<帰国大使は語る>小さくてもキラリと光る国・ウルグアイ


前駐ウルグアイ大使 眞銅竜日郎

 2018年3月から2021年10月まで駐ウルグアイ大使を務めて最近帰国した眞銅竜日郎大使は、インタビューに応え、ウルグアイの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。

―ウルグアイはどんな国ですか。その魅力は何ですか。

 ウルグアイは「小さくてもキラリと光る国」です。地理的には日本からみると地球の正反対に位置しており、距離的に最も遠い国ですので知名度は限られていますが、日本を重視する大切な友好国です。日本とウルグアイは「絆・KIZUNA」で結ばれています。ウルグアイは民主主義、法の支配、人権擁護等の価値観を尊びます。自由貿易を堅持し、市場の拡大・開放を唱えています。ラカジェ・ポウ大統領が率いる現政権、ムヒカ大統領、バスケス大統領の前政権は日本を信頼できる国と位置付けており、多くの事案で日本を支持しています。たとえ、距離的には遠くても、ウルグアイは日本と普遍的価値観を共有する国際社会の優良なパートナーなのです。

 ウルグアイには350万人の国民が、日本の約2分の1の面積の国土に暮らしています。全国的になだらかな草原が広がっており、自然放牧の牧畜業が盛んです。特筆すべきは、人口350万人に対して、牛は1,150万頭、羊は660万頭が生育しています。世界的に食糧不足の事態が起きても他国に供給する十分な能力を保有しています。ウルグアイ人が1年間に食する牛肉の消費量は約50キログラムにのぼり世界最高水準、日本の7倍の規模です。とても美味しい肉とワインが特産品です。

 日本人は南米・ラテンアメリカと聞くと、陽気で賑やかな国民を想像しますが、ウルグアイ人は穏やかで堅実なのが特徴です。安定した政治、成熟した民主主義は高く評価されています。ウルグアイは中南米では一人当たりGDP、民主主義指数、腐敗認識指数、法治指数の各項目で第1位にあります。ウルグアイは「小さくてもキラリと光る国」なのです。

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 私が在任中、日本とウルグアイ関係において画期的な進展が数多くありました。
第一に、安倍総理大臣が2018年12月、日本の内閣総理大臣として史上初めてウルグアイを公式訪問しました。2018年は日本人ウルグアイ移住110周年であり、バスケス大統領との首脳会談で両国の100年以上に亘る友好に根ざした協力関係を一層発展させることを確認しました。安倍総理大臣は在ウルグアイ日系人・在留邦人と懇談を行い、参加者全員と握手を交わし丁寧に話し掛けました。日系人、在留邦人にとって生涯忘れられない歴史的な一日となりました。日本人が移住して110年の長期間に亘り営々と積み重ねてきた努力により、日本人は勤勉、正直との評価が確立しています。在ウルグアイ日系人の念願であった総理大臣の来訪を叶えてくださった安倍総理大臣、総理官邸、外務本省、関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。

(写真)安倍総理大臣とバスケス大統領の首脳会談(@大統領公邸)

 第二に、2019年に実施された大統領選挙において、15年続いた中道左派政権から中道右派政権に政権交代しました。大統領選挙、決選投票、及び、2020年の大統領就任式までの政権移行プロセスは平和裡に行われ、暴力行為、テロ事件は起きませんでした。中南米地域におけるウルグアイの民主主義の安定度は特筆に値します。
 2020年3月1日に執り行われたラカジェ・ポウ大統領の就任式に日本国特派大使として、河村衆議院議員(日本・ウルグアイ友好親善議員連盟会長)が訪問しました。ラカジェ・ポウ大統領は河村特派大使との会談で、「日本との関係は極めて重要である。2021年は外交関係樹立100周年を迎える節目の年となる。100周年のハイライトとして私自身が訪日して締め括りたい。」と語り、訪日への強い意思を示しています。
 しかし、ラカジェ・ポウ大統領の就任式から12日後の3月13日、ウルグアイでコロナ感染が確認され、緊急事態宣言が発出されて状況は一変しました。コロナ禍はウルグアイでも猛威をふるいました。2020年3月以降、コロナ禍が長期化する困難な状況下、可能な方策を見出しながら外交活動を展開しました。

(写真)大統領就任式でのラカジェ・ポウ大統領、河村特派大使

 第三に、茂木外務大臣が2021年1月、ウルグアイを公式訪問しました。日本・ウルグアイ外交関係樹立100周年の記念式典を茂木大臣に開幕して頂きました。日本の外務大臣の訪問は1986年にガット・ウルグアイ・ラウンドの閣僚会議で倉成外務大臣が来訪して以来、35年振りです。茂木大臣はラカジェ・ポウ大統領、ブスティージョ外務大臣と会談を行いました。両国外相は外交関係樹立100周年の式典を行い、記念ロゴマークを発表しました。加えて、税関相互支援協定に署名を行いました。ウルグアイが外国の主要閣僚を受け入れたのは、コロナ感染が発症して以降では初めてであり日本を重視する証左となりました。

