国際緊張下のミラノ・コルティナ五輪大会 ―「平和の祭典」を活かすために―
元駐ギリシャ大使 望月敏夫
日本オリンピック・アカデミー名誉会長、早稲田大学招聘研究員
はじめに
間もなくミラノ・コルティナ冬季オリンピック大会が開幕する。これに先立ち恒例の「オリンピック休戦」決議が去る11月国連総会で採択された(以下オリンピックは「五輪」と略称)。これが古代ギリシャの故事どおり各地の紛争に平和をもたらすと期待する人もいれば、それは絵に描いた餅で期待するのはナイーブ過ぎると言う人もいる。
真理は中間にありと思われるが、平和は語る人によって意味を異にする。五輪の世界で平和が語られる時は、一般的に理想主義的で美辞麗句を伴う希望的観測が目に付く。この小論では筆者の現場体験を踏まえ、国際政治の現実的視点より、五輪の平和運動のあり方を考えたい(注)。
なお、パラリンピック大会は独自の視点を要するので別稿に譲るが、五輪との一体化が近年の主流なので、本稿の内容が概ね適用可能である。
(注)スポーツと国際政治の相互作用に関する筆者の分析は、日本オリンピック・アカデミー編著「2020+1東京大会を考える」(2022年メディアパル社刊)を参照願いたい。
五輪大会の代名詞となった「平和の祭典」
本来はスポーツ競技大会の五輪に平和が結び付いた由来は、古代ギリシャの五輪大会で出場選手の往来の安全を保障した「五輪休戦」の故事、近代五輪の祖クーベルタン男爵の平和思想、夏冬五輪大会の前に国連総会で採択される五輪休戦決議があり、五輪憲章にはオリンピズムの目的として「スポーツを通じる平和な社会の推進」が規定され、それがIOCの使命と役割だとされた。競技場や選手村の現場では、フェアプレー精神、選手間の相互理解、友好等が平和に通じる合言葉となり、聖火や聖火リレーにも平和の願いが込められた。こうして世界平和への貢献が五輪運動の主要な要素の一つとして定着し、特に平和主義への思いが強い日本では、五輪を通じる平和運動に国民が共鳴し世界有数の五輪愛好国となった。
近年ポピュリズムや右派勢力の伸長で五輪離れ、反五輪の風潮が広がる中、IOCは五輪の平和貢献機能を強調しサバイバルを図ろうとしている。バッハ前会長はそのウクライナ対応への批判をかわすかの如く、国連等行く先々で五輪の平和貢献をアピールした。東京やパリ五輪大会では「難民選手団」を参加させ難民救済と平和回復を訴え、久々のヒット事業とされた。後任のコベントリー会長も昨秋初来日の際に世界平和実現に努力する旨を力説した旨報じられている。
なお、「平和の祭典」という用語は五輪憲章に規定された制度用語ではなく、「聖火」という邦訳と同様にメデイアの知恵から生まれ定着したとされている。
「平和の祭典」は偽善か、あるいは虚構か
パリにある国際関係戦略研究所(IRIS)のパスカル・ボニファス所長(スポーツと地政学の権威)は、朝日新聞の遠田記者のインタビュー記事(昨年8月20日付)で「五輪で平和を議論すること自体が「偽善」だという声もありますが」との質問に対し、「平和について議論する機会は増えるほど良い。戦争は絶対受け入れられないとのメッセージは重要だ」と述べている。続いて国連の五輪休戦決議の効力を問われると「我々は現実主義者にならなければいけない。五輪には人や国家の関係を深める側面があるが、国家の指導者が戦争を始めるのは慎重に考えた末の結論だ。五輪休戦に戦闘を止める力はない」と言い切っている。ボニファス先生は「偽善か」という挑発に乗ることなく、米国流のレアリストと一線を画す言い方で国際政治の現実を説いている。
スポーツ競技は結果を出す必要があるが、五輪の平和運動は話題になる割に結果が出ていない。このため偽善とまで言わずとも疑念や幻滅が世界中で特に知識層の間で認められる。一例だが、国際政治の理論と実証研究で内外に知られる筆者の同級生はある会合で「五輪は平和運動でもあると言うが政治学的に実証できない虚構である。それが学会の常識だ」と言ったので、筆者より極論をするなと反論したが、崇高な理念をお題目のように唱えても実績を証明できないと議論に勝目はない。
懐疑論が生まれる背景
先ず、五輪の平和運動には国際政治から見て構造的な限界がある。2016年国連安保理決議(後述)が述べているように、「平和構築は紛争の発生、段階的拡大、再発又は継続の防止を目的とする本質的に政治的な過程である」(前文12項)。つまり世界は基本的に力の均衡、同盟、抑止力等の論理の上に制度として二国間及び多国間の集団安全保障体制があり平和が保たれており、国連も理念上は集団安全保障体制である。紛争が勃発すれば処理する当事者は基本的に国家であるが、国内紛争と国際紛争が絡み合う事態が多く民族団体、戦闘集団、仲介国等も関与する。ここで当事者能力の無い言わば部外者の五輪が笛吹けど主役は踊らない。ボニファス先生の言うとおりであり、外交実務者として交渉と妥協の現場に長くいた筆者の実感である。
