<帰国大使は語る>困ったときの真の友・クウェート


前駐クウェート大使 高岡正人

 2019年12月から2022年1月まで駐クウェート大使を務めて最近帰国した高岡大使は、インタビューに応え、クウェートの位置づけとその魅力、在任中の出来事や経験したこと、クウェートと日本との関係などについて以下の通り語りました。

―2019年12月にクウェートに着任されましたが、その時、何が印象に強く残りましたか。

 着任挨拶の際に皆さんが口を揃えて言われたことは、「あなたは一年を通して最高の時期にいらっしゃいました。夏は本当に苦しいですから。」でした。確かにその時節の気候は快適でしたが、長くて厳しい夏を体験しなければその有り難みは分かりません。中でも、気温が50度近くに達する6〜8月頃は、屋外では身体が炎に包まれている感覚です。この灼熱の砂漠に何故人々が暮らしているのかとの根源的疑問さえ頭に浮かびましたが、答えは簡単。エアコンの発達と、オイルマネーの豊かさですね。
 また、クウェートは約5百万人の国(うちクウェート国籍者は約150万、人口の7割が外国人)ですが、その規模の割に外交団の規模が大きい。110以上もの国から大使が派遣されていることは意外でした。その理由を考えると、やはりオイルマネー。一つは、国外居住者(expats)の受け入れ国であるクウェートの重要性です。失礼ながら普通のクウェート人は真面目に仕事をしないので、海外からの人材がクウェートのあらゆる分野で職を得て暮らしています。それぞれ100万人、70万人程度を擁するインド、エジプトを筆頭に諸外国にとってクウェートは雇用、送金等貴重な機会の提供国です。また、夫々のコミュニティーは本国社会と密に繋がっているので、各国大使館は自国民への対応や政府当局との調整に大きな精力を注いでいます。特にコロナ禍のために外国人の出入国、滞在が厳しく規制される昨今、領事業務の重要性はこれまで以上に高まっています(ちなみに、湾岸戦争前には3〜4千を数えた在留邦人数は、その後減少し、現在は約150人)。
 さらに、クウェートは援助供与国でもあります。クウェートでは豊富なオイルマネーを原資とする基金(Kuwait Fund for Arab Economic Development)が借款、無償資金協力を通じて(アラブ圏に限らず)世界各地で援助プロジェクトを実施しています。また、クウェート赤新月社による人道支援活動も積極的です。そのため、何かと助けてくれるクウェートとの関係強化が重要であるとの意識が諸外国にあります。
 他方で、クウェートの視点に立てば、数多くの国の大使館を誘致することが、安全保障に資するとも言えます。つまり、1990年のイラク侵攻からの教訓として、小国クウェートは自国のみでは安全を守れない、可能な限り多くの国と友好を結び、味方になってもらうことが必須であるとの考えが国家生存の命題になっています。

―中東と言えば、何かと危機や混乱が目立ちますが、クウェートの立ち位置はどのようなものですか。

 クウェート自体は、平和で落ち着いています。湾岸諸国の中では民主主義が根付いて、自由な政治・文化風土に対する誇りが感じられます。他方、周囲を見渡せば、イラン、イラク、シリア、レバノン、パレスチナ、イエメン等々不安が尽きません。その波乱からどのようにして身を守るかにクウェートの命運がかかっています。昨年、カタールを巡る湾岸協力理事会(GCC)内の亀裂が漸く修復しましたが、2017年の危機発生以降、当時のサバーハ首長が関係回復のための仲介に取り組んだのは、同国にとってのsafety netであるGCCがまとまることが何よりも重要であるとの考えが背景にあったと思います。2020年1月に生前のサバーハ首長に信任状を奉呈した機会に私からクウェートの仲介努力に対する評価を述べたところ、首長が力を込めて平和の重要性を語られたお姿が今も鮮やかに思い起こされます。
 個人的エピソードとして、クウェートの地政学的難しさを痛感したのは、自分にとって格好の息抜きであったセーリングの時です。ボートから美しいクウェートの海岸線を眺めながらも、水平線の向こうには大国イランが険しく構え、北には(今は弱体化しているものの)かつて暴虐を尽くしたイラクが控えているという物騒さ、そして、その他はBig Brotherであるサウジアラビアがクウェートを囲んでいるとの現実です。インド洋に至るには長くて狭いペルシア湾を通航しなければなりません。その逼塞感は海に囲まれた日本の場合と比べようがないでしょう。そして、30余年前のイラクによる侵攻という歴史的実体験によって国家というものがいかに脆弱であるかとの観念が国民意識の中に刻み込まれているように思えます。

