外国語オタクの勧め


元駐ブラジル大使 島内 憲

 外交活動を効率的、効果的に行う上で、相手国の言葉ができるのと、できないのとでは雲泥の差がある。海外ビジネスも同じである。これは当たり前のことであるが、わが国で必ずしも十分に認識されていない。外務省さえも組織全体として理解が十分でないことがあったと個人的に思っている。筆者の入省後、役所として語学を重視した時期もあったが、少し疎かにしていると感じる時期もあった。そのような一貫したポリシーの欠如により、日本外交として失ったものは少なくないと感じる。民間企業においても、海外ビジネスのための自前の人材を養成せず外部通訳に頼りっきりになっているところもあるように見受けられる。そこで、本稿では、外国語能力向上の重要性とともに複数の外国語を学び相乗効果を目指すメリット、それから、「語学オタク」の楽しさについて述べたい。なお、本稿の内容はすべて筆者の個人的経験と主観・偏見に基づくものであることを予めお断りしておきたい。

 筆者は外務省に在職した39年6か月のうち、21年を海外で過ごした。ほとんどすべての任地で現地語を使って仕事をし、生活をした。後述するように、外国語として英語が通じる国であっても現地語で仕事ができることに越したことはない。通訳を介してはどうしてもできないことがある。筆者が習得した言語は英語、スペイン語及びポルトガル語の三か国語だが、英語のベースはスペイン語とポルトガルの学習に役立った。また、スペイン語を勉強したことは、英語の語彙を増やし、英語の基礎を固めるのに役立ったし、ポルトガル語を学習したことにより、文法や歴史を含めスペイン語に対する理解が深まった。外国語をもう一つか二つ学び本格的語学オタクになりたかったが、筆者の場合、60歳からはじめたポルトガル語がギリギリセーフ(もしかしたらアウト?)だったのではないかと思う。

1.日本の「ガラパゴス英語教育」は捨てたものではない

 結論から先に言おう。外交でもビジネス等でも英語の知識が最も重要だ。英語が唯一の正真正銘の国際語だからである。そもそも、国内のどこでも活用できる外国語は英語だけだ。外務省においては、すべての担当分野で英語が重要だ。通用範囲が圧倒的に広く、情報ソースとしても不可欠だ。他の言語では、技術、ビジネス等の先端分野の用語の適訳がなく、英語をそのまま用いることが多い。後で述べるが、英語の基礎があれば、他の欧州言語の習得は容易になる。実は、その逆も成り立つ。筆者が知るスペイン語の達人たちは英語のセンスが優れている人が多い。

 筆者は父が外務省の人間だったため、8歳から14歳まで米国ワシントンですごし、帰国したのは昭和36年だった。「帰国子女特別枠」などなく、「帰国子女」という言葉さえ存在しなかった時代で、いきなり公立の中学校に転入した。最初は英語のテストを含め問題文がよく理解できず、苦労したが、日本の教育課程の奇妙奇天烈、時には滑稽な英語にはすぐ慣れた。米国で決して目にすることがない単語も多く学んだ(八百屋=greengrocer、魚屋=fishmonger等々)。某予備校の模擬試験の和文英訳の問題でひどい間違いも見つけた。小笠原諸島に関する問題文だったが、模範解答では、Bonin Islandsと英語名を用いるのが正解とされていた。出題者は「ひっかけ」のつもりだったのだろうが、返還前の時代(1965年)とはいえ、日本人として如何なものかと思った。文法や単語の丸暗記が中心で実用性のない日本の英語教育に対しては当時から批判が多かったが、米国の学校ではまとめて教えることがない英文法の諸ルールを日本的に整理された形で頭に入れることができたのは、その後の英語、更にはスペイン語、ポルトガル語の学習にかなり役立ったことを素直に認めたい(一例だけあげると、英語等の西洋言語の会話・文章作成においては関係代名詞・副詞を上手に使いこなすことがポイントだが、日本で関係代名詞の「叙述的用法」と「限定的用法」について学んだのは頭の整理に大いに役立った)。日本のガラパゴス英語教育は受験生向きにわかりやすく、覚えやすくまとめた部分もあり、捨てたものではない。日本の英文法教育は筆者の「語学オタク」の原点でもある。

