余談雑談(第129回)泣くことの効用

元駐タイ大使 恩田 宗

 英国のメイ前首相は不本意な退陣に追い込まれ辞任挨拶を終えた時は感極まったのか顔を歪めて涙をこらえていた。涙は強く感動すると出てくるが涙と一緒にストレス原因も脳から除かれるらしい。特に悲しい時は涙を出して泣くと苦しみが和らぐ。カタルシス(浄化)である。こっそり泣くより人前で思い切って泣く方が効果が大きいという。

 源氏物語に出てくる貴族達はよく泣く。数頁毎に誰かが涙を流している。男も女も独りでも二人や大勢でも。 繊細で感じやすく昔を偲ぶとか久しぶりに会ったとか美しいとか嬉しいとかでも「袖を濡らし」て泣き同席者も貰ぃ泣きをする。彼等は釈尊入滅1500年以後は末法の時代だという悲観的な世界観に囚われていて別離や疾病や人の移り気や身分の降格・破産など負の事態への感受性がとりわけ鋭く少しの兆しにも動揺する。そんな時は「声を上げて」鳴咽・号泣することもある。悲しさ心細さ悔しさ恐ろしさなどの苦しみは泣いて涙を流すことで耐え全てを前世の因果だと諦めて受け入れていた。

 「涙の歴史」 (A ・ピュフォー)によると18世紀のフランスでは気取った宮廷儀礼ヘの反動として自然らしさが好まれ人々は涙を流す楽しみに耽溺した。女は泣かなければ女らしくないと思い男も人前をはばからず涙を流した。小説や演劇は読者や観客が流した涙の多寡で評価された。ルソーの純愛小説「新エロイーズ」 は時代を風靡した大ヒット作品でサロンや家庭に集まり涙を流し合って読んだと伝える手紙が数多く残っているという。今読むとどうしてそんなに泣けたのか不思議だが自分の感じやすい心を見せ合って二重に喜びを感じていたらしい。世紀が変ゎると感情を抑制した慎みの尊重に転じてしまったが涙の味に飽きたのかもしれない。

 18世紀は江戸の盛期で知性の錬磨と感情の統御を説く儒教が支配的だった。新井白石の父は武芸と藩政に共に秀でた武士で言葉少なく喜怒の色を表わさず家では黙座していることが多く病を得ても壁に向かい横たわっているだけで家人はどこが具合が悪いのか分らず困ったという。白石は「男子はただただ事 に堪ぇるべき」 だと教えられそうした父を理想として育ったと書いている。

 五木寛之の本の広告に「泣くのはいいが泣き言は言ゎない」 とあった。泣ぃた後にも憐潤や悔悟や怨恨や怒りなど行動を促す情念は残る。泣き言は言えばそれで終ゎる。現代人は飢餓や虐殺の報道写真を見ても泣くことはまずなぃ。悲惨な映像に皆がより敏感になり涙を流すようになればそうした事態を正す努 力に繋がる。泣きたい時は泣いた方がいい。

(注)このホームページに掲載された「余談雑談」の最初の100回分は、『大使館の庭』と題する一冊の書籍(2022年4月発行、ロギカ書房)にまとめてあります。