余談雑談(第148回)聴力

元駐タイ大使 恩田 宗

 飼い主の帰宅を数分前に察知し玄関で待つ猫がいる。遠くから歩いてくる靴音を聞き分けているのだという。驚異的な聴力だがまだ証明はされていない。人類は動物と長く共存してきたが彼等の生態や能力につき本格的研究を始めたのはダーウイン以後でその驚くべき実態が分るのはこれからである。

 「動物感覚」(T・グランディン 2006年)に動物研究の最近の成果が載っている。アリゾナ州のが仲間に危険を知らせる鳴き声は形容詞・名詞・動詞をそなえた意思伝達システムでどんなサイズ・色・性格の人間・鷹・コヨーテ・犬がどんな速度で接近しているかを伝える言語に近いもので練習を必要とし方言もあるとか、渡り鳥が3万キロの旅を間違わず往復するのは本能に依るのではなく群れに連れられ飛行した経験から経路を記憶しているからであるとか、動物は皆人間と同じに友情を持ち孤独で非社交的に見えるキリンも同様であるとか、象には超高感度の感覚器官があり人間に聞こえない低周波で数十キロ離れた仲間と交信するとか、カナダのカラスは数百平方キロの地域に松の実を埋め90%以上回収するとか。何れカラスが何を喋っているか分るようになると思う。

 人間にも卓越した聴力を持つ人がいる。演奏会のピアノを調律したり管弦楽をCDで聴き楽器別に楽譜に書き取ったりしている。絶対音感を持つ人は1オクターブの12音を識別できるが、上には上があり、1オクターブを72音に分けたものを完全に識別した人がいたという。三つに分けただけでも駄目な人もいて下には下がある。人間の情報処理能力の平均は7プラス・マイナス2であり虹も7色に見ている。12もの音を識別できるのは素晴らしいことだが良いことだけではないという。音楽でも雑音でも音を聞くと音名が頭の中を走り煩わしいらしい。

 日本では秋を告げる風音や山寺の蝉の声を和歌や俳句に詠む。欧米では風や虫の音は格別情趣あるものとはしていない。この違いにつき角田忠信(東京医科歯科大教授)はこう論じている。欧米人は風雨の音や動物とか虫の鳴声は母音・雑音と同じに音楽や泣声・笑い声など感情的なものを扱う右脳(音楽脳)に受入れるが、日本人など母音の強い言語で育った人はそうした音や母音を言語や計算などを扱う理性的な左脳(言語脳)で受取る、これが欧米と日本との文化の違いの源ではないか、と。日本人は風音や虫の鳴声を単なる音としてではなく意味のあることを語っているものとして受け止めていることになる。将来、蝉が何んと鳴いているかなどという研究が行われるとすれば日本に於いてであろう。