 後述するように、外務省の海外語学研修はスペインで行い、外務省のスペイン語スクールの一員になったが、研修後も語学の勉強は英語の方が多かった。英語圏勤務(計9年)が長かったほか、中南米関係の仕事も米国が係るものが多かったからだ。また、中南米地域のカントリースタディーにおいても日本語の文献は、(カストロ、ゲバラをはじめキューバ関係を除き)極めて少なく英語のものが不可欠だった。

 米国では2回、合計5年間、英国で2年間勤務する機会があった。米国では在米大使館で3年半、マイアミ総領事館で1年半過ごし、マイアミから直接ロンドンに転勤した。晴天日が年間250日のマイアミから曇天日が240日(実感は300日以上)で冬は午後3時過ぎに暗くなるロンドンに送り込まれたショックはかなり大きかったが、言葉の違いに不便を感じることは意外と少なかった。用語や表現の面での違いは相当あるが、米語をそのまま使ってもほとんどの場合理解してもらえる(わからないふりをされることがたまにあったが)。日常用語についてはなるべく英国のものを用いるよう努め(代表例は「gasoline→petrol」、「movie→film」、「potato chips→crisps」等)、また、固有名詞(地名、人名)で英国式に発音しないとあまりにもヤンキーっぽく聞こえるもの(例えば「Derby」、「Bath」)は現地の発音に従った。一方、英国のテレビは、米国のドラマ等を沢山流しており、英国人の耳は米国英語に慣れている。冗談交じりに「マンチェスターの言葉よりあなたの米国訛りの方がよっぽどわかりやすい」と言ってくれるロンドンの知人もいた。なお、筆者は、英国(ロンドン)の発音に以前から憧れがあり、一寸だけ猿真似を試みたが、すぐあきらめた。東京人が関西弁を真似するようなもので、失笑を買うだけだと悟ったからだ。

 今後、英語の国際語としての重要性は益々高まるだろう。科学技術、経済学等多くの分野において、英語の専門用語が各国でそのまま使われている。インド、パキスタン、フィリピンなど増加率が高い人口大国では英語が公用語だ。海外で仕事をする上では、英本国の英語でも、米国語でもよい。英国人は米語を馬鹿にするようなことを言うことがあるが、最先端の英語はダイナミックな米国社会で生まれてくることをよく理解しており、気の利いた米国の単語や表現をちゃっかり取り入れている。彼らが「good English」と思うものであれば良いのだ。

2.かつて「田舎の言葉」とされたスペイン語を第二語学にしてよかった

 外務省に入って、スペイン語研修を命じられ、入省の翌年スペインに在外研修のため赴いた。米国以外の外国を知らない筆者を予想以上のカルチャーショックが待ち受けていた。当時スペインはフランコの独裁下で孤立し「ヨーロッパの田舎」乃至「ヨーロッパの外」扱いだった。英語は全く通じなかったし、生活習慣で日本はもとより米国とも異なる点が多かった(最も顕著なのは食事の時間。昼食は14乃至15時~、夕食は22時~)。外務省の赴任前研修で、スペイン人と日本人の指導官の下で、みっちりスペイン語を勉強したつもりだったが、現地でのコミュニケーションは当初困難を極め、マドリード到着の翌日には悪質な靴磨きに1300ベセタ(6500円)を巻き上げられた。その後、ピレネー山脈中腹のサマースクールで二か月間過ごした後、サラマンカ大学の外国人コースに入学、二年目はスペイン外務省の外交官学校で、外交官志望のスペイン人と一緒に学んだ。サラマンカでは、家庭教師をつけて語学の勉強に集中したが、外交官学校ではスペイン人のクラスメートと同じ講義(科目の多くは日本の外交官試験と同じ)を聞き、一緒に試験を受けた。試験の採点基準は外国人もスペイン人と同じで、結果は全員分そのまま掲示板に張り出された。10点満点で5点未満は不合格、3科目を落とすと退校になるので死に物狂いで勉強した。日本の大学入試や外務省の採用試験(当時は国家I種とは別に実施)の受験勉強より大変だった。一部の科目は合格点ギリギリだったが、実務に役立つスペイン語の勉強としては極めて有用で、研修終了後直ちにスペイン語要員として仕事につくことができた。

