(コロナ特集)ナイジェリアとコロナ:現場体験記


駐ナイジェリア大使 菊田 豊

1.ビル・ゲイツの警鐘

 ナイジェリアはアフリカ最大の2億の人口と経済規模を有する一方、インドを超える世界最多の貧困層を抱える国でもある。原油輸出はアフリカ随一であるのに、国内精油施設の不備から石油の輸入国でもある。多民族、貧困、疾病、テロ、誘拐等凶悪犯罪、汚職等々、ナイジェリアにはアフリカの抱える問題のすべてがあるとも言われる。
 新型コロナウイルスの侵入に対しては、中国や中東諸国との人的往来が盛んであること、医療体制が劣悪なこともあり、政府は早い時期から高い警戒感を有していた。コロナ禍がアフリカに波及した場合の警鐘として記憶に残るのは、2月17日、米科学振興協会(AAAS)で発せられたビル・ゲイツによる警鐘である。曰く、新型肺炎がアフリカに波及すれば医療サービスの対応が追い付かず死者1000万人の事態を招きかねない。中国の場合より劇的なパンデミックになるおそれがある。
 しかし、少なくとも本稿を執筆している8月中旬時点で、恐れられたような感染爆発は起きていない。ナイジェリアでのコロナによる死亡者数は1000人以下に抑えられている。なぜか?
 平均寿命54歳前後と若者が多いことがあるのかもしれない。無論、こういう土地柄であるのでネガティヴなエピソードを挙げだせば枚挙にいとまがない。中国の通信システム5Gで広がる、ブードゥーの呪文では治らない、マダガスカルのハーバルシロップが効果ありとされアブジャで売られていたら90%はナイジェリア産だった等々。それら逸話の方が読んで面白いかもしれないが、本稿の目的に照らし割愛させて頂き、私が見るところ感染抑制に効を奏したと思われるナイジェリア側の取り組みをご紹介すると共に、今後の課題や日本大使館の実情につき付言することとしたい。

2.毅然とした初期対応

 2月27日、イタリア・ミラノからラゴスに戻ったイタリア人がサブサハラ初の新型コロナ発症者となった。その後コミュニティ感染が観察されるに至り、連邦政府は直ちに毅然たる措置を執る。3月24日午前0時をもって国際線は全て運航停止。27日からは国内線含め空港全面閉鎖。30日にはムハンマド・ブハリ大統領がテレビ演説し、アブジャやラゴス等主要地域に完全ロックダウンを敷いた。執行確保のため軍も導入され、規制を守らず射殺される者まで出た。後述するように、当館としても種々対応に追われるスピード感だった。
 しかし、追い打ちをかけるように、4月17日、政府の最高実力者アバ・クヤリ大統領首席補佐官が死亡し衝撃が走る。ナイジェリアの最大課題の一つ、電力セクター改革に関し3月初旬にシーメンス社との打ち合わせのためドイツを訪問し感染したらしい。そのわずか5日後の22日、全国知事フォーラムにおいて州をまたぐ移動が完全に禁止された(Interstate Lockdown)。これは国内の物流の重要性にしてみればかなりの荒療治であるが、全会一致だった。それだけ危機意識が強かったのだろう。ナイジェリアはエボラ出血熱の侵入を阻止した経験もあり、目に見えない敵に対する高い危機意識を有すると共に、初動で断固たる措置を執ることの重要性を身に染みて理解していたのだ。

