実は日本人があまり知らない豪州


駐豪州大使 鈴木量博

(はじめに)
 筆者は2023年5月初に前任地のトルコのアンカラから豪州の首都キャンベラに赴任したが、赴任当初「おや」と思ったことがある。それは駐在する邦人特派員数がトルコより豪州の方が少ないという事実であった。2023年当時、トルコは、NHK、共同通信、時事通信、日経新聞、朝日新聞、フジテレビの6社(全員がイスタンブール駐在)。豪州は、NHK、TBS、共同通信、時事通信、日経新聞の5社(全員がシドニー駐在、本稿執筆時点)で、豪州の方が少ない。
 なるほど、トルコはロシア、ウクライナ、イラク、アフガニスタン、シリア、レバノンに近接し、クライシス・ニュースのネタに事欠かない。これに比べ豪州は、そうした紛争地帯から遠く、美しい自然に恵まれた豊かな先進国のイメージが強い。激動を追うメディア目線からはトルコの方が重視されても仕方がない。日本国内では余り豪州情勢が報じられない結果、多くの日本人が親しみを感じているにもかかわらず、豪州について日本国内では知られていない事実が多くあるというのが、豪州在勤3年を越えて筆者が日頃感じていることである。
 本稿では、以下、あまり知られない豪州の姿について触れ、その上で、最近の日豪関係についての私見を述べたい。

(知られていない豪州、その1:人口増から読み解く豪州のポテンシャル)
 筆者自身はじめ日本政府の関係者が日豪関係を説明する際、「日本が輸入する石炭の7割、LNGの4割、鉄鉱石の6割、牛肉の4割、砂糖は9割の豪州産」という数字がある。日本にとって豪州が死活的に重要で、この経済関係が日豪関係の屋台骨になっていることを認識してもらうために引用するデータだが、昨今の日豪関係は、この日豪Ver.1を土台としてVer.2に進化しつつある事実も理解される必要がある。
 その最大のポイントは、豪州は、実は人口規模で台湾のより少々大きい2772万人しかいないが(このこと自体、意外に感じる日本人は多いと思うし、国際的にも事実としてあまり知られていない)、2010年代の平均人口増加率が年率1.5%で2065年の人口予測で4120万人にまで増大する点である。また、豪州の国土面積は米本土とほぼ同規模だが、米本土と異なり、内陸部の大部分が砂漠・土漠のため、沿岸部に人口が集中しがちだ。この結果、2025年から40年後の2065年の人口予測によれば、豪州のトップ4大都市では、メルボルン(535万人→910万人)、シドニー(556万人→850万人)、ブリスベン(278万人→464万人)、パース(238万人→417万人)と顕著な人口増大が見込まれている。現在、大阪府の人口が876万人だから、40年後、豪州には大阪府規模の大都会が最低二つ存在する予測である。かたや日本は人口増加率が-0.12%で40年後には9160万人にまで減少してしまう。このことの意味は大きく、現在、日本の一人当たりGDPが3.5万ドルに比し、豪州は6.6万ドルで2倍近いので、現状からすれば、40年後、豪州は、現在の日本に近い経済規模の市場に浮上してくる。
 今日、豪州の人口増による市場規模拡大の見通しの下、日本企業による不動産、生命保険、金融サービス、輸送・物流、食品等、様々な分野への投資多様化が進んでいる。日豪Ver.1の伝統的な投資分野は、資源・エネルギー・農業等の資本集約型産業で、巨大なLNG施設や鉱山開発、大規模農場などは一般市民から見え難い場所にある。これに対しVer.2での対豪投資多様化の結果、例えば、アサヒビール、キリンビールのこれまでの大規模投資や2023年のセブン&アイ・ホールディングの約1700億円の投資を受け、当地ではセブン・イレブンのコンビニおにぎりの宣伝や、日本ビールの宣伝を頻繁に見聞きするなど、市民生活上、日本への親近感を増す機会が増えている。