―日本にとってクウェートとはどのような存在ですか。

 世界有数の石油埋蔵量を誇るクウェートは、日本にとって主要な石油の輸入先であり(サウジアラビア、アラブ首長国連邦に次いで三番目、またはカタールに次いで四番目)、同国からの安定供給は日本にとって大きな意味を持ちます。歴史を辿ると、1950年代の終わりに我が国のアラビア石油社が当時「日の丸油田」と呼ばれた自主開発油田を獲得したのが関係の始まりで、これをきっかけに日本企業のクウェート進出が進み、多くのインフラ建設も日本勢の主導によって行われたようです。目下のクウェートでの日本のプレゼンスと言うと、最大シェアを誇る日本車と日本食、アニメ人気が中心なので、「今は昔」の感がしますが、クウェートのそれなりの方は当時日本側と密接なやりとりがあったことをよく覚えておられます。クウェート最高の科学研究所(Kuwait Institute for Scientific Reserch)は油田確保の絡みでアラビア石油の協力によって設立されたもので、最初の二代の所長が日本人であったことは同研究所の玄関ホールを飾る肖像写真によって記憶されています。

―他の国々にとっても『クウェート=重要な産油国という位置付けでしょうか。

 そうとは言い切れません。世界のエネルギー市場の安定にとってクウェートは重要な要素ですが、クウェートから石油を大量に直接輸入する国は、日本の他は、中国、韓国、インドなどで、必ずしも多くありません。また、石油はコモディティーであるとの意識も作用していると思います。むしろ、諸外国からはクウェートの豊かな資金がどう使われるかに関心があるように思えます。前述の通り、expatsの受け入れ、援助という面もあるでしょう。また、インフラ受注の面で、目下の日本企業の役割は限られていますが、中国、韓国などは非常に積極的に動いており、石油・電力関連事業のほか、橋梁建設、LNG基地、都市開発等種々の実績が目立ちます。また、中国は通信サービス面でHuaweiの進出が顕著である他、「一帯一路」の観点から、イラク、イラン国境近くでの「シルクシティー開発構想」に関心を寄せています。
 一方で、クウェートからの投資マネーへの期待も多くの国に見られます。殊にクウェート投資庁(Kuwait Investment Authority)は世界有数のSovereign Wealth Fundです。日本の経済が外国投資の獲得にもっと積極的になれば、クウェートの姿が変わって見えるかもしれません。また、裕福なクウェート人は、海外に別宅を持つ場合が多く、海外渡航・滞在への意欲が非常に旺盛ですし、海外不動産、留学、医療サービス(留学と医療サービスには政府の寛大な助成がある)、高級品、食材買付など贅沢にお金を費やす傾向があるので、そうした面でクウェートとの縁が深い国も多くあります。日本から見てクウェートは遠く小さなマーケットと映るかもしれませんが、もう少し貪欲さがあっても良いように思えます。

―クウェートの戦略的な位置付けはどうでしょうか。

 波乱含みの中東において、クウェートが平和で安定していることは貴重です。テロ等治安面での国際協力はクウェート自身も重視しています。また、クウェートは基地提供機能の役割も果たしています。特に、米国は、同国に約1万人の部隊を配備し、中東地域での兵力展開の拠点としています(カナダ、イタリアなども軍事プレゼンスがあります)。昨年夏、アフガニスタンからの米軍撤退に際する退避オペレーションにおいて、クウェートはカタール等と並んで重要な中継拠点でした。ちなみに、日本についても、2003年末から12年初めまで人道復興支援のために自衛隊がイラクに派遣された際、航空自衛隊がクウェートを拠点として輸送支援活動を行なったことが想起されます。

―赴任前にクウェートについてどのような印象を持っておられましたか。

 まさに湾岸危機です。1990年の夏、私は中近東アフリカ局アフリカ第二課の首席事務官でしたが、ロジ室長として海部総理の中東訪問の準備のために借り出されていた時に侵攻が勃発しました。それからは、中東貢献策のタスクフォースでの夜を徹する作業や要人の中東訪問への随行など、様々な経験をさせてもらいました。また、130億ドルもの資金的協力などにも拘らず、日本の貢献が評価されなかったと伝えられる挫折感は非常に苦く覚えています。
 他方、今回クウェートに赴任すると、同国の高官から、日本はクウェートをイラク占領から解放するために多大な支援をしてくれた非常に重要な国であるとの感謝の言葉を述べられることが多々ありました。当初、対日関係発言要領のセットフレーズかなと思うこともありましたが、外交経験豊かなサバーハ前首長は当時の日本の役割を色々と周囲に語っておられたようです。ちなみに、2021年は日・クウェート外交関係設立60周年であるとともにクウェート解放30周年であることから、大使館では日本と関わりがあった当時のGCC事務局長、駐日大使、国防省高官にインタビューを行い、当時の日本側とのやりとりや、掃海艇派遣、自衛隊によるイラク復興支援活動などを振り返るビデオを制作しました(日本とクウェートのきずな―歴史の証言者たち―:日・クウェート外交関係設立60周年記念動画 | 在クウェート日本国大使館 (emb-japan.go.jp))。登場の方々は今も当時のことを詳しく記憶されていて、価値のあるオーラル・ヒストリーを残せたと思います。