3.Life and Livelihood ~段階的緩和は解除にあらず

 連邦政府は大統領直下にボス・ムスタファ官房長官を長とするタスクフォース(PTF : Covid-19 Presidential Task Force)を設置し、連日のように対策を練り、国民の啓蒙に努めた。また、マラリア、ラッサ熱はじめ様々な感染病に苦しむ国としてNCDC (Nigeria Centre for Disease Control)という組織があり、ここが検査や隔離施設等の情報を一手に引き受け、ほぼリアルタイムで国民に情報提供している。ナイジェリアにおけるインターネットユーザー数は1憶2000万を超えており、私の手元の携帯でもNCDCのCovid-19ページにアクセスすると、「これは無料です。Stay Safe and Stay Informed.」とメッセージが出る。後述するように官民総力を挙げて全国での検査施設、収容施設の増設も進んでおり、この国のいざという時の底力は刮目すべきものがある。
 しかし、日銭を稼がなければ生きていけない貧困層は長期のロックダウンに耐えられないことも事実である。現実を無視した規制措置は不遵守の問題を惹起する。4月27日、ブハリ大統領は、再び国民へ向けた演説の中で、主要地域完全ロックダウンに替えて全国全土を対象とした夜間外出禁止令、各州間の移動制限、公共の場でのマスク着用の義務化を5月4日より実施することを発表した。LifeとLivelihoodのバランスを考慮しつつ、ある程度の犠牲は覚悟の上でロックダウンの内容は緩和して国民が生計を維持できるようにする一方、地理的には規制範囲を全国に拡大したのである。そもそもこの国はコロナに限らず様々な病気や貧困由来の要因で毎年多くの命が失われている。コロナ対策故に生きていけなくなるのは本末転倒と感じる国民が多いのも宜べなるかなである。グラフの通り、その後に感染者数が増加しているのは事実だが、懸念されたような爆発状態には至っていない。最近ではむしろ増加ペースは減速しつつある。なぜか?
 ポイントは、大統領は規制措置の「解除」とは一度も言っていないことである。大統領タスクフォースは状況の推移を注視しながら、時々に応じた緩和を慎重に進めており、今は段階的緩和の第2フェーズの延長、と言った言い方をしている。その一方で、私が常々感心するほど楽天的な国民が過度に気を緩めないよう国民への啓蒙は懸命に続けており、最近再開された国内線発着の空港でも、集会が認められた宗教施設でも、人出は限定的であると報じられている。ポストコロナにおけるa new normalに案外この国はそれなりに対応するのかもしれないと思い始めている。
 ナイジェリアのコロナ対応の特質として印象的な点をもうひとつ挙げるなら、官民挙げての対応である。3月31日、連邦下院はフェミ・グバジャビアミラ議長の提唱に応じ、360名の議員全員が、給与の100%全額を2か月間にわたり国家救済基金 (National Relief Fund Account for the fight against Covid-19)に寄付することを決議した。これに刺激されたのか、様々な州でも州知事や州会議員が給与の返還や寄付を申し出た。また民間部門でも、当国を代表する主要企業が集まってCACOVID (Coalition Against Coronavirus )なる組織を発足させた。いくつかの日本企業も関係するこの組織は、設立直後から、必要とされる部門に食料・肥料からマスク・防護服・医療品に至るまで様々な支援を行っている。全国紙This DayはThis Day Domeと銘打つ感染者治療施設をアブジャに急遽建設した。これは連邦政府もナイジェリア最高の施設であると称しており、実際に多くの命がここで救われている。
 この国では恒常的に小競り合いは起きるが、国全体をひっくり返すようなことはしない、と聞いたことがある。普段は貧富の格差激しく、争いの絶えない国であるが、国全体の存亡が問われるような事態に直面した時の官民挙げての対処ぶり、粘り強さ、ボランティア精神はむしろ見倣うべきものがあるのではと思うほどである。

4. 今後の課題

 さはさりながら、連邦政府の今後の課題は問題山積である。昨年末に政府が議会に提出した2020年度予算案は、経済成長率2.9%、原油価格57ドル/バレル、為替レート305ナイラ/ドルを前提としていた。それが、今年に入り、原油安とコロナのダブルパンチに見舞われ修正を余儀なくされる。ナイジェリアの国家歳入を支える原油ボニーライトは軽良質な原油であるが故に、コロナ禍でジェット燃料などの需要減の影響をまともに受ける。修正政府予算案は成長率マイナス4.4%、原油価格28ドル/バレルを前提とした緊縮案となった。為替は360ナイラ/ドルとしているが、実際にはじりじりとナイラ安が進んでおり、市中の実勢レートは既に470ナイラ/ドルまで下がっている。ちなみに、成長率マイナス4.4%はまだ楽観的な方で、IMFはマイナス5.4%、イェミ・オシンバジョ副大統領をヘッドとする政府の経済持続可能性委員会報告書でさえも良くてマイナス4.4%、最悪マイナス8.91%である。世銀は40年で最悪の景気後退を予測し、コロナ禍が第3四半期に収束しなければ更なる悪化もあり得るとしている。
 悲劇的なことに、政府予算案を巡る議会に於ける審議の結果、コロナ対策出費が増大し、むしろ10.81兆ナイラという拡大予算となってしまった。これは当初予算案に比しても2160億ナイラ、修正案に比べれば3010億ナイラの増である。今後一体どうファイナンスするというのか?対外債務は2015年には103.16億ドルだったが、2019年末時点で276.7億ドルと3倍近く、2005年のパリクラブ債務救済合意直前の水準にまで膨れ上がっており、今後更に増大するのは火を見るより明らかである。ザイナブ・アフメド財務・予算・国家計画大臣は石油に代替する税収を求め、産業多角化や印紙税含めた徴税強化を唱えるが、12%を超えるインフレ率、30%以上の失業率に苦しむ国民を前に困難な経済財政運営を迫られている。
 また、治安対策、汚職対策の面でも捗捗しい成果は挙がっておらず、最近ではボコ・ハラムの攻勢、要人の汚職疑惑など、むしろ政権にダメージとなる事象が続いており、2023年の大統領選挙へ向け既に政治的不安定も散見されるようになりつつある。政権側は、原油に依存していた経済の多角化が進められる、保健分野が強化される等、コロナ禍は変革へ向けての契機となるのだと唱えるが、果たして実際にそうなるのか、ナイジェリアの底力と国際社会の協力が試されている。

