余談雑談(第150回)ホモ・モビリタス

元駐タイ大使 恩田 宗

 マイアミ大学の脳科学者が人は未知の場所に行くなど探索の度合の高いことをすることに幸福を感じると研究発表したところ、一部の米国紙はホモ・モビリタス(移動する者)たる人間として当り前のことだと受け止めたたらしい。

 人類の歴史は移動の歴史でもあった。アフリカに生まれ5~7万年前に移動を始め1万2千年前に南米の端に到達し以後も移動を続けている。現在は中東の難民集団が欧州を目指し徒歩で移動しておりアフリカ人は小さなボートで地中海を渡っている。塩野七生はゲルマン民族の大移動につき「食べていけない人々が食べていけると思う土地に向かうのは自然の勢いで…しばしば暴力的に(なる)」と書いている。移動は探究心の他飢餓や迫害からも起こる。

 ゲルマン人がドナウとラインを越えてローマ帝国領に大移動していた4~5世紀頃、ユーラシア大陸の東では鮮卑・匈奴などの塞外民族が華北に侵入し五胡十六国の時代となった。その十数世紀後には、欧州から北米大陸へ、中国から東南アジアへ、大量の移民が移動した。北米に渡った移民は狩猟採取の原住民を掃討しその地を奪って定住した。「わが魂を聖地に埋めよ」(D・ブラウン著)はインディアンの憐れな抵抗と滅亡の歴史で、読むと、ハリウッド製のインディアン映画を楽しんで観ていた無知が恥ずかしくなる。米大陸への移住者は農場などに必要な労働力をアフリカ大陸から大量の奴隷(18世紀には8百万人)を運び込むことで補った。人類は既に地球を覆い尽くしたのでいずれ地球以外の星に目を転じ移動することになるであろう。既に米国のNPO「火星協会」は火星探検旅行(2030年代には実現可能と見込んでいる由)への参加希望者を募りユタ州の砂漠で訓練しているという。

 日本人は秀吉の大陸侵出が失敗した後は島に閉じ籠められ島内での移動の自由も失った。江戸時代の5~60年毎の全国的な伊勢参り騒動は幽閉からくる鬱屈の発散だった。明治になり政府は過剰人口のはけ口として南北米大陸への移住を奨励し、昭和11年には傀儡国家の建設促進と国内の貧農救済のため満州への5百万人の植民を国策として行うこととした。恐慌に苦しむ農民に八紘一宇実現のための大和民族の大陸移動だとその意義を強調し「満州に行けば家も畑もある」と勧誘した。しかし供された土地の大半は満州拓殖公社が現地人の耕地を法外に低い値で強制買収したものだった。14年間で27万人が入植したところで敗戦となった。移住者は現地人の報復とソ連軍の攻撃略奪に曝されたが公社や関東軍は保護を放棄した。棄民である。当時移住地の男子は根こそぎ徴兵されており残った老人と婦女子の冬期徒歩での逃避行は凄惨を極め死者脱落者が8万数千にのぼった。

 日本人は他の主要民族と異なり有史以来移動することの少ない民族であった。S・ハンチントンは、日本には他の国に普通見られるディアスポラ(国外離散者)さえ存在しない、と書いている。二十世紀の日本人の軍事力を背景としたアジア大陸とその半島への移住の試みは長続きせず悲劇的な終わり方をした。日本人にはホモ・モビリタスというタイトルは当たらない。