余談雑談(第110回)政治家の評価

元駐タイ大使 恩田 宗

 週刊現代(2015年新年号)が戦後の日本で「立派だった日本人」を政治・経済・文化・芸能・スポーツの分野から選び各界別に序列をつけて掲載した。政治分野での1位は岸信介、2位田中角栄、3位中曽根康弘で吉田茂は4位だった。全分野総合の1位は長嶋茂雄で2位が吉田茂である。分野により評定者が異なり週刊誌向けの即興的評定に過ぎないが吉田茂の評価は没後半世紀近く経ってもまだ定まっていないようである。

 彼は1954年の首相辞任直後の朝日新聞の座談会で「筋が通っていなかった・・黒を白といいくるめ・・指揮権発動も再軍備も(皆そうだった)」と批判されているように当時人気は低かった。それが彼の死の翌年の1968年になると高坂正堯は「宰相吉田茂」の中で「戦後日本におけるもっとも傑出した政治家」だと高く評価し、憲法改正をせずなし崩しに再軍備したことも「日本の将来のつまずきの石となるかも知れない」が「それ以外に方法がなかった」と理解を示している。当時の日本人の多くもそう考えていたのではないだろうか。猪木正道が「疑いもなく偉大な宰相」であり「この巨人」を敬愛するとして「評伝吉田茂」四巻を著わした1981年には「吉田ブーム」が起こっていた。その2年後森繁久弥主演の映画「小説吉田学校」が封切りされた。然し2002年の「吉田茂とその時代」(岡崎久彦)は「(吉田は論理的思考に)もっとも遠い世俗的人物」で「自衛権の解釈についての法的矛盾などは二次的な問題だというような態度が・・(その後の)安全保障政策の混迷を招いた」と厳しい。「吉田茂―尊皇の政治家」(2005年)の原彬久も「吉田茂の功罪もまた歴史の判断から逃れることはできない」と書いている。

 政治家の評価は時代の都合で揺れ動く。中国でも長い間南宋の宰相秦檜は売国の漢奸で岳飛は愛国の悲劇的英雄だとされてきたが最近は南宋の敵国金の女真族も同じ中華民族だと分類され宋金戦争は内戦ということになり両者に対する評価を変えているらしい。

 誤った評価が固定してしまうことは屡々ある。近年の研究では織田信長は革命児などではなく天皇を始め伝統的な権威・制度を尊重する常識的な武将だったとされているようである。「信長の戦争」(藤本正行)によれば小勢で山中を迂回し敵本陣を奇襲し完勝したという桶狭間の話も彼の革新性を言うための創作で実際は普通の正面衝突戦だったらしい。藤本は迂回奇襲作戦は成功率があまり高くないにも拘わらず太平洋戦争では劣勢の日本軍は桶狭間神話に囚われてそれを多用し無用な犠牲を出したと指摘している。

 なお憲法改正問題ではいずれ国論二分裂の騒動になるであろうが今更吉田茂に苦情を言ってもそれはお前達の世代が解決すべき問題だと言うだろう。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。