東京からパリへ―東京2020オリンピック大会の成果と課題―


日本オリンピックアカデミー会長  望月敏夫
(日本障がい者スポーツ協会評議員、早稲田大学招聘研究員、元駐ギリシャ大使)

(はじめに―政治とスポーツの相互関与の視点からの分析)
 五輪は政治、外交、経済、メディア等の社会勢力の影響下にあるが、そのうち、最も影響が強いのは政治・外交であることが経験則で明らかである。更に東京大会は国内の政治の季節と重なった影響が加わるので、大会の全体像を見るためには政治・外交の視点からのアプローチが適していると言える。
 具体的には、私の職業的体験から導き出し講義、講演で長年用いている「政治とスポーツの相互関与の類型化(パターン)分析」の手法を使う。歴史的に五輪に付きものの多数の事例を4つの領域に分けてパターン化したうえで東京大会に当てはめ、それらをオリンピズムの価値に照らし検証して大会の総合的評価ないし総括に近づきたい。「真理は細部に宿る」との格言(細かい部分にまでこだわり抜くことで全体としての完成度が高まるとの意味)を信じて検証したい。
 この過程で特に意識した点は、①大会が浮き彫りにした日本社会の諸課題 ②五輪運動に影響する中国、韓国、北朝鮮、ロシアの動向 ③3年後のパリ大会に東京から伝えるべき教訓 ④五輪とパラリンピックの一体化が進む中で東京パラ大会の特色、である。
 なお、この小論で用いる「政治」は、統治行為と権力闘争を中心とする政治学本来の定義を拡大して、「社会のあり方に影響する価値観及び力」を意味する「広義の政治」としたい。

1.政治がスポーツに積極的な影響を及ぼす領域
(1)「安全安心な」大会開催の支援
 国家は統治行為の一環として、国内的には政権維持、景気浮揚、スポーツ振興、国民融和、地域開発等を、国際的には“国威発揚”(後述)等を狙い、五輪を含む国際競技大会の招致と開催を支援する。
 東京招致の眼目であった「安全安心」な大会を実現させたのは、コロナ対策を含め政治と行政の力であった。また日本選手に対する強化助成策も東京大会で開花し、自治体のホストタウン事業はコロナで縮小したものの国際的な相互理解と地域のスポーツ振興に役立った。国際面では招致活動で公約した途上国支援ODA事業「Sport for Tomorrow」で育った選手の活躍も見られた。
 特段の事故もなく全競技日程を予定通りにやり切ったことは「アスリート・ファースト」原則を含むオリンピズムの体現であり、選手だけでなく海外の官民と主要メデイアの多くが称賛している。五輪開催を法的ではないが国際約束と認識し誠実に履行した結果であり、信義を尊ぶ日本人の株が上がった。

(2)大会開催懐疑論
 終わり良ければ全て良しという訳ではなく、プロセスに問題があった。再延期・中止の世論の広がりである。背景には感染症拡大への国民の当然の不安や大会組織委員会内部の度重なる問題があったが、政治の季節と重なる中で本論を外れ国内政治と結びつけた議論が目立った。詳述は避けるが、世論形成の主役である大会運営者(政府、組織委等)、一般国民及びマスメディアの3者それぞれの意識や対応の仕方の問題であったと考えられる。世界最高水準のスポーツの醍醐味や日本人選手の活躍で大会後に肯定論が6割にも達したが、これと開催反対とのつじつまをどう合わせるか戸惑いが見られた新聞もあった。
 パリ大会の支持率は目下80%と言われ、仏国民の熱意は盛大な引継ぎ行事にも現れていた。ただ批判精神が旺盛で直ちに街頭行動に移すフランス人の国で3年後にどうなるか、既に環境保全派から反対論が出ている。パリ大会組織委員会は東京大会を反面教師として対話促進委員会を設置し国民とのコミュニケーションを重視する構えである。

(3)ナショナリズム、“国威発揚”
 五輪におけるナショナリズムは選手や観客が自覚し発揮するものと国家主導で湧き起こすものとが併存している。これが合理的範囲内で発揮されるならば、大会を盛り上げ国民の一体感を醸成する効果があり、対外的には国家や民族の権威を高めることは東京でも見て取れた。
 一方、国家が国威発揚の名の下でナショナリズムを利用する場合は、メダル至上主義や国ぐるみドーピングを招き排他的国家主義や国際紛争にも結びつく。それでも中国やロシア(ROC)は国威発揚の掛け声の下、東京でも大量のメダルを獲得した。それがオリンピズムやパラリンピズムの神髄である人間の尊厳の維持や共生社会の実現につながっているのか、五輪を巡る基本的問題に向き合う必要がある。
 一方、国威発揚が死語となった民主主義国家では通常の外交行為として自国のイメージアップのための対外発信を行い、貿易、文化、観光等の分野で利益をもたらしている。東京大会が日本の国際的地位を高めた意義は大きい。

