<帰国大使は語る>西側諸国との対立が続く産油国・ベネズエラ


前駐ベネズエラ大使 岡田憲治

 2016年10月から2022年2月まで駐ベネズエラ大使を務めて最近帰国した岡田憲治大使は、インタビューに応え、ベネズエラの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係等について、以下の通り語りました。

―ベネズエラとはどんな国ですか。その魅力は何ですか。

 ベネズエラは、カリブ海に面した南米に位置し、人口は、2795万人(2021年)、面積は、日本の約2.4倍です。1498年コロンブスが3回目の航海の際、発見しました。

 ベネズエラと聞いて、まずギニア高地を思い起こす人も多いようです。ギニア高地は、20億年の歴史を持つ未開の地であり、シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルの小説「失われた世界」に紹介され、その後、スティーブン・スピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」などの作品にインスピレーションを与えたと言われております。

 次に石油の産出国としても知られています。天然ガスの埋蔵量も世界第7位、その他、金、鉄鉱石、ボーキサイト、ダイヤモンドなどの天然資源の宝庫と言えます。ベネズエラでは、1914年から石油の開発が始められ、20世紀には代表的な石油輸出国でした。OPECの創設国の一つでもあります。原油の確認埋蔵量は、オリノコ川北岸の超重質油(オリノコタール)も含め3038億バレル(2021年、BP統計)と世界第1位を誇っております。

 現代ベネズエラを代表する人物は、中南米における反米左派の指導者であったウーゴ・チャベス前大統領でしょう。1999年2月、低所得者層の高い支持を得て大統領に就任。旧支配体制の打破、公正・平等な社会の実現、中南米を米国の影響力及びネオリベラリズムから解放し、地域統合を志向する「ボリバル革命」を推進しました。それとともに、「21世紀の社会主義」を標榜し、新憲法の制定、低所得層支援の推進、基幹産業の国有化等を行い、体制を強化しました。しかし、病気により59歳で亡くなりました。

 ベネズエラは、音楽でも、オーケストラ活動を通じて貧困等の社会課題に取り組むことを目的に始まった音楽教育プログラム「エル・システマ」が知られております。エル・システマの理念に基づいて日本国内で作られたエル・システマ・ジャパンは「文化・芸術による地域づくりの推進」分野で貢献されたとして2021年度「国際交流基金地球市民賞」が授与されました。

 スポーツでは、野球が盛んであり、米国のみならず、わが国でも多くのベネズエラ出身の野球選手が活躍しております。横浜DeNAベイスターズ監督を務めたラミレス選手もベネズエラ出身であり、多くの日本人に愛されております。チョコレートの原料である良質なカカオ生産国でも有名です。
このように、ベネズエラは、魅力溢れた国と言えましょう。

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 私は、2016年10月から2022年2月までベネズエラに在勤しました。この5年余の在勤期間中、ベネズエラでは、2人の大統領「マドゥーロ大統領」と「グアイド暫定大統領」の併存をはじめ政治・経済面で国際社会も関与する多くの出来事が発生し、マスコミでも大きく取り上げられました。その出来事は、1999年チャベス政権が発足したことに端を発しております。2013年チャベス前大統領の死去に伴う大統領選挙で辛勝したのがニコラス・マドゥーロ大統領です。2018年5月に実施された大統領選挙では主要有力候補の大半が立候補できない状況下で、即ち、勝つことが事前に決められた状況下で、マドゥーロ大統領は、再選されました。この選挙に対し、G7は選挙プロセスを拒否するとの首脳声明を発出しましたし、EUやリマ・グループ(ベネズエラ問題解決のために2017年に米州12か国で結成されたグループ)も選挙は正統性を欠くとして、結果を拒否しました。

 2019年1月、マドゥーロ第二次政権が発足しました。国会議長に指名されたフアン・グアイド氏は、マドゥーロが正統な大統領ではないとして、憲法の規定に基づき、大統領不在の期間、国会議長が選挙を実施するとして暫定大統領である旨宣言しました。この宣言を受け、米国、カナダ等リマ・グループ加盟国、英独仏西等EUの多くの加盟国がグアイド暫定大統領を承認、計60か国近い国がグアイド暫定大統領を承認しました。この結果、2019年には二人の大統領が併存するという状況が生まれ、ベネズエラ国内のみならず、国際社会も、何れを大統領として承認するかで二分されました。

 グアイド暫定大統領はマドゥーロ氏による簒奪を終了させる試みとして、2月下旬、米国の支援の下、多くの人道支援物資を、コロンビア、ブラジル国境から搬入させようとしますが、国家警備軍やコレクティーボ(政府支持派武装組織)により阻止され失敗に終わりました。その後、グアイドは、5月1日に国軍の兵士たちにマドゥーロ氏から離反するよう決起を呼びかけました。右決起は前日、4月30日未明に実行されましたが、軍人の離反は広がらず失敗に終わりました。米国は、パドリーノ国防大臣、モレノ最高裁長官、フィゲロSEBIN(政府の諜報機関)長官(決行直前に国外に脱出)らがグアイド側と内通していたことを暴露しました。これらの試みの失敗により、国民のグアイド氏への期待が薄れ、求心力が急速に低下することとなりました。