5.日本との関係

 3月21日土曜日、前述した様に空港当局は24日午前0時からの国際線運航停止を発表。週末から23日深夜の最終出発便まで大使館を挙げて邦人退避支援に当たり、乗り継ぎ地公館には昼夜を問わず電話連絡し頭を下げた。幸か不幸か、当国の危険度に照らし邦人企業関係者は日頃から退避準備の心掛けが出来ており、当館も在留邦人全員との緊密なネットワーク構築に努めていた。この時点で邦人企業関係者の太宗は退避を了し、その後事情で残っていた方々も他国政府チャーターの臨時便などを活用して脱出し、日本企業関係者は現在JETRO職員含めゼロである。当国は政府部門の苦境にもかかわらずラゴスを中心にビジネスは活発であることもあり、潜在的ビジネスチャンスが消えるものではなかろうし、私はナイジェリアの復元力を誰よりも信じる者であるが、前述の通り当国経済の先行きが極めて厳しい見通しであることもあり、邦人企業関係者が当国に戻り、日系ビジネスが活気を取り戻すにはしばらくの時間を要するだろう。
 3月30日の完全ロックダウン後は、感染防止に配慮しつつ大使館機能及び館員生活の維持が主要課題となった。館員に非常用備蓄食料を配布し、買い物は纏め買いを奨励した。外交団はロックダウンの例外とするよう外務省に申し入れ、本官のみならず現地職員や私用運転手などにも雇用者は日本大使館である旨の書簡を持たせた。なにせ営繕等官房や警備の担当者は大使館に出向かざるを得ないし、現地職員が出勤途上で軍や警察に射殺されてはたまらない。
 厳しい環境下ではあるが、情報収集・分析・発信等の大使館の必要業務は何とか維持している。正面からコロナ支援と銘打った援助はなかなか出来ないが、再開された国内線空港で使われている赤外線サーモグラフィーはNECが開発しかつてエボラ出血熱対策として日本が供与したものである。36全州及びFCT(連邦首都圏)に存する人工呼吸器・酸素ボンベ付きの日産製の救急車は日の丸マークをつけコロナ患者を乗せて走り回っている。前述のNCDCの能力向上支援のため私は二度にわたりE/N署名を行った。国連機関等とタイアップした支援では北東部など危険度4の地域でも日本の旗が立つ。

(写真)ナイジェリア全州に供与された日本製救急車
(写真)NCDC能力向上支援のためのE/N交換

 1960年は「アフリカの年」と呼ばれ17か国が英仏等から独立を果たした。このうち、日本が同年のうちに外交関係を樹立するのみならず大使館を開設したのはナイジェリアだけである。以来、在ナイジェリア日本国大使館はナイジェリアを専轄して来た。本年はその60周年に当たる。コロナ禍にあっても、日本の息の長い当国との関係を多くのナイジェリア人に発信していくべく工夫を重ねたいと考えている。 最後に、かかる厳しい環境に耐え館務を支えてくれている当館の精鋭たちに心からの敬意と感謝を表して拙文を終えることとしたい。(2020年8月14日記)