―クウェートからは2011年の東日本大震災の時に寛大な支援があったことが思い出されます。

 その通りです。クウェートから被災者支援のために原油500万バレルの無償提供がありました。また、震災の一年後にサバーハ首長が国賓として訪日された時にも500万ドルの追加支援が行われています。
 昨年は震災10周年でもあったことから、大使館では当時を振り返り、クウェートに感謝のメッセージを伝える動画も作ってみました(東日本大震災発生10年:クウェートへの感謝動画 | 在クウェート日本国大使館 (emb-japan.go.jp))。クウェートからの復興支援を受けた岩手県三陸鉄道、アクアマリンふくしまの方々にもご登場頂き、温かい内容になったと思います。また、クウェートでは3月11日から数夜、両国の友好と連帯の証として、同国随一の名所であるクウェート・タワーを両国の国旗でライトアップしてもらいました。これには閣議の了解手続きも必要でしたが、そうしたジェスチャーを惜しみなく演出してくれるのがクウェートの良さですね。
 在任中、私は、日本とクウェートとの関係について、”Friends in need are friends indeed” という表現をよく使いました。両国はイラク侵攻、東日本大震災といった苦難の時にお互いに助け合う真の友であるという趣旨です。実は、この比喩は、アハマド・ナーセル外相の着想です。2020年10月に茂木敏充外務大臣(当時)がサバーハ首長薨御への政府特使としてクウェートを弔問された折り、空港で同外相と私がチャーター機から降りられる茂木大臣を出迎えに歩いていく中で、同外相が私にその表現を使われたのです。昨年12月、私が離任挨拶に伺った際も、同外相は日本とクウェートの親和性や協力のポテンシャルを色々と触れる中で、この言葉を語られていて、日本に対する温かな想いが察せられました。なお、こうした温かな気持ちはクウェート首脳レベルで共有されているように思われます。サバーハ・ハーリド首相に離任挨拶に伺った際も、日本に対して強い親しみを持って語られていたのがとても印象的でした。

―在任中の一番の出来事は何ですか。

 間違いなくコロナ禍です。ただ、そうではあっても、日本クウェート外交関係設立60周年である2021年をどうするかが課題でした。館員による様々な工夫のお陰で、オンラインの形で、ロゴ・デザインの公募に始まり、前述の震災10周年感謝ビデオ、クウェート解放30周年ビデオの他、各種インタビュー、日本語講座、和食、武道紹介など充実した活動が出来たと自負しています。お陰様で大使館SNSのフォロアー数も随分増えました。
 嬉しかったのは、昨年秋頃からクウェートでのコロナ感染状況が著しく改善したので、リアルの活動が可能となったことです。そこで、11月下旬には日本人会主催により、「亀作戦」と呼ばれるビーチ・クリーニングを行いました。これは、亀が戻ってくるようにクウェートの浜を綺麗にしようと日本人社会が現地社会への貢献として2000年に始めた事業です。今回は、2年ぶりの「亀作戦」(一昨年はコロナ禍で中止)ということもあり、約800人もの方が集まりました。日本人参加者は40人程度ですから、日本人コミュニティーによる現地社会動員力は大変なものです。また、この日、多くの参加者が60周年のロゴマークをあしらった白いTシャツを着用し、浜辺を埋める景色は壮観でした。クウェートでの日本に対する評価はとても高いものがありますが、こうした日本人コミュニティーによる功徳の積み重ねが一つの背景にあると実感しました。

「亀作戦」では日本人コミュニティーの呼びかけに応えて多くの参加者で砂浜が埋まった。

 また、その2週間後の12月8日は丁度60年前に日本とクウェート両国が外交関係を設立した日であったことから、その夜、クウェート・タワーを両国の国旗で照らしてもらい、在留邦人や日本ファンの方々と共にカウントダウンを行いました。3月11日にライトアップされた時は、コロナ禍による外出禁止令のために現場に集まることができなかっただけに、この夜の皆さんの喜びはひとしおでした。クウェート・タワーが外国の国旗で彩られること自体とても珍しいのですが、この年は日本イベントが二度も行われた訳ですので、そうした寛大さはクウェートならではのものと思います。

12月8日、60年前の日本・クウェート外交関係設立を祝ってクウェート・タワーが両国国旗で照らされた。

<日本・クウェート外交関係設立60周年ロゴ>

 「6」はクウェート国旗の3色、「0」は日の丸に桜をあしらったデザイン。両国の地理には海が共通するので、海上の波から太陽が昇る姿も表している。ロゴコンテストにはオンラインで非常に多数の応募があった中で、日本の美大生が最優秀賞を獲得。