なマルクス主義武装組織(ただしその後穏健化し、武装闘争は放棄した)というイメージが強いが、実際に会ったディサナヤケ新大統領はこれまでに会ったスリランカのどの政治家と比べても気さくで謙虚な人物であった。これまでの利権政治を終わらせたいスリランカの民衆にとっては理想的な大統領だったのだろう。

筆者の離任後の動向については、十分にフォローできていないが、スリランカ経済は順調に回復しており、2022年にマイナス7.3パーセントだったGDP成長率は、2024年にはプラス5パ―セントを記録した。またディサナヤケ政権は選挙戦で批判していた債務再編やIMFとの合意について覆そうという動きは示していない。筆者としては、スリランカ史上最大の国難と言われた経済危機の際の我が国のスリランカ支援がスリランカ経済の長期的な発展に貢献し、日スリランカ間の友好関係の歴史の重要な一ページとして永く人々の記憶に残ることを願っている。(了)