安倍元総理の外交遺産(海外の評価)


外務省参与、和歌山大学客員教授
元駐グアテマラ大使 川原英一

 7月8日昼に安倍元総理が街頭での選挙演説中に銃撃され、その日の午後に御逝去との衝撃的報道は国際的に大きな話題となりました。多くの海外メディアが、安倍元総理の評価や遺産(legacy)について一斉に報じています。この報を受けての各国首脳による対応、海外報道などフォローしていますと、安倍元総理が、外交・安全保障において、時代を先取りして、あるべき日本の姿を追い求め、世界を力強く牽引した指導者として、多くの人々の心に残っていることが浮かび上がってきます。

 特にバイデン米国大統領は、ブリンケン国務長官を弔問のため日本へ派遣し、同大統領からのメッセージを岸田総理に直接に伝えており、モディ・インド首相は安倍元総理を悼み、7月9日をインドが喪に服する日と宣言、「わが友、安倍さん」と題した功績を讃える長文の追悼文をインド主要紙に寄せています。また、クアッド(インド太平洋安全保障対話)の3か国(米・豪・インド)首脳が安倍元総理について共同声明を発出していることは象徴的に感じます。

安倍晋三と日本再生(Shinzo Abe and Japan’s Revival)
 7月9日付米主要紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は、安倍元総理の逝去報道を一面トップで扱い、同紙8面全体で安倍元総理の肖像写真とともに、幼少期や東日本大震災の避難民の施設訪問中の姿などを写真入りで紹介しています。また、同日付同紙社説(注1)でも、上記見出入り記事を掲げて、安倍元総理の評価・功績について論じています。

 同社説は、安倍元総理は米国の友人であり、国内外で日本の活性化(revitalize)を図った、戦後日本の指導者の中で安倍晋三ほど影響力のある人物はいないと評しています。また、安倍政権の政策評価には賛否両論(controversial)がみられる、しかし、安倍元総理がしたことは、日本が必要とする議論を、この国が必要とする時に提供したことであり、その政策の是非はともかく、安倍元総理の包括的メッセージとは、米国と中国に次ぐ世界第3位の経済大国である日本が、再び活力を取り戻し、世界における日本の戦略的位置づけを正常化することを目標としていた、と指摘しており、概ねバランスのとれた見方をしているように思います。
(※注1:https://www.wsj.com/articles/shinzo-abe-and-japans-revival-economy-assassination-prime-minister-11657286880

日本のJFK(ジョン・F・ケネディ)
 日本を度々訪問し、安倍総理と長く親交があり、助言も行っていたと言われるユーラシア・グループ社長のイアン・ブレマーは、『日本のジョン・F・ケネディの瞬間:安倍晋三が暗殺される(Japan’s “JFK” moment: Shinzo Abe assassinated)』と題した安倍元総理を追悼する7月8日付ユーチューブ動画(※注2)の中で、個人的観察も織り交ぜて安倍元総理の功績を語っています。

 安倍総理と懇談した折、「私(ブレマー)が中国を話題にした途端、総理の脈が速くなり、彼の目は輝き、首横の血管が浮き出るのがわかるほどでした。中国がこの地域、ひいては世界の覇権を望んでいることを(安倍総理は)確信していて、台湾にとっての当面の脅威であるとともに、究極的には日本にとっても国家安全保障上の重大な脅威となると確信していた」と述べています。
(注2:https://youtu.be/CneQszDc300?t=283

 「安倍元総理はアメリカの力強い同盟者であり、オバマ大統領(当時)在任中にTPP(環太平洋パートナーシップ協定)が成立出来ないのが明確になった後も、最高水準の国際貿易協定としてCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)を成立させたこと、また、同氏が提唱した『自由で開かれたインド太平洋』は、この地域と米国を含む民主国家に焦点を当てたものであり、現在のクアッド(QUAD)が活発化するきっかけの役目を果たした」と功績を讃えています。
(注3:https://youtu.be/CneQszDc300?t=156

インド太平洋地域の集団安全保障を主導した偉大な国際主義者
 米国有力誌「アトランテック(The Atlantic)」の外交評価欄に「安倍晋三は世界を良くした(Shinzo Abe Made the World Better)」と題する7月8日付記事が掲載され、安倍元総理は、ナショナリストだと、しばしば評されるけれど、むしろインド太平洋地域の集団的安全保障を主導した偉大な国際主義者の一人として記憶されるべきであり、ブッシュ、オバマ、トランプ、バイデンの4代の米大統領との間で、同盟関係を強化して、中国に対する日本の立ち位置を確保しようとしたと指摘しています。さらに、安倍元総理が、外交主導権を握り、中国の好戦的姿勢を誰よりも早くから見抜き、インドを日本との正式な安全保障関係の構築に導いている。民主主義国家にとり安全な太平洋地域というビジョンを一貫して掲げたなど、興味深い指摘をしています。

