(コロナ特集)サウジアラビアとCOVID19



駐サウジアラビア大使 上村 司

1.はじめに
 人口3,000万人を超える湾岸の大国サウジアラビアも、年初からの新型コロナ危機に晒されて苦労している。乾燥した熱砂の国、というイメージが強いサウジだが、ジッダやダンマンのような海沿いの湿気の多い都市もあるし、畑や果樹園の連なる農村もある。新型コロナは気温や湿度に関係なく世界中で猛威を振るっているが、サウジにおいても同じことが見て取れる。まことに厄介なウィルスである。
 8月下旬の統計では、一日の新規感染者は1千人強であり、6月から7月にかけてのピーク時の4~5千人から大幅に減少している。PCR検査数は毎日5万件程度、これまでの検査総数460万件以上と検査に重点を置いていることも明らかだ。危機が始まって以来、累計の死者数は約3,600名、また現在の重症者数は1,600名程度。PCR検査で大きな網をかけ、クラスターを潰し、医療崩壊を防ぎ、なんとかこの危機を乗り切りたいという政府の強い意志が表れている。またサウジには多くの外国人労働者が滞在し(人口3千万人のうち、1千万人近くが外国人労働者)、その中には集団で居住する人も多いことから、外国人労働者対策も柱の一つとなっている。

〇参考URL:https://www.worldometers.info/coronavirus/country/saudi-arabia/

2.サウジの防疫措置概観、その特色
 1月下旬から8月下旬の今までのサウジの防疫措置をなぞってみる。
 まず、1月から4月にかけての厳しい都市封鎖の導入や全国際旅客便の運行停止に始まり、その基本骨格は維持したままで、4月中旬からはクラスター発生抑止を狙った積極的検査の導入(外国人労働者居住区など、感染拡大が懸念されるところの集中的手当て)を行って封じ込めに注力してきた。規則違反への罰則規定も設けられた。その結果、5月中旬にラマダン月(日没後の大勢での食事での感染拡大が懸念された)の危機をまずまず乗り切ると、5月末から6月中旬頃にかけて、慎重ながらも、国内の経済活動再開に向けて徐々に舵を切り始めた(「withコロナ」の各種指針の発表、ドライブスルーPCR検査の導入、外出禁止措置の緩和・撤廃、国内旅客定期便の再開など)。6月22日、メッカ・メディナの宗教関連都市の封鎖や厳しい防疫措置は継続しながら、7月末から8月上旬にかけての巡礼の一大フィナーレに向けて、今年は巡礼者を大幅にカットするとの大胆な方針が打ち出された。巡礼危機を乗り切った現在、いっそうの「withコロナ」施策の方針が打ち出され始めたが、国際定期旅客便の再開についての決定はまだである(8月23日現在)。国内の経済活動再開は進めるものの、海外からの感染の流入と拡大のリスクにはまだまだ慎重だと見ることが出来る。11月下旬にG20首脳会議の開催を控えているという要素も大きいだろう。
 
