余談雑談(第77回)戦争と武力紛争

元駐タイ大使 恩田 宗

 古いノートに若い母親と幼い子供達の虐殺死体が白いバスタブの中に魚のように積み上げられている写真が貼ってあった。1964年に始まったキプロス民族紛争の犠牲者である。初めて見た時のショックは今も記憶している。然しその後も戦争や武力紛争は絶えることがなく続いてきた。紛争地近くに身を置いたこともあり殺された人の写真もあまりに何度も見てきたのでノートの写真に前ほどのショックを感じなくなってしまった。

 ナイル上流の1万2千年〜1万年前のジェベル・サハバ遺跡から頭や胸などの骨に石器が突き刺さっている遺体が数多く出土している。戦争のあったことを示す最古の物証だという。富の蓄積と集中をもたらす農耕を始めたのが9千年前であるから人類はその前から集団での殺し合いをしてきたことになる。人は利己的な存在であり戦争や武力紛争には人間の本性に基づいたところがある。

 最近は国家間の戦争は希で民族間や宗派間の破壊流血の紛争が増えている。中東やアフリカのイスラム諸国での紛争は非イスラム諸国をも巻き込む形で拡大し過激化している。渥美堅持東京国際大学教授は今のイスラム世界はキリスト教世界でいえば中世が終わった後の時期に当たるという。宗教改革で新旧教徒間の抗争が始まりそれが激化し中欧を荒廃させた三十年戦争で終わる。その間130年である。その伝でホメイニ革命から起算すると未だ40年でありイスラム世界の動乱はまだまだ何十年も続くことになる。

 2010年の世界価値観調査では殆どの国で半数以上の人が戦争の際「国のために戦う」と答えた。米国で58%中国では74%だった。日本は七8ヶ国中突出して低い15%で最低だった。考えればアジア太平洋戦争は日本史上最大の出来事だった。街が焼かれ310万人が命を失い国土は外国軍に占領された。海外での戦没者240万人の内110万人が未だに水漬く屍草生す屍の侭である。多くの人が国家に裏切られたとの思いをした。記憶に刻まれ長く語り継がれる民族的体験だった。国のため戦うと言う人が少なくて不思議ではない。戦争を仕掛けられた場合でも戦うことに国民的サポートを糾合するのはそう易しくないだろう。 
 
 1960〜70年代に流行ったBlowin in the windというフォークソングがある。大砲は何時になれば撃ち止むのか死人は何人出せばもう充分なのか等々と問いその都度「友よ、答えは風に吹かれている」とのルフランで肩すかしをする。答えは「人類がそう決意さえすれば」であることを作者のボブ・ディランも知っていた筈である。彼はそうだと分かったところでそうなるわけではないと考えたのである。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。