安倍元総理自らが述べた遺産(legacy)とは?
 今年5月に行われた英エコノミスト誌とのインタビューの中で、ウクライナ侵攻の影響、防衛費増などと共に「安倍政権の遺産(legacy)は何か」との記者からの問いに対し、安倍元総理が簡潔に以下4点を挙げています(※注4)。
1 アベノミックスによる日本経済のデフレからの脱却と4百万人の雇用を創出
2 憲法解釈の変更により基本的自衛権の行使を可能にした
3 自由で開かれたインド太平洋構想
4 高水準の貿易ルールに基づく、自由で開かれた経済圏を創出するため日本とアジア及びEUとの間で多国間貿易取極めを実現

 さらに同記事には、日本を取り巻くアジアの現状と日米同盟についての元総理の明確な考えも述べられています。
 「ロシア、北朝鮮、そして中国という3つの核保有国に囲まれているのが日本の現実であり、中国が今後も軍事力を増大させる中で、中国の軍事力に対抗して、日米両国が協力してバランスを取る必要があります。このため安倍政権下で、集団的自衛権の解釈を変えて安保法制を実現し、日米が緊密に協力して事態に対応できるようにしました。」
(※注4:同誌5月26日付記事、7月8日付更新 https://www.economist.com/AbeInterview

安倍晋三を理解する(Making Sense of Shinzo Abe)
 7月12日付米・ニューヨーク・タイムズ紙(注5)は、多くの米国有権者や政治家達は、米国が世界の警察官との役割に嫌気をさしており、米国人が、何故、遠い国で命をかけるのか疑問を抱いている事情の中で、安倍元総理が、軍事的なことは全て米国任せという態度を改め、日本は平和と安定に責任を持ち、その実現のために米国と協力して最大限の努力をしなければならないと見ていたと指摘しています。さらに、自由で開かれたインド太平洋という言葉を世に流布させ、また、同盟関係の構築は経済分野にも及んでいて、中国の台頭を念頭においてTPPからトランプ大統領が政権誕生直後に脱退した後、引き継ぎ実現させたと指摘しています。(注5:Considering the Legacy of Shinzo Abe, On the Day of His Funeral – The New York Times ( nytimes.com )

日本経済を再生、世界で強い発言力
 サウスチャイナ・モーニングポスト紙の7月9日付社説記事(注6)は、低迷する日本経済を再生し、世界で強い発言力を持ち、安全保障政策を変容させ、日中関係改善に努めた、と以下指摘します。
―安倍総理は戦後最長の政権を務め、政治的安定をもたらした。同氏は右派の国家主義者として知られているが、現実主義者であり、
―低迷する日本経済を再生させ、平和主義憲法を改正し、地域や世界で日本がより強い発言力を持つようにするという大胆な構想を持ち、
―平和主義を掲げる憲法9条を解釈変更して自衛隊の海外派遣を可能にし、防衛費増額を行い、防衛・外交政策の変容(transformation)を永続的なものとしている、
―安倍政権当初、中国との関係がこじれていたものの、両国関係改善に努め、2018年には、習近平国家主席と友好裡に首脳会談を行った、と評価しています。
(注6:https://www.scmp.com/comment/opinion/article/3184691/killing-shinzo-abe-stresses-painful-need-root-out-extremism

世界に冠たる政治家 
 各国首脳発言の中で、ひときわ目立つのは、モディ・インド首相です。同首相は、安倍元総理逝去との報道後、次々とSNSでメッセージを発出しています。「安倍元総理との付き合いは、グジャラート州首相在任中に知り合い、首相に就任した後も友情は続いている。経済や世界情勢に関する安倍元総理の鋭い洞察は、常に深い印象を与えた」とツイートし、別のツイートで「安倍元総理への深い敬意の表れとして、7月9日、国として喪に服する」と表明しています。 さらには「わが友、安倍さん 」と題した長文の追悼文をタイムズ・オブ・インディア紙7月9日付に掲載しています。なお、掲載内容は、邦字紙(読売・朝日、ジャパンタイムズ)でも後日掲載されています。

 同追悼文(注7)では、「安倍さんは、世界の複雑かつ多岐にわたる課題について深い洞察を持ち、政治や社会、経済、国際関係に対する先見の明、選ぶべき選択肢を判断する知識、物事を明確化する能力、慣習にあらがい決断する力、さらに、人々そして世界を背負い進むという類まれな能力を持った人」、「時代の変化を読み取り、嵐の到来を予見した安倍さんの先見性と、これらに対応する安倍さんの指導力は、安倍さんが私達に残した最大の贈り物であり、長く受け継がれる遺産です」と述べています。