3.聖地巡礼と新型コロナ危機
 日本にはイスラム教徒がそう多くないので、私たちはイスラム教徒の聖地巡礼、聖モスク巡礼の重要性にあまり気づいていない。しかし、15億人とも20億人とも言われる世界のイスラム教徒にとって、メッカ・メディナへの巡礼は一生に一度の夢と言っても過言ではない。コーランにも、最も重要な信仰義務(五行)の一つと書かれてある。だから、巡礼月ともなれば、日本の年末年始のようなもので、メッカ・メディナを訪れる参拝者の数は200万人を超える。そんな大混雑の中、今年の巡礼で何の手立ても施さなければ、メッカ・メディナを中心に新型コロナ感染の爆発が起こる危険性は極めて高かった。国内にたいへんな影響を与えるのはもちろんだが、感染した巡礼者がそれぞれの母国に帰り、世界中に新型コロナをばらまくようなことにでもなっていれば、サウジの国際的な信用は地に堕ちてしまっていただろう。
 話は少し脱線するが、イスラム教徒にとっての聖地巡礼について、少しお話を続けてみたい。いかに世界的に重要な行事かをおわかり頂くために、である。
アラビア半島の西、紅海沿岸から山岳地帯にかけて広がる聖都地帯。今では毎年1千万人ものイスラム教徒がこの地を訪れ、メッカ・メディナの二聖都、それぞれにある聖なるモスクと周辺の聖地を巡礼する。地元のサウジ人や近隣の中東諸国のイスラム教徒だけではない。世界中から様々な人種のイスラム教徒が集う、憧れの地なのだ。中でも、イスラムの暦で12番目の月である「巡礼月」に巡礼を行うことが本当の巡礼だとコーランには記されている(正式には巡礼月の特定の日に特別の形式を踏んで行われるもの)。これが「ハッジ」と呼ばれる「大巡礼」で、それ以外の時期のお参りは「ウムラ(小巡礼)」と呼ばれる。先に少し触れたが、近年は、この「ハッジ」の短い期間にメッカ・メディナを訪れる巡礼者は優に200万人を超える。もっともこのハッジ、誰でも自由に参拝できるわけではなく、サウジ政府によって各国に割り当てられた人数に従い、各国のイスラム関係当局が国内調整を行った上で、巡礼者を送り出す世界的なシステムが確立している。所得の少ない人たちも少しずつ積み立てをして旅行資金を貯め、楽しみにその順番を待っている。(ちなみに2020年の「ハッジ」は7月下旬から8月上旬の時期。太陰暦のイスラム暦は毎年10数日、前倒しになる。)
 この聖地巡礼がどれほどの人気なのか、人口割りで見てもよく分かる。世界のイスラム信徒数は少なく見積もっても15億人。近年のサウジ政府による受け入れ能力の向上努力で、「ハッジ」としての巡礼者200万人とそれ以外の「ウムラ」を併せて、年間の巡礼者は1千万人を超えているものの、信徒数の15億人で割れば、単純計算で150年待たなければ聖地巡礼の順番が回ってこないということになる。新型コロナ危機がまだ影も形もなかった頃、サウジ政府は、社会経済システムの大改革(サウジビジョン2030)の中で2030年までに巡礼者受け入れ能力を3倍の年間3千万人に引き上げると発表していた。それでも人は50年待たねば巡礼の順番を引き当てられない。
 巡礼の世界的な人気と重要性についてお話をしてきたが、今回のコロナ禍に向き合うに当たり、巡礼はサウジ政府が最も気を遣うセンシティブな問題だということがわかりいただけたかと思う。

4.2020年のコロナ禍の中での礼拝や断食や巡礼
 サウジ政府は、2月27日、サウジ国民や近隣湾岸諸国民によるメッカ・メディナへの巡礼「ウムラ」の停止を発表した。彼らは比較的気軽に「ウムラ」を行っていたからだ。また政府は、3月9日、全国のモスクに対して金曜礼拝の説教を15分以内に限定するよう指示を出した。1週間後の3月17日には、メッカとメディナの住民に対してさらに厳しい措置が出た。グランドモスク(メッカ)と預言者モスク(メディナ)以外の、両市にある普通のモスクでの集団礼拝が禁止されたのだ。この宗教都市では、多くの住民と外国人労働者が、さして広くない市域にひしめき合って暮らしている。この時期、メッカ、メディナで(おそらくクラスター)感染が広がり、政府は警戒を強めていた。
 3月23日には全国に夜間の外出禁止令が出され、リヤド、メッカ、メディナ、ジッダの主要4都市については、外出禁止の時間帯が昼間帯に順次拡大されていった。4月2日に至っては、メッカとメディナの2都市で終日の外出禁止が発令された。これらの都市封鎖措置は日を追うごとに厳しくなり、4月6日には全国に終日の外出禁止措置が拡大していく。それは4月下旬からはじまる「ラマダン月(断食月)」を見越してのものだった。ラマダン中は、人々は日没後から夜明けまでの夜間に食事を摂る。日本で言えばお盆の時期のようなもので、親族や友人が集まり、食事をともにして絆を確かめ合う大事な行事だ。しかし片や、そんな密なラマダンを例年通り許してしまうと感染爆発の危険が高い。だから政府は、ラマダン前の厳しい外出禁止措置を導入すると同時に、ラマダン期間中は外出禁止を一部緩和したり、夜間のレストランの営業指針を示すなど、市民感情にも配慮する措置をとったのだ。難しい塩梅であった。なお、この期間中も、グランドモスクと預言者モスクでの礼拝は禁止。宗教権威がこの政府の決定にお墨付きを与えている。ラマダン月の、この硬軟とりまぜたサウジ政府の対応はなかなかに興味深いものがある。
 さて、ラマダン月とその後のイード(ラマダン明け休暇)を乗り切った政府は、5月末から徐々に「withコロナ」政策に舵を切り始める。経済活動再開のための都市封鎖などの段階的な緩和・解除、国内定期旅客便や旅客鉄道の運行再開などである。面白いことに、ここでもメッカだけは、他の都市に比べて、緩和のスピードが一段階遅い。そして、6月21日にはメッカも含めて全国の都市封鎖が解除されるのだが、この時点でも、「ウムラ」は禁じられたままで、7月末からの「ハッジ)」をどう乗り切るか、政府の慎重な姿勢が窺えた。
1400年のイスラムの歴史の中で、実際、伝染病の大流行などを理由に「ハッジ」が出来なかった年もあった。今回、理論的にはサウジ政府にはそのオプションもあったが、ここの有識者たちと話してみると、そのオプションは取り得ないだろうという見方が大方を占めていた。サウジ政府が今回最終的に下した決断は、「ハッジは止めない、しかし巡礼者の数を大胆に削減して1千人で行う」というものであった。例年200万人以上が集う「ハッジ」にその2,000分の1にしか許可を出さなかったのだ。国外からの参拝も認めない。もっとも、サウジ人だけ参拝できるのでは国際的に保たないから、サウジ国内に居住する外国人労働者やイスラム圏の外交団の中からも参拝は認められた。その際、一度新型コロナに感染して回復した人やしっかりした無罹患証明を持つ人だけを選ぶなど、周到な準備がなされた。(結果として、実際に今年の「ハッジ」を行った人数は1千人を超えると言われている。)
 現在のサウジ国王は「二聖モスクの守護者」という正式の敬称を持っている。グランドモスクと預言者モスクのことだ。その名の示す通り、サウジ政府は世界中のイスラム教徒が注目する中、今年の「ハッジ」を野放図に許可して感染の爆発を起こすリスクも、また、それを一切禁止して、イスラムの盟主としての鼎の軽重を問われるリスクも、冒さなかった。

