(コロナ特集)コロナ危機とトルコの底力


駐トルコ大使 宮島昭夫

はじめに
 世界中で猛威を振るっている新型コロナ・ウィルスは、トルコでも3月半ばから感染が急拡大し、4月半ばには毎日4000人を超える新たな感染者と100名を超える死亡者が報告されました。累計感染者数は世界7番目に達し、自分や家族がいつコロナに感染し死んでしまうか分からないという強い恐怖心と怯えがトルコ社会にも充満しました。この3か月余りで、感染者は21万人(世界15番目)、死亡者は5500名(世界第20番目)を数え、多くの人々に深い悲しみをもたらしました。 その後、状況はかなり落ち着きましたが、不透明さと不安感は拭えません。
本稿では、この間のトルコでのコロナ感染状況と対応策を概観し、最重要課題である経済回復の厳しさに触れたのち、コロナ危機への対応の中で示されたトルコの底力を皆さんにご紹介したいと思います。なお、今回の寄稿にあたっては、福谷医務官をはじめとする同僚館員から有益なデータのインプットとアドバイスを得ました。  

1.トルコでの新型コロナ感染状況と対応策

 トルコで陽性者が確認されたのは3月11日、初の死亡者が出たのは3月17日でした。政府の対応は、経済面への悪影響への懸念から、当初は限定的でしたが、逐次強化されて行きました(表1)。3月20日には感染者の累計は670名、死者数も累計で12名に達し、3月下旬から4月初めにかけて、レストラン等の店舗営業停止、大都市間の移動禁止、そして、65歳以上の高齢者と未成年者の外出禁止、20歳から64歳までの人々の週末外出禁止によりロックダウンがトルコ全土で順次実施されました。これらの行動規制措置は、欧州諸国に比べれば限定的でしたが、トルコの人々は政府の規制以上に外出や移動を自粛し、食料品の買い出しや病院・薬局に行く以外は一日中自宅に閉じ籠りました。イスタンブールやアンカラの市内は閑散とし、大都市間の移動・流通は貨物以外すべて遮断されました。

表1 トルコ政府によるコロナ対策の推移

 これら全国的な行動制限措置と後述するPCR検査の積極的実施、ICUや人工呼吸器など設備の整った全国的な病院、医療従事者による献身的な臨床面での努力が合わさり、感染状況は、4月11日(新規感染者は5138人、死亡者95名)をピークに、徐々に収束に向かいました。4月末には新規感染者2615人、死亡者93人まで減少し、5月6日コジャ保健大臣は、トルコはコロナ・ウィルスとの闘いの第一段階の終了と段階的規制緩和開始を記者会見で発表しました。約2か月ぶりにショッピングモールや理髪店の営業が再開されましたが、大半の規制措置は5月一杯継続され、5月末には新規感染者839人死亡者、25人にまで減少しました。
 そして、経済活動・観光の再開への極めて強い圧力を背景に、政府は、6月初めから本格的に「正常化」実施に踏み切りました。これに伴い、6月半ばには感染が再拡大の兆しを見せ(6月15日には感染者1562名、死亡者15名)、人ごみでのマスク不着用罰則化が実施されました。その後、感染は緩やかな沈静化に向かい、6月末には感染者1293名、死亡者16名に、さらに、7月20日時点での感染状況は一日のPCR検査数4万2846件、新規感染者が928人、死亡者18人になりました。

