(コロナ特集)コロナ危機とブラジル(日本で報じられない姿)


駐ブラジル大使 山田 彰

1.7月22日現在、ブラジルにおけるCOVID−19の累積感染者は223万人弱、累積死亡者は8万3千人弱と、共に米国に次いで世界第2位となっている。COVID−19の感染状況は続いており、ピークに達しているのではないかという気配はあるも、その収束は見通せない。7月に入って、一日当たりの新規感染者はおおよそ2万人~5万人、新規死亡者は600人~1300人程度の範囲で推移している。
(なお、7月22日には、これまでの最大の新規感染者数(前日比67,860人)を記録した。)
 7月7日には、ボルソナーロ大統領が感染した事実が発表されるなど、ブラジルでは日々新しい事態が起きており、ブラジルにおけるコロナ危機を振り返るには早すぎる気がするが、本稿では、日本ではなかなか報じられないブラジルの姿を記述することにしたい。 
 ブラジルは、人口は約2億1千万人、面積では日本の約23倍、EUの倍近くある巨大な大陸国である。気候、風土、経済発展度、文化など地域間の違い、格差は極めて大きく、『ブラジルではこうだ』とひとまとめにして論じることは困難だが、日本の報道ではどうしてもそうした地域の違いが無視されてしまう。
 そして、日本で報道されるブラジルの姿は、多くの場合『コロナウイルスを軽視するボルソナーロ大統領の下、ノーガードで対応して、感染者が爆発的に増加している。』といったものである。こうした報道が全く間違っているとまでは言えないが、日本と大きく異なるブラジルの諸状況を考慮に入れていない報道に思え、ブラジルに住む者にとってはかなりの違和感がある。

2.少し話をさかのぼる。
 ブラジルでは、1月の終わり頃からコロナウイルスへの警戒が始まり、2月初めから保健省では国内における『感染者疑い』の事例を発表するようになった。その時点ではまだ一般国民には危機感は共有されていなかったようで、カーニバルも通常通り開催された。2月後半、私は大使会議出席のため日本に帰国していたが、日本の緊張感はブラジルに比べて遙かに高かったように記憶している。
 カーニバルの終わった直後、2月26日にサンパウロで最初の感染者が確認された。ブラジル及び南米での最初の感染確認で、イタリア出張帰りの男性であった。私が2月末に帰任してみると、ブラジルの雰囲気が一変しているのを感じた。「遠い国の病気」だった新型コロナウイルス感染症が自分たちにとっての具体的脅威になったのである。
 3月に入り、確定症例が少しずつ増え始めた。医師でもあるマンデッタ保健大臣(当時)は毎日のように記者会見に登場し、長時間にわたりコロナウイルスの感染状況等を詳細に説明し、リスクコミュニケーションに尽力しているように見えた。保健大臣は、3月10日、日本大使館をわざわざ来訪して、意見交換も行っている。
 その翌11日、私は大使公邸で天皇誕生日のレセプションを、当時としてはできるだけの感染予防策を講じつつ、開催したのであったが、ブラジリアにおける大規模レセプションは、この日本大使館のレセプションが現在(7月下旬)に至るまでの最後のものになった(このため、いまだにこのレセプションは外交団の間の語り草になっている)。というのは、同日夜にブラジリア連邦直轄区が、100名以上の参加の大規模イベントの中止、学校の活動の中止と言った措置を定める条例を発したからである。その後まもなく、ブラジリアにおけるバー、レストランの営業停止措置(デリバリー、テイクアウト除く)、公園・劇場・映画館・市場等の閉鎖などの厳しい社会的隔離措置がとられた。レストランが開業を許されたのは、ようやく7月15日からである。
 ブラジリアの雰囲気は、条例の発効した3月12日を境に一変した感があった。ブラジル外務省は、18日から外部からの訪問者を受け付けなくなった。サンパウロ市では17日に非常事態宣言が発令され、サンパウロ州で24日に外出自粛措置、ショッピングモールの閉鎖、レストランの営業停止など経済活動を厳しく制限する措置がとられ始めた。リオ州では、17日に経済活動を制限する措置が導入された。ブラジル保健省は、3月20日にブラジル全土が共同感染状態にある旨宣言した。
 いずれにせよ、ブラジルでは、ノーガードどころか、3月中旬の段階から日本における緊急事態宣言下より遙かに厳しい措置が多くの都市でとられていたことは認識されるべきであろう。ただし、厳しい措置がとられたことと実際に社会的隔離が十分に確保できたか、というのは別問題である。