IOCは国際緊張の緩和を意識した努力をしていない訳ではないが、バッハ氏と北朝鮮との一見蜜月と見える関係や選手同士の友情場面をプレーアップしても、本人達は幸せそうだが大抵は一過性のアネクドートに止まっている。
辛口評価の矛先は特に国連総会の五輪休戦決議に向かっている。もとより拘束力はないが、1993年以来17回採択されたが決議の履行を法的に認定出来る例がなく、逆に決議にぶつけるように武力行使を行ったロシアの暴挙が目立つ。もともと古代ギリシャでも総会決議でも大会前後の期間限定の一時停戦を呼び掛けているのに対し、多くの人は紛争の解決まで過剰に期待し結果が出ないと失望する。筆者が見た決議案の作成過程もマンネリ化し共同提案国数は近年大幅に減少し、本来の理念的価値が見失われている感がある。
平和の新概念「持続的な平和」
このような残念な状況を打開するための格好の材料がある。それは2016年に国連安全保障理事会決議(S/RES/2282-2016)及び総会決議(A/RES/70/262)が打ち出したアクション・オリエンテッドな「持続的な平和sustaining peace」という新しいコンセプトである(両決議は同内容なので「双子決議」と呼ばれる)。冷戦終結前後の国際秩序の動揺の中で欧米の研究者、外交官、国連の専門家等が行った多数の研究や議論の制度的な集大成とも言える(注)。一般用語となった「持続可能な平和sustainable peace」と同意義だが、長続きさせる気持ちが込められている。
その特徴は、伝統的概念が平和とは国家関係中心に紛争や戦争の無い状況と定義し、平和構築とは紛争が生じた「後」の処理を対象とするのに対し、新概念は紛争の「根本原因」を除去する「予防」措置を重視し、紛争中の対策、紛争後の復興及び再発防止まで含む包括的なプロセスと定義している。例えば、法の支配、貧困根絶、社会開発、適切な統治、民主主義、ジェンダー平等、人権保護等を達成することが紛争の予防となり平和に通じるとの考えである(安保理決議前文12から14項、本文12項等)。就中女性と若者の役割が強調されている(同決議本文21項から23項等)。これは平和構築の現実的要請を反映し国内及び国際的ニーズにも合致しているので世界中で広い支持を得ている。
(注)篠田英朗教授の論文(2022年国際安全保障第50巻第1号等)参照
「平和の祭典」の再定義
この「持続的な平和」の概念を五輪運動が目下行っている諸活動に適用することにより、「平和の祭典」の再定義が可能になり、懐疑論の払拭に役立つことを強調したい。
即ち、五輪憲章や五輪改革を目指す「オリンピック・アジェンダ2020、同2020+5」等の五輪の基本文書は、「五輪の社会的貢献」という一般的な呼称で、人権、ジェンダー平等、あらゆる種類の差別撤廃、環境保護等を含む多様性と包摂性の促進を目的に定めており、実践上も一例だが東京やパリ五輪大会等で女性選手の増加、カーボンフリー等のデモンストレーションが行われている(注)。
着目点は、「社会的貢献」の諸取り組みが2016年安保理決議の例示する紛争予防措置と概ね一致するため、それらを平和運動として位置付けられることである。もともと「平和」の概念と同様に「平和の祭典」の定義は曖昧であるが、ここで既存の「社会的貢献」を組み込んで再定義しかつ可視化することにより「平和の祭典」を名実兼ね備えたものに再構築することが出来る。
なお、「平和の祭典」の再定義は五輪憲章の改変を要するような制度の創設ではなく、概念整理を行い事実上の解釈の変更と運用により、主に発信と啓発に役立てようとするものである。この結果五輪運動全体の盛り上げにも寄与出来るはずである。
(注)詳細は東京大会に関する前掲書および筆者の小論(2024年9月霞関会会報及びHP「パリ大会の評価と今後の五輪の針路」等)を参照。
既存の政策提言の活用
2016年安保理決議は平和構築の指針としてSDGsを挙げているが(前文11項)、その他にも冷戦終結前後から国連等が行っている政策提言には「平和の祭典」の再定義に活用出来る材料が含まれている。中でも筆者が一部実務的に関係したことがある「グローバル・ガバナンス」スキーム、「人間の安全保障」戦略、SDGs等のほか、毎年G7とG20サミットが採択する首脳宣言も役立つ。更に目下世界各地で展開中の11の国連PKOミッションからも教訓が得られる(注)。因みにIOCはSDGsの17ゴールのうちスポーツは11領域で協力可能としているが、五輪ファミリーが達成努力を続ければ停滞気味のSDGsを盛り返し、2030年以降の後継パッケージ「Sustainable Well-being Goals(SWGs)」を後押し出来るだろう。(注)外務省、国連広報センターHPの資料参照
伝統的五輪価値の見直し