(4)IOC批判
 1年延期、マラソン等の札幌移転、プレーブックの遵守義務、無観客等は当然IOCと日本側との協議で決まったものだが、IOCは強引な権力者とのイメージが日本国民の間で広まり、バッハ会長の一言一句にまで辛口コメントが見られた。 
 IOCを弁護する訳ではないが、バッハ会長は抜本的な五輪改革を推進し東京ではIOC委員の王侯貴族的待遇も改善した。米国のテレビ会社から巨額の放映権料をもらうために酷暑の時期に五輪を開催し懐を肥やしているという日本のマスコミによる常套批判は、そのほとんどが途上国等のスポーツ振興や五輪開催支援に還流していることも併せて報じるのがフェアーであろう。
 国際スポーツ団体の役員を始め日本の国際的プレゼンスは中国や韓国にも劣る中で、IOCとの適切な関係と発言力の強化に努めるべきである。

2.政治がスポーツに消極的影響を及ぼす領域
(1) 大会ボイコット
 過去の五輪でしばしば起きたボイコットには、①開催国に抗議する開催国ボイコット ②開催国でなく第3国への抗議を表す第3国ボイコット ③開催国に抗議するため開会式や閉会式に政府代表を派遣しない外交的ボイコットがあるが、幸い東京ではいずれのボイコットも起きず正常であった。文在寅大統領の開会式出席を巡り韓国の一部にボイコット論が見られた。前歴のある北朝鮮は今回何の説明もなく欠席したが東京ボイコットには当たらない。
 一方、22年の北京冬大会ボイコットの動きが見られる。香港やウイグル自治区での人権問題やアグレッシブな“戦狼外交”に抗議すべく欧米の議会や民間団体が外交的ないし全面ボイコットを提案している。習近平政権は22年秋の共産党大会を控え北京大会の成功を最重視していると言われ、コロナ対策を含む東京大会を学習させ、また反ボイコットの外交工作を展開している。米中関係の推移にもよるが、北京五輪は波乱含みである。

(2)国家ぐるみドーピング 
 ロシアは前回リオ大会に続き、その国名、国旗、国歌の下での参加が認められず、「ロシア・オリンピック委員会」(ROC)派遣チームとなった。映画007張りのドーピング隠しが発覚したにもかかわらず是正措置を取らないための制裁措置である。これは冷戦時代からの悪しき伝統であるが、先般亡くなったロゲ前IOC会長はドーピングを八百長と違法賭けと並ぶ「スポーツの三悪」と規定し取り締りを強めた。パリ大会に向けてWADAとロシアスポーツ大臣との協議が続いているが、プーチン大統領の意向次第であろう。

(3)亡命事件
  五輪に亡命事件は付き物だが、東京ではベラルーシの陸上女子選手が出場種目変更を強制され、最終的にはポーランドの人道ビザで渡航出来た。いわゆる亡命ではないと本人は述べているが、母国のルカシェンコ政権は独裁に抗議するアスリートも弾圧して国際社会の非難を浴びている。パリ大会でも一騒動が起きる予感がする。

(4)テロ、サイバー攻撃
 東京大会は同時多発テロ事件が米国とフランスで起きてそれぞれ20周年と6周年に当ったが、幸い暴力的な妨害行為は発生しなかった。前歴のある北朝鮮の動きもなかった。サイバー攻撃はロンドンや平昌大会で実害が出たが、東京では予防措置のおかげで防御出来た。
 一方、東京大会後の国際政治は現状変更勢力と維持勢力の対立を軸に地域的な軍拡競争も始まり前途は厳しい。アフガニスタンはテロの温床になる懸念があり世界はテロの脅威が増加すると専門家は見る。米軍のアフガン撤退後もフランスはアフリカ南部のサヘル地帯ゲリラの掃討作戦中であり、パリ大会を含め五輪の安全確保が益々重要となろう。

(5)大会参加拒否、対戦拒否
 政治的理由で選手を締め出した例は多いが、東京大会では起きず、逆に参加をあきらめたアフガニスタン選手を関係国が手を尽くして参加させたことが評価された。
 一方IOCは今回北朝鮮が五輪憲章上の参加義務に違反したとして資格停止処分を行ったため、同国は22年の北京冬大会に参加出来ない可能性がある。平昌の夢よもう一度と北京での外交活動を描いていた模様の北朝鮮が今後どう出るか、暴発は避けて欲しい。
 イスラエル選手との対戦をイスラム教諸国の選手が拒否するいわゆるイスラエル・ボイコットはこれまでもよく見られた。背後に政治の力が働いていると見られるが、東京大会ではアルジェリアの柔道選手が対戦を拒否し、イランの選手は試合の棄権を迫られた。

3.スポーツの「場」や「機会」が政治的に利用される領域
(1)“表彰台パフォーマンス”、街頭示威活動
 東京大会では女子サッカー選手が試合開始前に片膝をつき(日本チームも参加)、米国の女子砲丸投げ選手は表彰台で両手を交差させて人種差別反対を訴えた。五輪憲章第50条はこのような行為を禁じており、バッハ会長も五輪を政治的プロパガンダのマーケットにするなとの固い立場をとっていたが、表現の自由との兼ね合いや米国等での黒人差別撤廃運動の高まりを受けて緩和の方向に向かっている。
 街頭での示威活動は過去の大会で良く見られたが、東京では開催反対デモのほか、ミャンマー関係だけであった。コロナ対策での外国人の入国制限も一因であろう。宣伝効果が高いパリでは表彰台パフォーマンスや街頭デモが増えそうだが、大会の秩序維持が求められる。

