(コロナ特集)アイルランドのコロナ対応


在アイルランド大使 北野 充

 アイルランドの新型コロナ・ウィルス感染症への対応は、政治の判断と医学的な見地の密接な連携の下、感染抑制に軸足を置いて、早め、厳しめの慎重かつ堅実な対策を取ってきたことが特徴と言えよう。本稿では、この半年におけるアイルランドのコロナ対応とこうした環境下での外交を振り返ってみたい。

感染と対応の概況

(感染状況の推移)
 本稿執筆の8月28日の時点でみると、アイルランドのコロナの感染者数は28,578名、死亡者は1,777名である。国の規模を勘案するために、人口100万人当たりの数字を見ると、感染者数が5,827名、死亡者が361名となり、欧州の中では、中位に位置する形となる。
 まず、これまでの感染状況の推移を概観してみたい。アイルランドにおいて最初の感染者が確認されたのは2月29日のことであり、当時、感染が拡大していた北イタリアへの旅行者が感染した事例であった。3月、4月は感染者がうなぎのぼりに増えた。4月には新規感染者が連日、300名以上を越し、4月23日には936名を記録した。一方、新規感染者の数は4月中旬がピークとなり、その後は減少に向かった。5月には新規感染者の数は順調に減り、6月、7月と低い水準に抑えられた。一方、8月に入ると新規感染者の数が増え始め、「第二波」の到来が懸念される状況となっている。新規感染者の推移は、図1の通りである。

(制限措置と緩和ロードマップ)
 これに対する対策としては、早め、厳しめの制限措置が取られたといってよいであろう。最初の感染者の発生から2週間後の3月12日に、学校・保育施設の閉鎖、文化施設の閉鎖、大規模行事のキャンセル、社会的距離の勧奨などの措置がとられ、3月24日には、小売業者の店舗の閉鎖(生活のため必要不可欠なものを除く)、カフェ・レストラン営業のテイクアウト・デリバリーへの限定、スポーツイベントの中止、劇場・ジム・ヘアサロンの閉鎖、外出の限定(必要不可欠なもののみが認められる)などの措置が追加された。警官が取り締まりに当たり、違反者には罰金なども科された。
 感染の抑制を踏まえ、5月から制限措置が徐々に緩和された。5月1日に五段階の緩和ロードマップが発表となり、5月18日からその第一段階が開始された。3週間ごとに緩和が進み、外出できる距離が延び、店舗の営業などが段階的に認められた。6月には、当初、五段階で行われる予定であった緩和ロードマップ(8月10日に最終の第五段階に入ることを予定)を前倒しして四段階で終了(7月20日からの第四段階が最終段階)させることとなった。
 一方、7月に入り、このプロセスにブレーキがかかり、最終の第四段階に入るタイミングは延期され、逆に、店舗や公共交通機関でのマスクなどの着用の義務化など新たな制限措置がとられた。
 本稿執筆の8月末時点で残っている主な制限措置は、パブ・バーなどの閉鎖(食事を供する営業のみが認められ、飲料のみを供する営業は認められない)、屋内・屋外の集会の人数制限、国外旅行の制限(必要不可欠なもののみ)、外国からの渡航者の行動制限などとなっている。

アイルランドにおけるコロナ対応

(政治とコロナ)
 アイルランドは、政治の移行期にコロナに直面した。総選挙が行われたのが2月8日であったが、主要三政党が議席数でほぼ並ぶという結果となり、レオ・ヴァラッカー首相率いる政権与党の統一アイルランド党は従来の第一党から第三党に転落した。その後、各党間の連立交渉が難航し、新政権の発足まで四ヶ月半を要したので、2月末のコロナの最初の感染者の発生から新政権が発足した6月末までの間は、旧政権が暫定政権としてコロナ対応に当たった。

(写真1)医師に復帰したヴァラッカー前首相

 レオ・ヴァラッカー首相は41歳。インド人の父とアイルランド人の母の間に生まれ、ゲイであることを公表しており、リベラルなアイルランドを象徴する若い世代の政治家の一人であるが、医師でもある。政界入りする前に7年間、医師を務めていた。今回、コロナの事態に際し、医師として再登録し、1週間に一度、医師としての活動を行うこととした。医師としての活動といっても臨床ではなく、電話での相談対応を行うシフトに入る形で活動を行った。医師であり,元保健大臣でもある同首相が国民に語りかける言葉には説得力があった。
 ヴァラッカー政権のコロナ対応は国民から高く評価された。感染対策として国民生活を大きく制約する措置が多く取られたが、「暫定政権なのに」といった声はほとんど聞かれなかった。同氏が党首を務めるアイルランド統一党は総選挙で議席数を大きく減らしたが、同党の支持率は、総選挙時の21%(第一次選好の得票率)から6月中旬時点では37%へと大きく盛り返した。
 6月末に、ようやく連立交渉がまとまり、ミホル・マーティン共和党党首を首相とする新政権が誕生した。従来の政権与党のアイルランド統一党、緑の党との三党連立政権であった。暫定政権を率いてコロナ対策に当たってきたヴァラッカー首相は、副首相に回り、首相の座をマーティン氏に引き継いだ。