(写真)茂木外務大臣とブスティージョ外務大臣が「日本・ウルグアイ外交関係樹立100周年」記念式典にてロゴマークを除幕

―ウルグアイと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 ウルグアイと日本は物理的な距離を超えて「絆・KIZUNA」で繋がっています。2021年に両国は「日本・ウルグアイ外交関係樹立100周年」の佳節を迎えました。100周年を祝賀し、次の100年を視野に入れてレガシーを遺す各種事業を実施するべく「日本・ウルグアイ外交関係樹立100周年記念事業実行委員会」を立ち上げました。具体的な記念事業として、記念ロゴマークの選定、100周年記念切手の発行、国会議事堂での式典、桜の全国での植樹、記念碑の建立、記念セミナー等を展開しています。国会議事堂での記念式典は、アルヒモン副大統領兼上院議長から高配を頂き、議会と大使館が共催しました。副大統領兼上院議長、下院議長、友好議員連盟議員等が参列しました。ウルグアイで最も重要な建築とされる国会議事堂を貸し切り、日本だけを対象とする記念式典を開催したのは初めてになります。ラカジェ・ポウ大統領、ブスティージョ外務大臣は訪日ヘの強い希望を述べます。コロナ禍に阻まれていますが、要人をはじめとする往来が実現するよう願っています。

 私は将来に繋がる両国関係の発展に夢を託して、桜の全国での植樹プロジェクトを開始しました。そして、日本国大使としてウルグアイの19県を全て訪問しました。経済協力、草の根支援事業での地方訪問に加えて、桜の植樹を全国で展開しています。発案者である私の願いは、桜が両国の絆・信頼関係のシンボルとして成長し、未来に向けて花を咲かせることです。私の提案に対して、各県の知事、首長が前向きに応えてくれています。多くの県で県庁前の中央広場、縁となる主要な場所に首長と一緒に桜を植樹しました。植樹する桜の根元に設置する記念プレートには大切なキーワードである「絆・KIZUNA・VINCULO」の文字を刻んでいます。
 さらに、ラカジェ・ポウ大統領夫妻の厚意を受け、大統領公邸に桜を植樹しました。大統領夫妻は桜を植える場所として、安倍総理大臣がバスケス大統領との首脳会談の際、両首脳が歩いた庭園を提供されました。大統領公邸の庭園の中心に位置する特等地です。ロレナ大統領夫人は造園家として知られます。私と一緒に桜を植樹したロレナ大統領夫人は、「これまで大統領公邸に桜の木はなかった。初めて植樹できて光栄。私が責任をもって育てる。両国の絆の象徴として桜が綺麗な花を咲かせることを心待ちにしている。」と語りました。

―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。

 私は「チーム・絆・KIZUNA」を唱導し、チームワークの重要性を説いて大使館を牽引してきました。私は特命全権大使を拝命するまで、日本貿易振興機構(ジェトロ)に奉職しました。「貿易と投資を双方向で促進し、WIN-WINの関係を構築するのが重要」との信条を掲げて精励しています。ジェトロで培った経験を活かして貢献するべく、ウルグアイで初めてとなる各種事業を展開して新たな付加価値を生むように取り組みました。
 これまでの実績を挙げます。第一に、ウルグアイの主要産品である牛肉と日本産和牛の相互輸出を実現できました。安倍総理大臣が公式訪問した際、バスケス大統領との首脳会談で、牛肉の相互輸出解禁を発表しました。2000年に口蹄疫が発生して以降、19年の歳月をかけて対日輸出が可能となりました。衛生基準が最も高い日本市場への輸出は、ウルグアイ産牛肉の品質が認められたことを意味するとウルグアイ政府は感謝し最大級の評価をしています。2019年に輸出解禁されて以降、牛肉は2年間で対日輸出品目の第1位に成長しています。最近では、日本の小売店、レストランでウルグアイ産牛肉を一般消費者が購入できるようになり画期的な進展がみられます。同様に、一方通行ではなく、双方向の貿易の具体例として初の日本産和牛の対ウルグアイ輸出を実現できました。初めてウルグアイに到着した和牛をバスケス大統領夫妻に公邸で召し上がって頂きました。
 私はムヒカ元大統領、バスケス大統領、ラカジェ・ポウ大統領の現職、歴代大統領と積極的に交流を重ねて信頼関係を構築しました。3名の現職、歴代大統領には大使公邸に合計6回、お越し頂いて公邸会食を差し上げて歓談し、絆を深めました。皆様は和牛を食して、「口の中に入れた途端に溶けた。ウルグアイ人は自国の牛肉に誇りを持っているが、和牛を食べて認識が変わった。」と、異口同音に感嘆の声を上げます。
 タバレ・バスケス大統領は癌治療を専門分野とする医師です。医療福祉政策を重視するバスケス大統領に日本が開発したパロ・セラピーロボットを初めて紹介し、大統領ご夫妻に日本の優れたサービス・ロボットの癒し効果を体験して頂きました。小児病院に寄贈したパロ・セラピーロボットは小児癌と闘う子供達に寄り添い、癒し続けています。

