<帰国大使は語る>エクアドルで感じた可能性と難しさ


前駐エクアドル大使 首藤祐司

 2018年9月から2021年10月まで駐エクアドル大使を務めて最近帰国した首藤祐司大使は、インタビューに応え、エクアドルの特徴と魅力、在任中に経験したことや力を入れて取り組んだこと、日本との関係とその展望等について以下の通り語りました。

ーエクアドルはどんな国ですか。その魅力は何ですか。

 南米の赤道直下の国エクアドル(スペイン語で赤道の意)は、多様な魅力を持ちポテンシャルの高い国です。第一に挙げるべきは自然の多彩さでしょう。国土面積は本州と九州を合わせた程度で、南米大陸の中では小さい部類に属しますが、その中に「4つの世界」があると言われています。すなわち、アマゾン熱帯雨林、アンデス山岳地帯(首都キトもこの中にあります)、海岸地域、そしてガラパゴス諸島です。これら4つの地域では気候も植生も、住民の気質までもが違うとされています。ヨーロッパなどからの旅行者には、キトに長期滞在し、その間に熱帯雨林の川下りや、4000~6000メートル級の山でのトレッキング、海岸でのサーフィン、そしてガラパゴスでの自然観察やダイビングなど様々な活動を楽しむ人々がいます。キトからですと数時間あれば行けるので、こうしたことが可能です。簡単に多様な世界を楽しめる世界でも稀有な土地といえるでしょう。
 また、首都キトの気候は最高でした。赤道直下ですので一年中気温がほぼ変わらず、かつ、標高2850メートルの高地なので赤道直下にもかかわらず涼しいのです。日本で言えば春や秋にあたる最も心地よい気温が一年中続きます。「常春(とこはる)の国」と言う人もいます。空気がやや薄いため来訪当初に体調を崩す人が時折いることや、桜などの花が咲かないのは少し残念ですが、気持ちの良いそよ風を感じる度に「奇跡のようだ」と思っていたものです。
 もう一つ、ガラパゴス諸島については、ご存じの通り特異な生態系を持ち、ダーウィンの進化論着想に貢献したことで有名です。街中でアシカやイグアナが寝そべっていたり、森の中でゾウガメがのそりのそりと進んだりする様を間近に見ることができます(写真1)。ただ、諸島にはおよそ3万の住民が住んでいる上に世界中から観光客がやってきます。エクアドル政府も自然保護のため様々な対策を講じてはいますが、今後を心配する人も多いところです。

