<帰国大使は語る>カリブ海の石油ガス産出国・トリニダード・トバゴ


前駐トリニダード・トバゴ大使 平山達夫

 2019年1月から2022年2月まで駐トリニダード・トバゴ大使を務めて最近帰国した平山達夫大使は、インタビューに応え、トリニダード・トバゴの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。

―トリニダード・トバゴや兼轄しておられたカリブ海の国々はどんな国々ですか。その魅力は何ですか。

 私は、2019年1月から3年余り、トリニダード・トバゴに勤務しました。同時に、東カリブ諸国機構(OECS)に所属する6つの島嶼国と南米大陸側のガイアナ及びスリナムの合計8カ国も兼轄していました。中南米カリブ地域はスペイン語圏が殆どと思われるかも知れませんが、私が管轄していた9カ国は、旧オランダ領のスリナムを除き、旧英領の英語圏で、英連邦にも加盟しています。多くの国で、ウェストミンスター議会民主主義が行なわれており、政権交代も概ね平和裡に行われています。これら9カ国とジャマイカ、ハイチ、バルバドス、ベリーズ及びバハマの5カ国を加えたカリブ14カ国は、カリブ共同体(カリコム)を形成し、単一市場経済を含めた地域統合を進めています。

 トリニダード・トバゴは、カリコムの中でジャマイカと並ぶ主要国ですが、人口は約140万人、面積は千葉県とほぼ同じの小島嶼国です。ただ、他のカリブ島嶼国と違い、観光産業依存度が低く、1962年の独立前から石油ガス産業で発展してきました。地理的にはカリブ海の東南部に位置し、ベネズエラとは最短で10キロしか離れていません。トリニダードでは天然ガスが主力で、LNG輸出、メタノールやアンモニア製造等のガス化学産業が盛んです。ただ、近海の浅海ガス田の資源が枯渇し始め、ここ数年生産量が減少しています。そのため深海ガス田を含め、新たなガス田開発が進められていますが、生産量回復にはまだ時間がかかると言われています。また、エネルギー産業への過度の依存は、生産量や価格の変動で、国の経済全体が大きく影響されるため、観光産業や農業等を含めた経済多角化が謳われていますが、エネルギー産業依存の体質は大きくは変わっていません。
 エネルギー産業を背景に発展してきたトリニダードは、ODA卒業国の中所得国で、首都ポートオブスペインには高層ビルが並び、一般的なカリブのイメージとは異なります。これが東カリブ6カ国となると、人口5万から20万人の島国で、経済的にも観光産業依存が高く、リゾート地の趣きが強くなります。また、これら6カ国は、国の規模や経済構造も似通っていることから、OECSを形成し、東カリブドルという共通通貨の導入を始め、経済統合が進んでいます。

(写真)トリニダード・トバゴの首都ポートオブスペイン風景

 大陸側のガイアナとスリナムは、沿岸部のエネルギー資源開発が注目されています。両国とも内陸部は広大な熱帯を持ち、その保全も重要な課題です。特にガイアナは、19年12月に石油生産を開始し、当初は20年の経済成長率は86%と予想されていましたが、コロナ禍の影響で減速したとは言え、43.5%を記録し、21年は19.9%、22年は石油生産量が約3倍に増加することから47.5%成長が見込まれています。スリナムについては、前政権時に多大な借入が行われ、財政が破綻していましたが、サントキ現政権では経済、財政建て直しに重点が置かれ、IMFからの6.88億米ドルの支援も21年12月に承認されました。また、石油生産も25年前後に開始される予定で、今後の経済回復が期待されます。
 これら9カ国は、人口を合計しても350万人にも満たないですが、国連などでは9票(カリコム全体では14票)を持つグループです。日本と同様の基本的価値を有し、海洋生物資源の持続可能な利用も支持する国が多く、日本にとって重要なパートナーです。同時に、小島嶼国であるが故に、大型ハリケーン等の1つの大きな自然災害が国全体に壊滅的な影響を与えるという脆弱性も有しています。全体的に見れば、親日的な国が多く、これら諸国が抱える脆弱性などを理解して、関係を強化していくことが重要であると思います。