3,ボルソナーロ大統領は、各州政府がとっていた厳しい社会的隔離措置に当初から反対していて、日本の3月の連休の際(後になって日本が緩んでいたと日本人が反省した時期だ)に日本で花見を楽しんでいる人々の動画をTwitterに引用し、「日本ではこういう様子だ」とつぶやいている。ブラジル各州の措置はやり過ぎで、普段通りに行動する日本を見習うべきだと言いたいのであった。
 ボルソナーロ大統領は、『コロナはただの風邪のようなものだ』、『コロナになってもヒドロキシクロロキンがある。』と言って、COVID−19をいわば軽視してきたことは確かである。しかし、大統領の考えは一貫していて、「経済を動かすことがブラジル全体にとって大事であり、経済活動を制限しても感染は完全には押さえ込めないし、制限措置により経済が落ち込めばかえって国民を苦しめる」というものであろう。そこには一定の合理性があるように思える。コロナウイルスの正体がつかめない現在、厳しく経済活動を制限して感染対策を重視する政策と、経済活動重視で臨む政策のどちらが正しいのかは、ただちに断定できない。
 また、『富裕層や経済界から支持を受けるボルソナーロ大統領は、ウイルスを軽視する発言を繰り返していた。』、『ボルソナーロ大統領は、富裕層から支持され、貧困層を見捨てている』(いずれも日本の報道より)というのも、ステレオタイプに基づく見方といえよう。実際には、ロックダウンなど、より厳しい社会的隔離措置を支持しているのは、都市部のインテリ層である。貧困層は、テレワークなど望むべくもなく、外に出て働かなければ暮らしが成り立たない。大統領の経済重視の姿勢は、案外貧困層も含めた支持がある。
 さらに、ブラジルは、中央政府、州、市の三層構造からなる連邦国家であり、現実の感染対策をとる主な権限は、地方政府(州、市)にある。4月15日には最高裁もコロナ対策(社会的隔離措置)に関する最終決定権は地方政府にあると判示している。
 「ボルソナーロ大統領の政策のせいで感染爆発」という報道が正鵠を射ていないと考えられるのは、こうした事情による。

4.さて、4月16日、ボルソナーロ大統領は新型コロナ感染症対策を巡り意見の相違が目立っていたマンデッタ保健大臣を解任する。コロナ対策を主導していたマンデッタ大臣は国民からの評価、人気も高かったが、この頃から、感染対策は迷走の気配を見せ、ブラジル主要メディアによる政権のコロナ対策批判はいっそう厳しくなった。後任のタイシ保健大臣は在任1ヶ月も立たずに辞任し、現在は次官が大臣代行を務めている。6月初めには、保健省がコロナ感染関係情報の公表方法を変更したのに対し、議会、司法から批判を受け、元に戻すといった事件も起きた。
 政権発足前から、ボルソナーロ大統領とブラジルの主要メディアは対立的な関係にあったが、コロナ危機が進むにつれ国内メディアの政権批判はますます手厳しいものになっていく。国際メディアは、ブラジルの国内メディアの報道ぶりに影響されるところが大きく、外国に配信される記事もボルソナーロ批判の色合いが強まった。こうした報道ぶりは、(その当否、善悪はさておくにしても)一定のバイアスがかかっていることに留意する必要があろう。

 ブラジルの感染者数は、一時期のイタリア、スペイン、ニューヨークといった爆発的拡大ではなく、じりじりと増加してきているという印象で『ブラジル、感染爆発』といった報道にも違和感がある。さらに、広大な国土の中で、各地の感染状況はまだら模様であり、一部の主要都市で押さえ込みが功を奏したように見えたものが、地方市町に感染が拡大していくといった状況が見られる。そうした中でも、6月から各地で徐々に経済活動の制限解除が進んできている。ところが、制限を解除した一部の都市でまた感染者数が増加するという事態も起きており、制限措置を再導入する地域もある。

5.冒頭に述べたとおり、ブラジルのCOVID−19の感染がいつ収束するのか、見通せない。ブラジルは巨大な国であるので、一部地域で押さえ込んでも、感染が継続する地方は残る可能性があり、個人的にはブラジルは他国よりも感染状況が長期化するのではないかと感じている。
 ただ、ブラジル人はそうした感染継続の状況に慣れていき、コロナウイルスと共存するニュー・ノーマルに対応するようになるかもしれない。
 コロナ危機がブラジル社会にもたらす傷は、他国と同様深いものがある。2020年のブラジルの経済成長見通しは、−6.40%(ブラジル中銀。6月25日)、−9.1%(IMF。6月24日)と他の諸国より深刻な経済の落ち込みが予想されている。しかし、ブラジルの潜在力はコロナ危機にもかかわらず極めて大きい。政治的な分断は深まっているが、民主的な政治システムが崩壊することはない。時間がかかるにせよ、ブラジルは復活してくるであろう。
 そう考えるのは、私自身も楽観的なブラジル人的な考えを持つようになったからかもしれないが。