(コロナ特集)イタリアにおける新型コロナウイルス問題


駐イタリア大使 大江博

中国、韓国等の一部アジア諸国でのコロナウイルス感染に続いて、イタリアは、ヨーロッパにおけるコロナウイルス感染の先駆けという不名誉な地位になってしまった。イタリアにおいて、なぜ、この様な大規模な感染拡大が起こり、また、これだけ多くの死傷者を出してしまったのであろうか。

1.いつ、イタリアでの感染が始まったか?
 公式に発表されているものとしては、1月29日に中国人旅行者2名の陽性反応が確認され、その後、2月6日に武漢からの帰国者1名の陽性反応が確認され、その後、ロンバルディア州、ヴェネト州等の北部イタリアを中心に感染が拡大したとされている。他方、昨年末頃から、正体不明の肺炎が北部で広がっていたという話もあり本当のところはわからない。

2.イタリア政府の対応の評価
 結論から言うと、(1)ここ数年にわたる医療政策の後退による医療崩壊、(2)イタリアにおける衛生観念の欠如、(3)初動の遅れ、初期の政策の拙さにより、感染は拡大し、多くの死傷者を出すこととなったが、3月11日のロックダウン以降の政府の対応は、概ね評価に値するものであり、その結果、感染は収束に向かっているということであると思われる。以下、それぞれについて見ていくこととする。

(1) イタリアにおける医療政策の後退とそれによる医療崩壊
イタリアは、1990年代に、欧州単一通貨ユーロに参加するために課された基準を満たすために緊縮財政を実施し、その過程で、公共支出を削減した。さらに、リーマンショック、ユーロ危機以後は、IMFやEUから緊縮財政を要求され、医療の予算も大きく減った。この10年で370億ユーロの財源が削減されたと言われている。医療従事者も10年間に約43,000人減少したと言われている。病床数の削減が、後述するロンバルディア州におけるコロナ感染者を介護施設に収容させるというような無謀な政策のもとになったとみられる。

(2) イタリアにおける衛生観念の欠如
今回のコロナの件で、世界が一番変わったことの一つは、マスクに対する意識が変わったことであろう。私が、ローマに赴任した1月末でも街でマスクをすることは、一種のタブーで、マスクをしていると病人だと思われて、人が避けていくという状態で、マスクをしている人は全くいなかった。手洗いの励行等日本の伝統的習慣は、これまで、イタリアで根付いていたとは言えない。その上、人々は、会えば、握手にハグという密接なスキンシップを常としていた。致死率は、感染者の年齢によることが一番大きく、それがイタリアにおける致死率の高さの最大の理由であるが、今回のコロナで、なぜ、高齢者の多い日本で死者が少ないのに、イタリアで致死率が高いのかいう一番大きな理由は、介護施設等での感染が多いことである。日本でも施設でのクラスターが報道されることが多く、介護施設等での感染が多い印象を受けるが、報道によると、全感染者の中で、施設で感染した人は、5%程度であるようである。イタリアでは、全感染者の60%近くが、施設での感染者である。当然、施設には老人が多く、亡くなった方の平均年齢は80歳を超えている。したがって、施設で亡くなった方の割合は感染者の割合よりも、もっと高くなるであろう。日本でも、70歳を超えた人の致死率は,非常に高く、80歳を超えた方の致死率は20%を超えると言われている。イタリアでは、介護施設においても、マスクも消毒も対人距離も、ほとんど守られていなかったと言われており、これが大きな差になったと考えられる。なお、イタリアにおける施設における死者が多いことの理由について触れておかなくてはならないことがある。それは、初期において、ロンバルディア州が行った政策である。感染者の増加に病院が対応できなくなったとして、ロンバルディア州は、3月8日に、コロナ軽症患者の収容施設として、介護施設を利用することを決定したのである。一番重症化する可能性のある老人の多くいる介護施設にコロナの患者を送り込むということは、まさに、介護施設の団体代表が批判するように、「麦わらの山に、マッチを置く」選択であり、それにより、介護施設での感染が多くなったことは間違いない。なお、イタリアにおいては、病院での感染者が約10%、家族内感染が20%近くになっているのは、イタリアでは、感染者の9割が自己隔離で、そのほとんどが自宅での自己隔離であるからである。それが、病院での感染が施設での感染に比べ、少なくなっている理由であり、同時に、家族内感染が多い理由である。なお、4月4日には、29,010名いた入院患者は、7月13日現在768名にまで減少した。(集中治療患者数は、4月3日に4,068名だったのが、7月13日には、65名まで減っている)

(3) 初動の遅れ
 1月31日に「緊急事態宣言」は出されたが、その後、しばらくの間は、具体的な実効的な措置はとられなかった。その間、2月19日には、ロンバルディア州最大のミラノ・サンシーロ・スタジアムでベルガモ県の「アトランタ」とスペイン「ヴァレンシア」サッカーチームの対戦があり、スペインから来たファンを含む45,000人が観戦した。また、 2月9日に始まったベネチアのカーニバルは、終了予定の2日前の23日に中断を決定したが、その間、およそ100万人の観光客が集まったとされる。これらがロンバルディア州、ヴェネト州でのその後の感染拡大に繋がったと言われる。2月23日には、政府は、ロンバルディア州及びヴェネト州の11市をレッドゾーンに指定し、域外との出入り禁止、業務外の外出禁止を行ったが、ベルガモ県のネンブロ市、アルツァーノ市(両市とも人口1万人強)では、3月3日までに合計84人の感染者が出ており、ロンバルディア州は政府に両市の閉鎖を求めたが、政府はそれに応じず、その後8日までに感染者は、計173人まで増加した。両市は有数の工業地帯で、経済界の働きかけがあったとされる。この件については、ベルガモにおける犠牲者の遺族がコンテ首相を提訴するという事態に発展している。