(写真1)池にたむろするガラパゴスのゾウガメ。体長1~1.5m程度。

ー在任中に経験された大きな出来事や特筆すべき事柄はありますか。

 本年(2021年)の大統領選挙(2月に第一回投票、4月に決選投票)を挙げたいと思います。今後の国の行方を左右する重要な選挙であったと同時に、私にとってはエクアドルの社会について、社会の分断や若い人たちの新しい動きなど様々に考えさせられました。
 選挙は主として右派の銀行家ギジェルモ・ラッソ候補と左派の若手エコノミスト(当時36歳)アンドレス・アラウス候補との間で戦われ、ラッソ氏(写真2)が新大統領に選出されて、全般に左傾化の見られる中南米の中で「踏みとどまった」形となりました。特筆すべきは、選挙戦を通じてコレア元大統領(在任2007~2017年)が特異な存在感を放ったことです。コレア氏は、在任中の汚職により8年の刑が確定しており、夫人の母国ベルギーから帰国できない(帰国すれば即座に逮捕・収監される)状態が続いています。同氏は在任中に強烈な反米左派的政策を実施し、しかも、当時の高い原油価格に支えられて(エクアドルは産油国です)、大盤振る舞い的政策を行いました。このため、同氏の強力な個性も相まって現在も支持者は多く、海外からでも国内政治に大きな影響力を持っています。アラウス候補は同氏により擁立され、アラウス陣営はコレア氏との「近さ」を前面に押し立てる戦術を取りました。帰国できない立場の人との関係を売り物にするのは外国人からは理解しにくくもありましたが、根強いコレア人気のため、アラウス候補は最後の最後まで最有力とされていたのです。しかし、結局はラッソ氏が勝利しました。同氏の政策は開かれた国際関係や自由な市場を重視するもので、我が国などとは親和性が高く、安心感が持てます。しかしながら、富裕な銀行家であることから、庶民には銀行の評判が極めて悪いこの国では最初から不利とも言われていました。エクアドルの社会では、少数の富裕層と多数の低所得層の間に大きな亀裂があり、しかし日常生活ではそれ程意識されることはないのですが、選挙戦においてそれが顕在化することとなりました。数では低所得者の方がはるかに多いわけですから、社会の分断を背景として低所得層に支持されるアラウス候補が有利だと大方の専門家は論じていたものです。それをラッソ氏が覆せたのは、コレア派にまつわる数々の汚職の噂がネットを通じて国民に浸透したことが大きいとされています。選挙により社会の分断が露わになるとともに、しかしながらクリーンさ等も大事という現在のバランスが見えてきたように思われました。なお、決選投票でメディアがラッソ氏勝利確実を報じると間もなくアラウス氏は潔く敗北宣言をし、コレア氏も同調して、事前に心配された開票を巡る混乱は起こりませんでした。エクアドル国民の「民度の高さ」が感じられたものです。
 また、選挙において私には若い人たちの新たな動きが新鮮に感じられました。それが現れたのは、第一回投票で第3位となった先住民グループ出身ペレス候補と第4位となった実業家エルバス候補の躍進です。2人とも中央政界では新人なのに10%を超える票を得たのはサプライズでした。ペレス氏は先住民としての訴えだけでなく環境保護等を強く打ち出し、また、エルバス氏はSNSを駆使しつつ政治における透明性の大切さ等を強調しました。これらは、従来の政治に満足せず、社会に閉塞感を持つ若い人々に特にアピールしたようです。解決の困難な社会の分断の中で、どちらにも染まらない新しい風を吹かせたようにも感じられました。なお、エルバス氏はブロッコリ農場等を経営し、日本企業と連携して日本にも輸出している大の親日家です。今後に期待したいと思っています。

(写真2)ギジェルモ・ラッソ大統領

―エクアドルと日本との関係はどのようなものですか。今後の展望はいかがですか。

 私が着任した2018年は両国間の外交関係樹立百周年で、様々な行事が行われました。残念ながら私が着任した10月には概ね終わっていましたが、大変に成功したと聞いています。この100年間、両国の間に大きな問題はほとんど起こりませんでした。しかしながら、それは関係が薄いことの裏返しでもあるでしょう。1970年代に始まった石油開発ブームで一時は日本企業が多数進出し、在留邦人の多い時期もありましたが、ブームの沈静化や経済の低迷と、日本側におけるバブル崩壊等に伴って撤退する企業が増えました。日本への輸入はほぼ石油や農水産業の一部品目に限られています。日本からの輸出は自動車関係が太宗を占めていますが、中国、韓国、欧州等との競争にさらされています。かつて多かった電機関係は見る影もありません。こうした中で、両国とも経済関係拡大の意図は持っており、一昨年は租税条約を締結し、現在は投資協定が大きなテーマとなっています。特にエクアドル側はラッソ新政権になって意欲を強くし、より広い経済連携協定、さらにはCPTPPへも加盟したい意向です。エクアドルでは政権の性格により政策が左右に大きく動く傾向がありますが、今は我が国にとっても経済関係を拡大するチャンスです。
 経済以外の分野については、スポーツや文化面で可能性が大きいように思われます。例えば、柔道、空手、剣道などの武道は、日本人・日系人が少ないにも拘わらず相当浸透しています(写真3)。愛好家はスポーツとして楽しむというより日本武道の精神に惹かれて始めたという人が多く、日本への強い関心を持っています。また、寿司をはじめ日本食が非常に浸透しているとともに、生け花や盆栽の熱心な愛好グループもあり、こうした人々をサポートして交流関係を厚くしたいと考えていました。特に、東京オリンピック・パラリンピックでは、エクアドル選手団が歴史的な好成績を収めたこともあって日本への関心が高まり、「コロナ禍の中で立派に開催できるのは日本しかない」、「運営の素晴らしさに感銘を受けた」などの声が聞かれました。友好関係強化の好機だと思います。