(写真2)教育を重視するマーティン現首相

 マーティンは、四度の閣僚経験を持ち、20年以上前から、「将来の首相」と期待を集めてきた60歳のベテラン政治家である。医師のヴァラッカーからの首相の交代によって、コロナ対策の方向性はどうなるかと思われたが、慎重で堅実な対応ぶりは変わらなかった。マーティンは、大学卒業後、政界に入る前に教員となり、最初の閣僚ポストは文部科学大臣であった。マーティンは、コロナ対応において、秋に新学年が開始されるに際して学校教育を再開することに大きな重点を置いている。これは、マーティン自身が次世代を育成する教育を重視しているためでもあり、また、学校教育の再開が多くの国民の関心事となっていることを踏まえたものでもあろう。7月に入って、前記の通り、緩和措置の先送り、新たな制限措置の導入などの対応が取られたのは、マーティンが秋に学校教育の再開を実現することを重視し、それにマイナスとなる措置を避けようとしているからである。

 政策の細部においては各党間での論争や政府への批判も存在するものの、8月中旬の時点までは、政治とコロナとの関係は比較的順調であった。ところが、8月19日に議会ゴルフ・ソサイエティ主催のディナーが政府の行動制限に違反する規模の人数で行われ、これにカリアリー農業・海洋大臣、ホーガン欧州委員(貿易担当)など多くの要人が出席していたことが報道され、各方面からの怒りと批判を浴びる事態となった。カリアリーは8月21日に農業・海洋大臣を辞任、このディナー出席以外にもコロナの行動制限へのさまざまな違反が明らかになったホーガンは26日に欧州委員を辞任した。これは、発足間もないマーティン政権への大きな打撃となっている。

(感染抑制に軸足)
 アイルランドにおけるコロナ対応を見ていて印象的なのは、感染抑制と経済活動との二律背反において感染抑制に軸足を置き、早め、厳しめの慎重かつ堅実な対策を取ってきたことである。
 この背景としては、あらかじめ周囲の諸国における感染状況、それへの対策をよく研究していたこともあろうが、政治家と医療専門家がうまく連携できていることもうかがわれる。
 コロナ対策において、政治の判断と医学的な見地とをどのように擦り合わせるかはどの国においても課題となるが、アイルランドにおいては、この連携はスムーズに行われている。政策方針は、首相のリーダーシップの下、閣議で決定されるが、それに際しては、「国家公衆衛生緊急チーム」の助言が重要な役割を果たす。「国家公衆衛生緊急チーム」は保健省、関係機関などの30名以上の医療専門家からなっており、保健省の首席医務官(Chief Medical Officer)が座長を務める。首相や保健大臣が記者会見で、新たな措置を発表する際には、「国家公衆衛生緊急チーム」の助言に従って措置をとることとしたという説明を行うのが通例のパターンとなっている。とはいえ、政治の判断による調整は当然ありえるところであり、事態が長引く中、そうした局面が増えている。
 毎日のプレス・ブリーフィングでコロナの感染状況のアップデートを行うのは、前述の「国家公衆衛生緊急チーム」の座長も務める保健省の首席医務官の役割であり、コロナ発生以来、トニー・ホロハン氏がこれを務めてきた。このため、同氏は、政府のコロナ対応の「顔」となった。ホロハン氏は、国民に対し事態の深刻さを訴え、厳しい制限措置に従うよう「辛口」の発言を一貫して行ってきた。同氏は、感染状況が好転した7月2日、病気療養中の妻の看病のため、主任医務官のポストを退くことを明らかにしたが、その際、同氏に対して、国民の多くが暖かい感謝の声を送った。メディアにおいても、同氏の果たした役割を評価し、「愛国者」などの賛辞が送られた。
 アイルランドにおいて、医療体制は必ずしも充実しているとは言い難い。アイルランドは、かつては貧しい国であったが、1990年代以降、急速な経済成長を遂げ、現在、一人当たり名目GDPで世界第5位に位置するまでになっている(2018年)。一方、国民生活のさまざまな側面を見ると、十分でない面も散見され、特に、住宅、医療、交通インフラは不足が目立つのが現状である。医療体制について言えば、一定人口当たりの病院における病床数、ICUの数などは、EUの中でも貧弱な部類に入る。そのため、アイルランド政府としては、コロナ対応に際し、緊急医療体制がパンクする医療崩壊を起こさないよう細心の注意を払ってきたが、これまでのところは奏功していると言ってよい。
 とはいえ、むろん課題も多くある。緊急医療体制の底上げや検査能力の拡充のほか、死者の多く(約6割)が高齢者や障害者の介護施設関連であったことは、今後、改善が求められよう。また、アイルランド固有の事情として、陸続きで人やモノが自由に行き来する英国領北アイルランドとのコロナ対策における連携が必要な点も課題として挙げられる。