(写真)アンティグア・バーブーダの風景

―在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 一番大きな影響があったのは、やはりコロナ禍の発生です。簡単に言えば、3年の在勤中、最初の1年はコロナ前、残りの2年はコロナ禍下での勤務となりました。国内の感染予防規制により、それまで日常茶飯事に行われていた対面での会合、行事、レセプションなどが大きく規制されることになりました。特に、大規模行事は開催ができなくなり、天皇誕生日祝賀レセプション開催も断念せざるを得ませんでした。
 また、トリニダード・トバゴの国境が1年4ヶ月閉鎖されたこともあり、日本への留学生、JETプログラム参加者、各種研修参加などの往来が延期ないし中止となりました。また、兼轄する8カ国への出張もできなくなりました。この間、いくつかの国では政権交代が起きましたが、新政権の要人との直接会談はできませんでした。
 このような状況下で、規制の範囲内で小規模な行事を実施したり、オンラインを活用した行事を続けたりしました。オンライン活用は、重要かつ有益なものであり、今後ともその点は変わらないと思いますが、同時に対面での会合に完全に取って代わるものでもないと思います。この点は、トリニダードの国境が再開されて、何度か兼轄国に出張に行った際に感じたことです。
 コロナ以外では、9カ国中で、トリニダードを含む7カ国での総選挙を体験できたことはよかったと思います。3カ国で政権交代が起きましたが、それぞれ政治体制や状況が異なる中で、それぞれが置かれた政治情勢、問題点を学べる貴重な体験となりました。中には、ガイアナのように投票日から結果確定まで5ヶ月も要した例もありました。ガイアナは、インド系、アフリカ系をそれぞれ支持母体に持つ政党が拮抗していますが、石油生産開始を見越して激しい選挙戦となりました。投票自体は平穏に行われましたが、開票時に不正が発覚し、カリコム監視団を受け入れての再集計の実施とそれに反対する提訴が相次ぎ、前政権が再集計の結果を最終的に受け入れたのが5ヶ月後となりました。

―トリニダード・トバゴと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 トリニダード・トバゴは1962年に独立し、日本は64年に外交関係を樹立しました。79年には、在トリニダード・トバゴ大使館(実館)が開設され、両国は良好な関係を長く維持しています。2016年には日本の総理として初めてとなる安倍総理(当時)のトリニダード・トバゴ訪問が実現し、初の日カリコム首脳会合が開催されました。また、カリコムとの間では外相会合、事務レベル協議が開催され、カリコム及び加盟国との間の二国間協力や国際場裡での協力が協議されています。その中でトリニダード・トバゴは、カリコムの主要国として重要な役割を果たしています。
 日本とカリブ地域は距離的には離れていますが、トリニダード及び他のカリブ諸国には自動車を始めとする日本製品は普及しており、その高い品質は信頼されています。経済関係で特筆すべき案件は、三菱商事、三菱ガス化学及び三菱重工が中心となって、投資総額10億米ドルのカリビアンガス化学社(CGCL)のメタノール及びジメチルエーテル(DME)製造プラントが完成し、20年12月に商業生産を開始したことです。15年に着工したこのプロジェクトは、トリニダードの政権交代後の契約再交渉やコロナ禍等の影響で、予定より完成が遅れましたが、生産開始後は生産目標の年間100万トンのメタノール製造、輸出を達成しました。この案件は、日本からトリニダードへの最大投資案件で、両国経済関係の中で大きなプレゼンスを示しています。

(写真)カリビアンガス化学社(CGCL)のメタノール輸出船

 トリニダードでも日本への関心が高まっていると述べましたが、実はトリニダードでは20年以上も前から日本語教育が実施されており、西インド諸島大学セントオーガスティン校の語学学習センターではこれまで1,700人を超える学生に日本語教育が実施されています。5年前から日本語弁論大会も開催されています。日本から遠いのにと思われるかもしれませんが、インターネットの普及によりアニメ等の日本の文化に簡単に触れることができるようになり、関心を持つ人が増えています。当地の日本語教育や日本との交流を支えているものの1つがJETプログラムです。トリニダードでは15年以上JETプログラムが実施され、最近は毎年約15人が参加(20年はコロナ禍のため延期)しています。これらの参加者は帰国後にJET同窓会に参加し、日本への関心や交流を継続し、日本大使館の活動も支援してくれています。
 更に、上智大学は西インド諸島大学と協力覚書を締結し、国際協力推進協会(APIC)の協力を得て、カリブ島嶼国との学生交流などを支援しています。また、東京オリンピックのホストタウンも全管轄国について設定され、コロナ禍の影響で交流が制限されましたが、今後とも何らかの形で交流が続くことを期待します。