(写真)バスケス大統領と眞銅大使(@大統領公邸)

 第二に、貿易投資を促進する制度の整備を行い、租税条約と税関相互支援協定が発効しました。両国の進出企業からの要望に応えるべく長年取り組んできた「日本・ウルグアイ租税条約」が2021年7月に発効しました。加えて、「税関相互支援協定」が10月に発効しました。2017年に発効した「投資協定」と合わせて、貿易投資、ビジネス環境の向上に資する三本柱となります。

 第三に、東日本大地震被災地の日本酒を初めて輸出しました。私は東日本大地震が発生した2011年以降、震災復興支援に継続して取り組んでいます。地震で被災した岩手県の酒蔵が生産する日本酒の対ウルグアイ輸出を初めて実現できました。ウルグアイには日本食材店、確りとした日本料理店がありません。これまでウルグアイでは本格的な日本酒は販売されておらず、初めて小売店で入手できる進展がありました。

―ホセ・ムヒカ大統領夫妻と絆を深めた話を聞かせてください。

 私は、ホセ・ムヒカ元大統領とその夫人であるルシア・トポランスキー前副大統領と桜と菊の花を通じた交流を行い、絆を深めました。私はムヒカ大統領の自宅に桜の木を寄贈して一緒に植樹を行いました。ムヒカ大統領は、「眞銅大使、自宅の庭に初めて桜を植樹できて嬉しい。私とルシア夫人には子供がおらず跡取りがいない。私は85歳と高齢になった。遠くない将来、天に召されるであろう。その時は眞銅大使と一緒に植えた桜の隣に埋葬してもらい、桜の花を愛でながら永眠する考えである。」と語りました。ムヒカ大統領夫妻から答礼として、大統領が自宅農場で栽培した見事な菊の花を2年に亘り頂戴しました。ムヒカ大統領が農場で栽培する菊は若い頃、日系人から栽培方法を学んだものです。ムヒカ大統領は「日本人の勤勉で真摯な姿勢に感銘を受けた。長い歴史、文化と現代の最新技術を両立させる日本を尊敬する。自宅農場で日本製の農業機械を用いているが故障したことがない。信じられないほど優秀である。」と語ります。

(写真)ホセ・ムヒカ元大統領とルシア・トポランスキー前副大統領夫妻の自宅に桜を植樹

―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 日本から地理的には最も距離の遠い南米・ウルグアイですが、両国の心の「絆・KIZUNA」は強く繋がっています。震災復興支援における絆を象徴する出来事として、2019年のラグビーワールドカップにおいて、ウルグアイは釜石鵜住居復興スタジアムにてフィジーと対戦し歴史的な勝利を飾りました。復興スタジアムを埋めた満員の観衆、子供達はウルグアイ国歌をスペイン語で歌って声援を送りました。ウルグアイのガミナラ主将は、「震災、津波の犠牲者に祈りを捧げた。日本から最も遠い南米の小国から遠征した我々は完全にアウェイであると考えていたが、子供達がスペイン語でウルグアイ国歌を斉唱してくれて感動した。ホームで試合する気持ちに変わった。日本との絆が我々に勇気と力を与えてくれて歴史的な勝利に繋がった。」と述べました。ウルグアイは大地震の発生時、真っ先に支援を表明し義捐金に加えて緊急支援物資として主要肉製品であるコンビーフを被災地に届けました。ムヒカ大統領は「地震と津波の惨状を目の当たりにして衝撃を受けた。直ちに日本への緊急支援を指示した。」と語ります。
 日本を重視するウルグアイが南米で、小さくてもキラリと輝きを放っていることを覚えて頂けると幸いです。
 在任中はコロナ禍の困難に直面しましたが、大使館の皆で力を合わせて前を向き、チームワークを発揮して乗り越えました。この間、一貫して大使館を支援して頂いた外務本省、関係者の皆様、そして、共に精励した館員、現地スタッフに深甚なる謝意を表します。