2.経済回復には多大な困難を伴うが最重要課題
 再拡大の抑止と経済活動のバランスではどの国も苦労していますが、トルコはやっと経済回復しつつあったところで、コロナ危機に襲われました。実際、トルコ経済は2018年秋以来の不況から脱し2019年第3四半期ごろから回復基調に転じ、2020年は政府予測でプラス5%、IMFでプラス3%の成長を見込んでいましたが、3月にコロナ危機が発生したため、IMFは4月半ばに今年の成長率をマイナス5%に下方修正しました。国内のロックダウンに加え、主要取引相手である欧州のコロナの流行が本格化したことから、4月の貿易量(219億5000万ドル)は34.3%(前年同期比)も激減しました。トルコの貿易依存度は61.34(2019)と高くありませんが、4月の鉱工業生産は76.12%で対前月比36.9%減、設備稼働も61.6%で対前月比13.7%減となりました。夏の旅行シーズンを前に観光も大きな打撃を受けています。
 3月17日、エルドアン 大統領は、国営銀行等を使った市場への流動性供給や事業継続のための個人や企業に対する債務返済繰り延べ、休業支援や低所得者層への補助、各種税・支払の猶予などからなる総額2800億トルコリラ、約4.5兆円、対GDP比6%のコロナ対策「経済安定化の盾(Economic Stability Shield」」を発表(当初規模1000億トルコリラ)しました。中央銀行も政策金利を引き下げました。さらに、住宅や自動車、家電製品などに対する低利融資により国内需要の喚起に努めています。代表的な株価指数のBIST100では、3月23日には最安値の84千ポイントでしたが、現在では100千ポイントを超え、コロナ前と同水準で推移しています。
 アルバイラク財務大臣は年末までにプラス成長回帰を目指していますが、政策的選択肢は限られています。財政は不況で歳入が減少し、金融面では累次の引き下げにより既に実質マイナス金利になっており、これ以上の利下げには資本流出や、インフレ懸念があります。トルコリラは、コロナ発生以降、5月8日に対ドル最安値の1ドル=7.13トルコリラをつけました。その後やや戻し、この1か月は1ドル=6.8トルコリラで推移していますが、再びリラ安の急展開も排除出来ません。トルコの対外債務の9割は民間金融機関によるもので、その7割が外貨建て短期債務です。リラ安は債務負担を急増させます。公的部門は低いレベルですが、市場介入などで外貨準備高は低く危険水準にあります。リラ危機となれば再びインフレ懸念も生じます。
 エルドアン大統領の支持率は、コロナ対策で一時期数%上昇しましたが、現在は、コロナ前の水準に戻ってしまいました。大統領はIMF支援を断固拒否すると繰り返し公言しています。人々の関心は、経済面に大きく比重が移ってきています(6月半ばに実施された世論調査によれば、トルコの最重要課題について6割が経済と回答し、コロナとの回答は1割でした)。2023年10月にトルコ建国100周年を迎える大統領にとっては、遅くとも同年5月までに実施予定の次の大統領選挙・議会選挙の勝利が至上命題であり、コロナ対策とのバランスをとりながら、早期の経済回復の実現が最重要課題です。また、シリア、リビアなどの問題やロシア製防空ミサイルS400導入問題、トルコ内に360万人を超えるシリア難民問題など地政学的リスクがリラ安、ひいては経済低迷を引き起こしかねず、まさに油断できません。

3.低い死亡率:見直されるトルコの底力

表2 少ない死亡者・低い死亡率

 コロナ禍の中で注目されるのは、トルコがきわめて低い死亡者数、死亡率を実現してきたことです。表2が示す通り、トルコの死亡率は欧米はおろか、実は日本よりも低いのです。医療崩壊を防ぎ、死亡者数を抑えてきたことは、多くの国民のトルコの医療体制に対する信頼感を維持させ、その不安感の軽減に大きく寄与したと思われます。その直接的要因として、トルコの若い人口と高い医療設備水準(表3)、積極的PCR検査及び臨床面の努力の4つを指摘したいと思います。
まず第1は、平均年齢32歳という人口の若さです。重症化リスクの高い65歳以上の高齢者人口の全人口に占める割合は、トルコはわずか8.8%です。 
2番目に、ドイツに次ぐ医療設備水準の高さがあげられます。トルコでは、エルドアン政権の下、全国拠点都市にICU及び人工呼吸器の近代的設備を有する国立病院の整備が積極的に推進されてきました。

