私見:外務省の外、日本の外から見た日本


防災担当国連事務総長特別代表 水鳥 真美

 2010年3月、丁度50代に入る年に外務省を去った。あえて年に言及する理由は後述させていただく。私的理由による辞職。直属の上司、所属していた課の皆様はじめ、各方面にご迷惑をおかけした。それにも関わらず、外務省の方々との親しい交流が今でも続いていることに心から感謝している。また、現在のポストには外務省、日本政府の全面的ご支援を得て就任した。幸い2010年以降も日本外交に関連する仕事をしてきたので、折に触れて感じたことを披瀝させていただきたい。もとより現職会員の方、そして官のお立場でキャリアを全うされた先輩方は、日本の現実、しがらみを度外視した否定的意見が多いと受け止めるかもしれない。「現役の時、貴方そんなこと言ってなかったでしょう」とのお叱りも多いだろう。あくまでも私見とお断りした上で、ご意見、ご批判をいただければ幸いである。

「潰しがきかない日本」を実感

 外務省を辞めた時、その先の仕事のあてがない状況で英国に移住した。当時の英国はBREXITを迎える今に比べ外国人就業資格について寛容だった。在英居住資格者の配偶者として後から移住する時も、その時点で法律上の婚姻が整っていれば自動的に数年間の就業資格をもらえた。そんな話も渡英時期が近くなった段階で初めて知人から教わり、慌てて入籍した。一緒になる連れ合いは貧乏学者なので私が働かないという選択肢がなかったにも関わらず、である。今から思えば全くもって無謀かつ呑気な話だ。

 それでも前述のように50代突入の年だったので、「これまでと異なる分野の仕事を始める最後のチャンスだろう」との焦燥感はあった。また、外務省生活の中で学んだことは多いとの自負もあったが、日本の外、官の外の世界に「移転可能なスキル」を持っているのかについても自信がなかった。案の定、英国に着き知人の紹介で公職経験者を対象とするヘッドハンターを訪ねた時、対応した人は略歴を見て「うーん」と唸り、「まずは何か日英関係の仕事で英国での実績を作ることが必要ですね」と言われ面会は終わった。「経済大国」としての日本ブランドが確立されていたバブル崩壊前の時期であれば事情は少し違ったかもしれない。その頃であれば分野を問わず日本に関する知見、日本でのネットワークがあれば、必ずしも日英関係に特化していない職場での採用も可能ではなかったか。もちろん私自身の知見、ネット―ワークがより高水準であれば、もとより話は別だったかもしれない。

セインズベリー日本藝術研究所への就職

 そこで拾ってくれたのがセインズベリー日本藝術研究所であった。日英関係に関わってこられた方が知悉する歴史と伝統のある英国ジャパン・ソサエティーや大和日英基金と異なり、1999年に設立された新興機関である。設立後こそ日本政府、日本の民間財団、邦人コミュニティーの多大なご支援を得て発展したが、この研究所の発足経緯のポイントは、設立者がハーバード大学で日本美術博士号をとり英国に移住した米国人女性ニコル・ルマニエールであり、原資本を提供したのは、それまで日本と縁も所縁もなかった英国人のロバート及びリサ・セインズベリー卿だったことである。夫妻は既に他界されたが、英国屈指の個人美術収集家として知られている。彼らは日本美術を縄文の太古から現代文化まで一つの太い線で繋がった文化として、海外において研究する重要性を説くニコルの情熱に絆され、自分たちの結婚祝いとして購入したモジリアーニの作品を売却して研究所の設立基金を作った。渡英後1年間ほどたった時に、私はそこで統括役所長としての職を得た。

「日本のことは日本人にしかわからない」の謎

 あえて日本の外に日本の文化、藝術に関する研究所を作る意味は何か。海外の大学が日本学部、日本学科をおく意義に繋がる話である。日本に関心を持つ全ての研究者、学生を恒常的に日本で抱えることができないという物理的な事情もある。しかし、より本質的には、研究、教育の拠点を日本の外におくことにより、日本を客観的に分析、理解し、日本を世界のコンテクストの中におくという課題に対応するためである。ここで問題は、かなり多くの日本の学者、さらには、日本人、そして日本政府もこのようなアプローチを受け入れることに抵抗があることだ。「日本のことは日本人にしかわからない」、「正しい日本の姿は日本人にしか語れない」、「あの研究者は外国人にも関わらず日本の文化、歴史につき日本人以上によく知っている」、「日本語は難しいのによくマスターしている」。一度ならず聞かれたことがあるセリフと推察する。そして研究所在籍中、日本から講演や講義にお招きした研究者のパワーポイントが、日本の独自性を説明するために、かなりの頻度で「日本には素晴らしい四季がある」というところから始めることにショックを受けた。英国の夏は日本ほど暑くなく、冬も寒くないが四季はちゃんと存在する。これが日本独特の素晴らしさを伝える適切な例とは言い難い。当然、英国人聴衆の反応はのっけから複雑なものとなる。

