(コロナ特集)パキスタンにおける新型コロナウイルス(COVID-19)


駐パキスタン大使 松田邦紀

1.パキスタンとは
 日本の約2.4倍の面積を擁するパキスタンには、2020年1月現在、約2億1千650万人が住んでいます。これは、中国、インド、米国及びインドネシアに次いで世界第五位の人口です。そのうち64%が30歳未満で、中央年齢が実に24.1歳という「若い」国です。カラチ、ラホール、ペシャワール等の大都市は、人口が過密している一方で、人口希薄な農村部においても大家族が一カ所に固まって生活する傾向があり、いずれにせよ住民の公衆衛生が課題となっています。
 パキスタンの医療及び教育も問題を抱えています。例えば、医療水準を測る指標の一つである人口10万人当たりの医師及び看護士の数で見ますと、それぞれ81.3人及び55.7人に過ぎません(2015年)。参考までに日本の場合は、それぞれ255.8人及び900人ですから(2018年)、新型コロナウイルスのような大規模な感染症に対処するには、パキスタンの医療基盤が極めて脆弱であると言わざるを得ません。実際、パキスタンは、ポリオ、結核、肺炎等多くの感染症を未だに食い止めることに成功していません。
 また、公教育の普及及び全国一律のカリキュラムの整備は、1947年の建国以来の課題です。教育水準を表す指標の一つである識字率を見ますと、2013年の世界平均が85.9%、日本が99%であるのに対して、パキスタンは僅かに54.9%です。感染症対策の鍵は、ソーシャル・ディスタンシングの遵守、手洗いとマスク着用の普及ですが、パキスタンの識字率の低さは、国民に対する衛生教育及び啓発活動を阻害していることは想像に難くありません。

2.パキスタンの新型コロナウイルスの最新状況
 この文章を書いている9月7日現在、パキスタンの累積感染者数は、29万8509人(うち、28万5898人が既に回復)、前日比の新規感染者数は484人、死亡者総数は6342人(うち、前日比の新規死亡者は2人)です。これらの数字は、パキスタン政府の想定を遙かに下回るものです。例えば、パキスタン政府は、国内の累積感染者数が7月末までに120万人に達するという警告を6月前半に発していました。それから3ヶ月が経った現在、政府は、感染症を抑えるのに成功しつつあると慎重な中にも自信を深めています。

大きな人口を抱えたパキスタンは、脆弱な医療基盤と教育問題を抱えながら、どのように新型コロナウイルスに対処してきたのでしょうか。

3.パキスタンと新型コロナウイルスとの出会い
 パキスタンが新型コロナウイルス問題を最初に意識したのは、中国の武漢に滞在していた約500人のパキスタン人留学生を帰国させるか否かという問題に直面した今年1月のことでした。因みにパキスタンは、中国が推し進める「一帯一路構想」の中でも最重要な要素の一つである「中国パキスタン経済回廊(CPEC)」に代表されるように、近年急速に中国との経済関係を緊密化させてきており、それに伴って、多くの留学生を中国に派遣しています。
 ちょうど、日本を含む各国政府が特別機を飛ばして、武漢在留の自国民の帰国を支援していた時期と重なったこともあって、パキスタン国内でも政府に対して特別機派遣を要求する声が高まりました。しかしながら、ウイルスの国内流入を恐れたイムラン・カーン首相(写真)は、留学生の帰国を認めない苦渋の政治決断をしました。

 パキスタン国内で感染者第一号が出たのは、2月26日でした。既に感染が拡大し始めていた隣国イランから戻ってきたイスラム教シーア派巡礼団の一人が帰国後に感染していることが判明したのです。一緒に帰国した巡礼者に対して徹底的な検査及び追跡調査が実施されるとともに、その後に帰国した巡礼者に対しても国境で厳格な検査及び隔離措置が取られました。寒い国境地帯に仮設されたテントに隔離された帰国者の扱いを巡って、国内のシーア派宗教指導者から批判の声も出ました。因みに、パキスタンの人口の約20%がイスラム教シーア派に属しており、その社会的影響力は小さくありません。

