岐路に立つアフガニスタン-和平の行方と日本への思い


前駐アフガニスタン大使、北極担当大使 鈴鹿光次

はじめに
 私は2016年11月から2020年11月まで、ちょうど4年間にわたりアフガニスタンに在勤した。着任当初に一連のアフガン関係者表敬を行った際、しばし、「同じ1919年に独立した縁で結ばれた日本とアフガニスタンは一貫して友好的な関係にあります。特に2002年のイスラム共和国政府樹立以来の日本の寛大な御支援に深く感謝します。」との趣旨の発言を聞いた。私は当初、史実に基づいた反論を行っていたが、この歴史認識の次第はともあれ、その背景には大戦を経験しながらも迅速に復興を遂げ、経済大国へと発展した日本への敬意と憧憬の念及び日本と同様の発展への希望の表明であることに気付いた。
 在勤期間において、内政上は2019年の大統領選挙、軍事・治安上は米・NATO軍に支援されたアフガン軍治安部隊と反政府武装グループとの戦闘の継続と膠着、カブール市内を含むテロ・治安事案の発生、日本との関係では長年アフガニスタン農村開発に尽力されたPMSの中村哲医師の誠に痛ましい御逝去、外交上は米・タリバーン直接交渉開始と2020年2月の和平合意、9月12日からの和平交渉開始等、目覚ましい動きが看取された。
 これらの経験を基に、今後のアフガニスタンの行方を考える上で重要と思われる諸点を記す。なお、これらの見解は筆者個人の見解であり、所属組織の見解を反映したものではない点を申し添える。

1.アフガニスタン国内情勢
 アフガニスタンは民族構成がパシュトゥーン族:42%、タジク族:27%、ハザラ族:9%、ウズベク族:9%、その他:9%(2003年、CIA、 the World Fact Book)からなる多民族国家であり、18世紀中葉に初めてアフガン王朝(ドウラーニ朝)が成立して以降、代々の王朝や政権責任者は僅かな例外を除き、概ね多数民族のパシュトゥーン族が占めてきた。アフガニスタンのほぼ中央部をヒンズクシュ等の高峻な山脈が貫くという地理的条件から、住民は部族、氏族単位で生活し、独立心と誇りが高く、中央王朝・政府からの干渉を嫌い、伝統的社会規範(パシュトゥーン・ワリ等)やイスラム規範等の伝統的規範に基づき秩序を維持してきた。
 このような基本構造は現在にもある程度受け継がれ、内政上、民族意識が作用する傾向が見られ、大統領選挙や閣僚任命、各県知事任命、おそらく今後の和平プロセス等、重要な政治的イベントでは意見・利害の対立が看取されることがある。なお、アフガニスタンではハザラ族の多くがシーア派であるのに対し、その他は僅かの例外を除きスンニ派であるので、宗派の相違は概ね民族の相違に包摂されると考えられる。
 このような状況を前に国家の最高責任者である大統領は、①憲法に規定された強大な大統領権限、②利益の国内諸派への配分といった硬軟両用の手段を巧みに行使し、国内各派の均衡につとめている。
 政治対立が高じた例として、2014年の大統領選挙ではガーニ候補(現大統領、パシュトゥーン族)とアブドッラー候補(タジク族)が決選投票に残ったが(憲法は第一回投票で有効投票数の過半数を獲得した候補がいない場合には、上位2候補による決選投票を行う旨規定している)、両者が自身の勝利を主張して緊張が高じた。そこで、米ケリー国務長官(当時)の仲介により、多数票を獲得したガーニ氏が大統領、アブドッラー氏が首相職相当の行政長官に就き、閣僚ポストをおおよそ折半する「国家統一政府(National Unity Government)」を成立させて妥協を図った。
 また、2019年9月の大統領選挙の際にも、決選投票を要さない過半数を僅かに上回る50.64%を獲得したガーニ大統領と選挙不正を強く主張する対立候補のアブドッラー候補の陣営が対立し、2020年3月9日、ガーニ大統領と真の勝者を自認するアブドッラー行政長官が、隣接する敷地で同じ時刻に別々の大統領就任式を挙行するという事態にまで発展した。この時もまた、米国他による強い働きかけの結果、両陣営は2020年5月17日に「政治合意文書」に署名し、アブドッラー陣営は、タリバーンとの和平プロセスを指導する国民和解高等評議会議長(国家第二の地位)に就き、また、閣僚ポスト等の約半数を指名できる権限をアブドッラー陣営が獲得した。
他方、民族間対立を緩和し又は克服するための措置も下記のとおりなされており一定の効果をもたらしている。
・アフガン憲法では民族や宗教に基づく政党結成は禁止されている。
・憲法には大統領選挙に際し、立候補者は自分自身と2名の副大統領候補の計3名のトリオで立候補登録を行うことが規定されている。各候補は最大限の集票効果を期待し、自分とは異なる民族から副大統領候補2名を選ぶことが圧倒的に多く、民族間対立緩和に役立っていると考えられる。
・政府は民族やネポティズムによる政府職員雇用を緩和するため独立行政改革国家公務員任用委員会を設け、能力ベースの雇用を推進している。
・政府は市民社会団体の育成を図っており、最近では多様なNGO、政府を監視するオンブズマン組織、女性団体が活動しており、その中には民族の別に拘らない、教育水準の高い新世代の人材が育成されつつある。