(2)看板、チラシ、ステッカー等による政治宣伝
 よくあるケースで韓国選手が制裁処分を受けた競技会もあった。東京でも16世紀に日本軍を撃退した李舜臣将軍を想起させる内容の横断幕を韓国体育会が選手村で掲げたが、IOCは政治的プロパガンダに当たるとして撤去させた。また韓国側は選手村食堂の食材や表彰台で渡す花束に福島産品が含まれていると喧伝したほか、大会組織委員会HP上の聖火リレー経路を示す日本地図に竹島が入っていることに抗議し、加藤官房長官は当然反論した。
 “ゴールポスト移動外交”に見られる如く相手が日本なら何をやっても構わないとの姿勢が韓国の朝野に残存しているのは残念である。経済分野のように政治・外交面でも成長することを願っている。

(3)カミングアウト、難民選手団
 東京大会ではLGBTであることを自分の意思で明らかにするいわゆる“Coming out of the closet” の選手の数が史上最多になったと言われる。五輪憲章は性別、性的志向、社会的出自等による差別を禁じており、五輪は性的少数者、障がい者、難民等の地位向上を訴える良い機会である。日本は偏見や差別が残っているほか制度的にも遅れているので、「多様性と調和」を標榜した東京大会が日本の社会改革につながることを期待したい。
 パリ大会は「女性と若者の前進」という分かり易い大会理念を掲げ、多くの先進的試みが見られるだろうから、日本へのフィードバックが期待される。

(4)五輪外交、貸席外交
 東京大会は内外のコロナ流行のため、要人の来訪者数は過去の大会と比べて格段に少なく外交接触ではなく儀礼的色彩の強い機会となった。拉致問題を打開するための北朝鮮との接触も一部で期待されていたが相手の大会欠席で実現しなかった。第三国間の要人の接触を支援する貸席外交も特記する例は無かった模様。
 
4.スポーツが政治に積極的または消極的影響を及ぼす領域
(1)積極的なケース(緊張緩和、平和構築、社会貢献)
 米中ピンポン外交が古典的ケースだが、サッカー、クリケット、野球等が国民感情の好転や緊張緩和に役立ってきた。「平和の祭典」五輪でも古代五輪の故事にならい「五輪休戦決議」が大会ごとに国連総会で採択され、大会期間中の武力行使の停止等を呼びかけている。
 問題は国際政治や国内対立の厳しい現実の中でこの決議が功を奏した例が無い。東京大会たけなわ、中東、ミャンマー、アフガニスタン等での深刻な事態を見ると無力感を禁じ得ない。五輪の持つ平和の理念とアピール力は尊いが幻想を抱いてはならず、そこに政治側の意思と執行力が伴わないと平和には近づけない。
 一方、より地道に平和に向けてスポーツの発信力を活用しているのは、IOCを中心に進められているスポーツの社会貢献事業であり、人権、ジェンダー、環境等の「地球規模課題」の解決やSDGsの推進に貢献している。
 東京大会は「先進成熟国型五輪」と「SDGs五輪」を標榜し、大会運営とレガシーの指針として多数の社会改革プランを打ち出し実行している。社会貢献が東京大会の意義の一つである旨をもっと発信すれば、開催懐疑論者も和らいだと思う。

(2)消極的なケース(国民感情の悪化、政治外交的摩擦)
 試合中のトラブルや結果が関係国の国民感情を悪化させや戦争にまで発展した事例は一昔前にあったが、現在はヘイトスピーチ的要素も交じり大衆紙やSNSを介して関係国民の間で“炎上”するケースが見られる。
 スポーツの中には人間の理性を失わせる要因が存在するが、トラブルが発生する根底に政治・外交上の摩擦や紛争が存在するので、先ずそこから手を付ける必要がある。
 
(まとめ)
 五輪大会の評価を単なる感想や政治的立場から行わずに、一定の分析枠組みに基づき実証的に行うアプローチにより、4つの領域で多数の事例を細部にわたり検証した。五輪は生き物で環境に合わせて進化する。東京大会もコロナ流行に対応し変容した大会だったが、検証の結果オリンピズムに合致する事例が圧倒的に多い大会であったことが分かり、その限りで及第点の総括的評価を下して良いと思う。
 今後は東京大会を一過性のものとせずに大会が残した様々な課題に向き合うことが大切である。特に、大会が浮き彫りにした日本の社会とスポーツ界のあり方を考え実践するとともに、東京大会の貴重な経験を世界に発信し五輪運動の発展に寄与することが重要と思われる。これにより東京大会の評価が内外で更に高まることは間違いない。

(9月20日 記)