5.G20と新型コロナ
 8月下旬、大巡礼の時期は乗り切った。感染の状況も一応コントロール下に置かれている。8月末から、原則としてすべての官公庁職員を職場復帰させる方針を明らかにした。こういった中で、次にサウジ政府が直面する大きな課題は11月下旬に予定されているG20首脳会議である。
 昨年のG20議長国の我が国は、トロイカ(昨年、今年、来年の議長国の集まり)の一角として、サウジ政府と緊密に連携して準備に協力してきた。言うまでもなく、サウジは、我が国の最大の石油輸入取引先であり、石油化学産業を中心として我が国も多くを投資してきた国である。昨今は省エネ・代替エネや環境問題にも積極的に目を向け、壮大な次世代プロジェクトを打ち出し、伝統的な社会経済制度にも大胆に改革のメスを入れている。そのサウジが、今年のG20の議長を務めることはまさに時宜にかなっている。しかし、そこに突然降ってわいたのがコロナ禍であった。
 2月下旬、リヤドでG20財務大臣・中央銀行総裁会議が実開催されたのを最後に、それ以降のG20の関連会合はバーチャルで行われてきている。しかし、やはり実開催に勝るものはない。秋の首脳会議はなんとしてもリヤドに各国首脳が集う形での開催にこぎ着けたいとの関係者の強い熱意を感じる。首脳会議までちょうど残り3ヶ月を切った。サウジ政府は、対内的には「withコロナ」に力点を移しつつ、外からの新型コロナの流入に対しては引き続き厳しめの鎖国政策を続けている。また、ロシア、英国、米国、中国などワクチン開発が進んでいるとする国々との関係構築にも積極的だ(もっとも、保健大臣は「安全性が確保されることがワクチン利用の大前提である」との発言を忘れてはいないが)。これらの、アクセルとブレーキを巧みに使い分けるサウジ政府の方針は、当然、秋のG20首脳会議の実開催を念頭に置いたものであろう。ギリギリの状況下での難しい舵取りがしばらく続く。

6.最後に
 新型コロナに対処する各国政府は共通の問題を抱えている。と同時に、それぞれの国特有の課題も抱え、難局を乗り切る工夫を凝らしている。サウジで言えば、それがイスラムの盟主としての立場、そして今年のG20議長国としての立場である。紙数が足りずに今回は詳しく触れなかったが、サウジでは、スマホを活用した新型コロナ関連アプリの普及にはめざましいものがある。指定病院の検索・予約アプリ、PCR検査予約に関わるアプリ、感染者との接触追跡アプリ、社会的距離を保つためのアプリ、(失業した)外国人労働者の本国帰還を支援するためのアプリ、などだ。こういった先進的な取り組みは私たちの参考になろう。疫学的な知見や経験、治療法などを学び合うことはもちろんではあるが、各国独特の社会的な経験を共有することも大事なことではないかと思えてくる。
 4月下旬にサウジ航空の理解を得て、サウジの3つの地区の日本人会と大使館・総領事館が協力して成田への臨時帰国便を運行し、120名ほどの邦人の方々が帰国された。8月1日現在、サウジには800名ほどの在留邦人の方々が残留され、厳しい環境の中で仕事に生活に励んでおられる。ほんとうに頭の下がる思いである。一日も早く、人類がこの新型コロナ危機乗り切り、「withコロナ」であったとしても、もとの平穏な日常が戻ってくることを祈ってやまない。