(コロナ特集)コロナ禍との闘い〜クロアチアの場合


駐クロアチア大使 嘉治美佐子

 陽光きらめく真っ青なアドリア海、七つのユネスコ世界遺産、観光業がGDPの4分の1を占めるクロアチアは、世界中で人の移動が激減する中、パンデミック対策と経済運営の両立に一層厳しい舵取りを迫られて来ました。11月初頭現在、以下のグラフが示すように、欧州に広がる感染の波がこの国にも押し寄せています。拙稿が読者の目に触れる頃には世界各国で収束の認識が共有出来ていることを願いつつ、コロナ禍と闘う任国のエピソード、個人的な観察を、3つ4つ紹介します。

1. 観光立国のジレンマ
 小国の首相がCNNのインタヴューに登壇するのは希なのですが、よく出て来るアンカーのおじさんの挑発的にしつらえた質問に、9月7日、プレンコビッチ・クロアチア首相はよどみなく応えていました。「この夏、実に250万人もの旅行者がクロアチアを訪れたが、夏の終わりには感染者が急増、国境を開き観光業を生かしたのはよいが、その代償を払うはめになっているのでは?」と問われ、「去年は記録的な1500万人近い来訪者、今年はその半分、700万人の旅行者がクロアチアを訪れた、有効なロックダウンで感染を抑えた後、4月末から5月初めにこれを解除、6月中旬以降の観光客を迎えることができた。8月以降感染者が増えているのは織り込み済みで、免疫学的措置を講じており、人口十万人当たりの死亡者数は0.5人と、多くの西欧諸国と比較しても遙かに低い。」
 クロアチアでは、例えば、古代ローマ皇帝宮殿のあるスプリットに一泊、ビザンツ美術の傑作モザイク画を見にポレチュに一泊、首都ザグレブに一泊すると、それで3人、という数え方をします。陸続きの旅行者の到来も多く、宿泊数で押さえるのがEU基準の数え方とのことです。CNNアンカーと首相の言う数字が食い違うのはそのためかと思われます。
 この数え方でいうと、日本からも、2019年は延べ15万人の来訪者がありました。在留邦人は150人強ですから実にその千倍近い規模です。旅行者の数え方はともかく、クロアチアの人口は約400万人です。安全対策を呼びかけつつ来訪者による感染はある程度やむを得ないという、苦渋の選択の結果、CNNの算出でも250万人が訪れた、ということになったのでしょう。検疫対策上日本からは渡航が叶う状況ではなかったのですが、ドイツやチェコ、オーストリアなど、主として近隣国から自家用車での来訪者が多かったとのことです。2020年2月25日に最初に感染者が確認されて以来、感染拡大の防止と経済停滞への対処という、世界各国が直面しているジレンマを乗り切る、(上村サウジアラビア大使の表現を借りれば)「アクセルとブレーキを巧みに使い分ける政府の方針」は、この国ではこのように現れたのでした。
 10月の最初の週末、柔道の国際大会が、コロナ禍の下でも世界柔道連盟の規定に従い、名高い観光都市ドブロブニクで開催されました。メダルのプレゼンターの一人を務めた翌朝、晴れた日曜日のこと、例年なら渋谷の交差点の様相を呈する旧市街に寄ってみたのですが、中世の石畳をじっくり観察できるくらい閑散としていました。それでも政府が給与補填などを講じたのが奏功したのか、掃除の行き届いた城壁が穏やかに人待ち風の表情を見せており、少なくも稼ぎ時の夏はなんとか手堅く乗り切ったとの印象でした。
 その後上述のとおり、感染者数は急増し(十万人当たりの死亡者数も11月3日現在過去一週間累積で3人)、それでも増加率が下降しており完全なロックダウンはしない、というのが11月初頭現在の政府見解です。観光シーズンの到来を前に、経済規模が小さいだけにクリスマス・マーケットが大きく開けないのも手痛いことです。世界中の同僚同様、任国での傾向と対策を、固唾を飲んで見守っている次第です。

