(コロナ特集)ポルトガルにおける新型コロナウイルス感染症対応


駐ポルトガル大使 牛尾 滋

1.はじめに
 ポルトガルにあまり馴染みがない人にとって、ポルトガルと言えばサッカー選手のクリスティアーノ・ロナウドを真っ先に思い浮かべる人も多いであろう。あるいは、かつて財政危機に陥ったヨーロッパのお荷物的イメージが未だに拭えない人もいるかもしれない。2009年秋のギリシャ財政危機を契機にポルトガルは財政赤字国として注視され、トロイカ合意により3年間で総額780億ユーロもの融資を受けるに至り、PIGSのメンバーという不名誉な称号が与えられた。しかし、その後、厳しい財政再建策が推進され、2015年に発足したアントニオ・コスタ政権(社会党政権)は財政規律を維持しながら緊縮策を緩和し、2017年以降、欧州平均を上回る経済成長を遂げるまでに経済を回復させた。ニューヨーク・タイムズやファイナンシャル・タイムズは、ポルトガル経済を「奇跡の復活」とまで称した。欧州景気が停滞する中、2019年10月に発足した第2次コスタ政権が経済成長の維持のためにどのような舵取りをするかが注目されていた。まさにこれから、という矢先に新型コロナウイルス感染症が起こった。本寄稿では他ヨーロッパ諸国よりも感染が抑えられているとされるポルトガルにおいてどのような体制・措置が執られたか、また本パンデミックを通じて浮き彫りとなった課題等について私見を含め記すこととしたい。

2.ポルトガルにおける新型コロナウイルス感染症への取り組み
(1) ポルトガルで最初の感染者が確認されたのは3月2日でイタリア帰りの男性とされる。政府は僅か17日後の3月19日には大統領令に基づく「非常事態宣言」を発動し、国民に対して強制的な自宅隔離や移動の自由に制限を課した。この時点で、国内感染者数は約1000名、死者は5名であった。当時、お隣スペインの感染者数は2万人に達する勢いで、死者も1000名を超えていた。ポルトガルはすでにスペイン、イタリア等が急速な感染拡大により医療崩壊の危機に陥りそうなのを目の当たりにしていたこともあり、早期措置の重要性を認識していたと言える。なお、ポルトガルで「非常事態宣言」が発動されたのは1974年のカーネーション革命時のみであり、同宣言発動は国にとって言わば「大ごと」である。にも関わらず、迅速な措置が取られた裏には、先述した隣国からの教訓だけでなく、コスタ政権に全面的に協力したレベロ・デ・ソウザ大統領及び最大野党(社会民主党(PSD/中道右派))の存在を無視できない。特にコロナ対策初動時のポルトガル議会を含む一体感は目を見張るものがあった。
(2) 連携の話の前にポルトガルの内政について少し説明したい。ポルトガルでは、大統領が国家元首であり国軍最高司令官なるも、実質的行政権はなく、行政を担うのは首相である。他方、大統領は共和国議会の解散や首相の任命・罷免等の権限を有しており、政府は大統領と連携しながら政権運営を行う必要がある。2015年に発足した第1次コスタ政権は、「奇妙な仕組み(Geringonça)」と呼ばれる左翼各党との閣外協力を最小限の譲歩で実現・維持しながら政策を進めた。2019年10月の共和国議会選挙で単独過半数獲得には至らなかったものの、第一党の地位を確保、第2次コスタ政権は左翼勢力と連立こそ組まないものの、重要な法案に関しては事前の交渉を行いつつ政策を進めていた。レベロ・デ・ソウザ大統領は社会民主党(PSD)で中道右派、コスタ首相(インド系)が書記長を務める社会党(PS)は中道左派で2人は所属党が異なる。同大統領は、就任以前はまずアカデミズムに入り、長年ジャーナリストとしても活躍し、2016年の大統領選挙出馬直前まで政治コメンテーターとして高視聴率の番組にも出演、現在も党派を越えた存在として国民から親しまれており、その影響力は非常に大きい。
(3) 話を戻すと、まずレベロ・デ・ソウザ大統領は、大統領府で記念撮影を行った生徒の通う学校から感染者が確認されたことから、3月8日から14日間、大統領府で自主隔離を行った。当時、国内感染者数は50名にも満たなかったが、大統領自らが早い段階で行動したことで国民の意識は高まった。また、大統領は、当初、経済活動の鈍化を懸念し「非常事態宣言」発動に消極的であったとされるコスタ首相を説得したとも言われている。続いて、最大野党PSDのルイ・リオ党首は、共和国議会の場で「国の有事においてPSDは野党(対立(opposition))の立場ではなく、協力(cooperation)の立場にある)」と発言し、政府に全面的に協力する旨表明した他、PSD党員に対し「今は政府を攻撃する時ではなく、国として団結するべきである」と手紙で呼びかけている。この協力的な姿勢はスペインのイグレシアス副首相が「ポルトガルの野党の姿勢は(地理的にはスペインと)近いというのに、こんなにも違う」と自身のtwitterで羨ましげに発言している。大統領と最大野党の協力体制を足場に、コスタ政権はEU域外の第三国とのフライト発着制限(一部例外便有り)や商業施設の営業制限等多くの経済活動の停止に踏み切った。また同時に一時的解雇に関する特別措置や納税免除等、企業や国民に対する補償政策を実施。国民はこれら政府による一連の対策措置に概ね満足しており、新型コロナ感染症問題の発生前である2月の世論調査ではPSに対する支持率が31%であったのが、5月には40%に達し、翌月の6月も40%代が維持された。

