(コロナ特集)フランスのコロナ危機対応を見て感じたこと


駐フランス大使 伊原純一

1. はじめに
 新型コロナウィルスの感染は世界的にはまだ収束していないが、日本や多くのヨーロッパ諸国においては、6月末の現時点では保健衛生上の危機はひとまず乗り越え、経済復興の段階に入った。この間、各国政府は感染拡大の抑止と感染者対策のためにそれぞれ最善を尽くしてきたが、その対応はお国柄や国民性を反映して微妙な違いを見せた。フランスでこの時期を過ごした者としては、日本の状況を常にフォローしながら、フランスや近隣諸国の動向をつぶさに観察することで各国、特に日本とフランスの対応を比較できたことは大変有益であったし、フランス社会やこの国の統治制度に対する理解を深めることもできた。せっかくそのような機会を得たので、分析というよりはむしろ印象論の類ではあるが、何らの参考までにいくつか気づきの点を記したい。

2.マスク
 各国政府は今回のパンデミックへの対処に最善を尽くしたと思うが、それでもその過程でどの国も誤りをおかすことは避けられなかった。フランスにおいては、それはマスクに対する認識と対応である。

 当初フランス政府は、感染防止の観点からはマスクの効果は限定的であり、マスクの着用は必要ではないとの立場をとった。特に一般市民はマスクの取り扱いを誤ると逆に感染を促すことになるし、またマスクをしていれば安全との誤った認識が広まるのもよくない、といった説明が政府高官からなされた。しかし一方で、医療現場で必要となるマスクが絶対的に不足しはじめ、その原因の一つが2004年の鳥インフルエンザを受けて備蓄していたマスクの更新を政府が怠っていたことが明らかになり、一般市民のマスク着用の効用を認めないのはマスク不足をさらに悪化させないためではないか、といった猜疑心を国民の間に引き起こした。実際にその後フランス政府は、中国に大量のマスクを発注するとともに、外出規制緩和の段階になると、その条件として、交通機関や屋内施設でのマスクの着用を義務付けるなど、マスクを重視する政策に大きく転換することになる。こういったマスクをめぐる政府の対応の揺れ、説明の一貫性のなさは、フランス人の自国政府に対する不信感を募らせることになった。世論調査によると、ヨーロッパ諸国の中で政府のコロナ対策に関する国民の評価が最も低いのがフランスとなっているが、その理由のかなりの部分はマスクに起因していると思われる。

 マスクに関しては、さらにフォローすべき興味深い点がある。フランス人は一般にマスクを嫌う。顔を覆うということは表情を隠すということで、相手に対し壁をつくろうとしていると受け止められる。公立学校でイスラムの女性が着用するスカーフを禁じているのも、政教分離の原則に加えそういった認識が背景にあると思われる。日本人がパリの街中でマスクをしていると、奇異な目でみられたものである。しかし今やマスクはフランスにおいて市民権を得た。観光客が戻る前にと先般初めて凱旋門に上がった。長い螺旋階段で息を切らせて屋上のテラスにようやくたどり着きマスクを外したら、すぐに係員からとがめられた。野外なのに着用しないといけないのかと尋ねたら、ここは歴史施設で歴史施設内ではどこでもマスク着用が義務付けられているとの答え。また規制解除で再開したレストランで食事をしていたら、マスクを着用しない客が入り口でお店の人から入店を拒否されていた。あれだけ多くのフランス人が嫌っていたマスクが短期間でこれだけ権威を高めたのは驚きである。しかし、フランス人のマスク嫌いはおそらく変わっていない。今は公権力によって強い力を与えられたがゆえに重視されているが、今後規制がさらに緩和されれば、おそらくマスクはまた打ち捨てられるのではないか。コロナ危機でどこまでフランス人の行動変容がおこるか、引き続き観察していきたい。

3.コンフィヌマン(confinement)
 スウェーデンやブラジル、当初の英国などを除き、多くの国は感染の拡大を防ぐために強力な移動・外出規制措置をとった。フランスもそうで、この国ではそれをコンフィヌマンと呼んでいる。ワクチンがまだ開発されず、有効な治療薬もない中で、ウィルスの感染拡大を防止するためには人の移動と接触を規制するしかない、というのは世界の感染症専門家の共通の見解であり、理屈としても理解できるし道理にかなっている。問題はどのようにそういった規制措置を実施するかで、その点では日仏の比較は興味深い。

