知の連結性


前駐ジョージア大使 上原忠春

1.ジョージアへの好奇心
 ジョージアという国は、多くの人々の好奇心を駆り立てる国である。3年4か月のジョージア駐箚を経て、琴線に触れたのは「知の連結性」であった。
 この小さな国は、ユーラシア大陸の要衝であるカスピ海と黒海の中央部に位置し、大国のパワーゲームに翻弄され自国の安全保障に腐心しながら、古来多くの国際商人の経済活動回廊としての役割を果たしてきた。現在の首都トビリシは120万人の人口を擁する大都市だが、この国全体の人口はわずかに370万人である。ユーラシアの歴史の中で、トビリシは東西南北に行き来した国際商人たちの安全を保護し、そこに滞在する人々は、異文化に比較的寛容でコスモポリタン的性格を有していた。20世紀初頭には、その20万人の人口のうち、アルメニア人が3分の一を占め、ジョージア人とロシア人が各々4分の一、残りは、アゼルバイジャン人、トルコ人、イラン人、ポーランド人、ドイツ人、ユダヤ人等の異なる民族が居住していた。ペルシア風情をたたえたルスタベリ大通りは、国際商人やジョージア貴族たちが行き交うところだったと言われている。

 ソビエト連邦後期に入ると「ソ連邦のフロリダ」と呼ばれるようになり、垂涎のバカンス地となった。温暖な気候風土に加えて、美味な食事やワインが楽しめるジョージアは、画一的・抑圧的でもあった共産主義社会の中にあっては享楽的な場所と映ったようだ。赴任前に、雅子皇后陛下(当時皇太子妃殿下)に拝謁した際に、ご尊父がモスクワに駐箚されていた時には「家族でジョージアを訪れるのが夢だった」とお話しされたことは記憶に新しい。
 翻って、現在の国際社会におけるジョージアの位置づけはどうだろうか。南コーカサスはユーラシア大陸における東(アジア)と西(ヨーロッパ)を結ぶシルクロードの接合点であり、多重な地政学的性格を有している。誤解を恐れずに言えば、「言語・宗教・民族で規定されがちな現代国民国家としてのジョージア国のアイデンティティー」と「歴史的・文化的な多重性を寛容に受け入れてきたジョージア人のメンタリティー」とは、未だに十分和解できていないところがある。自国の食文化を誇りにしているジョージア人には叱られそうだが、小籠包を大きくしたような「ヒンカリ」は、明らかにモンゴル経由で中国から伝播した食べ物だと思われるし、チーズピザのような「ハチャプリ」はピザのルーツと言われる古代エジプトの食べ物が伝わったものであることは間違いないだろう。日本人の口に合う「ヒンカリ」と「ハチャプリ」がジョージアの最もポピュラーな国民食であることは嬉しいことだが、「ヒンカリとハチャプリの歴史」は、ジョージアが食文化の十字路でもあることを証明しているようで面白い。

2.経済回廊の公共性
 古くからジョージア(南コーカサス)の政治経済基盤であった経済回廊は、数多あるシルクロードのひとつであり、富の源泉となる交易や異質の知識・テクノロジーをもたらすネットワークであった。核兵器やミサイル兵器を想定していなかったマッキンダーのハートランド論やスパイクマンのリムランド論は、現在のジョージアを巡る地政学を語るには古典的すぎるだろうが、未だにユーラシア大陸を巡る紛争には暇がないことからもその重要性には変わりがなさそうだ。古来、シルクロードは一本道ではなく、交易・文化の多様なネットワークであったはずであるが、現代ロジスティックスでは、パイプライン、鉄道、ハイウエイといった輸送インフラは、国家主権とかかわりのなかで国際公共財として活用されるための運用ルールを法の支配のもとに定める必要があるだろう。こうした現実は、現代の国際社会にとっても、ユーラシア中心部の戦略性を一層高めているように思える。そして、自由で開かれたエネルギー・貿易・経済回廊が透明性のあるルールやガバナンスのもとに開発され運用されていくことは、日本外交が訴求するグローバルな民主化・市場経済化支援と平仄を合わせるものだろう。コーカサスを内包するユーラシア大陸の地政学的重要性が地球的規模のテーマであるとすれば、この地域を跨る国際公共財である質の高いインフラ建設に対する支援は、日本外交にとって重要な課題であろう。
 2019年に発効した日EUのEPA(経済連携協定)やSPA(戦略的パートナーシップ協定)は、ユーラシア大陸を挟む日本とEUのコミットメントであり、日本とEUが協働して、開放性、透明性、公正性、法の支配する連結性を確保することをひとつの関心分野としている。ユーラシア大陸は、アレクサンドロス大王の東方遠征、キリスト東方教会の布教、ペルシア帝国の拡張、イスラム教文化の東西展開、モンゴル帝国による破壊と多民族支配のための政治文化の伝播、黒海の支配権をめぐる争い、英国とロシア帝国のグレートゲーム等々、古今東西の帝国が火花を散らしてきた場所であるとともに、国際商人の往来によって富・思想・技術が行き来する舞台であった。日本では、徳川幕府による参勤交代が日本各地に点在する思想家や技術者を拡散融合させたが、ユーラシア大陸ではもっと大きく複雑な舞台で人類の知恵の拡散融合が進んでいった。中央アジアの諸都市と同じように、トビリシもユーラシアの多様性や融合性を体現した都市の一つであり、その地政学・地経学的な重要性は今も変わらない。