⒉ 初めてのデジタルEUサミット
 前述の短いインタヴューで、プレンコビッチ首相は、旅行者について聞かれたにも拘らず、開口一番、クロアチアはパンデミック下でEU議長国を務めあげた、と発言しました。この部分はアンカーにスルーされた他、EUが何かをよく知らない北米大陸の視聴者にも気づかれなかったことでしょう。しかし、2020年前半の初めてのEU議長国を、この国持ち前の危機管理能力を発揮して、電子技術で無事乗り切ったことは、最も若いEU加盟国の立場から、また、コロナ下の国際会議のあり方という観点からも、実は意義あることだったのです。
 EU議長国は、全ての加盟国が6ヶ月で持ち回り、その期間内に首脳会議を主催します。一番大々的にEUが拡大を見たのは、バルト三国や旧東側諸国など計10か国が加盟して総人口が3億強から5億強になった2004年でした。2003年に加盟申請してしたクロアチアは、ルーマニアとブルガリアが加盟した2007年に遅れること6年半の2013年7月、単独でポツンと加盟の承認を得ました。そして初めて議長国を務めるのが、英国が離脱したため順番が早まったことから、2020年前半となったのです。
 こうしてザグレブでは、会議場や飛行場が議長国に相応しくなるよう突貫工事で整備され、2020年1月から3月13日までに7つのハイレベル行事、23の会合が開催されました。その後パンデミック対策から、首脳会議、閣僚会議含め、60のEU関連会議がヴァーチャル開催となったのです。現在のEUの制度では、首脳会議は常任の欧州理事会議長が議事をとるなど、6ヶ月交代の議長国首脳が全加盟国を取り仕切るという建付けにはなっていません。それでも、首脳会議をホストし、閣僚理事会を主催することは、一人前の加盟国になる登竜門であるとも言われています。クロアチアの人たちは、土壇場対応を極めて得意とします。5月6日にはEU議長国の目玉として、初めてのヴァーチャルなEU首脳会議が開催され、「ザグレブ宣言」を採択、所期の成果を挙げて任期全うしたのです。
 この首脳会議には、全27EU加盟国に加え、南東欧の旧ユーゴ構成国、セルビア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、北マケドニア、及びコソボ、それにアルバニアを加えた西バルカン諸国とよばれる6カ国が参加しました。「ザグレブ宣言」は、西バルカン諸国のEUへの加盟を確約するものではありませんでしたが、コロナ禍と闘う上で、EUがこれら諸国と連帯し、支援していく姿勢を打ち出しています。多くのEU加盟国にとり南東への拡大が優先度の高い課題ではない中においても、今は昔(1989年)、ブッシュ米大統領(当時)が言った「Europe free and whole」の実現に向けて布石を打っていく、このような動きは、EUの主唱する価値を共有する日本にとっても、積極的に後押ししたいイニシアティヴだったと思います。
 交渉相手とスクリーンでしか会えないことが、合意文書の採択作業をどんなに困難にするか、外交官なら痛いほど分かります。特にマルチの文言交渉には、廊下での立ち話、メシ攻勢、肩をたたく等、色んな手練手管があるものです。外交のツールの大半が奪われる中で、採択にこぎつけた任国の外交手腕は立派なものだと思います。