4.感染の広がりと混乱した初期対応
 3月に入って海外からの帰国者の増加を受けて、国内でも感染が徐々に広まった結果、政府は、3月中旬に特別機やチャーター機を除く国際定期航空便の乗り入れの停止、国内航空便及び鉄道の全面停止、州を跨ぐ陸路の移動制限等、厳しい移動制限措置を含むロックダウンを全土に施行しました。しかしながら、ロックダウンの内容と実施を巡って、中央の連邦政府と州・地方政府との間で十分な調整と連携は取られず、大きな混乱を招きました。特に、連邦政府が「パキスタン正義運動党(PTI)」を中心とする連立与党の下にあるのに対して、パキスタン最大の都市カラチ(人口約2千万人)を擁するシンド州政府は、「パキスタン人民党(PPP)」が牛耳っており、ロックダウン政策を巡って連邦政府と州政府、与党と野党が激しく対立しました。
 この混乱の中で、日本への帰国を希望する在留邦人は、唯一特別機及びチャーター機の発着が認められていた首都イスラマバードの国際空港に辿り着くために州をまたいで自動車で移動する必要がありました。日本大使館は、カラチの日本総領事館や日本人商工会議所と協力しながら、移動に必要な書類の作成や関係部署への連絡に全力で対応しました。その際に大いに助けになったのがパンジャブ州都ラホール及びハイバル・パフトゥンハー州都ペシャワールに在住する二人のパキスタン人名誉総領事でした。彼らの人脈と政治力のお陰で、地元の警察等との連携もスムーズに行われて大過なく「帰国オペレーション」を実行出来たのは幸いでした。

5.態勢の立て直し
 さて、中央と地方の政府間の対立が激化して感染症対策が混乱した結果、新型コロナウイルスが更に広がる恐れが出てきました。これを受けて、パキスタン国内で大きな政治力を有する陸軍が主導して、3月27日に「国家指揮運用センター(NCOC)」(写真)が設置されました。

 NCOCは、イムラン・カーン首相が主宰して、全閣僚及び各軍参謀長が参加する既存の最高意思決定機関である「国家調整委員会(NCC)」の下に設置され、カーン首相の腹心であるアサド・ウマル計画・開発・改革大臣が主宰することになりました。また、実務を統括するセンター長には、現役の陸軍中将が就いて、連邦・州・地方各政府、軍、警察、医療・運輸等の各機関を横断的且つ有機的に結び、感染情報の集約と分析、対策の立案と実施、衛生に関する教育と宣伝を総合的に行うことになりました。
 感染症対策も一段落した9月初め、親しいパキスタン人ジャーナリストがパキスタンの感染症対策が成果を上げた理由は、「神のご加護とNCOCの設置」であると私に述懐してしました。

6.命か、それとも、生活か
 NCOCの設置によって政府全体の感染症対応は、目に見えて改善していきましたが、もう一つ大きな問題が発生します。即ち、パキスタンとして、「命」と「生活」のいずれを重視するべきかという政策論争です。
 カーン首相は、当初こそ感染の広がりを防ぐことに軸足を置いていました。しかしながら、3月のロックダウンの導入直後から、パキスタンの経済社会構造がロックダウンに伴う経済活動の停滞に耐えられないことに気付き始めます。パキスタンの労働人口のうち、2千4百万人が日雇い労働者または極めて小規模な自営業者であり、厳格なロックダウンを実施すれば、これらの経済的弱者の間で餓死者が大量に発生する危険が指摘されました。また、ラマダン(4月25日開始)及びラマダン明け祝日のイード・アル・フィトル(5月22日開始)が近付くにつれて、宗教関係者や小売り業者等からもモスクでのお祈りや生活必需品の輸送・販売を阻害するロックダウンの緩和を求める声が高まりました。
 カーン首相は、内外の反対を押し切って、「命と生活(life and livelihood)」のバランスを取るという方針の下で、実際には、経済活動の再開に舵を切りました。
 カーン首相は、政治家になる前はクリケットの名選手として大活躍し、特に、パキスタンが唯一ワールド・カップで優勝した1992年大会では、ナショナル・チームのキャプテンを務めて、一躍国民的ヒーローになります。引退後は、私財を投じて病院を建設する等、福祉分野で活躍しました。カーン首相のカリスマ、決断力、そして弱者に寄り添う姿勢は、感染症対策でも高く評価されています。

