岡本行夫著『危機の外交 岡本行夫自伝』(新潮社、2022年)

元駐デンマーク大使 小川郷太郎

 最初は外交官として、そして自らの意思で外務省を辞職し、その後も2度にわたる首相補佐官や外交評論家を務めるなどして国内外で幅広い活動を展開し、多くの人々に惜しまれてこの世を去った岡本行夫氏が死の直前まで精魂を込めて書いていた自叙伝が先般上梓された。四半世紀にわたり「岡本アソシエイツ」のゼネラルマネジャーとして岡本を支え続けてきた澤藤美子氏は巻末のあとがきで、2012年から本書の執筆を始めて2020年4月にコロナ感染による肺炎で急逝するまで渾身の力を込めて書いた岡本のライフワークであると語っている。この本を紐解くと、広く深い視野に基づく強烈な使命感と驚異的な行動力をもつ氏の言動が強く胸を打つ。そこには湾岸危機やイラク戦争をはじめとする普段知ることのない外交の修羅場の実態と世界の危機に臨んだ日本国内の政官の反応も語られ、呻吟しながらも国益をかけて全身全霊で飛び回る岡本行夫の心情が伝わってくる。

 著者は、日頃「自分は安全保障では右、歴史問題では左だ」と言っていたそうである。本書は第一章「父母たちの戦争」で始まる。あの戦争によって個人的にも深刻で重大な影響を受けた父母たちの体験を語り、戦争に関して具体的な事実をもとに客観的に総括をしたうえで、敗戦という結果について国益の立場から著者自身の認識を述べている。第二章の「日本人とアメリカ人」では、外務省入省後のアメリカでの研修と14年後の在米大使館勤務などを通じて得たアメリカの強さについての洞察やリーダーにとって必要な資質に関する著者の思いが語られる。特に岡本がメンターとして心酔し仕えた牛場信彦氏(駐米大使、その後対外経済大臣)のもとでの活動の叙述は、術策を用いず体当たりで獅子奮迅の活躍をした岡本の胆力や国内外における外交現場の実態を語って迫真力があるが、これも「牛場流全力交渉」から学んだことが示唆されている。岡本は、外務省を辞職後5年ほどして橋本総理大臣の補佐官に任命されて沖縄問題を担当した。基地問題解決や沖縄振興を目指して沖縄に70回近く行き来するなかで、全島の市町村長らを訪ねて親交を結んだ。問題を客観的に捉えつつ人間の心に寄り添う姿勢で解決策を模索したのである(第五章)。第七章「難しき隣人たち」では中国や韓国を困難な隣人と批判しつつも、他方で、父親の転勤で中学生のとき2年間を過ごしたクアラルンプールでの体験をもとに、日本自身が行った「南方作戦」や1931年からの中国侵略についての事実を直視して、日本の歴史認識の問題点を指摘する。中国、韓国との関係を日本外交の最大の課題として捉える姿勢の中にもヒューマニスト岡本の面目が躍如としている。これらの章は、幅広い活動を展開する著者の立ち位置を示し、氏の揺るぎない思想と行動の背景を物語っているように思われる。

 日本国内では日米同盟についてさまざまな立場があり、時には不毛と思われる論争もある。本書第三章は「敗者と勝者の同盟」と題して日米同盟の実態や意義を具体的に説く。また、湾岸危機(第四章)やイラク戦争(第六章)など岡本が外務省時代とその後に身体を張って飛び込んだ重要な外交案件について、臨場感に富む記述で溢れている。それによって、戦争や外交の現場の複雑さや厳しさを理解できると同時に岡本が味わった挫折感も知ることができる。著者は、1991年の湾岸危機について「日本の失敗、アメリカの傲慢」と評し、湾岸戦争における日本の対応を拙劣で「戦後日本における外交政策の最大の失敗」と批判する。イラク戦争については、「アメリカの失敗、日本の官僚主義」としてアメリカのイラク統治政策のまずさを語ると同時に兵士たちの献身についても触れることを忘れない。現地で孤軍奮闘しながら東京にさまざまな提案や支援要請をしたが望むように対応してくれない日本国内の官僚主義や何よりも日本人の人命尊重を優先する傾向などに悩むが、リスクを冒しながら岡本の要請に快く応じてくれた大手企業の社長のことにも触れている。危険な現地で果敢に行動を共にした盟友である日本大使館の奥参事官が銃撃されて死亡したことに深刻な敗北感を味わう。終章では、周辺国から日本への脅威の現実や日本の「脆弱な安全保障哲学」に触れて、危機に直面する「漸進国家」日本の姿勢に警鐘を鳴らす。本書は世界の現実を知る上で有益であるだけなく、国益や外交について深く考えさせてくれる啓蒙の書でもある。

 本書を読んで感じられるように、著者は温かい人間の心を持ち、自分の信念に基づいて敢然と行動する。私は岡本と外務省の同期の一人であるが、たまたま駆け出し時代の最初の海外勤務の2年間が共にパリであった頃から親交を深め、その後も外務本省経済局で前任・後任として職務を引き継いだり、最近まで折に触れて酒を酌み交わすなどして岡本の仕事ぶりを見つめて来た。物事を広い視野から客観的に眺め公平な判断をする著者の姿勢、実力、気概や人間性を知ると自負していた私は、この本を読んでさらに目を啓かせられ、あらためて彼の情熱や行動力に感銘を受けた。

 1991年に岡本が外務省を辞めるとの話を耳にしたとき、当時韓国に在勤していた私は一時帰国した機会に北米第一課に岡本を訪ね、辞めないように懸命に説得を試みた。岡本の力が外務省にとって必要だからと思ったからだが、彼は頑として応じず、「俺は地面を這ってでも自分の思うことをやりたいのだ」と繰り返した。おそらく湾岸戦争における日本の対応への挫折感から、役所を出てより自由に行動したいと考えたのだろうが、顧みれば、外務省を退いた後の岡本の総理補佐官や外交評論家などを通じた日本外交への貢献ぶりから、当時の彼の判断は正しかったと思う。

 行動力と言えば、2011年に東日本大震災があった直後に岡本は居ても立っても居られない気持ちで現地に駆けつけ、奔走して短時日のうちに「希望の烽火」プロジェクトを立ち上げ東北漁業復興を支援した。彼の人間の心に寄り添う心情と抜群の行動力に舌を巻いた。また、4〜5年前、日本で多忙に活躍している岡本から「しばらくアメリカに滞在をしながら日本を行き来する」と知らされた。その理由を問うと、「日本からアメリカに留学する学生や有識者が顕著に減りアメリカにおける日本の存在感や日本への理解が減退する傾向にあるので、俺は現地に行って日本のことや日本の価値をアメリカに知らしめたい」と答えた。この時も岡本の広い視野と行動力に感銘を受けた。アメリカ向けに英語で執筆しながら、日本国内でも世界の情勢や外交について知ってもらいたいと考えてこの本が生まれたのであろう。畏友岡本君の早すぎる逝去に改めて悔しさが込み上げてくる。