3.間断を縫った総選挙と民族和解政策
 クロアチアは、一院ですが議院内閣制を採り、現政権の四年の任期末は今秋と迫っていました。コロナ感染者数が下降した機会を捉え、プレンコビッチ政権は総選挙に打って出ます。同首相率いる中道右派のHDZと中道左派のSDPは30年前の建国以来政権交代を繰り返して来たのですが、両陣営への支持が拮抗しているため、どちらも単独過半数は難しく、周辺国と同様に台頭して来ている極右政党がキャスティングボードを握るのではないか、との予測がかなり支配的でした。ところが、予想に反して、7月5日、与党は大勝し、極右政党でなくセルビア系民族代表の少数政党との連立により、過半数を確保できるようになりました。中道左派は議席を減らし、極右政党は急速に力を失って行きます。3月央から厳しいロックダウンを講じるなどして、コロナ禍を封じつつEU議長国を乗り切ったことが与党の勝利の一因であると分析されています。政権を獲得した与党は、セルビア系の副首相を任命、この8月から、25年前の「祖国戦争」の記念日や被害者追悼式典に共に出席するなど、民族和解に舵を切っています。コロナ禍は、こうした機運の遠因ともなったとの見方も出来るのです。
 EUの議長国がドイツに移った7月21日、加盟国首脳が物理的に参集したEU首脳会合でコロナ禍からの復興支援基金(2021〜2023年)と次期多年度財政枠組(2021〜2027年)の予算パッケージが合意され、復興のためにEUとして総額2兆億ユーロ規模の資金が用意されました。クロアチアはこの約1%の、242億ユーロの割当を獲得したと発表しています。年間6.5億ユーロはEUに払うにせよ、クロアチアの名目GDP(2019年)は、540億ユーロで、EU27か国のそれ(約14兆ユーロ)の0.4%にも満たないことからも、有利にEUを活用したと言えるでしょう。コロナ禍は、首脳会議のザグレブ開催という、他の加盟国がクロアチアを、クロアチア国民がEUのことを、もっと知り、理解を深めるまたとない機会を奪ってしまいました。その一方で、国の復興発展のために、EUから多額の資金を獲得する機会もまた、コロナ禍がもたらしたと言えるのです。
 ただし、EU基金を実際に流入させるには、復興・強靭化計画を作成し、EUの承認を得なければなりません。今クロアチアに必要なのは、未来志向、すなわち、過去の民族間の恨みや共産主義のしがらみから脱却して、一緒に明日を切り開いていく、コネ社会でなく、EUの求める(EU基金使用の条件となる)ルールに基づく透明性のある公正で自由な競争社会を創ることだと、当地の現職有識者も語ります。ところが、コロナウイルスがもたらした人の移動の制限は、EUの本来の単一市場の基本概念に逆行するものですし、経済活動の制限により生じた経済困難者への救済措置は、大幅な財政出動や中央統制といった、競争社会促進には逆行しがちな施策になってしまう面があります。これはこれで悩ましいことではあります。

4.ザグレブ大聖堂の祈り
 3月22日、140年ぶりの大地震がザグレブを襲い、何十年もかけて建築中だった大聖堂の尖塔の一つが崩れ落ち、壁画や像が損壊しました。早朝であったこと、そしてコロナ対策の外出制限で誰もいなかったことが幸いし、教会での死傷者はありませんでした。この大聖堂では、東日本大震災が襲った2011年以来、毎年3月11日前後に、犠牲者追悼ミサをあげて下さっています。今年は、3月8日午前11時半から、去年10月の即位礼にクロアチア共和国を代表して出席したライネル議会副議長の出席も得て、厳かに行われました。ウイルス対策でロックダウン措置がとられたのはその翌週からです。二週間地震が早くやって来ていたら、と思うと背筋が寒くなります。震災復興はコロナ禍の制約を受けることになり、政府や赤十字は寄付の窓口を二つ設けました。日本からの支援は、国会議長、総理、大臣からのお見舞いメッセージ、犠牲となった柔道少女への山下全日本柔道連盟会長からのお悔やみメッセージ、クロアチアへの進出企業からの経営状態が苦しい中での心温まる寄付金、といった形を取りました。日本の専門家が飛んできて現場を見、日本が主導したbuild back better の実践を説くことが出来ないか、とも思いましたが、渡航制限の下ではどうしようもありませんでした。被害総額はGDPの5分の1規模と見積もられ、ようやく10月に復興法が成立、世銀やEUからの援助を得た復興基金も設立され、今後何年にもわたる再建作業が始まろうとしています。
 来年3月は、東日本大震災10周年、ザグレブ震災1周年、ヴァーチャルになってしまったとしても、日本の気持を形にしたいものだと思っています。
(2020年11月5日 ザグレブにて)