 また「安倍さんは、それまで比較的経済面に限定されていた両国関係を、国家利益にかなう他分野に拡大しただけではなく、両国そして域内の安全保障の柱となりうるよう、より広範かつ包括的な関係へと昇華させた」、2007年インド訪問の際に行ったインド議会での安倍演説に触れて「インド太平洋地域が今世紀の世界を形作ることになる、と力強く述べ、同地域が現代における政治的、戦略的そして経済的現実として台頭するための基盤を他の誰より先駆けて築きました」、また、「国家主権の尊重や領土保全、国際法や国際規定の順守、平等の精神に則った平和的な国際関係の遂行、より深い経済活動を通じた繁栄の共有といった、安倍さん自身が特に大切にしていた価値観をベースに、安全で安定し、平和な未来のための枠組みや構造の構築を、最前線で主導してきました」とも指摘しています。

 さらに、安倍さんは「傑出した日本のリーダーであり、世界に冠たる政治家(a towering global statesman)であり、日印友好の偉大な推進者は、もう我々の前にいない。日本と世界は、偉大な先見者を失った。そして、私(モディ首相)は親愛なる友を失った」と真摯な言葉で語っています。
(注7:‘My friend, Abe San’: Prime Minister Modi’s tribute to Shinzo Abe (indiatimes.com)

米国・インド・豪州の3首脳による共同声明
 日本と共にクアッドを形成する3か国の首脳が、現職の総理ではない安倍元総理に対して以下の追悼声明を共同で発出しているのも印象的です。共同声明は、「安倍元総理は、日本にとって、また、日本と各国との関係にとって、変革をもたらすリーダーであった」、「クアッドにおける連携形成、自由で開かれたインド太平洋のための共有ビジョンを推進するために、たゆまぬ努力を続けられた」、「この悲しみの瞬間、私たちは日本の人々、そして岸田総理と心を一つにしています。私たちは、平和で豊かな地域の実現に向けた取り組みをさらに強化することで、安倍元総理を称えます」と述べています。

ボルソナ-ロ・ブラジル大統領、カリブ共同体
 ブラジル大統領が、安倍元総理は、優秀なリーダーであり、ブラジルの偉大な友と述べた上で、日本との連帯の気持ちから3日間、公式に喪に服する期間とするとのSNSを発信しています。また、カリブ共同体加盟14か国の総意として、トリニダード・トバゴのブラウン外相が「安倍元総理は、地域の発展のために尽力されたことで、この地域に記憶されるでしょう。日本の総理として最も長く在職し、私たちの地域を含む発展途上国に特別な関心とつながりをもっていた同元総理の功績を、同世代の人々とともに偲びます」と述べています。

 なお、2014年カリブ・南米訪問の途次サンパウロで、安倍総理(当時)が「Juntos! 日本・中南米協力に限りない深化を」との中南米政策を語り、「発展を共に、主導力を共に、啓発を共に」との3つの指導理念を掲げ、中南米の人達の心に響くスピーチを行い、個人的にも感銘を受けた記憶があります。
(参考 安倍総理中南米政策スピーチ:https://www.mofa.go.jp/mofaj/la_c/sa/br/page3_000874.html

最後に
 安倍元総理に関する海外報道、各国首脳等の発言から感じられるのは、戦後最長政権を維持し、アベノミックスを打ち出して、世界第三位の経済国家としての日本の経済再生をはかったこと、3核保有国(ロシア、北朝鮮、中国)に囲まれる日本の現実を見据え、特に、中国の軍事・経済力の増大を念頭に置き、創造的な外交・安全保障戦略をリードしたこと、ブッシュ、オバマ、トランプ、バイデンの歴代米国大統領との親密な関係の上に日米同盟をより強固なものとしたことや、力による一方的な現状変更に対して、国際秩序の維持・安定・繁栄のため、自由で開かれたインド太平洋を提唱し、クアッド4か国による協力の活性化に尽力したこと、経済外交では、米国がTPPから離脱した後、日本がTPPの合意を引き継ぎ、率先して11か国による先進的な内容のCPTPPを実現し、その後も、日・EU経済連携協定の実現といった、相次ぐ大型自由貿易協定を実現させことなどが注目されています。結果として、安倍総理(当時)の発言が大いに注目され、先進国首脳会議(G7サミット)など国際舞台での日本の立場が高まりました。

 長年にわたり、日本は国際ルール策定に積極的に関与することが少なく、国際貿易面では守りの姿勢をとることも多く、リスクをとって新しいルールや規範を唱えることが少なかったと指摘する向きもあります。しかし、安倍元総理は、総理在任中、各国首脳会談、G7サミットなどを通じて、中国の一帯一路に代表される政治・経済・軍事面での影響力拡大を見据えつつ、途上国の連結性強化や質の高いインフラを推進し、自由貿易推進に向けてデジタル経済分野での先進的ルール策定を提唱して、世界の日本への見方を変えたと評価されています。このような外交遺産を次の世代が引き継ぎ、地域や世界の平和で明るい未来を創出していくことこそ、今後の日本に期待されていることではないかと思います。

(令和4年7月17日記)