表3 人口の若さと医療設備水準の高さ

 また、病床数を増やすため、イスタンブールでの病院の早期開院や建設も相次ぎ行われました。例えば、双日とJBIC等がトルコ企業とPPP方式で建設した「バシャクシェヒール松・桜 都市病院」(2682床のうち1035床)は前倒して4月20日に一部開院しコロナ患者を受け入れ、5月21日に全面的に開院されました。

5月21日の「バシャクシェヒール松・桜 都市病院」の開院式典

 3番目に挙げられるのが積極的なPCR検査の実施です。検査能力の迅速な増強が行われ、3月には1日あたり約8000件でしたが、現在は5万件まで対応可能となっています。7月13日時点でトルコは人口1000人あたり47.69件のPCR検査を実施しており、これは英国の105.90件,ドイツの76.10件(7月5日)に次ぐ数です。積極的なPCR検査とトラッキング作業は感染初期の患者の早期特定に大変効果的でした。そして4番目は治療面です。トルコ医療関係者からは、発症後早期にアビガン(ファビピラヴィル)を含む抗ウイルス剤を投与することで、軽症患者の重症化(ICU患者、挿管患者の抑制)を防止していることが低死亡率につながっているとの声が聞かれます。
 トルコは、欧米のような完全な民主的国家とは言いにくいのですが、かといって中国のような強権国家ではありません。欧州諸国ほど厳しいロックダウンを講ずることなく、低い死亡率を実現できた背景には社会的な要素もありました。エルドアン大統領の強いリーダーシップと軍や警察等法執行機関の強力さは、都市間移動の禁止や終日外出禁止やマスク着用などの規制措置の実施や医療関連物資の増産や対外協力の面で遺憾なく発揮されていました。しかし、それだけでコロナ禍を乗り切れた訳ではありません。トルコ国民の保健・衛生意識の高さは見逃せません。トルコではもともと食事の前後にウェットティッシュで必ず手先を拭き、西洋式トイレには自動回転式便座シートがあります。家族や友人関係がウェットで人と人との距離が近くすぐにハグし合う国民なので、マスク着用や社会的距離など新たな生活様式の受容には抵抗感があったと思われますが、それでもきわめて多くの国民が毎晩の保健大臣の記者会見を注視し、そのアドバイスを信頼してルールを守ってきました。また、お年寄りを大切にするトルコらしく高齢者の外出禁止をいち早く実施したこともユニークでした。さらに、トルコでは、政教分離(政治による宗教に対するコントロール)が定着しており、モスクでの礼拝停止やラマダン期間中の夕食(イフタール)のための友人との会食禁止なども抵抗なく実践されました。

4.積極的な国際的な医療物資支援で見せたソフトパワー

「ニューノーマル」で社会的距離を取った結婚式。5月10日、Sabah紙

 今回のコロナ危機では、欧米はじめ世界各国は自国の対応に追われ、世界的な危機であるにもかかわらず国際協力は極めて限られていました。中国によるコロナ外交が注目されましたが、実は、トルコは、きわめて積極的に世界各国に対する医療物資支援を展開しました。トルコは繊維産業や軍需産業などの強みを持っており、コロナ感染が世界的に広がる中、トルコ軍向け工場などで人工呼吸器やマスク、防護服、手袋、消毒剤の大量生産体制を1-2か月で構築しました。そして、1月末から中国、東欧、中東、中央アジア、アフリカ、南米等の友好国や独、仏、英、米国、イタリア、スペインなど先進国、さらには関係の難しいイスラエルやアルメニアも含めた138カ国に医療物資や機器を提供し、輸送には軍用機も使われました。海外からの謝意が国内では広く報じられました。感染状況の厳しい中でしたが、国民から批判的な声は聞かれませんでした。
外交関係の強化ないし行き詰まりの打開の一助にしようとの戦略的判断とG20・NATOの一員でありムスリム諸国のリーダーたらんとするトルコの人道的姿勢を対外的にアピールするとの狙いも背景にあったのでしょうが、今回の医療物資支援は、トルコがその強みを生かしソフトパワーを発揮した人道的イニシアチブとして特筆に値すると思います。

