余談雑談(第96回)江戸時代

元駐タイ大使 恩田 宗

 長旅からの帰途の機内でまともな日本食を出されるとこれが日本の味だと懐かしく幸せになる。旅先で現地食に馴染じんではいても日本料理を口にすると自分のアイデンティティーを確認した思いがして安堵するのである。

 大型書店に行くと江戸時代に関する本のコーナーがある。「江戸しぐさ」「江戸の高利貸」などという本が書棚一杯並んでいる。こうした「江戸もの」が盛んに出版されるようになったのはバブル崩壊後で、図書館で検索するとピーク時の平成二十年には百冊以上刊行され、以後勢いは少し衰えたが最近でも年に数十冊出されている。一般むけの歴史書としては卑弥呼から飛鳥や奈良迄を扱う古代史ものと並び底堅い数の読者がいるらしい。 

 江戸時代は現代日本のルーツであり誰もが、帰国便での日本食と同様、忘れかけていたものへの懐かしさや慕わしさを感じるのである。江戸時代の制度慣行は明治維新では「旧来ノ陋習」として排され、昭和の敗戦でも封建的だとして再度否定された。明治以来、政治経済から学問芸術スポーツまで西洋起源のものが本筋で日本人は西洋を見習い追いつくことに皆懸命だった。然し高度成長が終わると、西洋に疲れたのか自分自身を内省する余裕ができたのか、日本がまだ日本のままだった時代に惹かれるようになったのだと思う。

 江戸時代、親族は固く結ばれ向こう三軒両隣は互いに助け合った。上を敬い下を思いやり調和を重んじ謙虚を旨とし生活は簡素で物を無駄にせず環境に優しい循環型社会だった。確かに羨ましくもあるがあの時代に生きたいとは思わない。自由と平等を経験した後ではあの硬直な身分制度には耐えられない。

 それに医療が問題である。「江戸の病」(氏家幹人)「江戸の医療事情」(田中圭一)「江戸の生薬屋」(吉岡信)などを見ると、医者も薬も幕末までは漢方であまり頼りにならず重い感染症には無力だった。まめに煎じ薬を飲んだり持薬を携行したり針灸をしたり湯治に出かけたりと健康維持にはそれなりに努力したらしいが、多くの人が梅毒・天然痘・肺結核などで苦しんだ。コレラと麻疹(はしか)が同時流行した1858年は江戸だけで死者が23万人も出て焼き場は棺桶の山だったという。戯作者曲亭馬琴は生薬作りもしていたが腹痛に飲んだ売薬が効き目なく水天宮の守り札を飲んだら霊験あらたかに痛みが引いたと述べ、息子の医者・宗伯も歯痛に耐えかねたときは千住の歯神へ参詣していたという有様である。

 「オリンピックを見据え江戸の文化伝統などを再発見しておもてなしにつなげる」との触れ込みで「お江戸に恋して」というテレビ番組が放送された。江戸は恋するのはいいが結婚までするのは考えた方が良い。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。