(コロナ特集)フィリピンにおける新型コロナウイルス対策


駐フィリピン大使 羽田浩二

 中国武漢に始まったコロナ禍によって、2020年は人類史上にも記録される一年になることでしょう。世界を覆いつくす新型コロナウイルスによって、人々の生活スタイルは大きく変容しようとしています。これに立ち向かう各国政府の様々な対策も、その最終的な評価には、今暫く時間がかかるでしょう。もちろんフィリピンもその例外ではありません。本来、人と人との距離感が近く親しみやすいフィリピン人の生活も一変しました。そして、ドゥテルテ大統領による果断なコロナ対策もまだその途上にあります。

<迅速果断な対応>
 震源地となった中国大陸に近接し、今や中国との間で年間約300万人もの人々が行き交うフィリピンがコロナ禍を逃れる余地はありません。もともと医療環境が脆弱で、それを明確に認識したフィリピン政府の対応は極めて早いものでした。確認された海外感染者の入国が数えるほどに少なかった本年1月の時点で、保健大臣をヘッドとする閣僚級の省庁間タスクフォースを立ち上げ、2月上旬には中国全土からの入国に厳しい制限を課しました。また、3月に初の国内感染事例が確認されると3月中旬直ちに厳格なロックダウンを約1200万の人口を擁するマニラ首都圏全域へ敷きました。後に「世界最長」と言われることになる「コミュニティ隔離措置」(フィリピン版ロックダウン)の始まりです。この措置は、外出の原則禁止、食料・医療品製造等を除く生産活動・営業の停止、全外国人の入国原則禁止を含む非常に強力な内容でした。当初、公共交通機関は地方に帰省しようとする市民でごった返し、スーパーには買いだめに走る市民があふれ、マニラは一時騒然となりました。措置の実施は軍・警察が担い、市内には多数のチェックポイントが設けられました。
 医療環境の脆弱性と今なお残る貧困層の存在は、コロナ対策を実施する上でフィリピンの足枷といえます。しかしながら、議会においても絶対的な多数を握るドゥテルテ政権は、3月末に大規模な経済支援策・新型コロナウイルス対策のための予算再編を可能とする法案を速やかに成立させ、同法に基づき、貧困支援として1800万世帯へ1か月当たり5000~8000ペソ(約10000~17000円相当)の2か月分の配布を決定し、その後も中小企業、農家、失業者らに対する経済支援を拡大しました。

<国民の評価>
 もちろん、こうした支援策の実行に遅れが生じていること(7月時点で1か月分の第一弾配布がほぼ完了し、第二弾を配布中)や、ロックダウンの末端における法執行の強権性・違法事案には、メディアを中心に批判もありますが、大統領の強いリーダーシップによる強力な取り組みは、大半のフィリピン国民から支持され、国民の実に81%がフィリピン政府の新型コロナウイルス対策に満足していると答えています(4月時点の世論調査)。

コミュニティ隔離実施直後,3月のマニラ首都圏・エドサ大通りの様子/大使館職員撮影

<邦人保護>
 こうしたコロナ禍の状況にあって、当地における在留邦人の保護は大使館の最重要任務であります。ロックダウンが実施された当初、政府の方針に多くの混乱が見られましたが、フィリピン政府、各国外交団、各地域の日本人会、航空会社等、多くの方々の協力を得て、帰国を希望する在留邦人にお手伝いができたことは、当地在外公館の長として胸を撫で下ろす思いでありました。この点は引き続き気を引き締めていかなければならないと考えております。

<経済の再開に向けて>
 本稿を執筆している7月下旬で、ロックダウン(コミュニティ隔離措置)が実行されてから、約4か月が経ちました。7月20日までの累計で、フィリピンにおける感染者は68,898名、回復者は23,072名、死者は1,835名となっています。世界の各国政府と同様に、フィリピン政府もまた「命と経済」という究極の課題に直面しています。統計処理上、あるいは検査数の問題はありますが、最近新たな感染者数に大きな増加がみられる中、フィリピン政府は慎重に経済活動の再開を模索しています。
 ドゥテルテ政権は、新型コロナウイルス感染拡大以前は、年平均6%台のGDP成長率を誇り、大規模インフラ整備計画や包括的税制改革等を通じて経済成長を更に加速させ、中進国入りを目前としていましたが、新型コロナウイルスによって、フィリピン経済も大きな打撃を受けました。2020年第一四半期のGDP成長率はマイナス0.2%へ落ち込み、それまで5%程度で推移していた失業率は、4月時点で過去最高の17.7%まで悪化しました。さらに、フィリピンには、約220万人の海外出稼ぎ労働者が存在し,彼らによる送金がGDPの約1割を占めるという特殊条件があります。その失職によって、送金に支えられていた内需減も経済への悪影響を増幅させる要因の一つとなっています。こうした経済への悪影響に鑑み、フィリピン政府は、徐々に経済重視の対応方針へ転換していますが、感染封じ込めとのバランスは難しい舵取りが求められています。