―大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことはありますか。在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 トリニダード・トバゴ勤務は、始めての中南米カリブ勤務で、兼轄国の中で3カ国ほど以前出張に行ったことがあるくらいでした。知識も経験も持ち合わせていない状況で赴任したので、まずは現地を知ることから始めました。そのためには、とにかくいろいろな所に出かけ、できるだけ多くの人に会うよう努めました。駐在外交官としては当たり前のことですが、こういう努力を積み重ね、いろいろな話を聞くにつれて、少しずつ状況が飲み込めてきました。
 また、日本と関係のある人、日本に何らかの理由で行ったことのある人等との関係維持、強化を目指しました。アジア諸国や日系人が多い中南米諸国と比べると人数はかなり少ないですが、数少ないそういう日本のフレンズの存在が重要となっています。JETプログラムは独自の同窓会を有していますが、その他の各種留学生、研修生、日本に公演に行ったミュージシャンなどは、全体像を把握し、コンタクトを保つのも容易ではありません。しかし、こういった人達と関係を保ち、活用していくことは重要であると思い、こういう日本のフレンズを集めた行事を開催したり、天皇誕生日祝賀レセプションに招待したりしました。コロナ禍の下でそういった機会が減ったことは残念でした。
 兼轄国には、着任1年内に8カ国全てに信任状捧呈で訪問できたことはよかったと思います。特に、2年目からコロナ禍が発生し、訪問がしばらくできなくなったことを考えると尚更です。兼轄国の中に台湾承認国が3カ国(セントクリストファー・ネービス、セントルシア、セントビンセント及びグレナディーン諸島)があり、他のカリブ諸国で台湾から中国への承認替えが起きる中で、中国や台湾の動きを注視することが重要です。そのためにも、兼轄国へのできるだけ多くの出張は重要です。実際、出張して対面で会談することは、人脈形成の点からも、国際機関選挙などへの支持要請などの面においても、格別な効果があります。
 こういった形での外交も、コロナ禍下での各種制限で難しくなったのは残念でした。国境封鎖で出張や日本への帰国などが出来なくなり、トリニダード国内でも対面での会合や集会がなかなかできなくなりました。それでも止める訳にはいかず、規制を遵守し、感染対策を取りながら少人数の会合や会食を実施しました。更に、ここ数年で当たり前となったオンライン会合も活用しました。トリニダードでも日本語弁論大会が開催されていると書きましたが、20年と21年はオンラインでの開催となりました。その技術的アレンジなどを行なってくれたのは、日本大使館と共催団体である西インド諸島大学語学学習センターの関係者でした。彼らの情熱はコロナ禍には負けませんでした。また、オンラインであったために、遠隔地からのアクセスが可能となり、日本からの傍聴者もあり、大会の裾野が広がる効果がありました。
 最後になりますが、40年強の外務省勤務で、合計9カ国・地域の在勤を経験しました。それぞれに、勤務、生活環境、日本との緊密性などは異なりますが、いずれも思い出に残る所ばかりです。これらの在外勤務を通じて感じたことは、日本を離れての生活に大変な面はありますが、重要なことはそこの国でできることを考えていくことであろうと思います。その際には、現地の日本のフレンズや長年の知見を持っておられる在留邦人の方々と協力していくことが必要と強く感じました。また、日本はこれまでいろいろな支援や招聘プログラムを実施してきましたが、これらは長い目で見れば効果があったと思うことが多々ありました。このことは東日本大震災の際に各国が差し伸べた暖かな支援や今のJETプログラムなどを見てそう確信しました。

(写真)カリコム事務局への太陽光発電設備の引渡式(アリ・ガイアナ大統領と)