 日本国内の調査によると、第二外国語としてのスペイン語の人気は高い。理由は、「易しいから」ということらしい。確かに、母音は「ア、エ、イ、オ、ウ」の5つだけで発音も日本語とほぼ同じ、子音も共通点が多いので、カタカナ読みでも大体通じてしまう。「L」と「R」の区別や摩擦音など日本人に難しいところもあるが、欧米人(イタリア人を除く)より上手に聞こえる。「発音は易しいが文法は難しい」という意見については、文法(特に動詞の活用と用法)の学習は確かに相当汗をかく必要があるが、いったん覚えてしまえば、例外だらけの英語よりはるかに簡単だ。単語も、外交現場で使うものはラテン語にルーツをもつ英単語(40%とも言われる)と似たものが多い(例えばinternationalはinternacional)。日常単語はほとんど英語と違うので全部覚える覚悟が必要だが、言葉の基礎さえしっかり身についていればすぐ覚えられる。なお、スペイン語にはアラビア語の影響を受けた単語が約4000語あると言われ、アラビア語専門家にとっても興味深い言語なのではないか。

 スペイン語は大きく分けて、スペイン本国のスペイン語(カスティーリャ語。同国にはそれ以外の独立の言語が3つある)と中南米のスペイン語がある。両者の間で発音とボキャビュラリーにはっきりとした違いがある。中南米のスペイン語も各国共通ではなく、ほとんど国の数と同じ位の数のバリエーションがある。ただ、日本語の方言程度の違いなので、いずれかの国のスペイン語を一つマスターしておけば、他の中南米の国のスペイン語は、特別に勉強しなくても仕事と日常生活の中で身に着けることができる。先住民語の語彙が多い国(アズテック語を多用するメキシコなど)は、少し厄介だが、大きなハードルではない。要は、スペイン語を一旦覚えれば、21か国、総人口5億人の国々で使えるのである。各国のスペイン語の違いを覚えるのも語学オタクを目指す者としては苦痛ではなく、むしろ楽しい。

 ここで、米国のスペイン語について一言。米国の中南米系(ラティーノ)の人口は6000万人を超える。その70%は英語を流ちょうに話すとされる。逆に言えば、スペイン語を第一言語とする人々が2000万人近くいるということになる。ただ、中南米系の人々にスペイン語で話しかけると喜ばれるかというと必ずしもそうではない。筆者の経験で言えば、メキシコなどの裕福な一世は嬉しそうにスペイン語で応じてくることが多いが、キューバ系は違う。英語がほとんどできない運転手でも、スペイン語で話しかけると意味不明の「英語」で返事が返ってくる。当方がやむを得ず英語に切り替えてもほとんど理解しないので、スペイン語に訳してあげなければならない。それでもなお「英語」を話そうとするのだ。それは、なぜか。米国の中南米系移民社会では、英語が達者な者が出世し、上達しない者は低所得層から這い上がることができないでいる。マイアミのキューバ系エリート層はほとんど英語・スペイン語のバイリンガルで彼ら同志は日常的にスペイン語を使っている。しかし、我々外国人とはスペイン語で話したがらない。英語ができることはステータスシンボルなのだ。これはキューバ系に限ったことではなく、他のラティーノの間でも程度の差はあるが同じだ。したがって、米国のラティーノと話をする時は、まず英語で会話を始め、相手の反応を見ながらスペイン語に切り替えるかどうか判断するのが無難だ。因みに筆者がマイアミ勤務時に積極的にスペイン語を使ったのは、理髪店だけだった。スペイン語で刈り方を注文しないと悲惨な結果に終わる恐れがあったからだ。