活気が戻りつつある7月のマニラ首都圏・エドサ大通りの様子/大使館職員撮影

<マニラの今>
 ミクロの視点で見れば、この間、マニラでは日常生活の様々な場面で変化がみられました。慢性化した交通渋滞に悩まされていたマニラの街は、ロックダウン直後には殆どの店が閉まり、通りの車や人は激減しました。しかし、最近は、徐々に隔離措置が緩和され、車や人、開店する店の数も増え、以前の賑わいが一部戻りつつあります。フィリピン政府発表によれば、6月時点で、全産業の75%が営業を再開したとされています。人々が外出の際には必ずマスクを着用し、しっかりソーシャルディスタンスを守って列を作っている様子は、フィリピンの友人も驚くほどであります。
 大規模集会が禁止され、フォーラムや式典はオンラインで行われるのが通例となりました。私は、6月に、アジア最古のマニラ・ロータリークラブから、駐フィリピン日本大使として、外交分野における業績が認められ、新設のカルロス・P・ロムロ賞の最初の受賞者に選ばれるという栄誉に浴しましたが、その際にも授賞式はオンラインで実施されました。

6月のカルロス・P・ロムロ賞のオンライン受賞式/日本大使館HPより引用

 3月から休校となっている学校は、8月末の再開に向けて、オンラインと対面式授業の混合型教育を導入しようと試みています。生徒と教師の安全が確保されるまで、対面式の授業は控え、ラジオやインターネットといった様々な手段による授業を行うとしていますが、特に地方においてインターネット普及率が低いフィリピンでは、全国的な実施は容易ではありません。通信インフラの改善が改めて喫緊の課題として浮かび上がっています。

<コロナ禍の外交>
 コロナ禍の影響は国内にとどまりません。「独立外交」の名のもとに、実利的外交政策を進めるドゥテルテ大統領にとって、米国と中国との外交関係は、大きな課題であります。中国はコロナ禍において積極的な支援と広報を展開しており、南シナ海における戦略的位置を占めるフィリピンは、その重要な対象国です。ドゥテルテ政権は、医療支援とコロナ後の経済再建を視野に、対中関係に十分配慮しながらも、この間に南シナ海での活動を活発化させている中国に対し、領土問題に関し原則的な立場には譲歩を行わないとの姿勢を明確に示しています。また、訪問米軍の地位に関する協定(VFA)破棄を巡って懸念された米比関係は、コロナ禍の中でVFA破棄までの期限を停止することで、一旦棚上げするなど、改善の動きもみられています。こうした政府の対応について、多くのフィリピン国民には、元々対中不信感が強い中(2019年世論調査における中国に対する信頼度は調査国中最下位の21%)、最近の中国の南シナ海での活動等に対し、警戒する声も広まっています。

<日比関係と日本の役割>
 翻って我が国との関係は、ドゥテルテ大統領自ら日フィリピン関係は「黄金時代」にあると発言しているように、近年、大変良好な関係にあります。日本は、フィリピンの最大の直接投資国かつ援助供与国、主要な貿易相手国です。近年は人的往来も活発化し、2019年には、訪日フィリピン人がそれまでの6年間で6倍の50万人、訪フィリピン日本人も6年間で50%増の60万人と急増しました。在留邦人は2019年時点で登録ベース約1万6千人おり、日系企業の進出にも目覚ましいものがあります。2019年調査でも、フィリピン国民の日本への信頼度は56%と高く、親日感情が広く国民に根付いていると言えます。
 我が国は、5月に、20億円の医療関係無償資金協力、7月には、500億円の新型コロナ危機対応緊急支援円借款の供与を決定し、治療薬アビガンの治験も7月中目処に当地にて開始される見込みです。フィリピンにおいて新型コロナウイルス対策の中心的役割を担っている熱帯医療研究所は、1981年に日本の無償資金協力により設立された施設であり、2016年に同研究所へ供与した感染症研究ラボは新型コロナウイルス対策に大いに活用されています。日本の長年の支援がフィリピンの新型コロナウイルス対策に多大なる貢献をしています。
 新型コロナウイルスの感染が継続する中、フィリピンにおける日系企業の営業・操業の完全な再開、人の往来の再開に向けた先行きは不透明であり、日系企業は約9割以上が営業・操業を再開しているものの、製造業の7割、非製造業の5割が、売り上げが前年同期比で5割未満となりました(6月時点でのフィリピン日本商工会議所アンケート結果)。外国人の入国禁止措置もあり、一時帰国した駐在員がフィリピンに戻れないなどの課題も残っています。しかしながら、フィリピン経済の潜在的可能性が大きいことは、新型コロナウイルスの感染拡大前から何ら変わるものではありません。日本としては、状況を注視し、タイミングを逃さず更にフィリピンとの関係を強化していくべきと考えます。
(了)