(写真3)空手大会開会式。子供の参加者も多い。

ー大使として在任中、特に力を入れて取り組まれたことは何ですか。

 前述の通り、両国関係は決して厚いとは言えないことから、全般に関係強化を図りたいと考えていました。しかしながら、様々な出来事により、結果的には邦人・日本企業の保護や支援に最も力を入れることとなりました。
 例えば、昨年春にコロナ禍が始まったときに世界中で在外公館が邦人の帰国を支援しましたが、エクアドルにおいても館を挙げて取り組みました。旅行者など支援すべき邦人は数十名でしたから多いとは言えませんが、ガラパゴスなど交通・通信の不便な場所での支援が必要だったことや、一部地域で深刻な感染爆発が起こり国内でも地域間移動が原則禁止されたことなどのため支援は容易ではなく、館員たちには苦労させてしまいました。しかし、当時の茂木外務大臣のリーダーシップと本省のご指導のもと、充実した支援ができたと思っています。当時は起きている間中スマホに次々と館員から報告・相談が入り気の休まる間もありませんでしたが、概ね成功裏に終わり、今となってはいい思い出です。
 しかしながら、実は最も苦労したのは当地のある企業(日本資本)を巡るトラブルへの対応でした。まだ係争中なので固有名詞入りで詳しく書くことは控えたいと思います。そのトラブルは本質的には民間同士(つまり、当該企業とエクアドルの民間側)のものなのですが、複数のエクアドル当局がエクアドル民間側に立って関与してきたために一挙に話が複雑になり、大使館としても乗り出さざるを得ないこととなりました。副大統領を含め多岐にわたる関係分野の閣僚に幾度も幾度も面会を求めて説明しました。関係者の時には不可解な動きに困惑させられる中で、問題解決の糸口を探るために有識者の見解を仰ぐなども試み、エクアドル社会の奥底が少し見えたように感じられたものです。私の在任中に解決のメドが立たなかったのは極めて残念でしたが、何とか妥当な着地をしてほしいと願っています。

ー在外勤務を通じて強く感じられたことはありますか。

 わが国の存在感が徐々に低下しつつあるという危機感を強く持っていました。元来、工業製品では非常に強かったはずですが、今目立つのは自動車のみと言ってもよい状況です。かつて日本製品が世界を席巻したイメージがまだ多少残っているのと、経済協力を行っていること、さらには日本食をはじめ日本文化・スポーツが浸透していることなどのためまだある程度の存在感があると思いますが、いつまで続くだろうかと非常に心配です。特にコロナ禍の中では悪化したように思います。当初はエクアドルもマスクや防護服などが不足していましたが、日本は当時それらの支援はできませんでしたし、その後のワクチンの支援も限定的です。当地の人々から「日本はなぜワクチンを生産しないんですか」と尋ねられたものです。
 この状況とは対照的に、中国の動きは活発です。進出企業数はわが国のおよそ5倍、在留中国人数はおよそ200倍です(前中国大使の言による)。インフラ整備等のため多額の融資も行っています。その契約内容が不透明だったり、整備されたインフラに欠陥があったりと評判の悪いことも多いのですが、何といってもその規模により中国との関係はエクアドルにとって重要なものになっています。いわゆる「債務の罠」も政府要人は認識しているようですが、エクアドルは厳しい財政難に苦しんでおり、なかなか代わりは見つかりません。さらにコロナ禍においては、マスク、ワクチンなど様々な支援を(米国を別にすれば)圧倒的な規模で行っています。
 この中で私としては、日本の得意とする「相手の立場に立ったきめ細かな支援」を充実させる(一例として写真4)とともに、交流・広報の充実で対抗したいと考えていましたが、分の悪さは否めません。私の力量のなさを棚に上げて申し上げれば、米中の対立・競争関係が厳しくなる中で、わが国としてどう振る舞うかの議論も重要ですが、そもそもの国力をつけること、そしてその国力の効果的な使い方をもっとしっかり考えないといけないのではないかと痛感した次第です。

(写真4)「草の根人間の安全保障無償資金協力」で架けた橋。歩行者と自転車のみ通行できる小規模なものであるが、地域住民の生活を一変させたと評価されている。