バッハ前会長はロシアのウクライナ侵攻問題で苦慮した結果、侵略国は国としてパリ大会参加を認めないが、諸条件を満たす「中立個人選手Athletès Internationals Neutres(AINs)」ならば認めるという中途半端な方式を勧告した。これにより侵略者からは足許を見られ一部国際スポーツ団体(IF)の反発を招き、国際スポーツ界を分断したままミラノ・コルティナ大会を迎えることになる。一方、同前会長はガザ問題ではイスラエル選手の大会参加を認めたため、ダブルスタンダードだとの批判が強まっている。
従来五輪を含むスポーツ界は外部からの政治的圧力に対し「非政治・中立主義」を大原則として対抗するかまたは隠れ蓑にしてきたが、国際秩序の変動に伴いその運用を見直す時が来た。人の尊厳や他国の主権を冒す非道のケースに対しては、この原則を「止揚」し、国連を含む国際社会が協調して取る侵略国への制裁等に同調することにより平和回復に協力することが正義にかなう旨を著者はこれまでも強く主張してきた(注)。五輪は単独では世界政治に影響力はないが、かつてアパルトヘイトやジェノサイドのケースで国際社会と協調し関係国を五輪大会等から締め出し効果を上げた実績がある。
(注)詳細はパリ大会に関する上記拙論等参照
ところがIOCは昨年12月の同主催「五輪サミット」で、「非政治主義」の現代的運用を検討するとしつつも、ロシアとベラルーシの若手選手に限りフルに国家を代表して国際大会出場を認めるようIF(国際競技連盟)に勧告した(IOCニュース)。これは多くの点で合理性に欠け、特に、悪事も続けていれば周囲がなびいて来ると信じている男を増長させるだけである。コベントリー会長にはバッハ氏の過ちを繰り返さぬよう勧告の撤廃を促したい。
「民主主義は平和をつくる」
これはベネズエラの反体制派マチャド氏が同国を脱出しオスロのホテルのバルコニーから叫んだと報じられた言葉であるが、2016年安保理決議は民主主義が紛争を予防し平和をもたらす要因の一つと規定している(前文12項)。即ち基本的人権、自由、平等等の民主的価値は人類の普遍的財産として社会の安定をもたらし、覇権主義や過激なナショナリズムを抑えて紛争を防止するため、民主主義国の間では戦争が起きないという信念は希望的観測を含みながらも世界の共通認識となっている。
一方、実践面では問題も多い。もともと民主主義の実現は多大なコストと時間を要するものだが、特に途上国や新興国では国民の大半が民主主義に共鳴し民主政府を樹立し平和外交に徹する過程に多くの困難が見られる。凡近な例だが筆者はおカネだけでない人的貢献を目指し国際平和協力法案(PKO法案。最初は文民中心)の最初の策定事務を担当したが、並行して1989年に制憲議会選挙監視、民主化支援等を学ぶため国連ナミビア(旧称南西アフリカ)独立支援グループ(ANTAG)に現行法の範囲内で参加することとし、先遣隊長として現地に赴いた。その時痛感したことは、先進国からの介入や押しつけを廃し自主的に民主化を進めるためには、国民の融和、民生の安定、治安の確保等の基礎条件が総合的にそろう必要があることで、現地に長い国連の責任者もその点を強調していた。失敗すると脆弱国家や破綻国家としてテロの源泉にもなりかねない。幸いナミビアは一定の経済成長を果たし独立35年を経て多党制民主主義が機能していると言われる。
ところが世界全体では民主主義国が権威主義や強権主義の国の勢いに押されている事態となり、更に民主主義国の内部でも逆行する動きが目に付く。2036年以降の五輪大会は権威主義体制が目立つグローバルサウスの国々で開催される方向だが、国威発揚等のみの良いとこ取りをされずに「平和の祭典」が導く民主的価値を植え付ける努力が不可欠である。
おわりに
国連の「双子決議」が新しい平和概念を採択してから9年を経た。この間に五輪の平和運動の改革が多々議論されたと想像するが、IOCの実際の取り組みには反映されておらず批判も減っていない。コベントリー会長は就任直後に四つの作業部会を設け五輪運動の在り方を検討する意欲を見せたが、自国中心や排外主義が五輪運動への逆風となっている折、新会長には旧習にとらわれず、かつ掛け声だけでない具体的施策の策定と履行を期待したい。
2年後にはロサンゼルスで五輪大会が開かれるが、最も青い州での開催かつ次期大統領選挙直前であり、トランプ大統領の下で国内政治や国際政治と五輪運動との関係が問われる正念場となろう。わが国を始め世界中の五輪ファミリーは結束してこの事態に当たる必要がある。
日本は東京大会を困難な環境を乗り切りスポーツ大会としては成功させたが、組織委員会のガバナンス不全のため汚職等の醜聞が発生し有罪判決も一部確定したため、五輪好き国民の五輪離れを起こした。また最有力候補だった札幌冬季五輪招致のチャンスも逃したが、今の世界が最も必要としていてアピール力がある「平和と民主主義」をスローガンにして再起を図ってもらいたい。(了)