5.懸命な観光再開努力:イスタンブール国際空港にPCR検査センター
 目下の喫緊の課題は例年GDPの1割以上を占め貴重な外貨獲得源でもある観光の回復です。トルコは観光大国であり、2019年はロシア(701万人)、ドイツ(503万人)、英国(256万人)などから4500万人の外国人訪問者を迎え世界第6位でした。コロナ危機の影響は壊滅的で、観光客は今年1ー5月対前年比マイナス66%。4月だけでみると対前年比マイナス99.3%と発表されました。その激減はトルコ経済に大きな痛手をもたらしています。
 そのため、トルコ政府は観光再開に向け、持ち前の迅速な対応能力を発揮し、必死の努力を続けています。例えば、7月初めには、外国からの渡航者の利便性向上のため、イスタンブール国際空港に1日に2万件(その後4万件に増強予定)の検査能力を有し2時間で検査結果が判明する大規模なPCR検査センターを速やかに設置すべく準備中と発表しました。また、それに先立つ6月下旬には、文化観光省・保健省・外務省が協力して、「安全観光証明書システム」(Safe Tourism Certification System)を立ち上げました。これは衛生・消毒等の132項目のコロナ対策を徹底し、チェックに合格したホテル・交通機関等には安全観光証明書を発行し、観光客に安全・安心をアピールすることを狙ったイニシアチブです。
 EUやロシアからの観光客・ビジネス客を再び呼び込めるか、これからが正念場です。

おわりに
 最後に、大使館としての活動・今後の課題と個人的な思いを記して、本稿を閉じることにしたいと思います。この3か月間余り、大使館としての最優先課題は邦人保護でした。感染急拡大中の4月時点でイスタンブールに900名程度、アンカラほかに200名程度と数多くの駐在員及び家族がトルコに国外退避せずトルコに留まっておられました。在トルコ大使館では、テレワーク体制にシフトさせつつも、領事担当官を中心に在イスタンブール総領事館と緊密に連携し、日夜、感染状況及び医療機関の対応状況の把握、在留邦人の意向確認と領事メールなどを通じた邦人への情報提供に努めました。特に全ての国際線が運航停止となり国外退避手段の無くなった3月27日以降は、一層の緊張感をもって当たりました。すべての方々が、細心の注意を払い自宅待機を続けたため、幸いなことに、現時点まで邦人の感染者はごく一部の方にとどまっています。
今年、2020年は、日トルコの友情の礎である和歌山県串本沖でのエルトゥールル号遭難事件の130周年に当たります。関連記念行事は当面延期されてしまいましたが、何ができるか模索中です。また、本年就航が決まっていたイスタンブール・羽田の直行便就航はコロナ危機で延期されていましたが、7月4日にトルコ航空が運航を始めました(私自身、今回、第1便に搭乗し一時帰国しました)。全日空の直行便も就航できるほど大勢の観光客・ビジネス客がトルコに戻ってこられる状況になることを期待します。また5000品目以上の関税引き上げなどトルコ国内で保護主義的な動きが強まっていますが、ぜひとも、現在交渉中の日トルコEPAの早期合意を達成し、自由貿易圏をさらに広げ、欧州・中東・アフリカへのハブであるトルコの活力を我が国ビジネスにもっと生かせるようになればと思っています。 文化関係の活動は困難な状況が続いていますが、SNS(FacebookとInstagram)の発信に創意工夫・注力した結果、フォローワー数を、それぞれ、3万人、2万2000人を超えるレベルにまで大幅に増やすことができました。これからの活動の良いベースを作ることができたと大変心強く思っています。
日トルコ関係は2024年には外交関係樹立100周年を迎えます。次の100年につなぐためにも、今の厳しい時期に、種を撒き、水をやり、着実に準備に取り組んでいくことが重要と考えています。

 一日も早くワクチンが開発され、多くの方々にトルコに来ていただき、その魅力を満喫していただけるようになること、そして、日本そして世界がコロナ危機を克服し、人々が前向きな未来を語りあえる日が来ることを切に祈念します。
皆さま、どうぞご自愛ください。