台湾雑感


前日本台湾交流協会台北事務所代表 沼田幹夫

はじめに

 世は新型コロナウイルス感染拡大で騒然としている。こうした状況下、世界で唯一とも言って良いほど、見事な対策により、感染拡大を食い止めているのが台湾である。私は、昨年10月まで、5年3か月、台湾に勤務させてもらった。幸せな日々であり、台湾は私にとって第二の故郷となった。その台湾が今、国際社会で国を危機に陥れる感染症対策の優等生として高く評価されていることを嬉しく思う。
 2014年夏、私は日本台湾交流協会台北事務所代表として赴任した。赴任前、岡崎久彦大使から「沼田君、台湾は日本の安全保障にとって、最も重要なパートナーであり、君の任務は極めて重い。そこのところを肝に銘じ誠心誠意、職責を果たせ。今、安保関連法案の成立に向け私も全力で安倍政権を支援しているので、台湾へ行く時間は取れないが、法案が成立した暁には必ず台湾に行くから、その時を楽しみにしていてくれ。」との激励を頂いた。残念ながら、岡崎大使は病に倒れられ安保法案成立後、日を置かずして他界されてしまったが、岡崎大使から受けたこの言葉は、今も忘れられない。
2014年5月、外務省を退官した後、同年7月に私は何も知らない台湾に乗り込んだのである。

1.最も親日的な人々?
台湾の人口は2300万人強。人口の13-4%が高齢者であり、急速に少子高齢化が進む。70万人ほどの原住民(台湾では所謂高砂族で知られた先住民族を今でも「原住民」と言っている)の他、人口の大半は漢人で占められている。1945年8月に日本の統治は終わり、蒋介石総統の率いる国民党の支配下に入る。国民党とともに大陸中国から渡台した中国人の数は、現在の人口の約15%と言われ、その人々を外省人と言う。1895年から50年間、日本の統治下時代から住んでいた漢人を本省人と言っている。75年の歳月を経て、今では外省人と本省人の垣根も相当に低くなって来ているとは言え、未だ、完全なる融和は図られてはいない。
日本台湾交流協会では、2010年代から2,3年の間隔で、この台湾人の意識調査を実施している。その調査結果を見ると、世界で最も好きな国はどこですかと言う問いに対し、ダントツ、50%を超える人々が我が日本と答えてくれている。2019年公表した調査結果では、2位、中国、3位米国の順であるが、その数字はいずれも一桁台であった。最も影響を与えている国はどこですかとの問いには、45%の人が、中国を第一位に上げ、次が33%の米国、三位が日本の15%となった。この結果は、なかなか意味深長である。好きだけれども、頼りにならないと言っているようにも受け止められ、なかなか手厳しい。
こうした親日的人々であり、4,5人に一人は訪日している。その訪日者数は、今や500万人に届くような勢いである(残念ながら、今年の訪日者数は激減するが)。ここ数年、日本から台湾への毎年の渡航者数は、200万人前後で推移している。お陰で2014年着任して以来、台湾当局関係者からは、良く「台湾2300万人の5倍の人口を有する日本からの訪台人数が、台湾からの訪日人数の半分以下であり、是非、もっと日本人に台湾に来てもらいたい」との要望が頻繁になされた。因みに、この訪日者人数を例示して、ある公館長会議で台湾は世界で最も親日的な地域だと発言したら、当時の松田香港総領事から、「香港は、2、3人に一人は毎年訪日しており、その意味では香港が最も親日的なところである」とやり込められてしまい、これには白旗を揚げるしかなかった。
台北の総統府を始め、新北、台中、高雄、台南、桃園、基隆、嘉儀、宜蘭、新竹、花蓮といった台湾各地の都市では、日本統治時代の面影がいたるところで目に付く。都市計画、道路、鉄道、水道、灌漑と言ったインフラ始め、医療、郵便、教育といったシステムも日本統治時代に完備された痕跡がいたるところで発見できる。韓国では、日帝時代の建造物はほぼ全て破壊しつくされたと聞いているのとは、まったく違う景色が呈されている。