2.対外関係
 アフガニスタンはその地政学的条件から19世紀から20世紀初頭にはグレート・ゲームとして語られたロシア帝国と英帝国の角逐の場を経て緩衝地帯となり、第二次大戦後も冷戦環境下で緩衝地帯としての役割は維持された。その後、1979年12月のソ連軍の侵攻、ムジャヘディン各派による対ソ連軍闘争、1989年2月のソ連軍撤退、1992年のナジブッラー政権の崩壊後の国内各派による内戦と国土の更なる荒廃、全国制圧を遂げたタリバーンによる1997年の「イスラム首長国」宣言等、国内の戦乱は一貫して続いてきた。2001年9月11日の同時多発テロへの対応としての米国軍事作戦によるタリバーン政権崩壊以降、アフガニスタンはその地政学的位置から引き続き域外大国、域内諸国の利害が複雑に交錯・衝突する場となり、域内諸国を含むプレーヤーが多様化していることから、19世紀、20世紀初頭に比較し、むしろ情勢は複雑化しているようにも思われる。
 このような状況に対処するため、2001年12月のボン合意、2002年3月の国連事務総長報告を受けて採択された安保理決議1401号により国連アフガニスタン支援ミッション(以降、UNAMA)が設立され、憲法に基づきアフガニスタンに平和と安定をもたらすための活動を行っている。
 軍事的には、米・同盟軍は「確固たる支援任務(Resolute Support Mission)」遂行のためアフガニスタンに駐留してアフガン軍治安部隊を支援している。このような米・同盟国の強力な軍事的プレゼンス及び主要支援諸国の援助を基に、アフガン政府は反政府武装勢力、テロ組織に対応している。引き続き治安情勢は劣悪であり、UNAMA発表によれば、2009年の統計開始以降、アフガニスタンでの死傷者数は民間人だけで10万人を超え、ガーニ大統領発言によれば2014年9月の大統領就任以来、2019年1月の約5年間に約4万5千人のアフガン軍治安部隊関係者が死亡した。2017年5月には多くの外交団も居住するカブール中心部で大規模爆弾テロが発生した。

3.和平への機運、和平プロセス
 2018年9月、タリバーンとは交渉せずとの従来方針を転換し、米政府はハリルザード米国特使を任命してタリバーンとの直接交渉を開始した。2020年2月29日には米国とタリバーンは、タリバーンがアルカイダ等のテロ組織に、米国及びその同盟国の安全保障を脅かすためにアフガニスタンの地を使わせない措置を講じること等を条件に、米軍は次第に兵力を削減し、14ヶ月後(本年4月末)までに完全撤退を果たすとの内容の合意を行った。米軍は着実に兵力削減を実施しているようであるが、仮にアフガン軍治安部隊が十分に能力を拡充する以前の段階で米国及び同盟国が撤退し、または軍事的プレゼンスを著しく低下させる場合、短期的にはタリバーンに対するアフガン政府の立場の相対的低下をもたらし、治安や和平交渉への影響がありうる。更に中期的には米・同盟軍のプレゼンスによる抑止力が減退し、従来、保たれてきた勢力均衡の再編ダイナミズムが生じる可能性を指摘する見方がある。
 2020年9月12日、ドーハにて満を持しての「アフガン人同士の交渉」の開始式典がアフガニスタン、タリバーンの交渉当事者に加え、ポンペオ米国務長官、ハリルザード米国特使等の出席を得て開催され、日本を含む主要関係国代表もバーチャル参加した。ソ連軍の侵攻から40年、新生アフガン政権樹立から19年間続いてきた紛争を終結させ、アフガニスタンと域内の平和に向けた可能性を開く重要な契機である。昨年暮れまでの和平交渉第一段階で双方は「議事規則」について合意に達し、今年1月に始まった第二段階の交渉では、いよいよ双方が重視する交渉項目を提示し合い、中身の交渉を進めていくこととなる。ここでは主要援助諸国の支援の下、早期停戦を最重視するアフガニスタン共和国側とイスラム首長制樹立を主張するタリバーン側との間で困難な交渉が予想される。共和国側ではガーニ大統領やアブドッラー氏を議長とする国民和解高等評議会議を中心に国内の意見・立場を集約し、停戦実現と和平交渉において過去20年間にわたって獲得した民主主義の成果を擁護することが期待される。