 日本を特異な存在として提示し、日本、日本語のニュアンスを理解することは日本人以外には無理との奇妙なマインド・セットを乗り越えることができなければ、日本研究は進展せず、世界における日本に対する理解は阻害され続ける。究極的には日本への関心の途絶にもつながる。なぜならば、どんなに頑張って研鑽を積んでも「日本人でない貴方には絶対わからない」と言われ続けたら最後はやる気が失せる。更に言えば、婚姻等を通じ「日本人」になる人が増え、その子供たちの中には二重国籍を持つ人が増える中、そもそも「日本人」とは誰を指すのかという問いにも簡単な答えがない時代に入っていることを忘れてはならない。これだけ海外から観光客はきているのだから良いではないかと思われるかもしれないが、異なる次元の理解の話である。

クール・ジャパン狂想曲

 最近はちょっと下火になったようだが、研究所での仕事を始めた前後からしばらくの間、日本から発信される文化のコンテンツは、いわゆるポップ・カルチャー尽くしとなった。確かに漫画、アニメ、ゲーム、果てはコスプレに代表される日本の現代カルチャーは、アジアはもとより欧州でも大いに人気を博し、「クール・ジャパン」が、古い言葉ではあるが「エコノミック・アニマル」に変わって日本の新たなブランドとして認識されるようになった。英国で日本学を志す生徒の大半は、クール・ジャパンに憧れて門を叩くようになり、クール・ジャパンを海外に売り出す日本産業が勢いを増していった。

 そしてワンテンポ遅れて、本来「クール」とは程遠いところにあるイメージを誇りともしてきた霞が関のお役人も予算獲得のテコとしてクール・ジャパンを中核に据えてプロジェクトを組み、コンテンツ輸出のための官民合弁会社の設立への出資などが公費によってなされる状況が生まれた。既存の外務省、国際交流基金の予算を使った文化プロジェクトの中でもクール・ジャパン案件が目立つようになった。「どこが問題なのか。人気のある明るいイメージを日本の売りにして何が悪い」という声が聞こえてきそうである。問題は日本の場合、一旦何かが売れるということになると猫も杓子も同じ方向に流れることである。この場合は、対外的日本文化政策の中核に「クール」は人気があることを理由に何の疑問もなく据えられ、本来、対外的文化政策を通じて日本をどのように世界において位置付けたいのかと言った基本的な設問に関して思考停止の状況が生まれたことではないか。白状すれば、私は漫画もアニメもゲームも苦手である。そして同様に思っている英国人もたくさんいるわけである。

日英関係強化の担い手の先細り

 有難いことに、その内に日英関係に関する非営利団体の理事会への参加招請も受けるようになり、英国ジャパン・ソサエティー及び大和日英基金の理事に就任した。前者は125年以上、後者は30年以上の歴史を持つ両機関には、長年にわたり日英両国の諸分野から人材が集まり、二国間関係強化という目的のために、理事として無償で時間と精力を傾けてきた。中でも理事長には、歴代駐日英国大使、議会関係者、民間の大物と言った誰もが認める知日派の英国人が順繰りに就任してきた。英国人が先頭に立って盛り立て、オーナーシップを持ってきたからこそ存在が継続してきたことはいうまでもない。ところが、ここにきて理事長のなり手がなかなかいないという深刻な問題が顕在化している。日本経済の低迷に伴い、英国の企業、マスコミの日本からの撤退、アジアの中における中国への関心のシフトが起こってきた中で、長年にわたり日本との関係で恩恵を受けたので、そのお返しとして今度は無償で日英関係に取り組もうという人材のプールが明らかに先細りしている。これは英国だけで見られる現象なのだろうか。そうであれば、英国に籍をおく私としては寂しいが、日英固有の問題として諦めるしかない。しかし仮に、他の欧州諸国、アジア諸国、果ては米国でも似たような現象が起こりつつあるとすればどうだろうか。

 若い世代に目を転じた場合も必ずしも明るい状況ではない。いわゆるオックス・ブリッジの両大学に就学する日本人の数はガクンと減っている。米国でも然りと仄聞する。東アジア地域に限らずともダントツに人数が多いのは中国人だが、日本よりも人口の少ない韓国人の方が日本人学生よりも大きな勢力となっている。これは現在のみならず未来においても更に大きな問題になりうる。英国、米国において苦学した中国人、韓国人が10年後、20年後に欧米において持っている豊かな人脈に、日本人が太刀打ちすることができない状況が生まれるのではないだろうか。

結びに変えて:日本の女性は輝けるのか

 安倍首相が先頭に立って旗を振っているにも関わらず、働く日本女性が輝ける日は、まだまだ遠いと実感することが多い。一方、現在の私の職場では、男女職員の比率が4:6であり、それだけ女性が多い中だけに、出産・育児休暇に入っているか入ろうとしている女性が現在4人いる。全職員の数は世界中で120名弱なので、切り盛りは容易ではない。それでも皆「女性が子供を生み、育てながら復帰したいと思う職場」を作ることの重要性を認識し、助け合いながら頑張っている。根底には、そもそも職場における男女のバランスは、基本原則として必要なことであるとの信念がある。グテレス事務総長は、2020年までに国連幹部職員の男女比を1:1にし、2025年までに同じ比率を全職員に関し達成すると公約している。女性の雇用増が高齢者の雇用増と並んで、人手不足に対応することを主たる目的に推進されている限り、ゴールはまだだいぶ先のように感じる。

(了)