2.何故、親日的なのか?
 着任当初、台湾当局関係者への挨拶回りをした。印象に深く残っているのは、当時の馬英九総統と李登輝元総統との会談である。
馬英九総統は、「私は友日である」と言った。「親日」とは言わず、敢えて「友日」と言った。国民党主席であり、2008年からそれまでの民進党陳水扁総統の後を継いで台湾の総統となった馬英九総統は、日本では余り評価が高くない。尖閣や沖ノ鳥島の問題、歴史認識の問題、更には対日食品輸入規制問題では、厳しい対日姿勢を常に示していた。しかし、馬英九時代の8年間、日本との覚書28本に署名した。馬英九総統が下野する2016年5月時点で、1972年9月の断交以降、日台間で取り交わされた覚書総数は62本、その中、約半数の28本の覚書に署名しているのだ。その中には、オープンスカイ取り決め、投資保護取り決め、漁業取り決め、二重課税防止取り決め等、現在の日本と台湾を結ぶ上で双方の関係緊密化の基盤となる重要な取り決めを結んだのも馬英九総統である。少なくとも、親日ではないにしても日本との関係が重要であることは十分認識していたと思う。1930年代に烏山頭ダムを建設した八田与一技師の貢献を高く評価してもいたし、2011年3月の東北大震災に際しては日本への支援のため募金活動の先頭にたってもくれた。そこには、対日政策で理性と感情を如何に調和させるか、常に葛藤している馬英九総統の姿を垣間見て取れた。
李登輝元総統は、初対面で「大使、台湾と日本の関係は、片思いの関係だったことを知っていますか」と言われた。私は、敢えて具体的にどういうことを言っているのですかとは聞けなかったが、約3時間、李登輝元総統の講義をお聞きする場となった。指導者に求められる洞察力、節度、忍耐、持久力を兼ね備えた正に20世紀を代表する世界的指導者の講義は、新鮮であり話に引き込まれて行くだけであった。1988年に蒋経国総統(当時)が突然亡くなられ、思いもしない台湾総統職を継ぐことになった李登輝さんは、本省人として初めての総統であり国民党の主席となられた。その12年に及ぶ施政は、たった一人の革命の日々であったと思う。台湾に民主主義を植え付け、育て、今日の繁栄の基礎を築かれたことは歴史が示していると思う。そして、対日政策でもいつも片思いの関係と言われていたが、今日の親日的社会を生み出した恩人であると言って過言ではあるまい。1996年に総統選挙に勝利し、断行した台湾の教育改革こそ、今日の良好な日台関係の基盤整備となった。李登輝元総統は、それまでの台湾で行われていた国民党歴史教育(抗日戦争を中心とした歴史教育)だけでは台湾の将来の発展には資さないとの考えから、台湾の歴史教育(日本統治50年間の歴史を含む台湾400年の歴史教育)を行うこととされた。
台湾には、前述したような人口構成の下、大まかに言って三つの世代間格差がある。今や80歳を超える日本統治時代の教育を受けた人々(ここでは第一世代と言う)、1945年以降、国民党の統治下で教育を受けた70歳代から30歳代の人々(ここでは第二世代と言う)、1996年以降、台湾の歴史教育を受けた30歳前半以下の最も若い人々(ここでは第三世代と言う)である。第一世代は、日本語を話し、総じて日本及び日本人をよく知っている人々である。第二世代は、多くが欧米に留学し、第一世代が1960年代、70年代に日本との経済協力のもとに起こした事業を継承した人が多く、ビジネスでは日本との関係が深いが、根底に国民党史の教育による影響を拭い去ることができない世代と言ってもよい人々である。同時に、今の社会を担っている世代でもある。そして、第三世代は李登輝元総統の教育改革により、台湾の歴史教育を受けてきた若い人々であり、第二世代が持つ一種の日本へのわだかまりがほぼ無い人々である。
1990年代、中国や韓国で開始された愛国教育が、今日の日中、日韓の関係を難しくしている状況を見るにつけ、李登輝元総統のこの教育改革は、私達日本人にとって誠に有難いものであり、その思いを大切にしていきたいと思うし、出来れば、「片思いの関係」を相思相愛の関係にもっていけたらと強く思う。

