(コロナ特集)インテリジェント・ロックダウン


駐オランダ大使 堀之内秀久

 「インテリジェント・ロックダウン」とは聞き慣れない言葉であるが、これが本年前半、他の欧州諸国と比して成果を上げたオランダの新型コロナウィルス対策の要であるので、以下そのポイントを紹介することとしたい。なお、本稿は筆者個人の見方である。

1.オイルショック以来の危機感

 2月27日に国内初となる新型コロナウィルス感染者が確認されて以降、感染拡大が急速に進む中、数度に亘る対策会議の開催や記者会見を通じて対策を呼びかけていたルッテ首相(53歳)は、3月16日、テレビを通じて国民に向けスピーチを行うに至った。この炉辺談話スタイルの国民向けスピーチが行われるのは、オランダでは1973年の石油危機以来のことであり、ルッテ首相が抱いていた危機意識の高さを示すものとなった。

ルッテ首相

 さらに、3月20日にはウィレム・アレキサンダー国王がテレビ放送を通じて国民に向けたスピーチを行い、ウィルスに感染した患者及び家族へのお見舞いを述べると共に、医療従事者や物流・交通・警察等の分野で働く人々への感謝を改めて表明、国民を励まし、連帯を呼びかけた。国王陛下が国民向けスピーチを行うのも、毎年恒例のクリスマス・スピーチを除けば、2014年、ウクライナ上空で発生したマレーシア航空機撃墜事件以来のことであった。

ウィレム・アレキサンダー国王

2.インテリジェント・ロックダウン

 3月16日の国民向けスピーチの中で、ルッテ首相は3つのシナリオ、即ち、抑制されたウィルスの拡散、感染爆発、社会の完全閉鎖によるウィルス拡散の阻止という3つの可能性を示し、オランダとしては第一の選択肢をとる旨を明らかにした。つまり、このウィルスが当面の間は国民の中に潜み続け、コントロールされた状況の下で国民の多くが感染するとの考え方を示したのである。この「抑制された拡散」という考え方は、多くの国民にある種の覚悟を迫るものであったが、その正直な告白は高い評価を得た。なお、この考え方に対しては、右が政府として十分な対策をとらず集団免疫の獲得を目指そうとするものではないのかとの批判もあり、ルッテ首相は3月23日の記者会見に於いて対策の強化を発表すると共に、この強化された措置を、他の欧州諸国で行われていたロックダウンと区別して、オランダ独自の「インテリジェント・ロックダウン」と命名した。

ソーシャル・ディスタンスを呼びかけるボード

3.開かれた国

 この強化された対策の中身を見てみると、国民に極力自宅にいることを求め、ソーシャル・ディスタンス(1.5メートル)の徹底、全ての集会やイベントの禁止、飲食店の休止を求め、地方自治体による罰金の賦課も可能とする等、マスクの着用までは求めないものの、市民生活に相当の忍従を強いるものであった。例えば、我が国の緊急事態宣言と比較してみると、東京では飲食店に対して営業時間の短縮が求められるのみであったが、オランダでは全国において屋内外を問わず休止であり、決して緩やかな措置ということではなかった。その一方で、市民の外出を一律制限することはせず、グループでなければ散歩も可能、一般店舗もソーシャル・ディスタンスを確保するために人数制限を求めはするが、営業継続は可能であり、実際に週末に商店街を歩くと、それなりに人出があり、距離を取り合いながら買い物を楽しむ市民の姿が見て取れた。
 それでは、いったい何がオランダ独自の「インテリジェント」な部分であったのか?筆者の見るところ、それはルッテ首相が炉辺談話の中で指摘した「オランダは開かれた国である」との一点に尽きる。オランダとしても、感染が急激に拡大したブラバンド地方を完全封鎖することや他の欧州諸国と同様に市民の外出を一律禁止することは可能であったし、ウィルスの拡散阻止の観点からはそのような強硬な措置を執ることが有効なことは明らかであった。しかし、ルッテ首相は上述の通り、ウィルスの阻止を際限なく試みることはしない、そのような試みは国を完全に封鎖することを意味し、オランダのとるべき途ではないと表明し、その際に「オランダは開かれた国だ」と明言したのである。
 このオランダの開放性は、国際航空の場面においても明らかであった。オランダもEUの一員として、3月17日の欧州理事会決定以降、EU市民以外の入国を原則禁止したが、KLMオランダ航空は日本との間の直行便を飛ばし続けた。我が国航空企業はオランダに直行便を就航させておらず、KLMのみがアムステルダム・スキポール空港から成田空港便、関西空港便を毎日飛ばしている状況であったが、コロナ禍の中でもKLMは両便をそれぞれ週7便から2便へと減便する形で飛ばし続けた。また、欧州の他のハブ空港がトランジット旅行者の空港からの外出を厳しく制限する中で、スキポール空港は緩やかな対応をとり、人道的な観点から入国を認め、空港外の病院への入院を認める事例もあった。遠くアフリカや中南米からの帰国を試みる邦人関係者、それらの地域へ赴任する日本大使館員や本国に帰任する援助関係者等、少なからずの方々にとって、スキポール空港が頼ることの出来る最後の砦としての役目を果たしたことに対して、この場を借りて改めて謝意を表明したい。

