余談雑談(第113回)落語

元駐タイ大使 恩田 宗

 人気落語家の独演会は大ホールが満席になる。若い女性も多くそこが講談や浪曲と違い支持層の厚みを支えている。落語の原形は江戸中期の落し噺でそれが江戸後期になり寄席芸に発達した。文久十二年(1815年)には江戸には寄席が125軒あったという。「前置き・マクラ・本題・オチ・結び」という今の型に整ったのは明治後期から大正初期だという。古典落語といっても能や歌舞伎と違い台本はなく話の細かいところは演者まかせである。融通無碍が落語の身上で時間の都合や客の反応を見てマクラやオチを省き本題の話をはしょったり逆に枝葉をつけたりもする。

 マクラは本題に入る前の雑談で五代目志ん生がマクラでマクラを解説したことがある。裏小路をあちらこちらと歩き廻りふと気が付くと大通りの本題に入っているように持っていくのだという。人生も同様で遊んだり勉強したりしているうちにふと気付くともう始まっていたのだと思った記憶がある。

 オチ(サゲ)は「落語の言語学」(野村雅昭)によると物語の世界に遊ぶ聴衆をストンと現実に引き戻し緊張感を解きほぐし笑わせるもので人情噺や講談話は別として落語には不可欠なものだという。出自が落し噺だからであるがいつも綺麗にストンとオチて聞く者を納得させ感嘆させてくれる訳ではない。ぴんと来ない駄じゃれでいきなり話を締め括られることが少なくない。オチは地口オチ・間抜けオチ・ぶっつけオチ・とたんオチなど十種以上あるという。一番多いのは語呂合わせの地口オチで「火焔太鼓」では、安く買った汚い太鼓が火焔太鼓の名器だと判り大儲けした道具屋が次は半鐘だと言うと女房が「半鐘はいけないよ、オジャンになるから」で終わる。ある最近の落語家は「あんな儲かる太鼓は二度と買えないな」「なぜ」「だって買えん太鼓」と変えている。

 落語の本題の多くは江戸後期から明治にかけての庶民の話である。彼等は食べるに精一杯で良くも悪くも本音をだして利己的に生きている。人は悪くないが軽率で酒色の誘惑に弱く金銭には顔色を変え上の者にへつらい長いものには巻かれる。落語はそれを冷たくはないが暖かくもない醒めた目で見て笑いの種にする。飄逸な話術で描写する人間の滑稽な姿に思わず笑わされるが身にも覚えがありただ楽しいという気分になれないこともある。然し立川談志が言った通り落語の前提は人間の業(ごう)の肯定であり人間に失望させられても絶望はさせられない。落語は日本人の何世代かにわたる人間観察が結実したもので他の娯楽が増え長屋も廓ももう無いがこれからも存続して欲しい芸能である。

 小沢昭一は「寄席と私」とい随筆でこう書いている。戦争中も空襲警報の中寄席に通った、敗戦で全てが変わったが落語だけは変わらなかった、と。落語の世界は江戸であり江戸はこれからも変わらない。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。