<帰国大使は語る>サンディニスタ政権下のニカラグアに在勤して


前駐ニカラグア大大使 鈴木康久

 2018年3月から2022年2月まで駐ニカラグア大使を務めて最近帰国した鈴木康久大使は、インタビューに応え、ニカラグアの特徴、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。

―ニカラグアはどんな国ですか。

 ニカラグアは、中央アメリカ中部に位置する国で、小さな国と思いがちですが、国土面積は約13万平方キロメートルもあり、約10万平方キロメートルの韓国よりも広く、中央アメリカで最も面積が広い国です。ただし人口は660万人余りで、5千万人余りの韓国の8分の1の人口密度。確かに、少し郊外に車を走らせると、緑に覆われた景色の中に人影はほとんど見ない。国の特徴として火山と湖の国と言われており、太平洋岸に並ぶ7つの活火山や、琵琶湖の12倍程の広さのニカラグア湖がよく知られている。ちなみにニカラグア湖は雨の多いニカラグアの天水でできた湖で、水深は2~3メートルです。パナマ運河に対抗して、中国企業がニカラグア運河構想を提案してコンセッション契約を結びましたが、現在まで特に何も進展していません。パナマと比べて、タンカーを含めた大型の船舶も通航できるというのがニカラグア運河のうたい文句でしたが、パナマ運河が全長90キロ、ニカラグア運河構想が全長(陸と湖を合わせて)270キロもあり、更にパナマ運河が水深10メートル余りであるのに対して、ニカラグア運河構想は水深30メートルを計画している。公式な経費は発表されていませんが、米国系のメディアでは500億ドルものコストがかかると報じられました。従って、すぐに計画が開始されるとは考えにくいのが現状です。

 地震との関係では、首都マナグアは1931年にマグニチュード6.1の、1972年にマグニチュード6.3の直下型地震に見舞われ、首都が崩壊に近い被害を受けました。現在に至るまで首都の建物は平屋がほとんどで、高層のビルやホテルは数えるほどしかありません。また、1936年から1979年までソモサ一家による独裁政治が続き、それに反発して左派のサンディニスタ革命が発生し、70年代後半から周辺の中米諸国も巻き込んだいわゆる中米紛争が発生しました。紛争が終了し、和平に至った後、オルテガ大統領によるサンディニスタ革命政権が成立し、一時期自由党政権も成立しましたが、2007年にオルテガ大統領が再び選出され、現在に至っています。自然災害の多発する国であり、太平洋側は火山噴火や地震の多発地域、カリブ海側はハリケーンが頻繁に訪れる地域です。2020年11月にはエタ、およびイオタというカテゴリー4の大型ハリケーンが二つも同地域を襲い、ミスキートなどカリブ地域特有の先住民の地域が大被害に遭ったため、日本を含む各国からの支援や国際機関(WFP、UNICEF)を通じた支援が届けられました。

(写真)ニカラグア地震後のマナグア

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 2018年4月に年金機構の掛け金引き上げをきっかけとして市民の暴動が発生し、政府と対立しました。その結果、市民や学生330人余りが死亡し、また、政府側も警官など数十人が死亡したと伝えられる事件が発生しました。それまで比較的平穏だった市民社会の政府に対する態度が硬化し、政府側の市民の抗議に対する公権力の行使も激しくなり、結果として、テレビや新聞等のマスメディアが閉鎖され、記者、NGO関係者、野党側の政治指導者等々約170人が政治犯として収監され、また、収監されなかった者も多くが国外に逃亡してしまい、現在に至っています。

 特に、オルテガ大統領が連続4度目に再選された2021年11月7日の選挙は、主要な野党候補を逮捕・拘留したまま実施したため、欧米諸国は形式だけの選挙だったとして選挙結果は受け入れられないと発表し、ワクチン供与など人道的な支援を除き、援助をストップさせる動きが広がり、最高選挙管理委員会幹部など政権幹部に対する個人制裁が発表されました。また、欧米諸国のみならず、中南米諸国も米州機構(OAS)の場を通じて、批判の声を上げました。それに対してオルテガ政権は2021年11月19日にOASからの離脱を発表して各国からの批判に対抗しました。ちょうど、1962年、ロシアが軍事的にキューバに関与し、その結果キューバ危機が発生し、その直後、米国および他の中南米諸国がキューバを批判しましたが、それに対抗してキューバがOASから離脱したという当時の状況に似た状況がニカラグアでも生まれています。