(写真左)ガーニ大統領離任表敬(筆者の右から、ガーニ大統領、アトマル外相、外務省儀典長)
(写真右)国際識字デイ式典(筆者から男児を挟んでアブドッラー行政長官)

4.日本のアフガニスタン支援
 アフガニスタン政府関係者及び一般国民は冒頭の敬意と憧憬の念に加え、日本が政治的野心を持たず、純粋にアフガン国民に寄り添い、持続的発展のために誠実に援助を行ってきたとして極めて好意的印象を抱いている。また、2019年12月4日に御逝去になり、アフガン国民の英雄であるとまで賞賛されたPMSの中村哲医師、アフガニスタン支援に多大の尽力を行った緒方貞子元JICA理事長及び協調に基づくリーダーシップを発揮して4年間(特別副代表期間を含めると5年半)にわたり困難なUNAMAのマンデートを完遂した山本忠通国連事務総長特別代表兼UNAMA代表の出身国であることも好印象を強く支えていると思われる。
 日本はアフガニスタンの伝統的主要ドナーとしてアフガニスタンの安定と発展に重要な役割を担ってきた。新生アフガニスタン政府が発足した直後の2002年1月、「アフガニスタン復興支援国際会議」、2012年7月、「アフガニスタンに関する東京会合」といった支援国会合を主催した他、数多くの技術レベルの国際会議を主催してきた。日本はアフガニスタン政府の開発戦略である「アフガニスタン国家平和開発フレームワーク」の趣旨を踏まえた国別方針を策定し、①治安維持能力向上のための支援、②保健、教育、インフラ、人材育成、都市計画を重点開発分野として支援してきた。これまでの支援総額は68億ドルに達しており、日本の支援は最も基礎的な国民ニーズに直接応える支援として高い評価を博している。

母子手帳EN署名式(ボドゥルUNICEF事務所長、後はフェイローズ保健相)

 ここで特筆すべきは2003年からナンガルハール県のガンベリ砂漠緑化事業を実施してきたPMS中 村医師の御偉業である。2019年12月4日、アフガン人スタッフ5名と共にテロ襲撃に遭い、御逝去になるという誠に痛ましい事件が発生した。ガーニ大統領はじめアフガン要人、国民は中村医師をアフガニスタンの英雄として称え、12月7日のカブール空港における荘重な出棺式典ではガーニ大統領自ら棺を担いで祭壇まで運んだ。
 この事業は当初、PMSの資金によって実施されたが、2010年よりJICAの技術協力も追加され、2019年時点で16,500ヘクタールを緑化し、住民数は15万人に達し、65万人の生活を支えるとの成果を、僅か累計2,840万ドルで達成するという費用対効果の高い成果をもたらした。
 中村医師は生前、私に「アフガニスタンは戦争で滅ぶことはなくとも、干魃には脆弱である。」、「事業の成否は地域住民の参加にあり。」と仰っていたことが思い出される。この事業の大成功の秘訣はクナール河の水を数十キロに及ぶ用水路で運び灌漑を行うと共に、農業の振興、農作物の選別、モスク、クリニック、学校、公園の建設等、重層的、包括的に地域コミュニティの開発を住民の参加を得て行ったところにある。中村医師のお名前は未だに多くのアフガニスタンの人々によって最大限の敬意をもって記憶され、御偉業は開発援助の最高到達点として語り継がれている。心から哀悼の意を表する。