 ベネズエラ問題には、国内の与野党のみならず、米国、ロシア、中国、キューバなどの国が関与を強めてきました。特に、2017年1月に発足したトランプ政権は、時には武力行使の可能性を示唆しながら、強い制裁措置(個人制裁のみならず経済制裁も含む)を講じることにより、マドゥーロ打倒を追求するグアイド暫定大統領等の野党を支援してきました。

 経済状況も、マドゥーロ政権下、急激に悪化しました。IMFによれば、GDPは2016年から毎年2桁台のマイナス成長であり、2013年マドゥーロ大統領就任後GDPは約8割減少しました。さらに、2018年にはインフレ率が6万5千パーセントになり、それ以降もハイパーインフレが続いています。そのため、2018年、2021年にはデノミが実施されました。またベネズエラの外貨収入の95%を占めていた石油輸出ですが、私が着任した当時、日量220万バレルであった原油生産高も、日量55万バレル(2021年平均)へと落ち込んでいます。このような経済・社会状況の悪化を受け、2013年のマドゥーロ大統領誕生以降、約600万人のベネズエラ人が国外に逃れることとなり、中南米地域の不安定化要因にもなっています。

―ベネズエラと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 日本人がベネズエラに初めて移住したのは1928年です。また、日本とベネズエラとの外交関係が樹立されたのは1938年であり、第二次大戦の一時期を除き、両国間では80年以上にわたり経済関係を中心に良好な関係が維持されてきました。

 最近では、2018年に実施された大統領選挙に対し、G7はその選挙プロセスを拒否するとの首脳声明を発出、日本も、これを受けベネズエラの自由で公正な選挙を通じた民主化を求めるとの立場をとっています。2019年2月には、政治・治安状況の悪化を受け、ベネズエラに対する渡航情報(危険情報)のレベルを2から3に引き上げました。この危険情報の引き上げを受け、当地在住の日系企業関係者(二水会)、日本人学校教師等の在留邦人が退避することとなりました。2020年3月には、コロナウイルスの発生により非常事態宣言が出されました。2021年6月末になってカラカス等一部地域の危険情報はレベル2へと引き下げられましたが、コロナウイルスの影響もあり、一時退避した日本人がカラカスに再び定住するには暫く時間がかかると思われます。また、引き上げ以降、休校している日本人学校の再開に目途が立ちにくい状況にあります。

―大使として、特に力を入れて取り組まれたことはありますか。

 前述しましたように、2018年の大統領選挙の際、G7は選挙プロセスを拒否するとの首脳声明を発出し、2019年以降、自由・公正な選挙の実施を求めるとの立場をとっています。日本も、G7の一員として外務報道官談話等を通じ、ベネズエラの民主主義の回復を求めています。G7メンバーの中でも、米国、カナダは、2019年以降大使館の閉鎖に追い込まれましたので、カラカスに実館を有しているG7各大使館(英、独、仏、伊、EU)及びEU各国大使館(スペイン、オランダ、ポルトガル他)との協調、連携の強化に努め、G7として一致した行動がとれるように留意しました。

 第二に、ベネズエラ国民を対象に日本の文化・政治・歴史、アジア情勢に関し、テレビでのインタビュー、大学での講演等により、広報することに力を入れました。ベネズエラ国民は、日本の文化・伝統・生活習慣などに関心を持っており、国民レベルでの関係促進のためには広報活動は重要です。

 第三に、日系企業支援にも努めました。日系企業はマドゥーロ政権との間で様々な問題(例えば、ビジネスで獲得した現地通貨の外貨への交換問題等)を抱えており、私としては、ベネズエラ外務省高官はもとより、貿易・国際投資大臣に対しビジネス環境改善に向けた働きかけを行いました。また、2019年2月から近隣国に退避した日系企業関係者に対し、オンラインで現地情勢を説明することに努めました。

―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 私は今迄、ドイツを始め幾つかの国で勤務しましたが、ベネズエラ在勤ほど、わが国がG7のメンバーであることを強く意識し、G7各国と連携して行動したことはありません。前述しましたように、2018年5月の大統領選挙プロセスを拒否するとの立場から、G7を始め欧米各国は、自由で公正な選挙の実施を求めるとの立場をとり、2019年1月以降のマドゥーロ大統領の正統性に疑義を有するとの立場をとりました。この基本的立場から、G7各国やEU各国と連携し、自由で公正な選挙の実施を求める旨の外務報道官談話の発出や、マドゥーロ大統領の就任式、2021年1月のマドゥーロ派がコントロールする国会の開会式等にもEU各国大使館同様欠席するとの対応をとりました。このようなことから、現地においてはEU各国大使館同様、日本大使館もマドゥーロ政権との間では、難しい関係が続いています。

 次に、ベネズエラ国民から、第二次大戦による荒廃にもかかわらず戦後経済成長を遂げた日本に対し高い評価を聞かされ、わが国の規律を始めとする精神文化、伝統、社会システムに対し、日本人として誇りを感じたことです。ベネズエラでは、トヨタに象徴される日本の経済・技術のみならず、日本の伝統・現代文化に対する関心が高いと言えます。また、新型コロナウイルスという厳しい環境の下、素晴らしい感染対策を行い、東京オリンピック・パラリンピックを成功裏に実施したことに対し、多くのベネズエラ人から高い評価を頂いたことも、誇らしく思いました。