3.日・EU連結性パートナーシップ
 日本とEUの連結性パートナーシップの柱は、ユーラシア大陸に位置する諸国の国境を越えた「人」を結び付けるイニシアチブであり、古くて新しい国家間の課題を今日的に再定義したものとして極めて重要であると思う。
 ジョージアは、文化経済の十字路に位置し、アジア的メンタリティーを強く残しながらもEuro-Atlantic統合を国是とする国家であり、広い意味での連結性パートナーシップに関与すべき国のひとつではないかと思う。連結性というテーマにおけるジョージアの重要性は、ユーラシア大陸を横断する経済回廊の一部を構成する地理的要素であるとともに、そこを行き来する交易やテクノロジーの連結性にある。サステナブルな国際社会の原動力であるイノベーションは、異なる思想や技術のせめぎ合いの中で生まれるものであり、「自由で開かれた経済回廊を通じてもたらされる交易による富とデータ」や「人と人との交流を通じてもたらされる知的好奇心とイノベーション」がその触媒となるだろう。ジョージアの目指すEuro-Atlantic統合が、その基本的価値観を共有する同盟国と協調しながら一帯一路政策とも共鳴し、東(アジア)と西(ヨーロッパ)の更なる融合ならびに新たなイノベーションに寄与していくことを期待したい。
 ジョージアの中央部を横断する東西ハイウエイに理不尽な通行料や規制を課されたら、ロジスティックスとしての利便性や経済性が棄損されるだろう。また、ジョージア国内を通過する積み荷の輸送データが適切に管理されなければ、その経済的予測可能性が大幅に低下してしまうだろう。ジョージアの国境管理が隣国アゼルバイジャンや黒海の向こう岸にあるイスタンブール、ヴァルナ、コンスタンツァといった港湾都市の国境管理と整合性を持たないものであれば、通関コストが高くなり効率的な連結性を確保できなくなるだろう。そして、その経済回廊の安全性や強靭性に関わる国際社会のコミットメントがなければ、国際公共財としてのインフラとはなりえないであろう。こうした陸路の連結性は、国際協調や国境を跨る関連諸国が共同管理を要請されると言う意味で大きなチャレンジであるが、それが少しずつでも実現していくことになれば、グローバルな協調体制の新機軸となりうるメリットがあるだろう。