スキポール空港

4.「インテリジェント・ロックダウン」の成果

 オランダが採用した、この緩やかなロックダウン措置は、欧州各国との比較においても、感染症対策として優秀な成果を収めている。例えば、総感染者数を見てみると、3月24日時点でオランダの感染者数は4,767人であり、世界で11番目の多さであった。しかし、本稿執筆段階の8月21日時点では65,054人、世界で43番目まで順位を落としている。 死者数を見ると、3月24日段階では214人、世界で8番目の多さであったが、現在は6,191人、こちらも世界で23番目と順位を下げている。
 その一方で、インテリジェント・ロックダウンが何故成功を収めたかについては、分からないことが多い。今般、欧州に於いて最大の死者数を記録した英伊仏西に加え、隣国ベルギーにおいても新型コロナウィルスは猛威を振るっており、何がこの両国の状況を分けたのかについては謎である。しかし、比較的緩やかな措置によって、ウィルス第一波の抑え込みに成功したルッテ政権に対する国民の支持が高まったことは確かである。2010年10月以来、足かけ10年の長きに亘り政権を担うルッテ首相であるが、本年2月の世論調査では、同首相が率いる自由民主国民党の支持率(パーセンテージを下院議席数に換算したもの。括弧内は現有議席と比較した増減)は27議席(-6議席)と振るわない状況であった。しかし、コロナ禍の中でリーダーシップを発揮するルッテ首相に対する好感から、同党の支持率は、3月31日の調査で35議席(+2議席)、4月29日調査で39議席(+6議席)、5月27日調査では44議席(+11議席)と急上昇。その後は下落に転じたが、7月30日調査でも39議席(+6議席)と現有勢力を上回る支持を集めている。
 7月末にブリュッセルで開催された特別欧州理事会に於いて、ルッテ首相が「倹約4カ国(オランダ 、オーストリア、 スウェーデン、デンマーク)」のリーダーとしてこれまでにない強い姿勢を示した背景にも、このような国民からの厚い支持があった。同理事会は、巨額の次期多年度財政枠組と復興基金を議題として取り上げたが、ルッテ首相は復興基金の一部について補助金としての支出を認めることとの引き替えに、EU拠出金に係るリベートを増額して確保し、補助金受給国に対しては経済改革を求め、改革の進捗状況が不十分な場合には緊急ブレーキをかけ補助金の支出をストップすることを可能とした。英国のEU離脱後、独仏又は南欧とは異なる主張を展開する国々のリーダーとして、オランダが欧州連合の中で果たす役割は、今後ますます大きなものとなって行くであろう。

5.忍び寄る第二波

 新型コロナウィルス第一波の抑え込みに成功し、国民からの高い支持を集め、更に欧州域内でも声望を高めたルッテ政権であるが、現在、その足下をウィルスの第二波が襲っている。EU域内の旅行が原則解禁された6月15日以降、オランダ各地で欧州各国からの多くの旅行者を見かけるようになり、また、コロナ禍の下での自粛疲れからか、多くの若者がソーシャル・ディスタンスを守ることなくパーティーなどを楽しむようになってきている。その結果がウィルス感染者数に現れており、7月上旬以降週一回の公表となった新規感染者数も7月7日は(一週で)432名であったが、7月21日には987名、8月4日には2,581名、8月18日には4,013名と急増している。
 その一方で、第二波の到来に対する政府の対応に若干の揺らぎが見られる点は、一つの懸念材料である。例えば、マスクの着用について、中央政府は公共交通機関(鉄道、トラム、バス)を利用する場合を除けば、街中でのマスクの着用は求めないとの立場であるが、アムステルダム及びロッテルダムの市長は独自に、試験的措置として人出の多い通りを指定してマスクの着用を求めている。新型コロナウィルス感染者との濃厚接触者の一部に対する自宅での検疫待機の義務化についても、政府が罰則を以て強制しようとの姿勢を見せたところ、国会で反対意見が続出し、発表直後に政府側が提案を延期するとの事態も生じている。また、本年4月、いったん公募制による導入が試みられた後に「政府が定めた基準を満たさない」として導入が延期された「コロナ・アプリ」について、政府は9月1日からの運用開始を掲げているが、プライバシーの保護について懸念を表明する向きもあり、今後の展開は予断を許さない。
 オランダの夏は短く、10月には初冬を思わせる日も増えてくる。これから本格化する新型コロナウィルス第二波への対応にあたり、ルッテ政権がどれほど「インテリジェント」な成果を収めるか、目を離すことが出来ない。 (2000年8月20日記)