3.老骨に鞭を打って学んだポルトガル語

 ブラジル(首都ブラジリア)に着任したのは60歳の誕生日を迎えた翌日だった。もう新しい語学をマスターできる年齢ではないので、しばらく英語とスペイン語で胡麻化しながら、ポルトガル語を少しずつマイペースで勉強しようと思っていたが、その考えが甘いことがすぐわかった。着任の一週間後位だったと記憶しているが、ブラジリアに近い小都市の市議会を訪れた時「突然の指名」でスピーチを頼まれた。断るわけには行かないので、インチキなポルトガル語というより、知っている限りのポルトガル語を散りばめた破壊されたスペイン語で、しどろもどろの挨拶をした。前任地のスペインでは「突然の指名」が普通だったが、ブラジルの事情も同じであることがわかった。前述の市議会での恥ずかしい経験を繰り返さないためにも、ポルトガル語の学習に本気で取り組むことにした。週二回の個人教授を中心に必死に勉強した。ポルトガル語とスペイン語は親戚関係にあるので、文法などは頭に入りやすい。しかし、60歳にもなると、習ったことをその日のうちに忘れてしまうことが多い。このため、先生に同じことを繰り返し教えてもらわざるを得なかった。また、単語を覚えるのも結構大変だった。個人的印象論だが、ブラジルのポルトガル語の単語の①3分の1は、スペイン語と同じ乃至ほとんど同じ、②3分の1は大体見当がつく程度に似ている、③残りの3分の1は全く似ても似つかない。綴りが同じでも全く意味が違うこともある。スペイン語で「素敵な」という意味の形容詞「exquisito」はポルトガル語(「esquisito」)では「変てこな」という言う意味などに使われ、また。レストラン等のチップはスペイン語で「propina」だが、これはポルトガル語で「賄賂」を意味する。いろいろ落とし穴があるので要注意だ。

両者の発音は大きく異なる。ポルトガル語は鼻音、開口母音、閉口母音などスペイン語や英語には存在しない発音が多数存在し、日本人にとってスペイン語より難しい。なお、ポルトガル本国の発音はもっと難しい。ロシア語、ポーランド語等スラブ系言語に発音が似ているという説があり、ロマンス諸語の中で特異な存在だ。

 頑張った割にポルトガル語の学習効果は上がらなかったが、1年程度で情報収集や外交交渉などの外交活動がなんとかできるようになり、2年目以降は即興のスピーチができるようになった。即興といってもスピーチを頼まれそうな行事については予め、ポイントをポルトガル語のメモにまとめてポケットに入れておいた。ブラジルでは、セレモニー等に於いてスピーチを誰に頼むかは、現場で主催者、司会者等が相談して決めることがよくあり、事前にスピーチの有無を確認できないことが多い。

 筆者はブラジル在勤中ポルトガル語で仕事をすることができるようになって本当によかったと思っている。一つは、通訳を介してでは話ができない場面があるからだ。一例をあげれば、閣僚を大使公邸の食事に招いた時に、他の客の前では話せない無理筋の頼み事があったので、食事終了後、玄関に向かう途中、直接一対一で懇願したことがあった。その時は、1時間後にその閣僚から直接電話でOKの回答があった。もう一つは、日系人との関係である。ブラジルの日系人(三世以降は殆ど日本語を解さない)は、日本の大使がポルトガル語でスピーチをすることを誇りに思うらしい。ポルトガル語は国連の公用語ではなくマイナーな言葉なので、ポルトガル語を話す外国の駐ブラジル大使は少数派だ(当時のアジア・グループでは筆者と東チモール大使だけだった)。

4.おわりに

 筆者は、結局、三か国語で外交官の仕事をした。英語はスペイン語のベースになり、スペイン語はポルトガル語のベースになったことは前述のどおりだ。スペイン語、ポルトガル語を勉強したことは英語の知識を深める上でも役に立った。高校時代に古文、漢文を勉強したのと似たような効果があったのかなと思う。一つ悔やまれるのは、香港勤務時に広東語を習わず、語学オタクが中途半端に終わってしまったことだ。一応広東語の勉強は始めたのだが、七声(九声とも言われる)があまりにも難しく、くじけてしまった。中国の言葉を勉強しておけば、世界が大きく広がり、日本語の知識にももっと奥行きを持たせることができたに違いないと思っている。