(4) 3月10日以降の政府の対応
 政府は、3月9日に、首相令で、業務上、健康上の場合を除き、居住市外への移動の原則禁止を決定した。11日には、食料品や生活必需品の販売店・薬局・スーパーマーケット・公共交通機関・公益に資するサービス・銀行・郵便・金融・保険サービスなどを除く全ての商業及び小売り販売活動の休止を発表、いわゆるロックダウンが行われた。その後、3月21日には、新規感染者数は、6,557人というピークを迎えるが、その後、少しずつ、感染は収まり、7月に入ってからは、1日の感染者数は、200人前後で、落ち着いている。その意味では、1日6万件という検査数の多さとロックダウンは大きな効果があったと言えるが、ここでロックダウンとは一体何だったのかを見ておきたい。

3.ロックダウンとは何か
(1)
ロックダウンにより、食料品、生活必需品を売っている店以外は閉店になり、週を跨ぐ移動も原則禁止されたため、街からは人々は消え、ゴーストダウンのようになった。ロックダウンというと、ほとんどの人々が経済活動を止めたという印象があるかもしれないが、それは、正しくない。

(2) そもそも、全ての人々を完全に隔離できれば、数週間で新規感染者はゼロになる。というのは、コロナウイルスの場合、約8割は、症状が出ないままに抗体が出来ると言われている。検査を多くやっている国では、感染者の数が多くなり、検査の数が少ない国では、感染者数が少なくなるのは、そのためである。他方、全ての人を完全に隔離することが出来れば、症状の出なかった感染者には、抗体が出来、症状の出た人だけを治療すれば、結果的に、いわゆる隠れコロナはいなくなる。しかし、実際には、全ての人を隔離することは、不可能である。3月10日のロックダウン以降、街はゴーストタウンのようになったが、実は、労働人口の約7割は、労働を続けていた。食料品・生活必需品等活動が許可された関連産業がかなり広く解されていたからである。勿論、店は閉まり、人々は、「ステイホーム」であったため、生産は行われても需要が大きく落ち込んだことは事実である。5月4日に、第1回目の制限解除が行われ、生産活動が再開されると発表されたときに、我々も、感染再拡大を恐れたが、そうならなかったのは、逆説的な言い方であるが、それまで、7割の人が、労働していたのが、制限措置解除のため、約9割の人が働くことになったという程度の差であったからである。
(3) いずれにせよ、ロックダウンが、感染拡大の収束に大きく貢献したのは間違いない。食料品店、薬局等を除き、ほとんどの店が閉まり、街から人がほとんどいなくなったことにより、いわゆる3密の状態がなくなったことによる。州を跨ぐ移動制限が課されたことも、感染拡大を抑えることに大いに貢献した。イタリアの場合、北イタリアで、オーバーシュートとも言える感染拡大が起こったが、概ね、南部への感染の拡大は抑えることが出来た。また、ベネチアに代表されるような観光が主な産業である街は、カーニバルにより感染は大きく拡大したが、ロックダウンにより、感染の収束も比較的早く、6月後半には、新規感染者は、ほぼゼロという状態になった。ローマは、感染はあまり広がらなかったが、中々、新規感染者ゼロにならないのは、首都の宿命というか、外部からの人の移動が多いと言う点が大きい。特に、イタリア政府は、イタリアの居住者、外交官、国際機関の職員には、どこの国から来る人間であれ、空港での検査を求めてこなかったし外交官、国際機関の職員には、自己隔離も求めてこなかった。最近のローマにおける感染者の大半が外国由来のものであり、感染の拡大している国から帰ってくるイタリアに居住権のある外国人、アフリカから出張で帰ってくる国際機関の職員等の感染が目につく。最近では、バングラディッシュから帰国した者が圧倒的に多く、イタリア政府はダッカ経由のバングラディッシュからの航空便を禁止する(直行便の停止、カタール航空等のバングラデシュからの乗り継ぎ客を送還)とともに、ローマにおけるバングラデッシュ・コミュニティー全員に対し、27,000件にわたるPCR検査を行っている。隠れコロナを出さないためには徹底的に検査をするというイタリア政府の態度には頭が下がる思いがする。

4.経済に対する影響
 コロナの経済に対する影響は、全ての国において、リーマンショックをはるかに超える影響が出ると言われており、2020年のイタリアの成長率については、イタリア銀行がマイナス9%、IMFがマイナス12.8%と予測しているが、重要な点は、経済の影響は各セクターに同じように影響が出るのではなく、飲食業、小売店、観光等においてより厳しい影響が予想されることである。イタリアにおいてはそもそもコロナ前から10%を超える失業率にあった上に、イタリア経済に占める中小零細企業の割合が99.9%になり、中小零細企業がイタリアの付加価値の7割近くを創出している。コロナ危機により、65%の中小零細企業が倒産の危機に瀕すると言われている。観光がGDPに占める割合が10%を超えているが、観光の戻りは更に時間がかかると見込まれていることを考えると、コロナの影響は、より深刻なものとなることが容易に予想され、それが、社会不安に繋がらないか懸念が残る。

5.国民の連帯 
 最後に、今回のケースで感銘を受けたことを書いておきたい。今回の危機に際して、医療従事者が不足しているという状況の中で、多くの引退した医者等の医療従事者が、高年齢故に重症化の危険が高いにも関わらず、ボランティアとして、医療行為に参加した。また、食料の配給などについても多くのボランティアが参加した。日本では、あまり見られないこれらの状況には心を打たれるものがあった。