(相思相愛の日豪両国と両国民)
 そしてこの結果が、近年の様々な数値に表れているから面白い。一例を挙げれば、豪州の主要シンクタンクのローウィ研究所が毎年出す世論調査に「最も信頼するパートナー国」があるが、日本は過去5年間連続して第一位。2025年は遂に90%を越え、国民10人中9人が、日本をそのような国として信頼していることが明らかになった。この信頼度の数値は2007年には63%だったのだから、余計に興味深い。日本語学習者数も、現在、42.4万人で、人口当たりで見ると、これも世界第一位。
 豪州に滞在する在留邦人数も、2007年には約6.3万人だった。当時は在留邦人の多さで見ると豪州は、米、中、英に次ぐ世界第4位。これがコンスタントに増加し、2024年に中国を抜いて世界第2位となり、昨年も第2位で10万5千人を超え、今や豪州は在留邦人大国である。グローバルに見れば、日本の経済規模は、GDPで中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、今やインドにも抜かれ世界5位となり、日本の国際的プレゼンスの下降が懸念される中、豪州では対日信頼感、親近感は益々高まり、かつては資源エネルギー分野の「一本足打法」に頼った二国間経済関係も厚みを増している。
 在留邦人数の分析に戻ると、2008年から2025年の中期傾向で見た場合、トップ3の米中豪の中で、米中2カ国では中期的に在留邦人数が漸減する一方、豪州だけがコンスタントに増加してきた経緯がある。筆者はこの背景には、日本人にとっての社会の住み易さが背景にあると見ている。一般市民の驚くべき親日感は上述のとおりだが、米国と比較しても、治安、人種問題といった社会面での緊張感が低い。経済学的には、社会の所得格差を比較する最適指標はジニ係数だが、公表年がばらつき、中国など調査方法が異なったりして国際比較に馴染まないと筆者は感じている。この点、社会の住み易さを比較する上で、平均寿命を比較すると日米豪で面白い結果が分かる。各国の最新平均寿命は以下の通りである:日本(男81.7歳、女87.7歳)、豪州(男82.1歳、女85.1歳)、米国(男76.9歳、女81.9歳)。即ち、3カ国中、男女共に明らかに米国が最低、男性では豪州が最長寿、女性では日本が最長寿、という結果である。最低賃金を比較しても、日:1118円(2025年8月)、豪:2351円(2025年7月)、米:7.25米ドル(連邦政府が定める最低賃金。実際には州・自治体がこれを上回る独自の最低賃金を設定することが可能。)である。なお、豪州の最低賃金は連邦法による全国一律の法定レートであり、これを下回る支払いは法令違反として罰則の対象となる。豪州の物価は日本に比べて非常に高いが、この連邦の最低賃金制度に守られて、先進諸国の中でも、貧困層の占める割合が非常に低いのが豪州の特徴だと言える。

(知られていない豪州、その2:特徴的な選挙制度)
 また、政治の仕組みも特徴的である。法の支配、民主主義に対する豪州国民の意識は高く、民意反映に対する強い意識の下でのユニークな選挙制度が他の先進民主国家に比して政治の安定性を確保していると筆者は感じている。ここでも日本で余り知られていない事実を二つ例示したい。
 第一に、選挙が義務投票制であり、法律で投票しない者に罰金が課される制度になっている。この結果、国民の投票率は、総じて90%超である。
 第二に、首相選出権のある下院(上院議員は首相になれない)は小選挙区制を採っているが、「単一候補明記方式」ではなく、選挙区で立候補した「候補者全員」に対して各自がランキングを付け、死票を少なくする複雑な選出方式を採用している(筆者注:ランキング第一位の候補者が50%以上の獲得票数なら選出される。50%未満の場合、最下位ランキングの候補者を落選とし、その落選者をランキング第一位にした投票者の票を見て、第二位にランクされた候補者の各獲得票数を、既に他の候補者が獲得している票数に「上乗せ」し、再度順位を集計し直す。最多得票者が過半数を超えるまで割り振りを繰り返す。)
 この二つの特徴的な制度の結果、左右の極端な主張を展開する場合には過半数を得にくく、中道をターゲットにした政治主張に有利な選挙制度になっていると言われている。昨年5月の連邦議会選挙では、事前の与党労働党と野党保守連合の二党を対比した選好支持率からは、非常な接戦が予想されていた。しかし、野党保守連合が移民、治安問題など保守層狙いに偏った戦術をとる一方、与党労働党は、国民生活向上等、より中道寄りの戦術を取って地滑り的大勝利を得る結果となった。その余波を受けて、現在でも保守陣営は困難な政治環境にあると見られ、相対的には、与党労働党側が長期政権を目指す安定期にあると見られている。