 今回、ロシアは大規模な選挙オブザーバー団を派遣して、欧米とは逆に、公正で民主的な選挙が平穏裡に実施されたと絶賛するコメントを発表しています。もともと2020年になって猛烈にニカラグアに接近していました。数度にわたる計数百万本ものスプートニク・ワクチンの供与、550台のバスの供与、800トンもの小麦と相当の食料油の供与、空軍への数台のヘリコプターの供与、マナグア市に設置しているメチニコフ・ワクチン工場でのワクチン生産、マナグア市に設置している麻薬取り締まりセンターでの国軍兵士・警官の研修、ロシア人宇宙飛行士の講演会、大学学長訪問を通じた学術交流、チナンデガ病院へのボランティアの派遣、ロシア議会幹部や共産党幹部の友好親善訪問、クリミアからの要人訪問、情報インテリジェンスでの協力協定締結、核エネルギー分野での協力協定締結等々異常なほど急激にニカラグアにアプローチし続けました。米国の影響力が薄まる中で、ニカラグアに対するロシア側の意図が透けて見える状況になり、万が一ニカラグアへの軍事プレゼンスを要求するような事態になれば、まさにキューバ危機の二の舞になる可能性も否定できません。

 2021年12月9日(現地時間)モンカダ外務大臣は突然記者会見を開き、台湾と断交し、中国と外交関係を再開させる旨発表しました。12月末には中国による大使館のオープニング・セレモニーが実施される手際の良さでした。翌年2022年1月10日の大統領就任式でのオルテガのスピーチでは、習近平指導部への礼賛、革命政権国家としての双方の友情、式典への代表団派遣への感謝、代表団との間で結ばれた援助プログラムの紹介、一帯一路プログラムの素晴らしさ等々数分にわたり中国を賞賛するスピーチを行いました。しかし、あれだけ緊密な関係を構築していたロシアについては一言も言及がありませんでした。それで、両国間で何らかの衝突があったとの憶測を生みました。しかし1月18日に、プーチン大統領が直接オルテガ大統領に祝意の電話をかけ、同時に今後とも国際場裡で両国は連携していこうという言質をニカラグアから取り付けて、両国関係の軌道修正ができたのではないかと思われます。

(写真)2020年のサンディニスタの党大会

―ニカラグアと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 米国においてフロンティア精神が活発となった19世紀中葉、日本には1853年にマシュー・ペリー提督が浦賀港に来訪し、その後、一連の開国騒動に発展していきましたが、全く同じ時期に、ニカラグアには米国のウィリアム・ウォーカー氏が傭兵を率いて侵攻し、1856年から1年の間、ニカラグアの大統領として居座った経緯があります。つまり、環太平洋国家の一つとして、このころから日本もニカラグアも、米国による影響を強く受けてきました。時代が下って、朝鮮戦争の頃になると、米国において労働集約的な綿花の生産が落ちたため、それを補う形で、米国企業が労働者の豊富なニカラグアやエルサルバドルに投資して綿花栽培が開始されました。綿花は、当時「白い黄金(Oro Blanco)」と称されて、重要な輸出産品となっていきました。そのため当時、繊維産業が主要な輸出品であった日本から、丸紅、三菱商事、三井物産、ニチメン(当時)、トーメン(当時)といった企業がニカラグアに進出し、大量の綿花を買い付けるようになりました。しかし、70年代に入って各国の繊維産業の保護政策が強化され、繊維製品の輸出自主規制が始まり、また、マナグア大地震やニカラグア革命の影響もあって、ほとんどの日系企業はニカラグアから撤退しました。その後、1987年に中米諸国が和平に合意し、ニカラグアの政治情勢も落ち着いて、コーヒー、ゴマ、牛タン、カカオ、ラム酒、葉巻等々、豊かな自然環境に恵まれた品質のよい農産品の日本への輸出が始まり、日本からは自動車、バイク、船外機器などの機械類の輸入が伸びて今日に至っています。また、中米各国は出生率が依然として高く、労働集約的な産業に比較優位性を有しているために、日本からも矢崎総業が現地に投資し、1万5千人もの労働者を雇って、米国のアセンブリー会社にハーネスを輸出・販売しています。ニカラグアのみならず、中米はその若年労働者の多さを利用した産業や、暖かい気候を利用した農業分野への投資が期待されています。