4.ジョージアの連結性
 ジョージア経済の最重要課題は、自由で開かれた質の高い「東西ハイウエイの構築」であり、欧州に至る仕出し・仕向け地またはその中継基地としての「アナクリア深海港の開発」である。東西ハイウエイについては、EBRD(欧州復興開発銀行)やADB(アジア開発銀行)といった国際金融機関をはじめJICAの融資も実行されて順調に建設が進んでいる。一方、黒海に面するアナクリア深海港の建設は政治的な混乱により一時的に中断されているものの、大多数のジョージアの政財界の要人達がその戦略的重要性を認識しており、再開の時期には不透明さが残るが開発は進んでいくと思われる。
 南コーカサスは、ユーラシア・ランドブリッジの主要ルートであるシベリア鉄道からは外れているが、バクーとトビリシを結ぶハイウエイが活発に利用されていることに加えて、2018年にバクー・トビリシ・カーズ(BTK)鉄道が再整備され、中国からバクー・トビリシを経由した鉄道ルートの試行が始まっている。中国にとって、BTK鉄道は、ロシアをバイパスする戦略性のある選択肢となりえる。このルートの輸送需要を喚起していくためには、「南コーカサスルート」が安全性、透明性、経済性に秀で、他ルートと比較して十分な競争力を持っていることをすべての裨益国が協調して証明していく必要がある。
 日本企業の中には、アジアでの成功体験を踏まえて、アナクリア深海港に隣接する経済特区の建設運営に関心を寄せる会社があり心強い。同経済特区に関しては、ジョージア政府による様々なインセンティブとも相まって、現地雇用、従業員教育、廃棄物管理などに関するハイレベルな条件が入居企業に課されるので入居者の企業責任の向上が期待できる。こうした取り組みは、現地雇用の増加やジョージアへの技術移転を誘発し、コーポレートガバナンスの向上やの人材開発といった無形資産を構築していくプロセスとして知の連結につながっていくはずだ。
 2016年には、トビリシ・テクノパーク(IT関連企業の交流やイノベーションを支援するプラットフォーム)がトビリシの中心部に設立され、ジョージアのスタートアップ企業とイスラエルや欧米のデジタル・ハイテク関連SMEとの交流の場として活用されてきている。また、一昨年には、“Startup Grind Tbilisi”(世界の起業家が成功体験やイノベーションを通じて知恵の交流を目的とする世界最大の起業家イベント)が開催され、世界各国から1500名以上の起業家たちがトビリシに集まった。ジョージアでは、デジタル通信網の整備に関連する黒海の海底通信ケーブルを巡って論争があるが、ジョージアの光ファイバーケーブルの地政学的な位置づけやデジタル・ハイテク関連のテクノロジーを巡る知の連結については、日本企業のビジネス機会の追求といった観点からも注目していく必要があるだろう。
 知の連結の要である「人造り」の面では、ジョージアの大富豪で与党「ジョージアの夢」の党議長(1月末に退任)であるビジナ・イヴァニシヴィリが私財を投じたクタイシ国際大学がドイツのTechnical University of Munichの協力を得て2020年11月にコロナ災禍の中で開講し、国際人を育成するジョージアの新しい教育機関として注目を集めている。東京海上日動火災保険は、近々、東日本大震災の経験や同社がアジアで培ってきた発展途上国のリスクマネジメントに関わる講座をクタイシ国際大学で開講する予定となっている。こうした「人造り」支援は、JICAによる「教育支援プログラム」や「農業支援プログラム」とも相まって、ローカル人材と対話を重ねながら知見をトランスファーしていく日本らしい取り組みとして、ジョージア首相府、教育科学省、経済発展省の注目度も高く期待値が大きい。

5.知的側面からの連結性
 対話を重視し「人造り」や「技術移転」を促進するJICAの「教育・農業支援プログラム」は既に離陸しているし、近々、海外ボランティア活動も予定されている。2018年に河野前大臣が提唱した「コーカサス・イニシアチブ」に基づく「質の高いインフラ建設」ならびに「人造り」支援といった取り組みは、知の連結のなかでジョージアの自律的発展にとって大きな意味を持っていることを再確認したい。とりわけ、パンデミックが収束した後のニューノーマルにおいては、5GやAIといった大きな流れが小規模な無数のイノベーションを誘発し世界のデジタル化を促進していくので、G20大阪サミットで立ち上げられた「大阪トラック」で確認された「デジタル経済に関するルール作り」は知の連結の観点からも重要な意義があるだろう。また、パンデミックに翻弄されている現状を奇禍として、今後は途上国の公衆衛生が国際衛生の課題として大きなテーマになるため、途上国であるジョージアの公衆衛生と経済回復のバランス政策は日本の推進するユニバーサルヘルスに関わるイニシアチブにとって重要性が高まるだろう。
 シュンペーターのイノベーションの基本原理は「既存の知と知の新しい組み合わせ」であり、地球的規模の課題にとって、新たな組み合わせを探求し続けるアプローチは極めて重要である。こうした意味で、日本とEUが協調して、ジョージア(南コーカサスや中央アジア諸国と言った方が適切かもしれないが)を巻き込みながら「自由で開かれた経済回廊構築や人造りのためのシステム作り」に汗をかくことは、「新しい知」の発見や開拓に繋がるだろう。
 企業買収の成否は「異なる企業文化を包含する仕組みづくり」にあり、その巧拙が買収後の企業価値を左右する。サステナビリティを重視し「三方よし」の精神を継承する日本企業の経営理念が国際レベルで再構築されていけば、異なる土壌で発展したテクノロジーや経営技術がシナジーをもって企業や国家の価値を高めていくことができるだろう。日EUの連結性パートナーシップのなかで、ユーラシア大陸の連結性に関わるテーマが様々な視点から議論されること期待したい。