(日豪安保協力を飛躍させた「もがみ型」護衛艦)
 筆者の豪州在勤で最も画期的な出来事となったのは、やはり海自もがみ型護衛艦能力向上型を豪海軍が次期汎用フリゲート艦として選定したことであった。本件は「1兆円規模の巨額調達」、「日本初の大規模防衛装備輸出事案」などと注目されがちだ。ただ、戦略的視点から重要なことは、日本製の主要装備を共有し、その運用ノウハウを伝授することで日豪の相互運用性が飛躍的に高まるという点である。孫子の「呉越同舟」は敵味方が目的達成のために同舟する話だが、豪州の軍事史でも第一次大戦のガリポリ上陸作戦の豪・NZ軍による戦いなど、「舟を同じくする」ことには象徴的意義がある。事実としては、本件は豪海軍が所定の手続に則り、日本の艦船を選択した調達事案でしかない。しかし、今や本件は日豪両政府によって成功させることが必須となった戦略的協力課題であり、この成功をテコに更に日豪間の防衛装備協力を拡大していく必要があると筆者は認識している。

(戦略的視点でなされた高市総理の訪豪)
 このような中、本年のゴールデンウィーク期間になされた高市総理の豪州訪問は、以上申し上げてきた、豪州の中長期的かつ戦略的な価値、そして日豪両国がこの地域において最も安定した先進民主主義国家だという認識の下で、極めて戦略的に行われた訪問であったという点を指摘したい。
 周知の通り、高市内閣発足直後、総理率いる連立与党は衆参両院で少数与党の状況にあったが、高市総理は1月23日の通常国会冒頭で衆議院を解散し、2月8日の総選挙で自由民主党単独による衆議院3分の2の圧倒的多数を獲得した。その後、2月18日から通常国会が始まり、150日間の日程で開催されている。この結果、現実的に見れば、総理が5月までに二国間目的で海外訪問を行う機会は二度しかなかった。最初の機会は、3月中旬の春分の日を含む連休であり、高市総理はこの機会を利用して訪米し、トランプ大統領との首脳会談を行った。二度目が、正に5月初旬のゴールデンウィーク期間であった。この短い国会休会期間中に、高市総理は豪州訪問を実施した。その直前にベトナムを訪問し、日本の進化した「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想を打ち出す重要な外交演説を行った。要するに、高市総理が二国間訪問先として最初に選んだ国は米国であり、二度目の訪問では、まずベトナムを訪れ、その後豪州を訪問したのである。
 今日、中東情勢、国際エネルギー情勢、ウクライナ情勢、米中関係等、従来、各国が外交政策を展開していく上で、ほぼ常識と想定されていた前提が次々と覆されるような事態が続いている。筆者は、高市総理自身が、こうした厳しい国際情勢に対応するため、この地域において最も安定した民主主義国家である日豪両国が、かつてないレベルで結束・連携していくことの重要性を強く認識されていると感じている。それは、高市総理が、首脳会談後の共同記者発表の場で、「今や日豪両国は、地域や国際社会の平和と安定に共に貢献するとの確固たる意志を持ち、先駆的な安全保障協力を進める同志国連携のフロントランナー」であり、言わば『準同盟国』とも言える関係を築いています。」と述べたことに象徴される。日本の総理が、公的な場それも首脳共同記者発表のような重要な場において、「準同盟国」との位置付けを行なったのは、豪州が初めての国である。
 正に、高市総理の豪州訪問は戦略的訪問であり、世界に対する戦略的メッセージ発出のためになされたものであった。そして、経済安全保障、 エネルギー安全保障、重要鉱物、 サイバー・パートナーシップ、防衛安保の5分野で発出された日豪協力に関する首脳文書は、日豪関係を更なる高みに上げていくための道程標である。これら成果文書は、東京とキャンベラの政府関係者は勿論、筆者と筆者の盟友となったシーラー駐日豪大使に対して、両首脳から課された宿題に他ならない。