7.生活支援策
 カーン首相の強いリーダーシップの下で、パキスタン政府は、経済的社会的弱者を救済するために二つの重要な政策を打ち出しました。
 第一は、「エフサース緊急現金支給プログラム」です。エフサースとは、ウルドゥー語で「思いやり」を意味します。4月9日に開始されたこのプログラムの下で、連邦政府は、三ヶ月間で総額12億米ドル強の現金を1690万世帯に給付しました。その結果、人口の約半分に当たる1億9百万人が最低限の生活を維持し、飢餓を免れることが出来たと見られています。
 第二は、中小企業に対する補助金です。経済活動の低下で資金繰りに喘ぐ中小企業に対して、5~7月の三ヶ月分の電気等の公共料金その他の支払いに充当出来るように総額31億米ドルにも上る補助金を支給しました。
 これらの現金や補助金を必要とする個人・企業に迅速に配布するために、政府は、対象者の電話番号、インターネットアドレス、その他の身分証明書のデータを網羅するデジタルデータベースを短期間で構築しました。のんびりしたパキスタン風「お役所仕事」に慣れている私もそのスピードには正直驚かされました。
 また、政府は、社会的弱者やロックダウンされて外出や移動が出来ないコミュニティの住民に対して、食料や支援物資を安全且つタイムリーに配布するためにボランティア組織「コロナ救援タイガーフォース」を設立しました。最盛期には、政府の呼びかけに応えて、百万人以上の若者が「タイガーフォース」のメンバーとして全国で活動しました。

8.感染者の増大と減少
 5月のロックダウン緩和と経済活動の再開は、短期的には感染の拡大をもたらしました。6月14日には一日当たりの感染者数6825人、6月20日には一日当たりの死者153人のピークを記録しました。最悪の場合、6月末までにパキスの累積感染者数が200万人を超えるというショッキングな報告をロンドン・インペリアル・カレッジが公表してパキスタン国内で物議を醸しました。WHO、内外の有識者、そして野党からは、政府に対して再度全土にロックダウンを宣言するよう求める圧力が高まりました。
 これに対して、カーン首相及びNCOCは、全土ロックダウンの代わりに、「スマート・ロックダウン」と銘打って、PCR検査の拡大による豊富なデータを駆使して、感染源、感染経路及びクラスターを迅速に特定して、ピンポイントで必要最小限の場所のみを閉鎖して、「命と生活」の両方を守ることで事態を乗り切ることにしました。また、日本、中国、米国、EU等からの支援を受けて、検査能力や病院の治療態勢を拡充して医療崩壊を防ぎました。更に、首相自らが宗教界を含む国民各界各層に対して、ソーシャル・ディスタンシング、手洗い、マスク着用等を含む感染症対策の遵守を直接訴えました。その結果、6月後半以降、一日当たりの新規感染者数及び新規死亡者数が着実に減少するとともに、回復者が徐々に増えて、9月初めには、累積感染者数29万7014人、回復者数28万1925人、死亡総数6328人という状態をもたらすことに成功したのです。 

9.終わりに
 感染症対策が一段落した今、パキスタンは、ポスト・コロナ時代の経済・社会開発の課題に対処するために、カーン首相の号令の下で、税制改革、輸出振興、観光誘致、教育改革、医療改革等、各種の施策に精力的に取り組み始めました。また、内政に専念出来るように安定した国際環境を作るべく、隣国アフガニスタンの和平に積極的に協力しています。同時に、感染症と相前後して今夏にパキスタンをおそった豪雨の被害の復興も本格的に始まりました。新型コロナウイルス対策を通じて、パキスタンの国家と社会は、強靱性と効率性と団結を明らかに高めました。