 日本は緊急事態宣言を出しても強制力のある措置はとることなく、国民の理解と協力を求めるソフトな対応をしたのに対して、フランスのコンフィヌマンは違反すれば高額の罰金が科されるなどはっきりした不利益措置により担保された強制力のある措置である。家の外に出るにはいくつかの明確な目的(必要不可欠な買い物、通院、犬の散歩、仕事上の移動など)に合致していなければならず、自筆の証明書を持参する必要がある。これに反すると135ユーロ,再犯の場合には加算され最高で3750ユーロの罰金となる。外出規制が緩和されてからも車での移動はしばらく100キロ圏内に限られていたが、これに違反すると乗車している人一人当たり135ユーロの罰金で,これも同様に再犯の場合には加算される。カフェ、レストラン、映画館などは当然営業禁止で、ここにはパチンコ屋はないが、政府の意向に反して営業を続けるなどということはあり得ない。違反すると相当の不利益措置を受けることになるからである。市民の権利を重視するフランスにおいて、政府がこうも広範な自由の制限を行うことができるということ、国民がまたそれを受け入れていること、そういう意味では社会の秩序がしっかり保たれていることに今回改めて強く印象付けられた。日本においては国の措置に強制力はなくとも社会的な規範として措置が執行力を持つというのは、フランス人にとっては理解しがたいと思われる。権利は明確に定義され、それが制約を受ける際には明確に規定されたルールに従う必要がある、個人は気ままに行動するので、規則を実行力のあるものにするためには警察力の行使や罰金等で強制力を持たせるしかない、ということなのであろう。

 実際、政府の規制措置は何重かのチェックを経ることになる。コンフィヌマンの実施の根拠となる法律は議会で審議され可決されなければならないのは当然として、関係する法律は別途憲法院にも付託され、憲法に反するところがないかその判断が求められた。また、国務院には基本的自由に対する重大かつ明白に違法な侵害がある場合には必要なあらゆる措置を命ずる権限が付与されており、今回の政府の措置についても多くの国民や団体から問題が提起され、その結果、いくつかの具体的なコンフィヌマンの措置が国務院の命令により修正されている。このように自由や人権の擁護は制度としてきちんと保証されていて、そのことに対する信頼が国民の中にあるので、必要な時には国は強力な権力を行使することが可能になるのだと思われる。

日仏どちらの制度がいいか、判断するのは難しい。最後はお国柄や国民性、国民がどう考えるかによる、ということなのであろう。

4.復興(Build Back Better)
 東日本大震災の際、復興を通じてより強靭な国土を作る、BBBということがうたわれ、この考えは今や大災害後の好ましい復興戦略として国際的にも広く認知されている。また、ヨーロッパにおいては、2008年から2009年にかけての金融危機の際にそういった考慮が十分ではなかったとの反省が聞かれる。では今回の新型コロナウィルスに関しては、BBBとは何を意味するのであろうか。

すでにフランスにおいては今回の経験を通じた種々の反省がなされ、政府の対応に対する検証作業も始められ、今後の政策にこれらを活かしていこうとの動きがみられる。特に医療システムをより強靭なものにするというのはこの国にとっても大きな課題である。また、生産拠点のリロケーションなど、ヴァリューチェーン見直しによる他国への依存の集中を避けるための方策も議論されはじめている。

 この点に加えてBBBの観点から今後注目されるのは、経済の再活性化に向けたより総合的な取り組みである。フランスはこれまで新型コロナウィルス対策として、まず公衆衛生上の危機への対応に全力をあげ、同時に危機のもたらす当面の経済社会上の課題である雇用の維持や中小企業の存続といった問題に取り組んできた。こういった当面の危機対応に続いて、これからは経済の活性化に本格的に取り組もうとしている。基幹産業の復興策として、この再活性化計画の一部をなす自動車産業と航空機産業についての措置が先般発表された。その中で金額こそ大きくはないが前面に打ち出されているのは地球環境対策である。自動車産業振興計画においては、電気自動車の普及(具体的には電気自動車購入にあたっての助成金の積み増しなど)に重点が置かれているし、航空機産業については、2035年までにカーボンニュートラルな航空機を開発する(すなわち燃料電池によるエンジンの電動化など)との野心的な目標が掲げられている。こういった低炭素経済の構築に加え、5Gの利活用を通じた社会・経済のデジタル化への対応も経済再活性化計画の大きな柱となっていくであろう。 また、こうしたBBBの一環として位置付けられたフランスの「産業政策」が、今後EUレベルでどのように展開されていくかにも注目する必要がある。先般マクロン大統領とメルケル首相が合意し、現在フォン・デア・ライエン欧州委員長が進めようとしているEU全体の経済復興計画はEU統合強化の重要な論点を含むものであるが、その中でEU全体としての産業政策についても議論されることになる。その際にもグリーン移行やデジタル化がその重要な要素となるであろう。BBBはもはやコロナという枠を超えて、グローバルな課題にどれだけ早く対応できるかの国際競争の様相を呈することになる。

5.まとめ
 今回のコロナ危機はいろんな面でrévélateur であると言われる。 すなわち、ウィルスは新型で事態はこれまでに経験したことのないものではあるが、この危機を通じてこれまでからあった問題や課題、それぞれの社会の脆弱性と強靭性、指導者のリーダーシップ、国民性、そういったもろもろの側面が浮き彫りにされ、より鮮明になった。しかも、同じ事象を前に事態がほぼ同時性をもって進行していくなかで各国の対応を比較しながら観察できるという、稀有な機会が提供された。そこから引き出される教訓は、前回の金融危機とは比べられないほど貴重で豊かなものとなるであろう。パンデミックを前に勝者も敗者もないが、今回の教訓をどう引き出してこれを今後の政策にどうつなげていくかは、それぞれの国の繁栄や安定に大きな影響を与えることになると思われる。
(了)