3.台湾が抱える宿命
 世界はグローバル化の流れに乗り、早く、狭くなり、各国の盛衰も激しく移り変わっている。特に、21世紀を迎え中国の台頭が著しい。明らかなことは中国が確実に国力を増している事であり、国際場裏における発言力も大きくなっていることである。台湾統一を目指す中国とどう向き合っていくのか、台湾の生存の鍵は、その一点にある。
 2016年5月、蔡英文総統が就任した当時、台湾と外交関係を維持する国が世界に22か国あった。蔡英文総統が就任してほぼ4年、この間、7か国が台湾と断交し、今や15か国のみとなってしまった。この趨勢は、止まるところを知らない。
 蔡英文政権は、就任当初から年金改革、労働規則改革等々、選挙民に余り歓迎されない政策を果断に断行し、中国政府との話し合いも従来以上に希求してきたが、中国政府は独立色の強い政権とみなして、ほぼ没交渉の状態になってしまった。李登輝元総統時代から始まった両岸交流は、今では台湾経済の帰趨を制するほど拡大しており、台湾2300万人の中、100万人以上が既に大陸中国に常駐していると言われている。中国との没交渉は、台湾の人々の最大の心配事となっている。その人々の心配が形で現れたのが、2018年11月の統一地方選挙であった。政権与党民進党は、地滑り的大敗を喫し、2020年1月11日の総統選挙・立法院選挙でも民進党の勝利はほぼ望みなしという苦境に立たされた。
 絶体絶命の危機に瀕していた蔡英文政権を救ったのは、中国の習近平主席であった。2019年1月2日、「台湾同胞に告げる書」発出40周年を記念して、台湾統一に当たっての基本政策は「一国二制度」だと強調した。台湾人の八割以上の人々が、中国との経済関係は大事だが「一国二制度」と言う政治体制下で生きていくことは受け入れられないと思っている。習近平演説は、この台湾人の心を痛く傷つけてしまった。2300万台湾人の5割近くの人たちは、「台湾人」であると思っており、3割以上の人が「台湾人であり、中国人でもある」と思っているのだ。合計すれば約8割以上の人々が、台湾人を意識しているのである。この現実を大陸中国の政権は、甘く見ていた。蔡英文政権は息を吹き返した瞬間であった。その後、香港での200万にも及ぶデモが更なる追い風となり、蔡英文政権は、今年の選挙に大勝した。
 蔡英文総統には、幸運の女神がついている。絶体絶命のピンチから立ち上がり、新型コロナウイルス感染拡大の中で世界でも類を見ない成功を収めている。国際社会は、今、台湾を改めて評価し始めている。今日、特に米中貿易戦争もあって、米国議会を中心に台湾との関係をもっと強化すべしとの動きも強くなっている。とは言え、対中関係を如何にマネージしていくのか、二期目を迎える蔡英文政権が、常に腐心しなければならない宿命を負っていることに変わりはない。
4.日本として考えるべきこと
 日本が最も好きだという台湾の人々は、自分たちが中国を統一できるとはもはや考えていない。現状を出来る限り維持していきたいと強く願っている。法の支配の下、自由で平和な環境の中で、中国との経済関係をさらに発展させていきたいとも考えている。その上で、将来中国が法の支配の下、自由かつ平和な社会体制に変容していくのであれば、その時に改めて統一問題を考えていきたいと思っている。
世界で最も親日的な台湾との関係を維持発展させていくことは、我が国の将来の平和と安全を確保していくうえでも極めて重要であると思う。李登輝元総統から「片思いの関係だった」と言われ、「台湾が将来にわたり台湾として生きていくために、最も重要な国は日本であり米国である。今の若い人々は、多くが欧米に留学し、米国の重要性は理解しているが、日本の重要性を理解している人が存外に少ないのが心配だ」とも言われていた。
 台湾の人々は、2011年の東北大震災時に示してくれた心温まる支援に見られるように、熊本地震や台風被害などに当たっても常に日本に支援の手を差し伸べてくれている。新型コロナウイルス感染でも200万枚のマスクを先日送ってくれた。この台湾の人々の厚情を素直に嬉しく思うし、心から感謝したい。台湾との関係は、実務関係に限られているが、李登輝元総統が言われた「片思いの関係」で終わらせておくことは出来ない。出来ることは沢山あると思う。特に、台湾当局が今切に願っているのは、CPTPP加入であり、日本政府の支援、協力を願っている。修学旅行生の相互交流や、台湾人留学生の拡充もその一つである。因みに、3年前から、日本台湾交流協会では、台湾高校生受け入れ事業(一年間、20名程度をホームステイ等で留学させる事業)を開始した。こうした若い人々の交流が民間ベースで更に拡大されていくことを切に願う。同時に、いつの日か私達日本台湾交流協会台北事務所や高雄事務所が台湾側から受けている便宜供与と同程度の便宜は、台湾側の駐日台北経済文化代表所にも供与されることを切に願う。
 友情と信頼を築いていきたいと願うし、「台湾の安定なくして日本の安定もなし」と言われた岡崎久彦大使の言葉を、改めて噛みしめった5年3か月であった。