3.「第2の波」を前にして
 9月8日現在、国内感染者数は累計6万人を超え、死者数は1800人に達した。周辺諸国と比べると感染者数及び死亡者数ともに圧倒的に少ない。しかしながら、経済への影響は他国同様、深刻だ。特にポルトガルの主要産業の一つである観光業が大きな打撃を受けた。2020年の実質経済成長率は10%減が見込まれているが、今後更なる悪化も否定できない。現に、国立統計院は第2四半期のGDP成長率は前年比マイナス16.3%である旨発表している。一時はTAPポルトガル航空の国有化も検討された。結局、政府が同航空会社の筆頭株主になり、最大12億ユーロの融資が決定されたが、多額の国家予算を要する救済措置や経済再開と感染防止策の狭間において、これまでパンデミック抑えこみという目的のために一体となっていたポルトガルもここに来て少しずつ歩調を乱しはじめている。6月末頃からリスボン首都圏の感染状況が悪化し始め、政府は地域の深刻度に応じた措置を導入する等対策を執っているが、この原稿を執筆している9月上旬において一日の新規感染者数が250人~500人程度の幅で増加し続けている。9月中旬には新学期を迎える他、夏期休暇シーズンが終われば多くの国民が通常勤務体制に戻るため、今後、人の移動や接触の機会は確実に増える。コスタ首相は、ワクチンが開発されるまでは国民にパンデミック発生前の普通の生活は戻らないと宣言している。どの国も同様であるが、政府はこれから感染拡大の防止と経済活動の再開という難しい舵取りをしていかなければならない。加えて、来年1月には大統領選挙が控えており、再出馬するとみられるレベロ・デ・ソウザ大統領はじめ野党からコスタ政権がこれまで同様の協力を得られるかは怪しく、今後政治的駆け引きが活発化するとも考えられる。

4.新型コロナウイルス感染症を通じた教訓
(1) 本パンデミックへの対応は、どの国にとってもまさに未知との戦いであり、ウイルスには国境という概念もない。それだけに、本パンデミックを通じて、各国固有の脆弱性が浮き彫りになると同時に共通の課題も表面化した。その一つに医療物資の限られた調達先問題が挙げられる。ヨーロッパ諸国のみならず世界中が一時期、マスクや人口呼吸器等の医療物資不足に見舞われた。製造大国である中国は世界各国にとって重要な医療物資の購入先であり、多くの国が中国から購入しようと躍起になった。ポルトガルも例外ではなく、政府チャーター機が中国から大量のマスクや人工呼吸器等を運んでくる様子がテレビで放映された。中国側も「マスク外交」を通じ、国内の感染封じ込めの成功と国際貢献をアピールしたことは周知の通りである。しかし、ようやく手に入れたと思った医療物資も、基準を満たしていない、または欠陥があるとしてその品質が疑問視され、使用をとりやめる動きが起こった。
(2) 今回のパンデミックが中国を中心としたグローバル・サプライチェーンの依存リスクを表面化させるきっかけとなったと言える。サントス・シルヴァ外務大臣は当地主要紙のインタビューにおいて、「ヨーロッパは自身で制御できない程に長すぎるバリューチェーンに過度に依存している状況を是正する必要がある。将来、また人工呼吸器が必要だとアジア諸国に懇願しないで済むようにヨーロッパの経済的主権を回復しなければならない」と述べている。この長すぎるバリューチェーンと医療物資の懇願先が中国を指しているのは明白である。また、同大臣は、本パンデミックは米国が主導的立場を取らなかった初の国際危機であり、ヨーロッパが主導権を握るチャンスでもあり、また生産拠点のヨーロッパ回帰はポルトガルに計り知れない機会をもたらすとの見方を示している。ポルトガルは2021年前半、EU議長国を務める。ポルトガルがどのようなイニシアティブを展開するのか注目したい。
(令和2年9月8日記)