(写真)エステリ県の葉巻工場

―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことはありますか。

 在勤中いろいろな大学や団体でバーチャルも含めて計25回の講演会を実施しました。講演の演目は、日本の教育制度、ロボット技術、日本企業の特質、品質管理技術、最新技術の自動車産業といった分野でした。特に前任地が、多くの日系企業が進出している自動車産業が盛んなメキシコであったことから、多くの自動車関連企業を視察してきたことが良い経験となりました。それを踏まえて、最新の自動車技術の紹介とともに、ハーネス以外でも、アームレストカバーや、シートカバーなどの織り込みが必要な分野の製品を作るサプライヤーは、労働集約的で、中米各国に比較優位があること等を強調しました。当地でPC等を販売している日系企業(COMTEC)が、市民や学生を対象に企画したロボット技術に関する講演会にも参加しましたが、同社のアレンジで、ニカラグアの青年も世界ロボット・オリンピック(WRO:World Robot Olympiad)に出場するようになったことは私にとっても細やかな喜びでした。
 また米・ニカラグア商工会議所が企画した日本の教育制度についての講演会で、「回答に達するまでの静かに考える時間の重要性」などを指摘して、出席した多くの女性のエクゼクティブから意外な話が聞けたと拍手をもらったのは、存外の喜びでした。実はJICAの初等算数教育支援プログラムで実施された調査報告で、ニカラグアでは先生が問いを書き出して、そのまま回答も教えて、生徒はそれを丸写しするだけであるとの問題点が指摘されていたので、それを指摘したプレゼンテーションが好評につながったわけです。大学での講演では、政治的な話題を避け、刺激的なビジネスにおけるイノベーションを紹介し、世界から取り残されないためにも、市場経済体制の維持や外国資本の導入が重要であることを説き続けてきました。

(写真)大学での講演会

―在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 在勤したニカラグアは、小さな、しかも中南米の最貧国の一つですが、逆にそういう貧しい小さな国であるからこそ、各国が自分たちの影響力を及ぼすチャンスがあるとみて、いろいろな形でアプローチしているなあと強く感じました。例えば、韓国もフリーゾーンにある繊維系の会社を中心に、食材、マッサージの店舗も数社あり、合計で30数社、700名を超す韓国人ビジネスマンがニカラグアで活躍しており、ODA供与にも熱心であるため、いろいろな意味でニカラグア政府に影響力を行使できる立場にあります。フランス革命の歴史がある仏も、ニカラグアの「革命政権」に対して、幾ばくかの共感を抱いているようです。歴史的に中南米に特別の関心を抱いているスペインも、スペイン政府のみならず、EUの構成員として、EUの対ニカラグア政策に大きな影響力を有しています。また、ニカラグアの応援団として、イラン、パレスチナ、西サハラ、リビア、ボリビア、キューバ、ベネズエラ等々がニカラグアに大使館を置き、事あるごとにオルテガ政権に拍手を送っています。更に、ニカラグアは南オセチアや、アブハシアに対して国家承認しており、「クリミア」とも交流があります。

 そういう意味で、ニカラグアにおいても各国の利害がいろいろと交錯するデリケートな立ち位置にあり、常に変動し、常に状況が変わりつつあることを実感する毎日でした。従って、そういう変化を冷静に観察し、日本として何ができるかについて日々気持ちを新たにして、考えていくことの重要性を感じました。

(以上は、筆者の個人的な見解をまとめたものであり、筆者が属する組織の見解を示すものではない。)