3.EUのコロナ対応への姿勢
 アイルランドのコロナ対応でもう一つ注目されるのは、EUのコロナ対応への姿勢である。EUの中で最大の論点となったのは、コロナ対策のため、「コロナ債」の発行などの形で債務の共通化に踏み出すかどうかであったが、アイルランドは、これに賛成の姿勢を示し、積極対応派の一翼を担った。3月25日、フランス、イタリア、スペインなど欧州の有志国9カ国が欧州理事会のミシェル議長にコロナ対策のため債務の共通化の仕組みを作ることを求める共同書簡を発出したが、アイルランドもこれに参加した。
 EUにおいて債務の共通化は、かねてから議論されている論点である。一方で、EUとして大きな財政上のニーズがある際には、そうした資金調達の方法を考えるべきとの議論があるが、他方で、それでは、結局、財政上の余裕のある国から余裕のない国に対する「財政移転」連合となり、モラルハザードを起こすとの根強い反対論もある。「南方」の国と「北方」の国の対立構図である。
 アイルランドは、2018年以来、「新ハンザ同盟」と呼ばれるEU諸国内のグループに参加している。これは、北欧(デンマーク、フィンランド、スウェーデン)、バルト(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)、オランダ、アイルランドの計8カ国からなる「北方」の国々のグループである。これからも示されるように、アイルランドは、通常であれば、財政規律を重視する「北方」の国々のグループに入るのであるが、今回、コロナの事態に際しては、こうしたこれまでの対応とは異なる対応をとった。今回のコロナの事態が未曾有の危機であり、これによる経済困難が特定の国の経済のミスマネージメントに起因するようなものではないこと、EUが加盟国にとって役立つものとなることがEUの連帯に資するといった考え方とともに、経済的な相互依存の現実を踏まえてEU各国の経済復興の実現がアイルランドの利益になるという判断がその背後にあったものと考えられる。

コロナ下の外交
 世界中、どの国においても同様であろうが、コロナは、外交のあり方を大きく変えている。
当大使館においては、業務内容の面では、領事業務をはじめとする大使館の機能維持とともに、コロナを巡る任国との連絡・協力を重視してきた。6月3日、サイモン・コーヴニー副首相兼外相(当時)は、下院において、人工呼吸器、検査キット、防護用品など必須の用品を確保するに当たり、協力を得た国として、日本、韓国、中国、ドイツを挙げたが、日本が言及されたのには経緯がある。
 4月にアイルランド外務省のハイレベルから、緊急の要望を受けた。コロナ対策のために必須の医療用品を日本企業から調達しようとしているが、予定通りの調達が困難となっており、国家の緊急事態に関わる問題であるので、何とか予定通りの調達ができるように協力して欲しいとのことであった。これに対し、外務本省と連携しつつ対応したことが評価されたものである。「困った時の友こそ真の友」という表現があるが、緊急医療体制がボトルネックになるのではないかとの懸念がある状況下で、コロナをめぐる協力において日本への信頼感と両国の絆を強めることができたのはうれしいことであった。
 外交のやり方の面においても、新しい発想が必要となっている。「密閉」「密集」「密接」の三密を避けることが日本のコロナ対応の重要な柱であり、他国にも概ね妥当することであろうが、これは、従来の外交のやり方に根本的な変更を迫るものである。近い距離で会話を行う「密接」は従来の外交の不可欠な要素である。信頼関係に基づいて突っ込んだやり取りを行うためには「密閉」が必要となるケースも少なくない。また、従来の外交においてレセプションは重要なツールであるが、「密集」を避けてこれを行うことは容易ではない。三密を避けるべき新たな環境に対応するため、ソーシャル・メディアでの発信、ウェビナーの機会の設定、ビデオ会議による面談を積極的に活用するようにしてきている。一方、ウェブ・ベースのこれらの活動を行いつつも、大事なものが欠けているという感覚もある。人と触れ合う感覚(human touch)と言えばよいのだろうか。情報収集をしても、折衝をしても、直接に人と触れ合う感覚が重要な要素であり、インターネットを通ずる画面だけでは通じないものがあるとも感じている。コロナと共存する時代の外交では、ウェブをフルに活用するとともに、可能な限り物理的な接触をも組み合わせるハイブリッドな取り組みが必要であろう。

5.終わりに
 これまでの外務省での勤務の中で、何度か世の中の大きな変化を経験してきた。1989年の冷戦の終了。2001年の同時多発テロ事件。これらは、世界を大きく変えたが、今回のコロナも、世界を、各国を大きく変え、今後、長期にわたり多大の影響を残すものになるのであろう。
 生命、経済、心理、行き来、交流など、さまざまな意味で、早期にコロナが収束することを願いたいが、明確な見通しを立てることは困難である。そうである以上、この与えられた環境の中で、自分の持ち場において、コロナへの対応を含めてベストを尽くすようにしていきたい。